彼らのいる景色


 青い空、白い雲。屋根の上で般若の面が陽光を反射してうつむいて、こちらを見ている。
 あたしは地面からその様子をじっと見ていた。
 わかってるなら、あたしとの目の前のこのひとたち、どうにかしてくれないかなーって思いながら。

「で、いつはんは身を固めはるんですか?」
「そうですよォ、身近な女性であるあなたがそうだから、操ちゃんだっていつまでもおてんばで、女らしくなる気配がないんですよ」
「元御庭番衆って言っても、いまは普通の女性なんでしょう? 女の幸せも掴みまへんと――」

 近所のおばさんのお小言だ。
 あたしが言われる冗談めかした言葉ではなく、おばさんたちも真剣だから性質が悪いと思う。
 は今年で二十……いくつだったかな。とにかくいい歳で、いいかげん身を固めろ――どころじゃなく、この年代で独身と言えば世間では相当な「行き遅れ」になるらしい。
 そんなお小言をにっこり笑っては受け流しているけど、あたしはいい加減耐えられない。

 の仕事がひと段落して、ひさしぶりに葵屋に帰ってきたっていうのに……あたしとは葵屋の前で止まってる。

 いつもだったらあたしが「そんなのどうだっていいでしょー!」とか、「が結婚しててもしてなくてもあたしはあたしよ」とか言って無理やり葵屋に引っ込むんだけど、今回ばかりは別った。
 だって……そう、あたしも、には好きな人とくっついてほしいなって、思うようになったから。

 その時おばさんたちの頭に、ぽつんっと水滴が落ちた。
 さすがにみかねた般若君が、助け舟を出してくれたらしい。おばさんは雨が本格的に降りだす前にと、帰って行った。

「で、実際のところさ、般若君って……どうなの?」
「なにがですか、操さま」

 翁に挨拶しにいったと別れて、誰もいない廊下を歩きながら聞いてみる。
 般若君の返事はすぐに返ってきた。屋根裏にいるのだろう、天井の奥から声は聞こえている。

「どうでもいいけど、こっち来れば?」
「すみません、つい癖で……」

 しゅばっ、と私の後ろに降りてきた般若君に、ごほんと咳払いをして私は切り出した。

「で、般若君ってと結婚する気ないの?」

 般若君は黙り込んだあと、はあとため息を吐き出した。呆れてるんだろうなぁ。

「いいですか、操さま。私は蒼紫様と御庭番衆にすべてを捧げております」
「うん」
「ですので、結婚はしません。そこでのやつが出てくるのも意味不明です」
「どうして? だって、蒼紫さまが命令だ結婚しようって言ったら、結婚するの? なんで御庭番衆だから誰とも結婚しないってなるのよ」
「そもそも蒼紫様はそんなくだらない命令を……」
「したらの話し!」
「……それで蒼紫様が幸せになるのでしたら、考えます」
「えぇっ般若君て男色だったのっ。まさかの恋敵?」
「もしもの話しと言ったのは操様ですよ……」

 疲れ果てたような声。般若君、ちゃんと眠れてるのかな?

「蒼紫様の幸せは、操様が元気でいることです。ですので、操様は私のことよりもご自身のことを考えてください」
「般若君がと幸せになってくれたら私も幸せなんだけどなー」
「ありがとうございます。ですが仮に結婚するにしても――」
「『には他に相応しい男がいます』でしょ! まったくおんなじこと、も言ってたよ」
「なら、私にも般若にもその気がないってことでしょう操さま。あなたがお心を砕くことでもないですよ」

 般若君の後ろから、翁への挨拶を済ませてきたらしいが顔を出した。
 は呆れた表情で、眉間に手を当てた。

「おんなじこと、般若にも聞いてたんですね……」
「じゃあさ、じゃあさ、二人はほんとに、お互いのことどうとも思ってないの!?」
「どうともって……戦友ですよ、かけがえのない仲間です。ねえ」
「ああ」

 互いを見て頷きあう二人。
 あたしがいいたいのはそうじゃなくて……!

