聞えないふりをした響き


 それは大地に捧げる舞いのようだった。少なくともにはそう見えた。
 ごろつきが放つ大ぶりでの突きを、小男がひらりひらりとかわす。小男の無駄のない動きが、少なくともには豊穣を祈る舞に見える。
 ごろつきの攻撃をかいくぐるようにごろつきに迫り、小男はきつい蹴りをごろつきの鳩尾に叩き込んだ。続けて急所に次々と突きをあてられ、なすすべもなくごろつきたちは倒れ込む。

「小さいからって舐めんじゃねェーよ」

 ごろつきの最後のひとりを、音もなく飛び上がっての手刀で気絶させ男性は着地した。
 小男は背丈だけならば街の少年とさほど変わらない。おそらくはよりも背が低いその肉体で何人ものごろつきを一度に倒した小男は、それでも息ひとつ乱れていない。
 ごろつきに絡まれていた少女――は男性の軽やかな動きに見入って、ただへたり込んでいた。

 礼を言わねばならないとわかっているのに、は息をのむばかりでなにも言えない。

「おおーチビ。っと……この惨状はどうした?」
「おう、デブか。なんでもねぇよ、ただ弱えくせに粋がってんのにムカついただけだ」

 大通りの方から来た大男が、辺りを見回して驚いたように小男に話かけた。
 二人は知り合いなのか、その口調には遠慮がない。
 大男は小男のの説明に納得したように頷いた。

「同族嫌悪か」
「やんのかコラ」
「御頭が呼んでるぜー」
「おう、わかった」
「ま、待ってください……」

 大通りへと歩こうとした小男の背中にが声をかけると、二人が振り返る。

「お前、まだ居たのか」

 小男は驚いたように呟いた。などとっくに逃げたものと思っていたようだ。

「あ、ありがとうございます……」

 震えた唇でがそう言うと、男性はバツの悪そうな顔をして頭を掻く。

「別に……あいつらがムカついただけだ。お前の為じゃねぇ」

 を見ずにそういうと、小男は大男と共に何事もなかったかのように歩いていく。
 が制止の言葉をかける間もなく、小男の背中はすぐに人ごみに溶け込むように消えていってしまう。
 腰が抜けている。立ち上がり、追いかけることも出来ず、は小男のいた場所を眺めながらへたり込んでいた。

「素敵な人……だったな……」

 は呆けたように呟く。
 恋をする時に人は報せとなる音を聴くと言うが、の場合においてそれは耳元で鳴り続ける心臓の音だった。




 そんなことがあった日、は旅館の仕事に遅刻した。
 主人に頭を下げながら一日の仕事が完了し店を閉めたあと、改めて事情を説明しは上司――増髪たちに勢いよく頭を下げた。

「ほんとーに今日は遅刻、申し訳ありませんでした!」
「いいのよ、暴漢に絡まれてたなら仕方ないわ。遅くなっても来てくれてよかった。顔を上げて」

 うながされ、はおそるおそる頭を上げる。見上げた増髪たちの笑みに、は胃の痛みがすうっと引いていくのを感じた。
 白尉が机にお茶を置き、に差し出す。

「ほら、のみなよ。ちゃんが勝手に無断欠勤や遅刻するような子じゃないってわかってるからさ。それにしても、本当に大丈夫だったの?」
「はい。男の人が助けてくれたので。すごく背の低い人だったけど、かっこよかったなぁ……あ、お茶ありがとうございます」

 はお茶を飲みながら、今日の出来ごとに思いをはせる。

「本当に、すっごくかっこいい人で! ちゃんとお礼をできなかったのが心のこりです……お名前も聞けてないなぁ……」
「背の低い男の人、ねえ……。でもまさかなぁ」

 胸の前で手を組み、うっとりとその時のことを思い出すに、黒尉が頭をかく。
 すごく背の低い、それでいてごろつきを倒せる人物にはみんな心当たりがある。

「みなさん、心当たりでもあるんですか?」
「でも、べし見はかっこよくないよ。だから違うね」

 の疑問と一同の想像を操がぶった切る。もしかしたらその人とまた会えるかもしれない、と期待したはしょんぼりとうなだれた。
 その時だ。

「そんでよぉ般若。このチビが礼言われて照れてやんの」
「ほう」
「だからうるせーってデブ!! ――おう、帰ったぜー」
「あ、すみませんもう今日は店じまいで――え?」

