ある日の午後、べし見の胃痛


 抜けるような青空の下、葵屋の一室にこもってなにをするでもなく、般若とはイチャイチャしていた。
 正確に言うと新聞を読む般若にが後ろから抱きついて、構ってくれと拗ねているのだ。

「お師匠さぁー、そんなんいつでも読めるじゃん」
「もうすこしで読み終わる。まとわりつくな……」

 身体を揺らしてせかすを、ひじ打ちで制しつつ新聞に向かう般若はうざったそうだ。
 しかし本気でイヤなら投げ飛ばせばいいので、なんだかんだでに抱きつかれるのは嬉しいのだろう。
 淡泊をきどっていつつも、紆余曲折あって結ばれた恋人に求められて悪い気がしないのは当然だ。
 問題はなぜそれを居間でやるのかという点だ。
 べし見は薬の調合をしながら、イライラする気持ちを抑えられないでいた。
 独り身のべし見への当てつけなのか。恋人など欲しいとは思わないが、あからさまに見せつけられると――般若とは無自覚だろうが――腹が立つ。

 般若との他、居間にいるのは薬の調合をしているべし見と式尉、そして蒼紫だ。
 二人がいちゃつきだすより先に居間にいた手前、二人が嫌で出て行くのはなんとなく負けたような気がしてべし見はここにとどまっている。
 式尉には『他人の色恋はからかうもの』という信念でもあるのか二人のいちゃつきにもイヤな顔はせず、むしろちょっかいを入れて楽しんでいる。べし見には楽しめる神経が理解できない。
 蒼紫は無言でじっと本を読んでいる。この様子では二人をどう思っているのかはべし見にはうかがい知れない。不快にはなっていないだろうな、とべし見は不安に思うのだった。

 はらはらとしたべし見の心情など知っては知らずか、二人はお熱いやりとりをくりかえしている。

「昨日は師匠がまとわりついてきてたくせにー」
「……お前な。それはお前が私の根付きをかすめとるからだろうが。おかしな言い方をするんじゃない」
「事実じゃんか。つーかかすめとるって言い方ひどいな! ちょっとみしてもらっただけじゃないですか」
「ええい邪魔だ」

 般若の言い草に憤慨したが、新聞紙をばしばしと叩いた。
 読むのを邪魔されて般若の声が低くなる。……が、そんなものは見せかけだけで、般若もなんだかんだでその掛け合いを楽しんでいることは明白だった。
 イライライラ。
 無言で青筋を立てつつあるべし見を見た式尉が、大きな身体で畳にねそべりながらニヤリと笑う。

「独り身はこう言う時に心が狭くなるからいけないねェ」
「テメーも独り身だろ」
「いやー、俺はこう見えて案外モテるんだぜ。おチビちゃんと違ってな」
「表出ろ筋肉だるま」
「おっ、言ってくれるねぇ。自慢の筋肉だぜ!」
「嫌味が通じねェから俺、お前のこと嫌いだよ」

 べし見はケッと声を出した。挑発に挑発で返してくる分、まだひょっとこのほうがやりやすい。
 唇を引き結んで押し黙ると、式尉の興味はべし見から般若とに逸れた。相変わらずねそべったまま身体だけを二人のほうに動かして、野次を飛ばす。

「なァー。お二人はもうくちづけはしたのかい? 結構付き合って日が経つけどよォ」
「ブフー!?」
「ゴファッ!! お、おい、式尉いきなりなにを……そしても唾を新聞紙に吹きかけるな!!」

 突然の爆弾発言には吹き出し、般若は思いきりむせた。新聞紙に唾が思いきりかかって、般若はを背中から引き剥がしたあと頭をスパンと叩いた。
 その一撃は、まるで『私たちは恋人同士ではなくあくまで師弟だ、よってそんなふしだらなことするわけないだろうハッハッハ』と言いたいようにも思える。
 顔を赤くさせると同じように、般若の顔も仮面の下で赤く染まっているのだろうか。そう思うとべし見はすこし愉快な気分になったが、確認はしたくなかった。

「なー、どうなんだよ般若~。まさかもう押し倒しちまったとか? 意外にやるねェ」
「式尉ッ、ふざけるなッ、おいッ!」
「でもよー般若だって男だろー? どうなんだよそこは? べし見も気になるよな?」
「俺に振るな俺に」

 薬草をすり鉢でゴリゴリとすりつぶしながら怒気をこめて応える。
 うろたえるはさきほどよりも顔を赤くして、うかがうように般若を見ていた。
 般若はコト恋愛に関しては『奥手』だ。性欲があるけど進展させられないのか、性欲がないからそもそも進展を望んでいないのかはともかくとして。そんな恋人の『そういう話』は気になってしまうのが人情というものだろう。

 困ったようなの視線を受けて、般若がぎくりと肩を強張らせた。
「な、なんだ、
「やっぱ……やっぱ師匠もそういうの……あるの?」
「ま、まあ人並みには……ってなにを言わすんだ」
「いや、だって、気になるもんは……ねぇ?」
「ねえ? じゃない」

 ちらちらと般若を見上げるは人差し指と人差し指を突き合わせて、もごもごと口を動かした。
 男装をしているとは言え、恋人に上目遣いで見上げられては般若は結構『たまらない』んじゃなかろうか――とべし見は他人ごとのように思った。
 は男装を解いてちゃんと女の装いをすれば、まあ見れなくはない。見れなくはないがその程度だとべし見は思っているので、般若が事あるごとに仮面の下でに気付かれないようにどぎまぎしているのにはよくわからない。