「じゃ、十年ぶりに会ってどうだった? かっこよくなったとか、綺麗になったとか!」
「十年ぶりに会って……?」

 二人で顔を見合わせる。

「私は――変わっていないと思った」
「え……」
「十年ぶりに会ったというのに、あの日と変わらないままで……安心した……」
「そんな……それを言うなら、あなただって変わっていなくて安心したわ。あんなカタチで別れたから、邪見にされると思っていたのに」

 は目をしばたたかせ、驚いたように般若君を見つめた。自然と二人の距離がつまり、二人だけの世界へとはいりこむ。
 これは、これはやっぱり二人ともお互いのことを――!! 

「よーぉ、久しぶりじゃねぇか!!」
「だばぁっ」

 二人の背後から現れた式尉さんが、思い切り般若君との背中をたたいた。その手の圧力で、二人の世界は遥かかなたに吹き飛んでしまった。
 相当な一撃だったのだろう、むせて咳き込むと、すまんすまんと豪快に笑う式尉さん。

「久しぶり、式尉……! あいっ変わらずだねぇあんたってやつは」
「おー、仕事帰りか。久しぶり。お前も相変わらずいい尻してんな」
「刺すよ」
「悪かった」

 冷たい目に式尉さんが静かに手を上げた。
 そのまま先ほどの話しは流れ、式尉さんと、般若君の会話が始まる。
 絶対、妖しいと思うんだけどなぁ、二人とも……!! 乙女の直感がびんびんに反応してるんだもの。
 このままじゃ絶対にくっつかない二人。
 二人だけじゃくっつくかないなら、私が協力してあげないといけないよねっ!


   ***


 というわけで、あたしは次の日、さっそく行動に移してみることにした。
 あたしたちの朝は早い。隠密集団だし、旅館のお客様が起きる前に起きなきゃいけないのだ。
 なんだけど、の寝起きはすごく悪い。いつもは黒尉さんに起こしてもらうんだけど――今回はあらかじめ黒尉さんに起こさないように、って頼んである。
 案の定、起きてこないに一番早く気付いたのは般若君だ。

のやつは?」
「寝てるー。すっごい寝起き悪いんだもん。般若君、起こしてきてくれない?」
「わかりました」

 やった! こぶしを握りそうになるのを我慢して、あたしはを起こしに行く般若君をにっこり見送る。
 すると、あたしの考えてることに気付いたらしい式尉さんとひょっとこがあきれた声を出した。

「お前もありがた迷惑なやつだよなぁ。十年前、あんだけ俺らがお膳立てしてやってもなんも行動起こさなかった般若だぜ?」
「あの時は般若のやつ、去勢してんじゃないかと疑ったぜ……」
「あれはなぁ……男じゃねえよなぁ……」

 十年前、どういう状況になったんだろう?
 かつて般若君とをくっつかせる為にとても努力したらしい式尉さんとひょっとこはしみじみとうなづきあっている。

「それは十年前の話でしょ。今は平和な明治! 志々雄真実の脅威も去ったわけだし、くっつくにはいいタイミングじゃない?」
「それはそうかもしれないがね。平和ってことは、だ――」

 廊下から般若君との声が聞こえてきて、式尉さんは言葉を途中で止めた。

をつれてきました」
「みなさまおはようございます……いやーすごいですね般若の顔。気付けに最適、一家に一台ほしいくらい――痛ぁっ!! なによ本当のことでしょー!?」
「朝からうるさい。すこし黙れ」
「うわーん蒼紫さまー般若がいじめてきますー!」
「蒼紫様に向かって朝っぱらからでかい声を出すなっ!」

 二人のやりとりを見ながら、私と式尉さん、ひょっとこは顔を見合わる。

「平和なんだし、無理に両思いになれなくてもいい……とかよ。ありそうだと思うがねぇ……」

 先ほどの言葉の続きをいい、式尉さんが肩をすくめた。

 とにもかくにも、この日からあたしの「般若とをくっつかせようの会」は発足した。
 人員は名誉会長・あたしこと巻町操、半ば無理やり入れた式尉さんとひょっとこの三名。
 ちなみにべし見は早々に「面倒くさい」の姿勢で、「他人の色恋沙汰にかまってられっか」と無干渉を貫いている。蒼紫様は傍観の構えだ――。
「えぇ、買い出しの相手って般若?」
「そうだが、なんだなその反応は」
「別にいいんだけどね……大いなる企みを感じるわ」

