頭痛の種と厄介な胸のうずき


 学校帰り、は繁華街を歩いていたらたまたまファミリーレストランから出てくる蒼紫と般若と式尉を見つけた。


「こんにちは般若さん、蒼紫さん、式尉さん」
「ああ、こんにちは」

 無表情な蒼紫の挨拶に、はにかっと嬉しそうに笑う。
 今時の若者風のとは対照的に般若と蒼紫、式尉はネクタイをしめたスーツ姿だ。
 般若の仮面が陽光をキラリと反射している。

「お前、こんな時間になんでこんなところにいるんだ」
「へっへー、今日は午前で授業はおしまいでーっす!」
「おや、これはこれは……?」

 蒼紫たちの背後、レストランの扉が開き、そこから出てきた一人の青年が般若とに興味深げな視線を向ける。
 その目ぶみするような視線に、はすこしだけムッとした。
 白いスーツ姿のメガネをかけたその男はいくぶんやつれてみえる。顔色も悪い。

「お知り合いの方ですか?」
「ああ、私の近所の学生です。偶然、そこで会ったので」
「そうですか、ずいぶん懐かれているんですね」
「じゃじゃ馬です」

 般若の言葉に男はニコっと笑い、に自己紹介をすると共に名刺を渡してきた。
 武田コーポレーション。ここ数年その知名度をあげてきた比較的新しい会社だ。男――武田観柳はそこの社長らしい。古くより地域の人々の信用を勝ち取っているがじょじょに衰退しつつある御庭カンパニーとは対照的な会社だろう。
 個人的にも蒼紫とは性格があいそうにないな、と第一印象だけでは思った。

「よろしくお願いします。自分はと言います。名刺とか持ってなくて。ごめんなさい」
「はは、わかっていますよ。まぁ、なにかありましたらご連絡ください」

 それでは、と別れの挨拶を済ませると、観柳はには車名のわからない、しかし高級そうな車に乗って去っていった。

「あの人顔色悪かったけど大丈夫なのかな」
「ああ……いや、あれは、な。式尉のやつが……」
「俺はべし見に頼まれてやっただけだぜ。悪いのは俺に下剤よこしたアイツだ」
「え?」

 歯切れの悪そうな声を出す般若とは対照的に、肩をすくめる式尉の表情は晴れやかだ。
 やってやったぜ! と今にもガッツポーズをしそうである。

「いやな、あの野郎がットに……前から御頭にナメた口きいてたからよ。ちょいとべし見の奴からもらった下剤をな……」
「ま、混ぜたの?」
「便所行ってる隙に、アイツの飲んでたロイヤルミルクティーに、そりゃもう」
「私は止めたんだぞ。それをこいつが――」
「式尉さん、あんたホント……いい仕事したな」

 がしっ、とが式尉の手を掴んだ。

「おい、お前までそんなことを言うのか。お前と武田観柳は初対面だろう、印象だけでそのような」
「まあそうなんだけどさ。でも、式尉さん……ねぇ?」
「ああ。なんなんだろうな、きっと前世かなにかで因縁があったに違いねぇ。なーんか、あの顔見ると虫唾が走るんだよなぁ……」

 ぼやきながら首をかしげる式尉と

「正直、気持ちはわかる。だが私怨での行動は慎め」
「へぇーいわかりました御頭ー」

 あまりわかってはいないような表情で式尉が返事をする。

「そうだ。般若さんさぁ、今日は飲み会とかせず家帰ってきてね。食材がいい加減腐りそうだから」
「ああ、わかった。いつもすまないな」
「お前ら、一緒に住んでたっけ?」
「いや」

 般若とは互いに首を振った。
 結局この日は何事もなく終わったのだが、問題はこの一週間後だ。





「般若さん、人が悪いですねぇ。娘さんがいらっしゃったとは知りませんでしたよ」
「……いきなりどうした」

 般若は打ち合わせで対面していた観柳にそう問われ、眉をしかめた――と言っても仮面があるので傍目にはわからなかったが。
 蒼紫と式尉は席をはずしている。この場には般若と観柳の二人だけだ。
「昨日、夜中に街を歩いていたら般若さんが夜中に女子高生……そう、確かさんでしたか? と、二人きりで腕を組んで出歩いていたのを見たものですから」