 般若は仮面のなかでくぐもった吐息を出して、の頭に手の平を思いきり押し付けた。まるで子供を謝らせようと無理やり頭を下げさせるような勢いだ。

「……式尉。あまりをからかうようなことを言うんじゃない」
「ありのままを聞いただけだよ俺ァ」
「それがからかうことになるんだ、こいつの場合は」

 お前の場合もだろ――と心中で毒づくべし見を知ってか知らずか、式尉はわぁーったよと気のない返事をした。

「けどよ、目の前でいちゃつくお熱いふたりをからかいたくなるのはしょうがないってもんだろ?」
「はあ……?」
「別になにもしてないだろう」

 困惑げな声を出す二人に、べし見は『してただろ! 思いきりいちゃついてただろ!』と心のなかで叫んだ。
 実際に言葉にしなかったのは、三人の会話に割って入りたくなかったからだ。部外者で居たかった。もっと言うとどこかへ行きたかった。
 自分から動くのは負けた気がする、という負けん気だけがべし見を居間に固定している。
 べし見はすりつぶす必要のなくなった薬草をなおゴリゴロとすりつぶす。

「なにもしてないのになんでそんなこと言われなきゃいけないんだ。まあ……でも、師匠はなにもしてなくてもかっこいいからそういうことなのかな」
「……」

 真剣な目のがそう言い、般若がため息をつく。呆れているのではなく照れて動揺しているのだ。
 あの化け物顔をしてかっこいいという神経がまるで理解できず、べし見は首をかしげるばかりだ。
 御庭番衆に残った四人はみなそうだ。自分も含めて一癖も二癖もあって、それでも『御庭番衆』の名のもとに同じ者に仕えている。
 いつかは御庭番衆として蒼紫に仕えるのではなく、妻として般若に仕える気が来るのだろうか。想像したら笑えるような気もするが、悪夢のような気もする。
 べし見の思考をよそに、般若はごほんと咳払いをした。

「ま、まぁ……もまあ悪い顔はしてないし……な……」

 ぎこちない言葉は返礼のつもりなのだろう。まったくもって素直ではない男だ。こんな男のどこがいいんだか。
 般若の趣味も理解できないがの趣味も理解できない。
 自分が褒められているのだと理解したは、みるみるうちに照れくさそうに笑った。こういう顔は……まあ見れなくはないか。

「やっぱり熱いじゃねぇか。まったく独り身の前でそーゆーことはよしてくれよ。、般若に飽きたらいつでも慰めてやるから言ってくれよ」
「お、おい式尉!?」

 明らかに冗談だと分かる声色なのに般若は本気でうろたえている。のことだと冷静になれなくなるのは相変わらずだ。

「だからそういう冗談はやめろと言ってるだろう……いい加減怒るぞっ」
「おっ、実は結構不安かい? いけないねェ、こういう茶々にいちいち不安になってたら持たないぜ。どーんと構えていける信頼関係を築いていかなきゃ――」
「いちいちうるさいんだ、お前はッ」

 珍しく語気を荒げ、大きな声で叫ぶと寝そべる式尉に掴みかかる。は驚きつつも見守る姿勢だ。
 ……まあ、式尉のからかいに色々と我慢していたものが、いま噴出したということか。
 自然と揉み合うカタチになり、周囲にどすどすと音を響かせる。さすがのべし見もコレには口を開いた。

「おいッ! 揺らすんじゃねぇ! 調合が狂うだろうが!!」
「いやっやめて! 俺のために争わないでっ」
「そーんなに怒るなって般若!」
「黙れ、そもそもお前はこの前も――」

 そんな時――不意ぱたりと本が閉じる音がした。
 盛り上がりかけていたいさかいの声が瞬時に止む。
 おそるおそる音のしたほうを見ると、読書を終えた我らが御頭が立ちあがったところだった。

「え、え~と……」

 うかがうようなうめき声は誰のものか。全員が全員、一様に顔をひきつらせる様子を蒼紫は長身で見下ろした。
 鉄面皮のような無表情から蒼紫の感情は読みとれない。

「般若」
「はっはい」

 思わず声がひっくりかえる般若を『情けない』などと誰が言えようか。べし見だったら青ざめて肩を震わせていただろう。

「……恋愛は」
「は?」
「ゆっくりで……いい……と、思う、ぞ……」

 蒼紫にしては珍しく、歯切れ悪いの悪い言葉。
 たどたどしく言うと、蒼紫は目をつむってふーと息を吐きだした。
 踵を返して居間から出て行く。

「式尉。あまり、からかってやるな……」

 普段通りの無表情に困った色がにじんでいた気がして、べし見はぽかんと瞳をまたたかせた。
 ややあって、なんだ、やっぱりちょっとは気にしてたんじゃないか――と思いながら。
 自分もこのアホな三人の仲間に入れられてはいないだろうな、とべし見はそれだけ気にしたのだった。





2013/6/13:久遠晶
一万HITリクエスト作品です!
いじる式尉と気まずい蒼紫というより気まずいべし見になってしまった気がしますが、無表情の下で蒼紫もきっときまずかったんです。
リクエストに添えているか不安だったのでもう一本書いたので、よければそちらもご覧ください。
騎龍暁光さまに届け~。
求愛