 が不信げな顔で周囲を見渡すので、あたしはあわてて物陰に隠れた。
 休日の広場にはひとが多い。##name1##はあたしに気付かず、しかしぶつぶつと不満げだ。

「……なら、別行動をするか? 買い出しなど私1人でじゅうぶんだし、お前は適当に時間を潰していればいい」

 気の良さそうな青年に化けている般若君がそう提案した。ちょちょちょ、そんなことをされたらせっかく各方面に手を回した意味がない。
 はきょとんとまばたきをした。般若君の顔をじっとみて、首をかしげる。

「わたし、もしかして傷つけちゃった? 邪険にする意図はなかったんだけど」
「なんの話だ」
「そうか、傷ついちゃったかぁ……そうかそうか」
「だからなんの話だ」

 すこし苛立った様子の般若君とは対照的に、はこらえきれないといった笑みを浮かべた。
 式尉さんが般若君たちにするみたいに、般若君の肩に腕をまわしてもたれ掛かる。友情のほうが強いとはいえ、信愛のしぐさには変わりない。

「そうね、今回ぐらいは操さまに乗ってあげてもいいかも」
「お前はなにを言っているんだ?」
「行きましょ。『でえと』してあげる!」

 そう言い放つと、は般若君の手を掴んで走り出した。

 二人は手早く買い物を済ませ、残った時間で市場を回ることにしたようだ。
 共に寄りそって品物を物色する姿はまさしく恋人同士だ。
 そう、これよこれ! あたしがもとめていたのはこれよ!
 思わず拳を握る。

「これ、かわいー! 操さまに似合いそう」
「お前の好みは相変わらず悪趣味だな……操様ならこちらのカンザシのほうが似合うと思うが」
「ムッ! 人の好みにケチつける気? でも確かにそのカンザシ、操様に似合うわね!」
「……む。この根付きは蒼紫様に似合いそうだな」
「えぇ? それこそ趣味が悪くない? 蒼紫様にはこっちのカッチョいいのが」
「いいや、蒼紫様にはこっちだ」

 露店で装身具を見ながら言いあう二人は、とても楽しそうだ。
 普段はなかなか見れないはしゃぐ姿になんだかとてもわくわくする。
 でも、二人はお互いの装身具は見つくろわないんだろうか? あたしと蒼紫様のことばっかりで、二人は自分と相手のことを忘れている気がする。
 ムムム、と唸りながら見守っていると、般若君がには見つからないように露天商に声をかけた。
 かわいらしいカンザシをこっそりと購入している。
 後ろでは、が別の露店で根付きを購入していた。

 こ、これは……! もしかして……!!
 こっそりと相手にプレゼントする物に違いない。
 やっぱり、二人を買い物に行かせてよかったわ! 私は小躍りしそうになるのを必死にこらえた。

 と思っていたのに。

「ただいま! 買い物してきたよー」
「おかえり、般若君に
「ちょうどよかった。露店でいいカンザシが売っていたのです。よければどうぞ」

 先に帰宅して、二人を出迎えると、般若君があたしにカンザシを差し出してきた。……さきほど買っていたやつだ。

「え? これはに渡すものじゃ……?」
「いえ、操様にお渡ししようと思っていたものです。これを身につけて、すこしはおしとやかになってください」
「え、え、そんな……」
「よかったですねー操さま。そうだ、蒼紫さまいらっしゃいますか?」
「呼んだか」
「露店でとてもステキな根付きが売っていたのです。安物ですけれど、よかったらお受け取りください」
「……いいのか。これは……」
「ぜひ。蒼紫さまに使っていただきたくて。ほら、この形状だと細工すれば暗器もしこめると思うんです」
「ふむ……では、ありがたくいただこう。ありがとう、
「喜んでいただけて嬉しいです」
「そーじゃないでしょー!?」

 嬉しそうに笑うに思わず叫ぶ。
 さっき買っていたカンザシと根付きは、あたしと蒼紫様に渡すものだったなんて。嬉しいけれど、そうじゃない!
 そうじゃないのよ、般若君に

『あんだけ俺らがお膳立てしても、何の行動も起こさなかった二人』

 ふとその言葉が脳裏に響いた。
 ……なるほど、こういうことか……。式尉さんの言葉に深く納得しながら、あたしはぐっとこぶしを握った。

 ――絶対あきらめないんだから!


