家族になろうよ!



 長年働いた職場を今日でやめる。
 ロッカーの荷物をまとめて、店に出て、接客中の店長に頭をさげた。

「今までお世話になりました」
ちゃんが辞めちゃうなんて、残念だよ。今からでも……」
「すみませんけど……」

 私は横目で店内を見渡した。
 金、金、金。ド派手に改装された店内は目に痛い。
 スロットがコインを吐き出す音がジャラジャラと聞こえる。たばこがけむい。

「カジノのバーはちょっと厳しいっていうか……」
「だよね~」

 私だって辞めたくてやめるわけじゃない。
 はあ、とため息をこらえて、店長と別れて店を出た。

 グロッタの町はつい最近まで魔物に乗っ取られていた。
 英雄グレイグ様の像は魔物の銅像にとってかわり、あろうことか職場はカジノになっていた。
 薄暗くてしっとりした落ち着きある店内が売りだったのに、ここまで趣味が悪くなるなんて。
 耳も痛くなるし、このまま働くことはできなかった。
 そんな理由でもって、今日限りでバーテンダーの仕事は終わりだ。新しい仕事を探さねばならないが、気が重い。
 まあ、一から再スタートと思って今日のところは楽観的に捉えておこうか。

 カジノを出て、階段を降りてグロッタの町の下層へと降りていく。その途中、魔物の銅像が目に入って気がめいる。
 せめてあの像は取り壊すべきだ。

!」

 不意にうしろから声がかかった。振り返ると、カジノからハンフリーさんが降りてくるところだった。

「ハンフリーさん」
「いま帰りだろ、送っていくぜ」
「ありがとう。……なんか、今後どうなるんだって感じですよね」
「いまいち記憶もあやふやだしな……妙にスッキリしてるし。まあ、魔物がいなくなってよかったけどさ」
さんには感謝ですね」
「ああ、相棒が倒してくれたんだってな。結局ろくな礼も出来なかったな……」

 帰路につきながら和やかに話す。

「そういえば、もう仕事辞めたんだって?」
「あ、はい。急なことでしたけど、続けると耳が大変なことになりそうなんで……。明日からが大変ですよ、家も魔物が住み着いてたらしくてすごい汚れてて。あー帰りたくない、帰ったら掃除だ……」

 外出中に魔物が町に押し寄せてきたから、家に立てこもるひまもなかった。孤児院のみんなが受け入れてくれなければ、魔物の餌になっていたことだろう。
 魔物が居なくなり、家に帰れるようにはなかったけど、今度は後始末が待っている。

「家に帰りたくないなら、今夜泊まっていくか?」
「えっ」

 とんでもない言葉がハンフリーさんの口から飛び出してきた。思わず聞き返す。

「子供たちもみんな会いたがってるし」

 ハンフリーさんが慌てて付け足した。他意はないぜと両手を振る。
 モンスターに街がのっとられたとき、安全なのは神に守られた孤児院だけだった。孤児院に逃げ込んだ私を、子供たちは熱烈に感動してくれたっけ。
 しばらくずっと孤児院に寝泊まりしていたから、また離れてしまったのが寂しいのかもしれない。

「じゃあ、孤児院泊まらせてもらおうかな……」
「そうしろよ! ベッドの空きもあるからさ!」

 ハンフリーさんの表情がぱっと輝いた。私もつられて笑ってしまう。
 昔からほがらかな人だったけど、最近は本当にいい笑顔をするようになった。それが嬉しい。

「……でも、ハンフリーさん。遅くまでカジノに入り浸るってのは、感心しませんね」

 空が分厚い雲に覆われ、昼夜の境はわかりにくくなった。とはいえ、時計を見れば時間はわかる。朝と夜は明確に分けるべきだ。

「孤児院のみんなが心配しますよ? またハンフリーさんがいなくなっちゃったって」
「あぁ、いや、それは……」

 ハンフリーさんが口ごもる。居心地悪そうに頭を掻いた。

「――今日が仕事終わりだって聞いて。夕食誘おうと思ってたんだよ、を」

 だから、いつもいつも入り浸ってるわけじゃないし、帰りが遅いわけでもない――とハンフリーさんは言う。
 すこしだけ耳を赤くして。
 その態度に、私まで赤くなってしまう。

「結構好かれてるんですね、私」
「そりゃな。よくお前に会いたいってだだこねられるよ」
「相手が大変でしょう?」
「そうだな。でも、楽しいよ」
「うん」

 充実した生活を送っているならなによりだ。命の大樹が燃え尽き、世界はいま大変なことになっているようだけど。グロッタの街は魔物の支配がなくなり、これから再起していくのだ。