 すでに店じまいをしているというのに扉を開けて入ってきた男たちに声をかけようとしたが、驚いたように言葉をとめた。

「あれ? コイツ、チビが助けてた……?」
「っあー!!」

 指を突き立ててのの絶叫。店に入ってきた男のなかには、あの小男がいたのだ。
「あぁめんどくせぇ。めんどくせぇ」

 御庭番衆が一人、べし見の最近の口癖はもっぱらそれだった。
 理由は単純明快。京都御庭番衆が運営する旅館兼旅籠――『葵屋』の従業員、のことだ。
 なぜ御庭番衆が運営する葵屋に一般人であるがいるかといえば、黒尉たち五人では店の切り盛りが大変だったからで、それ以上の理由はない。そこそこ名の知れている葵屋は人手が足りないのだ。

 数ヶ月前に江戸城御庭番衆の五人が帰ってきたが、美形の蒼紫に固定客がついてべし見たち四人は接客業では役に立たない以上、むしろ以前よりも忙しくなったかもしれない。
 ちなみに志々雄誠の騒動のときは里帰りしていたため、そのあたりのいきさつは知らない。
 ――という話を、べし見は増髪たちから聞いた。それ自体は構わない。構わないのだが……。


「べべべべべ、べし見さんっ! きょ、今日も一日お疲れ様ですっ!」

 店じまいをした葵屋で、店内の席に座って机に肘をついていたべし見にがそう声をかけた。一日の仕事が終わった直後の面々は、みな思い思いの席に腰掛けて脱力している。
 が飲んでください、とべし見にお茶を差し出した。
 喉が渇いていたわけではなかったが、傍らに立つがじっと様子を伺っているので、仕方なくそれを飲んだ。
 緑茶のしぶみとにがみが口のなかに広がり、喉に落ちていく。

「別に、俺は今日なにもしてねぇよ」

 いささか人より背の低いべし見は、接客に立つとどうしても好奇の視線を浴びる。かと言って力があるわけでもないので、力仕事も手伝いもできない。
 だからお疲れ様、などといわれるいわれはない――と、 ちょっとした自嘲もこもった嫌味をべし見は返した。

「朝早くのお店のお花の水遣りとか、店内の整理整頓とか、常備薬の調達とか――今日だけじゃなくって、いつもやってくれてるじゃないですか」
「……そんなんただの雑用だろ。誰でもやる」

 べし見は言葉につまったあと、かわいげのない返事をする。花の水遣りも整理整頓も影でつっけんどんな言い方だが、が特に傷ついたり不快になった様子はない。

「えー、そうですか? 知ってますか、朝早く会社に来て花のお世話や掃除をしてくれる社員がいる会社は繁盛するんですよ」
「なんの話だそれは」
「それにお客様用の部屋の掃除とかやってくださるじゃないですか~。べし見さん接客には出れないけど、裏方の細かいことやってくださるから、すごく助かってるんですよ。増髪さんたちも言ってました」

 増髪たちがそんなことを言っていたとは意外だった。いや、ろくに手伝えることがない江戸御庭番衆のキワモノ三人を気遣っているのは日々の対応で実感していたが、そんなふうに言われているとは思わなかった。なお般若は変装すればどうにかなるので除外する。
 べし見は頭を掻いた。部屋の掃除はともかく花の水遣りも常備薬の調達も、すべて影ながらおこなっていたつもりのことだ。それが看破されていて、しかも他人からのいい評価を伝えられるというのはなかなかに恥ずかしい。

「それに……べし見さんが居てくれるだけで私の仕事に気合がはいりますから、それだけでもありがとうございます、ですよ」

 がお盆を抱きしめ、えへへとはにかんだ。
 その笑顔に思わずべし見の頬が赤くなり、内心の動揺をかき消すようにべし見は減らず口を言う。

「俺がいると仕事サボれねーってか」
「違いますよ! 好きな人の前では、いいとこ見せた――ぁ」

 言葉の途中で、自分の発言に驚いたが手を覆った。「私、なにか言っちゃいました?」といわんばかりにべし見のほうを見て、目があうとみるみるうちに顔が真っ赤になっていく。

「え、や、ちが……いや、ちがくはないんですけど、そ、そうじゃなくて……いえべし見さんを男性として意識してないとかそういうわけじゃなくて、ええと」
「もう喋んな、お前……」
「すみません……」

 謝罪の言葉はかすれて消えていく。真っ赤な顔ではうつむくが、うつむきたいのはこっちだ――とべし見は頭を抱えた。
 盛大にため息を吐くと、の肩が震えて、泣きそう表情になる。は道に立っていてべしみは座敷に座っている為、の表情の変化がわかったべし見は眉をしかめてがりがりと頭を掻いた。