 にやぁ、と下卑た笑みを浮かべて肩をすくめる。
 もちろんながら般若とは親子関係ではない。だがそうと勘違いされてもおかしくないことは般若も自覚していた。
 は昔から友情のスキンシップを好むし、何度注意しても腕を組みたがるものだから諦めてされるがままになっていた。
 昨日も……そうだ。般若の家で寝そうになったを起こし、家まで連れて行った。その姿は寄り添いあう恋人同士のような密着度だった気もするし、時刻は0時を超えていた。

「一瞬援助交際かと思ってしまいましたよ、親子にしてはずいぶん年の近いお二人ですし、まるで恋人同士のような親密さでしたからね」
は特殊な事情の家庭でな、私が親代わりをしているだけだ」

 そっけなく答える般若だったが、内心で動揺はしていた。

「そうですか? それならいいんですけどねぇ……」

 観柳とて、般若とが親子関係ではないことはわかっているだろう。仮に二人が親子だったとしても、苗字の違いを見れば複雑な関係であることは馬鹿でもわかる。
 つまるところ、わざと地雷をつついて楽しんでいるのだ。やくざが借金の取立ての際、相手の家族を引き合いに出し『お前の弱みを知っているぞ』と脅しに使う手法に似ている。
 事実、観柳の目は獲物の弱点を見つけた爬虫類に似ていた。

「まぁ、般若さんなら女に狂って道を踏み外すこともないでしょうから、愚問でしたね」

 とぼけた演技で観柳が言い、ロイヤルミルクティーに口をつける。自分も下剤を盛ればよかった、と半ば本気で般若は思った。

「女というものは深入りしすぎると叶わないものですねぇ。どちらも破綻するか、自分だけが破綻するかのどちらかですから。特に我々のような人種は――おや、蒼紫さんが帰ってきましたね」

 前半についてその通りだと般若も思ったから、特に何も言わなかった。
 蒼紫が席についたタイミングで、観柳はあからさまなため息を吐き出す。

「それで、いい加減考えてくれませんかねぇ、御庭カンパニーさん」
「いくら金を出しても無駄だ。―-御庭番衆はお前などに渡さない」

 毅然とした瞳の蒼紫に、先ほどの会話でイラついていた般若も、いくらか溜飲が下がった。



 この関係は危ういものだ、と観柳に言われるまで気付かなかった般若ではない。
 だが、そのことに目を伏せてきたことは事実だった。
 共に街を歩いて間違われたことは何度かある。警官に職務質問されないのはが一見して男に見えるからで、年相応の女に見えていたら間違いなく呼びとめられているだろう。
 幸い御庭カンパニーはとの関係を容認してくれているが、の存在は弱点になりうることはわかっている。

 の教育上も、自分との関係はよくないであろうことも、わかっている。
 物心つく前から般若がの親代わりをしていたせいか、は女が好むようなものにまったく関心を示さない。男に対する危機感というものを学習しているかどうかもあやしい。
 真面目な子に育ったな、とは思っているのだ。色々と欠点はあるが、約束は守るし困っている人を放っておけない正義感もある。
 だがいかんせん……。

「般若さん、お風呂出たよー。いい湯でしたっ」
「ああ。……しかし本当に我がもの顔でいりびたってるな、お前」

 髪をしたたらせながら風呂から出てきたに、般若は現実に引き戻された。
 般若の住む安いアパートに転がり込んでは、は夕食を作って般若に振舞って、般若の家で風呂に入って自宅へと戻っていく。寝る場所が違うだけで、ほとんどと般若の二人暮らし状態だ。

 はタンクトップの上に、般若のワイシャツを羽織っていた。下に短パンを履いているが、きわどい格好に変わりはない。
 成長してきた身体の無防備さが、般若の目に余る。

 手招きをして目の前に座らせると、バスタオルで髪の毛を拭いてやる。くすぐったそうにが笑った。

「母さんたちが仕事でいないから、俺は一人暮らしみたいなもんだし。般若さんは一人暮らしだし。二人のほうがなにかと便利じゃん? ご飯も退屈しないし!」
「学校の友人はどうした、遊んでる姿を見かけないが」
「薫さんとか操ちゃんとかとは普通に遊んでるよ、夜には帰るけどね。夜は般若さんと一緒のがいい」

 素直にうれしいとは思う。そこに野良猫になつかれたうっとうしさがないまぜになるのは、観柳の言葉があったからだろう。

「俺がこうやって定期的にご飯作りに来ないと、いつ般若さん孤独死とか過労死とかしててもおかしくないもん。でも孤独死はないかな、御庭カンパニーってアットホームだもんね」