 孤児院につくと、子供たちが出迎えてくれた。
 弟妹たちにもみくちゃにされて、身動きがとれなくなってしまう。

「おかえりなさいハンフリーにいちゃん!」
「おねえちゃん、ご飯食べに来てくれたんだね!」
「泊まってくの!?」
「ほ~らお前ら、が困ってるだろ。とりあえず中に入れてくれよ~」

 ハンフリーさんが子供たちを担ぎ上げ、孤児院のなかへと入っていく。
 変わらない熱烈な歓迎に苦笑しながら、私もお邪魔する。

「そうだよ! 今日はみんなに会いにきたんだよ~! 泊まるから明日遊ぼうね!」
「やったー!!」

 子供たちから歓声が上がる。
 ああ、なんてかわいいんだろう。明日から無職の憂鬱が吹き飛ばされていくようだ。

「ハンフリーさん、さん、お帰りなさい! ご飯できてますよ~」
「ありがとう、ほらみんなご飯食うぞ~」
「いきなりお邪魔しちゃってごめんなさいね」
「いいえ、むしろ来なかったらどうしようかと思ってたの。作りすぎちゃったから」

 食卓を取り囲んで、みんなでいただきますを言う。
 シチューにパン、デザートにサラダ。かなり豪勢だ。なによりおいしい。
 元々炊事係で料理のうまい子だとは知っていたけど、最近の成長は目覚ましい。この前我が家にあそびにきたときご飯をつくってもらって、驚いたものだ。
 ハンフリーさんがシチューをかっ込む様子を固唾を飲んで見守る様子が、いじらしい。

「うまい! 最近料理うまくなったよなあ」
「よかった……! たくさんあるからいくらでもたべてね。さんも!」
「うん。ホントにおいしいよ」
「もしかして好きな男でもできたのか? 最近の上達っぷりはさ」
「ハンフリーさんっ!」

 間抜けなことを言うハンフリーさんを小声で制する。
 自分がどんだけ孤児院の子に慕われているか、って自覚が薄いんだ。頭を抱える。

「ねえ、おねえちゃん」

 不意に、子供のひとりが言う。孤児院にまだ私がいたころ、とても懐いてくれていた子だ。

「仕事やめたってほんと?」
「うっ。ま、まあね……どうしたの?」
「さいしゅーしょくさき決まったの?」

 子供って直球で聞いてくるなあ。

「下層にも酒場はあるしね。バーテンダーっていうか給仕係になりそうだけど、雇ってくれないか掛け合うつもり」
「もし決まらなかったら、ここ来ればいいよ!」
「そうそう! なんならハンフリーにいちゃんのお嫁さんになっちゃいなよ!! そんでずっとここにいなよ!!」
「えっ」
「おっ、おいお前たち!!」
「ハンフリーにいちゃんずっと独り身なんだもん、おねえちゃんがもらってくれたら僕たちも安心~」
「おいっ、お前ら、なあっ!」
「きゃー! にいちゃんが怒ったーっ!」

 慌てふためいたハンフリーさんが拳を振りかざすポーズをしたが早いか、子供たちは一斉に椅子から降り、ぱたぱたと地下室に逃げ込んだり、中央の祈り場に走ったりする。

「こらっ! 食事中に出歩いちゃだめでしょ!」
「きゃー! こわーい!」

 ぜんぜんこわいなんて思っていない口調と表情で、けたけた笑いながら子供たちが逃げる。
 私は苦笑して、グラスに入れてもらった水を飲み干した。

「悪いな、あいつら……勘違いしてるみたいで」
「別にいいですよ、大丈夫。ハンフリーさんが未婚を心配されてるとは思いませんでしたけど」
「お前までからかうなよ」

 ハンフリーさんが苦笑した。
 パンをひとかじりすると立ち上がって、子供たちを捕まえに行く。
 その様子は子供たちの若いパパのようだ。実際、その印象は間違っていない。孤児院をしょって立つハンフリーさんは父親代わりにも等しいのだ。
 孤児院を支えるべくハンフリーさんはがんばってきた。彼が手を出した過ちを知らずとも、子供がハンフリーさんを心のどこかで心配するのは――ある意味当然だ。
 まあ、つまり、慕われているということだろう。


   ***


 子供たちと一緒の入浴が終わり、ベッドに追い込んでみんなを寝かしつける。
 こうしていると孤児院暮らしがよみがえったようだ。大変だけど懐かしい。なにせみんなお客さんにテンションが上がってしまっている。相手をしていたら夜が明けてしまう。
 無理やりでもベッドに寝かせて、灯りを消さないと。