「えぇと……そうだ、茶。おかわりくれ」

 茶を飲み干して湯のみを差し出すと、ぱっとの表情が明るくなる。

「はい! ただいま!」

 ぱたぱたと厨房に駆けていくの背中を見て、べし見はまたため息を吐いた。

 という少女は、ごろつきに囲まれていたを助けたべし見に惚れているらしかった。女性経験が多いわけではないべし見だったが、こうまで好意がだだ漏れではさすがに気づかないほうがおかしい。
 いっそ面と向かってすきだと言われれば対応の仕方もあるものの、は自分の気持ちを隠せていると思っているのだから、べし見は対応に困る。

「よォ。相変わらず青春やってるねぇ」
「……式尉。簀巻きにされてェのか」
「そう言うなよ。仲間だろ?」

 べし見の隣にどっかと座り込んだ式尉がべし見の小さい肩に腕を回した。べし見はうっとおしい!とそれを跳ね除けようとするも、式尉はがっちりとべし見の頭を抱えて離さない。
 端から見れば全身傷だらけのヤクザ者が異様にふけ顔の少年を脅しているようにしか見えない異様な光景である。
 ――あぁ、めんどくせぇ。
 ため息を吐き出しながらべし見は思った。ただでさえからの好意に戸惑っているというのに、横からここぞばかりに茶々を入れられてはかなわない。
 とはいえ自分も般若やひょっとこたちの色恋沙汰には喜び勇んで首を突っ込むだろうから、如何ともしがたい。

「うっせぇよ維新志士の裏切り者め」
「おーう俺は御頭に惚れこんで維新志士を裏切ったのさ。で、どうよ」
「うっせぇ」
「まだ本題にはいらねぇうちからその態度……てこたぁ、結構悪い気はしてねぇってことかい?」
「う、る、せ、え!」

 頭をがっちりと抱え込まれて逃げられないので、腕に思い切り爪を立ててひっかくとたまらず式尉はべし見を離した。

「アイテテテ! いくら図星突かれたからって古傷はやめろ、古傷はっ」
「自業自得だ、クソが」

 はんっと吐き捨てる。
 と、そこにちょうどよくお茶を持ってきたがやってきた。

「ほんとーに、御庭番衆の方々って仲いいんですねぇ」
「おうっ、なんたって同じ江戸城を警護してた仲間だからな。なあべし見」
「よくねぇっ――むぐ」

 関心したようにつぶやくに、これでもかっと式尉がべし見を引き寄せて仲良しであると主張する。口をふさがれて、べし見の主張は封殺された。
 ――ううう、うっぜえええ!!
 べし見は式尉に対して叫びたくなった。

 はそんなべし見の嫌そうな顔も含めて仲がいいと思っているらしく、くすくすと笑いながら二人の前に緑茶を置く。
 式尉が向かい側に座るようを促したので、は緊張気味にべし見の目の前に座った。

「お。俺の分もあるのかい。気が利くねぇ。なあべし見」
「うっせー! さっきからお前のワキがくせェーんだよ! この露出狂!」
「確かに式尉さん、いっつも上裸だから目のやり場に困るです」

 ぽっと頬を赤らめ、が言った。式尉は笑いながら緑茶を飲み干す。

「はは、すまないねぇ、なにぶん俺の体に合う服ってのはなかなかなくてね」
「着物っていうのはどんな体格の人でも着れるものなんですけどね。背か高いっていうのも困りものですね。私、背が低くてよかったです」
「だってよ、べし見はいいよな」
「え?」

 式尉の言葉に、は首をかしげた。べし見はつっこむのにうんざりして、黙って茶をすすっている。
 つまり、の自分は背が低いから着るものに困らなくていい……という言葉を、べし見に対する嫌味として式尉がべし見に言ったのだ。

「……ああっ! すみません、私、えぇと」
「お前は黙ってろ」
「は、はい……」

 冷たくべし見に言われ、はうなだれた。

「別に、怒ってはねぇよ。つーか、言ったのコイツだし」
「ホントですか?」
「本当だよ」

 面倒に思いながらも訂正してやると、が安心したように口元をほころばせる。その反応に、たまらなくなったべし見はごまかすように頭をがりがりと掻いた。
 相当ぶっきらぼうで投げやりな言葉だったのに、それでも喜ぶのか……と思った瞬間、妙な気恥ずかしさが居ても経っても居られなくなったからだ。