   ***


 葵屋のお風呂は温泉だ。露天風呂には毎日宿泊客がごったがえし、営業時間中には人が絶えない。
 普通の銭湯と違って、男女で浴室が分けられているのも人気の秘訣だ。混浴の銭湯には女の裸を見たいだけの、爺やみたいなせくはら親父が出没するので女の人は気が抜けないのだ。
 男は男、女は女――性別で分けられるからこそ、人目を気にせず気持ちを解放することができるのだ。それは隠密でも変わらない。

 営業時間が過ぎ、裏方の仕事も終わった深夜。
 般若君が脱衣所に続く道の前に立った。

「……?」

 垂れ下がるのれんに、般若君は静かに首を傾げた。目の前のものに違和感を抱いて、立ち止まる――ここまでは予想通り。
 普段なら男湯が右、女湯が左だ。だが、今日ののれんはそれが逆になっている。
 中身は普段通りだけど、のれんだけを入れ替えた。
 隠密は絶対に違和感を見逃してはならない。不可解な現象に般若君はしばし考え込み、だけどやがて男湯ののれんをくぐって行った――先が女湯とも知らずに。

「やたっ!」

 小声で拳を握る。まだ、喜ぶのは早い。
 女湯の扉に耳をつけると、般若君が着物の帯をほどく気配がする。

「……ん? 先客がいるのか……」

 棚に置かれたかごのひとつに衣服があることに気付いたらしい。だけど、それが女の子のものだと般若君は気付かない。
 は服をたためない人間だ。今日もどうせ洗濯するんだから、とぐちゃぐちゃの状態でかごにいれているに違いない。
 だから、般若君はそれを見ても、女の子がなかにいるなんて想像もしない。
 服を脱いで、かごにいれて、そこでふうっと一息。タクマシイ身体を外気にさらす般若君は、きっとキッチリ服をたたんでいるだろうなあ……。

「あー、いい湯! さっぱりしたー」
「な……!?」
「……」

 聞き耳を立てるあたしにも、二人の空気が凍るのがわかった。物音がなくなる。

「……なんで、お前がここにいるんだ」
「それ、完全に私のセリフなんだけど……一発死ぬ?」
「男湯に女が入っているとは思わんだろう……」
「ここ、女湯だよ?」

 なんだと、と般若君の驚いた声が聞こえた。な、なんでびっくりどっきりらぶはぷにんぐなのに、そう冷静に会話しちゃうかなぁ……!
 きゃー! と叫びつつもまんざらではない二人を想像していたあたしは心のなかで野次を飛ばす。

「そんなわけがない。男湯ののれんがかかっていた」
「はあ? なに馬鹿なことを言っているの」

 がさり、と踵を返す気配。やばい、と思って扉から身体を離す頃には、すでに扉は開いていた。

「……ど、どうも」
「なんで操様がいるんですか」
「あー? いや、お風呂入ろうと」
「着替えもなしに?」
「ええと」
「手に持ったのれんはなんですか」

 はっ。回収したのれんを隠しそびれてしまった。
 慌てて背中に隠すももう遅い。
 逆光を背負って顔に影を作る般若君はずいぶんと怖いのに、下半身を手拭いで隠しているのがどうにもまぬけだなぁ、とあたしは関係のないことを思う。

「操さま、覚悟してくださいねぇええ」
「はあ……もう疲れた。私は風呂に入る。あとは任せたぞ」
「はーい折檻なら任せてね。お覚悟ーっ!」
「わあああっ! ちょ、たんまたんまーっ!」

 おふろでびっくりどっきりらぶはぷにんぐ、失敗。
 でもこんなことでめげるあたしじゃない。
 手を変え品をかえ、お膳立てして二人をくっつけてみせるんだから。

「あの……操さま、いい加減にしてくれないかな?」
「え、なんの話?」
「白々しい」

 にこつん、と頭を小突かれた。それなりに痛い。
 あたしとは山に任務に出ていた。この先に、悪党のアジトがあるのだ。
 平たく言えば警察が捜せないような悪党を成敗するってことなんだけど……あたしとは後方支援。
 般若君や式尉さんが叩いた獲物が逃げないように山の出口で張り込む役割だ。まず出番は回ってこない。
 般若君が居たら間違いなく「無駄口を叩くな」って注意されそうだけど、あいにく般若君は任務の最前線だ。だから、任務中だっていうのにはあたしに話しかける。