「おねえちゃんさあ」
「ん、なあに?」

 大部屋のはしっこ。あてがわれた空きベッドにもぐりこむと、暗闇から声がした。

「いつハンフリーにいちゃんに告白するの?」
「んんっ!?」
「おねえちゃんだってまんざらじゃないんでしょ? ハンフリーさんああで結構構奥手だから、お姉ちゃんから行かないと進展ないよ!」
「押し倒しちゃえ!」
「ちょっとちょっと、どこからそんなこと覚えたの!」

 こどもたちがベッドの上でもぞもぞとうごめき、こちらの反応をうかがっているのがわかる。
 私はごほんと咳払いする。

「もう、なにをばかなことを……」
「おねえちゃんとハンフリーさんが結婚したら、あたしたち嬉しいなあ。そしたらハンフリーにいちゃんもきっと……」

 ――そしたらハンフリーにいちゃんもきっと、ずっと孤児院にいてくれるはず。
 大人をからかうんじゃありません、といさめようとしたのに、そのつぶやきが聞こえて言葉が止まる。
 この子たちはからかってるんじゃない。
 たぶん、この子たちなりに色々考えて、結婚を勧めているんだろう。
 そのことに気づいて、ちょっと悲しくなった。
 毛布から抜け出して、ベッドを動かす。隣のベッドにくっつけた。

「今日は私もみんなと寝ちゃおうかなっ!」
「きゃー!」

 背の低い子の毛布にもぐりこむと、その子は驚いたようだけど両手を伸ばして歓迎してくれた。

「あ、ずるい! あたしもあたしもー!」

 すると、すぐに他の子たちもベッドから抜け出して近づいてくる。
 ベッドをくっつけたとはいえ、大勢が乗り込むにはなかなか狭い。もみくちゃになりながら、両手を伸ばして抱きしめる。
 両手に二人、おなかに抱き付いてくる子が一人、足元にひとり。
 これじゃまるで猫みたいだな。
 でも、それでいい。
 年長者に甘えることが、この年代の子供たちには必要だ。

「私とハンフリーさんが結婚しなくたって、ハンフリーさんはもうどこにもいなくならないよー」

 子供たちと重なった手をぎゅっと握る。
 だいじょうぶだよ、どこにもいなくならないよ、と。
 この子たちはたぶん、不安なだけだ。
 大好きなハンフリーさんがどこかに行って、帰ってこなくなったらどうしよう、と。
 だから結婚相手を宛がおうとする。この人のもとなら帰ってくる、という相手を見つけて、その人に孤児院にいてもらおうとする。そういうことだ。

「ハンフリーさんはね、きみらのことがいっちば~ん好きなんだよ。大好きで仕方ないんだよ。だから大丈夫、心配しなくて……」
「――でも、しあわせになってほしいもん」

 ぽつりとしたつぶやき。顔をぐいぐいおなかに押し付けながらだから、聞き取りづらい。
 なにも結婚が最大の幸せの形ってわけじゃない。今の私が理性で理解していることを、まだ子供のこの子たちはわからない。
 よくわかる。私も知ってる。
 親が居ないと、普通の生活に憧れる。
 普通の形で幸せになってほしい。自分たちのことは気にしないで。それでいて、ちゃんと孤児院に帰ってきてもほしい。
 そんな相反した愛情がないまぜになって、結婚話になっているのかな。

 もぞもぞ子供たちがうごめく。私によりそって、私にしがみついて。下敷きにされた両腕がしびれそうだ。
 その重みを心地いいと思って、私はぎゅっと目を閉じた。


   ***


 私は夜型の人間である。バーテンダーとして夜働いていたのだから仕方ない。
 朝はすこぶる寝起きが悪い。孤児院の子供たちの騒ぐ声が廊下から聞こえてきても、私は居眠りをきめこんだ。
 いつのまにか両腕に取り巻いていた子供たちはいなくなっている。それを物寂しいと思いつつ、もう一度寝ようとし――「お、おい、どうしたんだ!?」
 切羽詰まったハンフリーさんの声が聞こえてきて、いよいよ寝れなくなった。
 よくよく耳をそばだてれば、子供たちの声も様子が違う。
 多少の違和感を感じつつ、誰かが怪我でもしたのだろうかと寝ぼけ眼でリビングに顔を出す。
 トイレの前で、女の子が泣いていた。