 髪を拭き終わると、くるりと振り返ってじゃれてくる。
 ほほえましさを感じるスキンシップだが、般若は他の男にもやってはいないかと心配になる。単純にの貞操を危惧してのことだ。独占欲などではない。そのはずがない。

「お前、好きな男などはいないのか」
「いるよ」
「お前な、男っぽくふるまうのもいいが、いつか好きな男が出来たときに――え?」

 思わず聞き返した。
 がかすかに頬を染める。

「なんて言った?」
「だからー……いるって。言ったじゃん」
「お、男か? それとも女か?」
「……。まあ突っ込まないでおこう。男の人だよ。その人が女性だったらどうだろう、惚れてたのかな」
「男か……」

 胸のわだかまりを感じた。居心地の悪い不快感に近い。
 まさか――まさかが、一人前に異性を意識しているとは思ってもみなかった。
 がカップに注いた差し出されたそれを飲んでも、般若の驚きはおさまらなかった。
「そうか……まさか、そうか、お前が男に惚れる時が来たのか」
「来たのかっていうか、まあ、結構前からだけど」

 なんてことだ。まったく気付かなかった。
 般若が鈍い人間、というわけでは決してない。
 物事の一側面を見て裏の事実を知ることはいまの職場の必須スキルであるし、男女の仲を察せないわけはない。
 そんな般若がの恋になぜ気づかなかったかと言えば、ひとえに「有り得ない」と思っていたからだろう。
 その告白は晴天の霹靂だった。

「般若さんお酒飲む? 日本酒でいいよね」
「ああ……」

 居心地の悪さを感じてが立ちあがった。
 般若の生返事にはすこし眉をひそめたものの、黙って台所へと歩いていく。

「私の知っている男か?」
「ん……まぁ、そうなるかな」

 背中を向けたままのの言葉は、こめかみをカナヅチで殴られたような衝撃だった。悪い冗談だと思いたかったが、なぜの言葉を拒否したくなるのか、理由はわからなかった。
 嫉妬にも似たわだかまりを感じた。知らぬの恋の相手に、対抗意識が芽生えている。
 ――対抗意識? そんなバカな。
 首を振って否定しようとすればするほど、胸のわだかまりは広がっていく。

「相楽左之助は結婚に向かない」
「はぁ!? いやっ……さっ相楽先輩じゃないよ?」

 酒の肴を作る為にフライパンを熱していたが素っ頓狂な声を出して振り返った。

「そうなのか? 私も知っているというからてっきり」
「確かに相手は年上ですけど……。相楽さんは、まぁ、うん……そういや貸した金返してもらってないな」
「どういう男だ?」
「え? そりゃ、強くて、冷たいように思えて実はすごく優しくて、仲間思いで、献身的で、やさしくてかっこよくて――」

 言葉がとまり、の表情がみるみるうちに赤くなっていく。

「……なんなんだよ般若さん、こんなこと聞いてくるなんて嫉妬?」

 嫉妬だと。そんなわけがない。
 なぜ交際してもいない、ましては子供相手に嫉妬せねばならないのだ。
 だから、般若はなにか言おうとした。だと言うのに言葉に出来なかった。
 と、そこに日本酒と缶ビール、つまみをトレイに乗せて##name_1##が戻ってくる。

「おい、お前な……ビールなんていつの間に冷蔵庫にいれた? 買った覚えはないぞ」
「式尉さんが買ってくれた」

 あの男。般若は頭を抱えた。
 般若が缶ビールを取り上げる前に##name_1##はグラスにビールを注ぎ、泡が消える前にいきおいよく飲み干した。
 般若の心中など知らぬ様子だ。

「っかーっ! 式尉さんが、ビール注ぐ前にコップの内側を濡らして冷凍庫で凍らしておくとすごく美味しいって言ってたんだよ。ホントだね!」
「お前未成年だろう……!」
「別にいいじゃん、もうえろい本だって買える年齢だし。それに明治時代は子供だってお酒飲めたんですよーだ」
「今は現代だ」
「一口飲んだら残り全部飲んだって一緒だよ」

 机に身を乗り出して般若は止めようとするが、はそれをよけてビールを再びグラスに次ぎ始めた。阻止されることを見越して、般若の向かい側に座ったらしい。
 ため息をついて般若は手をおさめた。だが缶一本だけでやめさせることを決意する。