「しらばっくれないでくださいよ。私がお風呂浴びてる時に般若をだましてけしかけたり、妙にみんなが私と般若を二人きりにさせたがったり! 全部操さまの差し金なのわかってるんですからね」
「いやぁ、そんなこともないんじゃないかなーあはは……」
「そんなわかりやすい嘘をつく口はこのお口ですかっ? ありがた迷惑なんですよー、操様!」
「ちょ、、いひゃいいはい」

 ほっぺたを掴まれ、ぶにょんと左右に引っ張られる。

「あのね、操さま。無理に私と般若をくっつけようとしなくたって、蒼紫さまも、般若も、式尉もべし見もひょっとこも! 誰ももういなくなったりしませんよ」
「え?」
「不安な気持ちはわかりますけどね。蒼紫さまはすっかり若旦那の風格を出しておりますし、心配は無用ですよ」

 は真剣な口調で私に言い聞かせる。
 もう誰もいなくなったりしないから安心していいんだ、と。
 あたしは、そのこととと般若君の恋がどう結びつくのかわからなくて困惑してしまう。
 もう、誰もどこにもいかないはずなのだ。般若君も式尉さんもべしみもひょっとこも、――蒼紫様だって――どこにもいかないはずなのだ。
 ……うん、その、はず。

「あたしは純粋に、二人に幸せになってほしくてっ……!」
「しっ」

 が声を低くし、身構えた。
 遠く――般若君たちがいるであろう方向から物音が聞こえたのはあたしもわかった。
 緊張が走る。
 もしかしたら般若君たちが獲物を取り逃がしたのかもしれない。
 そうしたら迎え撃つのはあたしたちだ。

 体勢を低くして敵に備える。
 吹きすさぶ風に木々がざわめき、私たちの警戒を強くさせていく。
 不意に風のせいではなく森の茂みが揺れ、あたしは咄嗟に真横に飛んでいた。

「く! 般若君たちドジったわね!」

 茂みから放たれる苦無を転がりながら避ける。闇の向こうで私たちを取り囲むように走る音が二つ聞こえる。
 二人? 二人なら大丈夫、こちらも二人なんだから。

、一人はあたしに任せて!」
「あら、いいこと言ってくれますね――じゃ、頼もうかなっ」
「腕、鈍ってないっ?」
「言ってくれますね! もっちろん、鈍ってなどいませんよ!」

 死角からの苦無の一閃を、が飛びあがって避ける。
 会話に気をとられたあたしに降りかかる一撃を上体を反らして避ける。その勢いで地面に手をつき、隙だらけの顎につま先をたたきこんでやる。
 それで大抵のヤツは気絶するのだけど、流石に今回は違ったようだ。
 予想よりも手ごたえがずっと軽い――当たる寸前に後ろに飛び跳ねて衝撃を軽減されたらしい。

 相手は距離をとって苦無を構え、あたしはと背中をあわせ、それぞれの相手と対峙する。
 
 あたしたちと同じ忍装束に身を包んだ二人の男の顔は覆面によって見えない。唯一露出している男の釣り目とたれ目が私とを見据える。
 あたしを睨みつける釣り目が、焦ったように周囲へ視線をめぐらせた。

「女ふたりか……さっさとぶっ殺して逃げるぞ!」
「出来るものなら、やってみなよ!」

 と二人で高らかに啖呵を切る。
 しかし結果は――。


   ***


 色とりどりの花たちが、やわらかな匂いを放っている。
 操さまがお見舞いとしてくれた花籠を見つめて、わたしは苦笑した。

 ほんの一週間前のことだ。悪党成敗の任務中に重傷を負ったわたしは、こうして面白みのない病室に拘束されている。
 それならば自業自得だ。仕方ないと思える。……ただ、操さまが大変お怒りなのだ。
 わたしに対してではなく、般若に対して。
 敵を追いかけわたしたちのもとへと来た般若は、わたしの怪我を確認することもなく、敵を追うことを優先した。操さまはそれを『思いやりがない』と受け取って、ひどく怒っている。
 わたしが般若の立場でも、同じように敵の追跡を優先するだろう。扱いが軽いとは思わない。隠密ならそれが当然だからだ。
『全然よくない! もうなんなの般若君! むかつくーっ! ……あたしがヘマしなければが怪我することもなかったんだけどさ』