 その様子を見ていた式尉が、ニヤニヤしながら立ち上がった。

「じゃ、俺はお若い二人に任せて」
「見合いじゃねーよ」
「えぇっ。な、なんですかそれはっ」
「湯のみは厨房に置いとくな。茶ぁ、ありがとうよ。やっぱ緑茶は熱いのだぜ」

 言いながら湯のみを持って店の奥に引っ込んでいく。
 べし見とが残され、微妙な空気になってしまった。

「あ……っと、私もそろそろ寝ますね。おやすみなさい、べし見さん」
「あぁ……おやすみ」

 気まずげにべし見が返すと、はうれしそうに頬を染めた。つられてべし見の顔も赤くなる。

「緑茶は熱いの……ねぇ」

 寝室に向かうの背中を見ながら式尉の言葉を思い出し、べし見は一人ごちた。
 自分の緑茶を飲むが、猫舌のべし見にちょうどいい温度だ。冷めたのではない、が湯のみを持ってきたときから、この温度だった。
 以前近江女が淹れた茶を飲み舌を火傷したことを見ていたのだろうか。
 そして、わざわざべし見の茶だけをぬるくしてから持ってきたのだろうか。

 考えべし見はどういう反応をすればいいのかわからず、ただむずむずと唇を動かした。そして、せわしない鼓動を整えるために深呼吸をした。

「めんどくせェ」

 それは自分の感情をもてあましているからこその言葉だった。
「めんどくせェ」

 べし見はそう呟き、大きなため息を吐いた。
 どうしてこんなことになったのか……と思いながら、べし見は周囲を見渡す。
 祝日の広場は、恋人同士や子供連れでにぎわっている。
 なぜべし見がそんなところに一人で突っ立っているかというと、それはひとえにとの約束があるからである。
 時刻は待ち合わせの時間よりも一刻、つまり一時間ほど早い。
 早く来たのは自分の勝手なのに、べし見は居心地悪そうに足でトントンと地面を叩いた。

『あ、あ、あ、あのっ!! ららら、落語の入場券をお客さんからもらいましてッ! よければ二人でどうですかっっ』

 真っ赤な顔で、散々言葉をつっかえながらのの言葉が再生される。
 誘われた当初はすげなく断ろうかと思ったものの、その落語は街で有名になっている演目で、入場券の期限もずいぶんと先のものだ。そんなものを客がに渡すとは思えない。ということはがべし見を誘う為に必死になって手に入れたことは想像にかたくなく、の努力を水泡に帰すことはためらわれた。
 またタイミングよく――あるいは悪く――蒼紫がその場にやってきて、「二人で見に行くのか。いいことだな」などと言って去っていったのだから、蒼紫の部下であるべし見としては断ることができなくなった。

 つまるところ、今日べし見がと二人で落語を見に行くのは、恋人同士だからとか、そういう「いい関係」だからでは断じてない。たとえ、周囲からはそう見えたとしても。
 そう。言わばこれは「同情」だ。寄付だ。慈善行為だ。
 べし見はそう自らの行為を納得させる。

「断じて、アイツの表情にやられたとかじゃねぇ」
「こんにちはっべし見さん! なに一人でブツブツ言ってるんですか?」
「うわっ!」

 声に出して自分を納得させていたべし見に声がかかる。
 慌ててその場から飛びのくと、当たり前と言うべきか声の主はだった。

「遅れてすみません。待たせちゃいましたねl」
「お、おう……」

 べし見はそう相槌をするだけで精いっぱいだった。まだ待ち合わせには30分ほどもあるが、それを言ってやる余裕はなかった。
 は休日だからか、葵屋で給仕をしている時とは髪形も服装も違う。
 流行りの模様を取り入れた着物はおろしたてだとわかるし、使っているカンザシも普段使っていないものだ。頭のいただきからつま先まで、その姿には気合いが入っている。

 食い入るようなべし見の視線に、は恥ずかしそうにもじもじとした。

「おめかし頑張ったんですけど、だ、だめですかね……」
「あ……馬子にも衣装じゃねーの」
「あう。ひどい」

 べし見が視線をそらした意味には気付かなかったらしい。気付いていれば赤面して、なにも言えなくなっていただろう。

「いいから行くぞ」
「あっ待ってくださいっ」

 足早に歩きだしたべし見を追いかけ、は小走りになった。




 女の扱いなんてめんどくせェ――と心底思っていたべし見だがとの一日は存外に楽しめた。
 落語そのものは面白くもなくつまらくもない凡庸なものだったが、感動して頬を赤らめるを見ればまあこれもいいものかと思える。帰りにやっていた夏祭りに付き合ってやれば、は嬉しそうに笑うし、その笑顔は見れないものではなかった。
 なにかにつけて背伸びしたり遠慮しようとするを制し金を出してやるのも、思っていたより悪い気分ではない。
 ありていに言えば、それなりに充実していた。