「般若さんも飲みなよ」

 ##name_1##が日本酒を切り子グラスに注ぎ始めた。透明感のあるガラスの青が雰囲気を出している。
 仕方のないやつだ。般若は##name_1##の頭を小突き、それで折れてやった。
 日本酒独特の鼻腔を刺激する香りを楽しみながら飲み込む。コクのある苦味が鼻から抜けていく。
 あっさりとした風味ながら、決して軽くはない。いい酒だ。
 アルコールによる喉の熱っぽさに目を閉じながら、二口目を飲み込んだ。


「そんなにびっくりだった?」
「……ん?」

 机に突っ伏していた##name_1##がそう切り出したのは、酒を飲み始めてから数時間が経った時だった。
 般若と同じくほろ酔いのようで、の頬は赤い。

「あぁ……まあな。お前にそのような相手がいるとは思っていなかったから」
「俺だって、子供のままじゃないよ。俺だって人並みに異性は意識するし、それが好きな相手ならなおさらだよ」

 不服そうに頬を膨らます。

「あ、あのさ。般若さんは、どう思う?」
「……なにがだ」

 は咳払いをして、般若の隣に移動した。身体を寄せられた拍子にやわらかいにおいが般若の鼻をくすぐった。
 般若の顔を隣から覗き込むようにして、は般若の様子を伺う。

「だからさ、ええと……般若さんは、どう思うかなって。俺のこと」
「それは……」
「ダメかな。俺、男くさいし。うーん」
「もうすこし女らしくしといたほうがいいとは思うぞ……」
「やっぱり女らしいほうが好き?」

 は緊張した面持ちで居住まいを正す。この分では、般若がどれほど的外れなアドバイスをしても、疑わずに実践しそうだ。もともとはだまされやすい。
 いよいよ般若の胸のむかつきは無視できないレベルにまで膨れ上がっている。
 酔いと羞恥で染めた頬が腹立たしいと感じたことを、認めざるを得なかった。なぜそう思うのかも納得出来ていないのに、だ。

「私に聞いても無駄だ。女性の好みなど人によって違う。私の好みとお前の想い人の好みが一致しているとは限らないぞ」
「だから聞いてるんだよ……」
「ん?」
「だから聞いてるんだよ、こっちはっ!」

 だんっ、とが机を叩いた。
 明らかに怒りと不満をあらわにした声色に、その場の雰囲気が変わる。
 
「おい……?」
「般若さん」

 の言葉は低い。
 よくわからないが、本当にわからないのだが、般若は自分がの怒りの琴線に触れてしまったことを理解した。
 そう思った般若はとっさにをなだめる言葉を出そうとしたのだが――の言葉にめぐらせた言葉は吹き飛んでしまった。

「あなたが好きだから、あなたの好みを聞いてる。なにも間違ってはないでしょう」
「落ち着け、――は?」

 思わずを見返す。
 眉間にしわを寄せ、般若をにらむの目は据わっていた。
 なにを言われたのかわからずの言葉を反芻する般若を尻目に、は自分のグラスに般若の日本酒をどぼどぼと注いだ。
 アルコール度数はビールよりも高い。あふれるほど注がれたそれに般若が注意する前に、思い切り煽った。
 グラスが勢いとく机に置かれ、大きな音を立てる。 

「俺は、あなたが、好きなんですっ!!」

 酔いにまかせた叫びの直後、般若は肩を押され床に押し倒されていた。

 ゴツンッ、と冷たいフローリングに後頭部を強打した般若だったが、抗議を唱える暇はなかった。硬直していた。

「相楽さんは好きだけどこういうのじゃない。俺がそういう意味で好きなのはあなたなんだよ」
「おいっ! 、落ち着けっ」

 が、般若に覆いかぶさるようにして顔を近づけてくる。キスをされそうになるが、般若はすんでのところで押しとどめた。
 酒の匂いにまじって、甘い匂いが般若の鼻腔を掠めた。
 固有の匂いだ。強烈に脳を揺さぶるそれは、未熟ながらも女として男を誘惑する力を備えていた。

「俺はいつでも冷静です」

 そういうせりふは酒の入ってない時に言えと般若は心から思った。
 自分にも酒が入っているが、だが。

「いいか。よく考えろ。身近な男が私だけだからそういう気になるだけだ。私よりもいい男などこの世にいくらでも――」
「俺にとってあなた以上の人間なんてこの世に存在しません」

 断言される。情熱的ではあった。
 力でいうならは般若にかなわないが、なにぶん般若も酔いが回っている。警報を鳴らす脳内に比例して思うように身体が動かない。
 もみ合うようにしながら、般若は再び説得の言葉を吐く。