 見舞いに来るなり足をばたつかせて怒りをあらわにしていた操さまを思い出して、ついくすっと笑ってしまう。
 面倒だなぁ……なーんて思うこともあるけど、わたしよりもわたしのことで怒ってくれるのは、ちょっと嬉しい。
 その時、扉がノックされた。

「あら、般若?」
「音だけでよくわかったな、足音は消していたんだが」
「だからよ。わざわざ足音消す人なんて隠密以外にはなかなかいないし、となれば御庭番衆の誰かよね。でも、みんなさっきまでお見舞いに来てくれていたのよ。忘れものしたことも考えられないし、となれば今までお見舞いに来なかった般若しか居ない、ってワケ」
「名探偵になれるな」
「あ、本気で思っていないでしょう、それ!」

 拗ねて見せると、般若は仮面の奥でくすくすと笑う。
 般若は普段あまり感情を表に出すことはしないけど、笑う時は笑うし怒る時は怒る。
 そして私は、般若のこのひそやかな笑い声が好きだったりする。
 ……操さまに『般若なんて好きじゃないです!』とは言えないなぁ。

「怪我の調子はどうだ」
「良好。ま、あと一週間は病院で監禁生活だけどね」
「そうか」

 般若は寝台脇の椅子に座ることもせず、わたしを見つめている。
 ……? 座ればいいのに。

「どうしたの般若、用がないなら――」

 言葉は途中で止まった。般若に腕を引き寄せられて、抱きしめられたからだ。
 般若の体温は低い。ひんやりとして心地がいい。それは十年前と変わらなくて、息が止まってしまう。

「もう、戦場にはでるな」
「はん、にゃ」
「お前が怪我をしたらと思うと、戦いに集中できん」
「それは……」

 どくんどくんと高鳴る鼓動に合わせて、般若の胸板が熱を持っていく。おなじように、わたしも熱くなっていくことだろう。
 すこし身を離すと、白面越しの素顔の瞳と目があった。
 きれいな目だと、そう思う。吸い込まれそうになって、目が離せない。

「私は……。私は、ずっとお前のことが――ッ!!」

 般若の必死そうな声。それをさえぎってみしりと木がきしむ音が響いた。
 般若が入ってきた扉の蝶番がはじけたかと思うと、扉ごとひょっとこが押し入って床に倒れこむ。

「ちょっちょっとー! ひょっとこが押すから扉壊れちゃったじゃない!」
「ぐぬう、わりぃわりぃいきなり後ろから声かけられたもんで……」
「重たいからどかんかいひょっとこ!」

 ひょっとこの下で押しつぶされていた操さまと翁がもごもごと暴れる。

 ……なるほど。出歯亀されてたってわけね。頭が痛い。
 般若なんか硬直している。
 せっかく、なにか言おうとしてくれていたのに。

「き、貴様ら……!! そこに直れ!! 操様、今日という今日は許しませんよ!!」
「わーっ! 般若君気にせず続きやっちゃっていいよ……わわ! ごめん、ごめんって!」

 ぷるぷる震えた後、烈火のごとき怒りを爆発させる般若を見やって溜息をつく。そのままどんどんやってしまえ。
 般若は、なにを言おうとしていたんだろう。どきどきはまだ冷めやらない。邪魔さえなければ――今頃は――。

 そのとき扉の奥、廊下からこちらをうかがう蒼紫様と目があった。
 かつてとは違う穏やかな光を宿すまなざしを見た瞬間、すべてどうでもよくなって吹き出してしまった。
 まだ、いいや。
 このままでも。
 般若が――御庭番衆が――仲睦まじく、穏やかに暮らせているのだから。
 無理に男女の仲にならなくたって、これで十分だわ。

 操さまには悪いけど、いましばらくはこのままです。ごめんなさいね、操さま。





2015/05/31:久遠晶
途中からヒロイン視点になってすみません。そして遅れまくって本当に申し訳ありません。楽しかったです!
当時リクエストしてくださった方に届け~