「べし見さん、こんなにしてもらっちゃっていいんですか?」

 両手に綿あめと金魚がはいった袋を装備した遠慮がちに言う。先ほどからべし見が代金を払ってばかりだから、気負うのもしかたがないかもしれない。

「そんな大した額じゃねーし、気にすんな」
「気にしますよ! 今日、無理言ってべし見さんについてきてもらったのに、私ばっかり……」
「俺がいいって言ってんだからいいんだよ。ほら、他に回るとこはあんのか」
「わっ」

 の手を掴んでべし見が歩きだすと、は小さくうめいた。
 べし見も一瞬遅れて、繋がれた手と手に気付く。

「っ……ほら、行くぞ」
「は、はい……」

 自分から繋いだ手前すぐに離すのがはばかられ、べし見はごまかすように歩を進めた。
 ひかえめに握り返してくる感触にどくりと心臓が脈打つのを自覚しながら。

「あ……。べし見さん、リンゴ飴なんてどうですか?」
「いいんじゃ、ねぇか」
「わかりました。あ、すみません! リンゴ飴ふたつお願いしますっ」
「あー、ごめんよ嬢ちゃん。残り一個なんだよ」
「じゃあ、二人で半分つするから大丈夫です! 大丈夫ですよね?」
「そうだな……」

 べし見がの言葉の意味に気付いたのは、なにも考えずに答え代金を支払った後だった。
 手を繋いだまま、はべし見をひっぱるように屋台の前から退き、人の少ない場所で立ち止まる。

「はいべし見さん。一口どうぞ」

 手を繋いだ時の余韻が抜けきっていないのか、かすかに紅潮した頬をしたがべし見の口元にリンゴ飴を持っていく。
 このままかぶりつけ、ということらしい。
 が持つリンゴ飴を、べし見に食えと。

「……おい」
「どうしました?」
「いいのか、お前はそれで」
「はい。二人で半分つです。あ、全部食べたいですか?」
「そうじゃねえ」
「……?」

 べし見にリンゴ飴を差し出したまま、が首をかしげる。
 言葉につまり、べし見は視線をさまよわせた。この状況に恥じらいを感じているのはべし見だけらしい。
 どう考えてもこの状況は「はい、あーんっ」であるし、べし見がかじったものを後々が食べるということは、それは間接的な口づけになりやしないか。
 頬を染めるそんなべし見の心中になど気付いていないのか、はべし見にりんご飴を差し出したままだ。
 意識しているのは自分ばかりなのか――と考えるとむしょうに馬鹿らしく思えてくる。
 結局べし見が根負けする形で、べし見はリンゴ飴にかじりついた。

 水あめの甘みと共に、熟しきっていないリンゴの酸味が口の中で混ざり合っていく。
「リンゴ飴って美味しいですよね。とても好きです」

 笑いながらが噛みあとがついたリンゴ飴をかじる様子を、べし見はなぜかハラハラとした面持ちで見つめていた。
 しゃくしゃくと二、三口食べたところで、はべし見の視線が自分の口元にあることに気付いた。

「口になにかついてますか?」
「……いや、そういうわけじゃ……」
「あ、もう一口食べます? あれ、でもこれって……?」

 首をかしげるが、とべし見のかじり痕のついたリンゴ飴と、べし見の唇を見比べた。
 ぽかーんと口のあいていた間抜け面が盛大にひきつり、急速に赤くなっていく。

「ここここ、これッ、もしかして間接的なせっぷ……え、えっ!?」
「……おせーんだよ、気付くの!」
「わ、わかってたんですかぁっ!? す、すみませ――」
「おい、あぶねぇ――」

 恥ずかしさのあまり思わず距離を取ろうとするが、小石に蹴つまづいて身体の均衡を崩す。
 反射的にべし見は手をのばすが、はその場に尻もちをついて倒れていた。

「おい、大丈夫か?」
「あいたたた……はい、大丈夫です……いたっ」
「おい、足くじいたのか? ちょっと見せてみろ」

 は尻を押さえながら立ちあがろうとしたが、足に体重をかけた時点で痛がり、立ち上がれない。
 足首の関節が赤くなっており、べし見がの足を掴んで動かさせると、痛がる。
 骨は折れていないようだが、今歩くわけにもいかない…と言った具合だ。
 べし見はため息を吐いた。