「私とお前は年齢も違いすぎる。お前はまだ若い」
「でも、あなたが思ってるよりはずっと大人だよっ!」

 ――そういうせりふを言うやつが大人の分別を身につけているはずがあるかっ!
 脳内でつっこみを入れるが、口には出せない。

「……私を信用してお前を預けてくれている親御さんを裏切るようなことはできない。冷静になってくれ」
「どうでもいいよ、そんなのっ」

 般若の願いはたった一言で一蹴。

「あのさぁ、あなたはいったいなんなんだ? さっきからやれ、歳の差とか俺の両親とか、世間体とか、そういうことばっかりじゃないか」

 涙目になっているのは、酔いか、せつなさゆえか。

「俺はあなたが好きだ。あなたはどうなんだ? 俺はあなたが好きになってくれると――嬉しい。すごく」

 先ほどの怒りの叫びとは打って変わって、が懇願する。すがるように般若に身を預け、抱きついた。
 薄い布ごしにの柔らかい身体を感じている。身体の中央に熱が移動していくのが般若は自分でもわかった。
 般若も男であるから、人並みにそう言った……女の身体に欲情することはある。

 に親心以外の感情を抱いていることを認めざるを得ないほど、心臓がうるさく騒いでいる。
 好きな相手がいる、と――に言われたとき感じたわだかまり。それが恋慕の情ゆえの嫉妬と思えば、なるほどすべてに合点がいく。
 納得がいくからと言って、年端のいかない娘に、それも父親代わりをしてきた少女に抱く感情ではない。
 性欲であれ、恋心であれ、だ。

「やめろ、……」
「お願い……般若さん」

 気付いたら今までとは逆の体勢――つまり、般若がを床に組み敷く体勢になっていた。
 やめろ、という脳内の警報が聞こえなくなるほどの情動に突き動かされ、わずらわしげに仮面を外す。
 あらわになるのはどうしようもないほど歪んだ顔だが、むしろの頬の赤みは増したように思える。
 それだけでもうどうしようもなく胸がうずくのは、もう、そういうことなのだろう。

「後悔――するなよ」

 言いながら顔を近づける間にあぐっと瞳と閉じたことを確かめ、般若は唇にキスを――しようとした。

 プププププププププププ!

「っ!?」

 思わず二人してびくりと身体を硬直させる。
 突如鳴り出した着信音が二人の世界に割って入り、現実へと引き戻す。それでも携帯電話を壊して行為を再開するか、と半ば本気で考える程度には般若もを求めてやまなかったのだが、いかんせん。

「この着信音……あ、蒼紫さまのじゃない? でなくていいの?」
「あぁ……すまない」

 そう。式尉相手だったならは無視してやるところだが、上司であり信奉する蒼紫が相手となればそうはいかない。

「――はい、般若です。蒼紫様、どうなさいましたか。いえ、大丈夫です。はっ、その件でしたら、既に。はい。そうですか、了解しました。はい。それでは」

 通話終了。蒼紫が必要最低限の話しかしないことに、般若はすこし感謝した。

「すまない。もう大丈夫だ」

 そう言ってに向き直ったが、時既に遅し。は夢の世界へと旅立っていた。
 ゆさぶっても話かけても頬をぺちぺちと叩いても反応がない。数分の電話の間に、完全に寝ている。

「この女は……」

 盛大にため息を吐く。今までの問答はなんだったのか、自分の高ぶりきった感情はどうすればいいのかと思うと惨めな気分にすらなる。
 ぐーすかぴーすか眠りこけるの寝顔は平和そのもので力が抜ける。

「般若さん……」

 そんな寝言に条件反射の笑みを浮かべてしまいながら、般若はを抱き上げ、寝室へと連れて行く。
 結局はこれでよかったのだ。あのままでは、確実にによからぬことをしてしまっていただろう。それは高校生にするようなことではない。
 のためを思えば、これでいいのだ。
 そう安心しつつもどこか残念に思ってしまう自分がいることも、般若はもう知っていた。
 今後とどう接するべきか、など問題は山積みだが、とりあえず今はそれを考えないことにする。

 が幸せそうに寝ている。とりあえず今は、それでいい。





2011/11/15:久遠晶
たまご様のリクエスト「学パロで社会人般若が年の差とかに悶々と悩む」を書かせていただきました!
たまごさま、ステキなリクエストをありがとうございます♪
また機会がありましたらよろしくお願いします、書いててすっごく楽しかったです!