「うっ……ぐすっ……ハンフリーにいちゃん、これ、びょ、病気なのっ……?」

 寝間着から着替えたばかりであろうスカートを握りしめて、涙をボロボロこぼしている。
 その足首の内側。くるぶしの部分に血が伝っているのをみて、眠気が吹っ飛んだ。
 血の出どころはスカートのなかだ。
 とすると、もう、理由は明白だった。
 硬直するハンフリーさんの横をすり抜けて、義妹を抱きしめる。

「大丈夫だよ! それは病気じゃないから。むしろいいことだよ!」
「ほ、ほんと? なおる? 死なない?」
「大丈夫大丈夫! おねーさんがついてるよー! ……ハンフリーさん、すみませんけど、お湯沸かしてもらえますか?」

 頭を撫でてあやしながらハンフリーさんに声をかける。あわてて頷いたハンフリーさんは、心配そうに取り巻く子供たちをその場から移動させた。

「ほらほら、お前らはさっさとごはん食べろよーっ」

 平静を装ったその声に安心する。周囲が戸惑っていると、女の子としては気が気じゃないからだ。

「大丈夫だよ、おめでたいことだから」
「……そうなの?」
「うん、今日はごちそう作ってもらわなきゃね!」

 笑顔で言うと、彼女はようやく笑ってくれた。


   ***


 血で汚れたパンツをはきかえさせて、私の携帯していた生理用品を貸してあげる。コットン草での吸収剤の作り方も、今度教えてあげないとな。
 さっきボロボロ泣いていたのがうそのように、今は他の子と混じって外で遊んでいる。
 パンツの処理も終えて、私はテーブルで息を吐いた。
 なんやかんや、ごはんを食いっぱぐれてしまった。

「おつかれさん。ありがとうな」
「ハンフリーさん、どうも」

 ハンフリーさんがお茶と一緒に、朝ごはんの残りを出してくれた。私の向かいに座って、片手を上げる。

「本当に助かった。男のオレにはわからないことだから、焦っちまって。情けないけど、がいてくれてよかったよ」
「男の人だと焦っちゃいますよねぇ。しょうがないです。あの子にはちゃんと教えておきますね」
「そうしてくれると助かる。それと、あとでオレにも教えてくれるか? またこういうことはあると思うから……」

 勉強しておきたい、とハンフリーさんが言う。いい心がけだなぁ、と素直に思う。
 ご飯の残りをありがたくいただきながらしみじみ思う。ハンフリーさんは快活で真面目な人だ。

「本当は女手がいてくれればいいんだけど。女の家政婦さんを雇う余裕はないからさ。そういう意味では、がここ来てくれれば有り難いけど。あっはっは……」
「……ハンフリーさんは孤児院のみんなが大好きなんですね」
「当たり前のことを。いきなりどうしたんだ?」

 昨日の夜のことを思い出す。子供たちがぽつりと漏らした、あまりにも寂しい言葉を。
 ハンフリーさんは愛されている。
 ハンフリーさんが孤児院のみんなを愛しているのと、おなじように。

「孤児院のみんなが羨ましい……」
「えっ……」

 血はつながっていないけれど、孤児院はひとつの家であり、共同体であり、家族だ。
 私はもうその枠組みを出てしまっている。みんなの負担になりたくないからと、働ける年齢になるなり孤児院を出た。
 孤児院をハンフリーさんに任せきりにし、頼られたらお金を支援しようなんて受け身に甘んじた。
 ――本当に、どのツラ下げてあの時、ハンフリーさんを怒ったんだろう。

「あの子たち、ハンフリーさんがどこかに行っちゃうんじゃないかって不安だから身を固めてほしかったんですって。ふふ、笑っちゃう。ハンフリーさんがだまっていなくなることなんてないのにね」
「……」
「いじらしいですよね。いいなって思う。お互いに思い合ってる証拠ですもんね」

 孤児院を出てから、ずっとひとりで暮らしてきた。
 男に言い寄られたことは何度かあるけれど、結局なにも起こらなかった。環境が変わったから退職したいと申し出た時、職場は実にあっさりとそれを受け入れてくれた。
 だからこういう、求めあう関係は羨ましいし、懐かしい。

 無意識のうちに手を伸ばしたお茶を飲み終わる。さきほどからずっとハンフリーさんの返事がないことに気づき、顔を上げた。
 真っ赤だった。
 ハンフリーさんの顔が。
 細い目をさらに細めて、頬を紅潮させて固まっている。

「は、ハンフリーさん?」
「う、羨ましいってのは……」

 ぼそぼそと吐き出された言葉に、首を傾げる。さっき私が言った言葉だ。
 孤児院のみんなが羨ましい、と、ぽつりと本音をもらしてしまった。でもそれでなんでハンフリーさんが照れ――あれ?
 あれ? 先ほどの会話を再生する。
 孤児院のみんなが大好きなんですね。何を当たり前のことを。孤児院のみんなが羨ましい。
 こ、この会話の流れは。