「これじゃ歩けねぇな……」
「だ、大丈夫です!――歩けま……っ」

 最後の言葉は苦痛を耐えるうめきにかき消される。
 だから言わんこっちゃない、とを見ると、はすまなそうにうつむいた。

「帰ろうにも……立ち上がれ、ないんだよな」
「うう……はい……ちょっと辛いです……」

 べし見は唸った。
 肩を貸そうにもべし見との身長差では肩を貸すことにならないし、を置いて誰かを呼んでくるというのも忍びない。

「どうしたもんか……」
「すみません、私あわててしまって……」
「ホントだよ。ったくしょうがねぇなあ……ほれ、乗れよ」
「え?」

 かがんだべし見が背中を向けて首だけで振り返ると、は戸惑った声をあげた。

「おぶってやるって言ってんだよ。さっさと乗れよ」
「え? い、いや……えっと」
「別に、下心なんか――」
「つ、つぶれないか大丈夫ですか?」
「あぁ?」

 ぶしつけな質問に思わずべし見は唸った。
 べし見は身長が低い。見た目からも筋肉があるようには思えないし、そんなべし見に自分が乗ったら支え切れずにつぶれるのではないか――と、それをは危惧しているのだ。
 としてはなにも他意はないのだが、べし見にすれば男の自尊心をカナヅチで殴られたような衝撃だ。その分、怒りも強い。

「ほう……テメェは、俺みてぇなチビで非力でなにもできねぇキワモノ野郎にゃ、女一人持ちあげることもできねぇと言いたいのか……?」
「え、そ、そこまでは言ってな――」
「いいから、テメェは俺に持ちあげられてればいいんだよ!!」

 啖呵を切って、立ちあがったべし見がの手首を勢いよく引き寄せた。
 太ももに手を回し、姫抱きの体勢でを持ちあげる。

「べ、べし見さんっ!?」

 自然に密着する身体に硬直したになど気付かず、べし見はどうだ、と鼻を鳴らした。
 の体重を体幹で支えればどうってことはない。そのまま葵屋へと歩く。
 夏祭りの人ごみをすり抜け、路地を出る。そこまではよかった。隠密としてあるまじきことだが、男としての矜持をかけた戦いに周りの目など気にしていなかった。
 だが、ふと冷静になって自分がを姫抱きしていることに気付いてしまうと、急に恥ずかしさがこみあげてくる。

(なにをやってんだ、俺は……)

 同時に、勢いでを姫抱きしたことへの呆れと後悔も発生する。
 着物越しにの体温が伝わってきて、その熱がべし見の頭を沸騰させる。

 痩せた小男が、自分よりも背の高い少女を抱き上げ歩く。なかなかに滑稽な光景で、
 なにも知らない人間からはどう見えているのだろうか。いや恋人に見えるわけはないだろう。妹だ。そう妹。妹を抱きあげる兄。そうだ、そうに違いない。なんとか自分を納得させながら歩く。

「あの……本当にすみません」

 葵屋の看板が見え安心した瞬間を見計らったかのように耳元を吐息で撫でられ、心臓になる。思わずを落としそうになるのをどうにか理性でこらえる。にそんなつもりは毛頭ないのだろうが。
 平静を装って、べし見は答えた。

「さっきから何度も何度も、うっせーんだよ」
「ご、ごめんなさい」
「だからっ。……あー、きつい言い方したか……したな。悪かったよ。誰にでもこんなんなんだ。気にすんな」
「それは、知ってますけど」
「こういう時には礼だぜ、礼。礼言われたくてやってるわけじゃないけどよ」
「……優しいんですね、べし見さん」

 つやめいた声できゅっと首にまわす力を強くされ、思わずべし見は呼吸を止める。
 ――違う違う違う、これは、絶対に、違うっ!!
 否定すればするほど泥沼になっていると薄々理解しながら、それでも認めることは出来なかった。
 だが異様に高鳴る胸の音は、どう取り繕っても隠しようのないものになっている。

 認めれば負けだと考えるのは、既に認めているようなものだとわかっていたのだが。





2012/4/13:久遠晶
リクエスト作品です。べし見夢は初めて書きましたが楽しかったです!
すこしでも楽しんでいただければ幸いです。ももんがさまと全国のべし見ファンに届け~。