「まっ、ちが、これは――」

「っ、はい」
「――期待していいのか、それは」

 ハンフリーさんが手を伸ばして、テーブルの上に出していた私の手を掴む。大きくて暖かい手が、私の手をすっぽりと覆ってしまう。

「まだ好いてくれてると……思っていいのか」
「は、ハンフリー、さん」

 ハンフリーさんが細い目を見開いた。武闘会でたまに見せる、『本気になった時の顔』で、私を見つめる。
 そ、そんなこと言われたら、私……!
 ごくりとつばを飲む。ハンフリーさん以上に私の頬も赤いだろう。
 意を決して、ハンフリーさんの手に自分の手を重ねた。

「わ、私は――」
「うわーーーっ!!!!」

 どんがらがっしゃん。とすさまじい音を立ててリビングのとびらが前に倒れこんだ。ハンフリーさんが反射的に立ち上がる。
 なだれ込んできた子供たちは「あいたたた……」と呻いている。

「ぬっ盗み聞きしてたの!? まさか!!」
「お、お前たち……!」

 蝶番を壊すほど前のめりになって聞き耳を立てるなんて、まさかそんな。
 子供たちはわなわな震えているハンフリーさんを気にも留めていないようで、私に向かって人差し指を突きつける。

「おねえちゃん、再就職やめるの!?」
「ずっとここにいてくれるんだよね!?」

 あれ、なんか思ってた反応と違う。
 先ほどの会話を聞いていたなら、もっと結婚方向の野次になると思うんだけども。
 戸惑ってハンフリーさんを見上げると、彼は顔を覆った後、脱力して再び椅子に座り込んだ。

「オレが愛されてる、って話だけど。――お前も十分愛されてるよ、。何年経っても、今でもな」
「へ……?」
「――オレの耳引っ張ってにここにいてもらえってうるさくて。交渉がうまく行くか不安で聞き耳立てるぐらいにはな」

 ハンフリーさんが肩を竦めて笑う。
 交渉……? 思わず怪訝な顔をする私に、困った顔をした。

「ほら、がここに居てくれればありがたい、って」
「あ、あぁ……あれ交渉だったんですか……」

 ハンフリーさんのことを考えていて耳から素通りしていた。

「それで、どうなんだ?」
「やっぱり帰っちゃう? わたしたちがうるさいから……?」

 ドアに倒れこんだまま、不安げな顔で見つめる子供たち。
 そんな顔されたら、たまらなくなる。

「……断れない顔しないでくださいよ、もう!」
「じゃ、じゃあハンフリーさんと結婚してくれるの!?」

 結局そういう話題になるのか。
 顔を輝かせる子供たちに、ハンフリーさんが言葉につまるのが分かった。

「結婚はしないし、再就職はするよ。でも……あの家、家賃ちょっと高いんだよなあ。だからこっちには戻ってくる。これでいいでしょう?」
「それは、」
「孤児院にお金も入れます。毎日働きに出て、毎日ここに帰ってくる。問題が?」
「……いや、何も問題ないぜ。!」

 わっ、と子供たちから歓声が上がった。
 なんでそんなに喜ぶのかわからない。私がここに戻ることは、ハンフリーさんを繋ぎ止められる確証を得ることではないのに。
 私が――ここにもどってくるのが、そんなに嬉しいのだろうか。考えると胸がむずがゆくなって、たまらない気持ちになる。

「でも、本当にいいのか? 
「ええ。私も……出来るならもう一度、ここでやり直したいんです」
「やり直す?」
「家族になりたいんですよ、あなたたちと」

 この言葉が適切なのかはわからない。でも一番近い言葉であることは確かだった。
 大事な時に、見過ごしたくない。
 頼り切っていたのは自分のくせに、なんで相談してくれなかったの、なんて言いたくない。
 だから――ちゃんと孤児院かぞくに向き合って、孤児院かぞくのことを考えたい。
 私にもハンフリーさんにも、その時間が必要だ。

「ずっと前から、家族だろ。って時々妙なこと言うよな……」

 ハンフリーさんはわけがわからない、というふうにくちびるをとがらせる。
 ああもう、この人は本当に。
 私がどれほどその言葉に嬉しくなってしまうか、わかっていないんだ。





2017/09/03:久遠晶
萌えたよ こういうのもっと読みたい! 誤字あったよ 続編希望!