尊ぶ芽吹き
という吟遊詩人と勇者が出会ったのは、デルカダールから逃亡中、ダーハルーネでのことだった。
町長の息子にかけられた呪いを解呪するためにさえずりの蜜を作る際、声を美しくするという作用に惹かれても魔法の蜜採取に同行した。
悪魔の子を追いたてるホメロス率いるデルカダール軍に悪魔の子の仲間だと勘違いされ巻き込まれ、斬った張ったの大立ち回りで勇者一行と共に逃げてしまい、めでたく指名手配犯の仲間入りだ。
そこから魔王ウルノーガの誕生に立ち会い、勇者たちとはぐれたあとは、再び吟遊詩人として希望を謳う。
命の大樹が燃え尽き、太陽が暗雲に閉ざされても彼女はくじけなかった。
――だって、信じていたから。
彼女は目を細めて笑い、勇者の手を取った。
グレイグが勇者たちから聞いた経緯は、おおよそこのようなものだった。
カミュのように預言を受けたわけでもなく、双子の姉妹のように勇者を守るために生まれたわけでもない。ユグノア前国王やマルティナ姫のように因縁があるわけでもなく。
ただただ、巻き込まれただけ。それでも、苦難が待ち受けているとわかっても勇者に同行をきめた者。その意味でシルビアと経緯は似ている。
「だって、世界が平和になったらさんは歴史に名を残します。歴史を謳わず、吟遊詩人になにを謳えと言うのでしょう? みなさまのご活躍をこの目に焼き付けさせてください。邪魔にはなりません」
当初同行をしぶったグレイグに、はそう言って胸を張った。
何が何でもついていくぞ、という決意に満ちた目で。
くりくりして大きな目にはかたい意志のひらめきがあり、多少のことではへこたれない芯の強さがあった。
民間人に危険は負わせられない。騎士としてのグレイグの考えを抜きにするなら、グレイグはこの時のの快活な態度に――そう、はっきり言ってしまえば好感を持った。
それからを含めて旅をして、いくつかの街を過ぎた。共に死線をくぐり人となりを知れば、自然と信頼が芽生えるものだ。
キャンプで野営をするとき、彼女はいつも竪琴をつま弾く。その日あった出来事や戦いを即興で歌にし、場を和ませる。シルビアが竪琴に合わせて身体を揺らしロウがそれを見ながら景気づけのエールを口元に運ぶ。
興が乗ってくると、竪琴使いのセーニャがその場でに合わせて旋律を奏で始め、いよいよその場は盛り上がる。
グレイグは肩を組んで大口を開けて笑う一行を見守り、頬を持ち上げる。
という吟遊詩人は、決して騒ぎの中心にはならない。しかし賑やかさの端には確かに存在していて、バックで音楽を奏でることで仲間の心を優しく包んでいる。
そういう――明るく、控えめな女性が、という人間だった。
そんな彼女であるので、メンバーの誰かが彼女を見染めていたとしても、不思議ではない。
だからグレイグは、頬を染めたシルビアにそう言われたとき、別段驚きはしなかった。
「アタシ、ちゃんが好きなの」
「……そうか」
短く応えながら、グレイグはシルビアから視線をそらした。
話があるから、とキャンプ場から離れて二人きりになり、切り出された言葉がこれだ。
仲間に聞かれていないだろうかという危惧と、魔物が近寄ってくるかもしれないという警戒が半分半分。そこに、少量の苛立ちがあった。
動じないグレイグに、シルビアは太い眉をすこしだけしかめた。首を傾げる。
「何も言わないの?」
「別に、なにかを言う立場ではないだろう、俺は。相手がマルティナ姫であればわからないがな」
グレイグは肩を竦めて笑った。彼なりの軽口のつもりであったが、シルビアは笑わない。
困ったような目をしたあと、シルビアはため息をついてうなだれた。
「……立場の話じゃないわ。グレイグの気持ちの問題を聞いてるの」
「俺の気持ち?」
「だって、グレイグも好きでしょう? ちゃんのこと」
「な、なんだと!? ――むぐっ」
「声が大きいわよ~っ!」
思わず出た大声を出すと、シルビアの右手に即刻口をふさがれた。夜闇のなか、キャンプ場からの焚火の光がシルビアの彫りの濃い顔立ちをぼんやりと浮かび上がらせている。
シルビアはグレイグの動揺がおさまったことを確認してから、そっと身を離した
「……別に、俺はなど……。あ、いや、魅力がないと言ってるんじゃないぞ。だが……確かに仲間として好ましいと思ってはいるが……そしてあの笑顔をずっと見ていたいとは思うが……」
「わっかる~! あの子の笑顔って、本当にかわいいわよね? いじらしくて愛らしくて」
「その通りだ。ころころ表情が変わるから観察していて飽きないし」
「うんうん、この前寝ぼけたあの子が寄り掛かってきたことがあったんだけど、我に返った時の慌てようったら」
「それは見たかったな、面白い表情をしていたに違いない」
「ほんと、かわいかったわ」
ふたりでうんうん頷き合う。
頷き合ってから、話が逸れていたことに気づく。グレイグはごほんと咳ばらいをした。
「……というわけで、別に、好いてなど……」
「あら、な~んか歯切れ悪く聞こえるけど気のせいかしら?」
「気のせいだ。そもそも俺は恋愛などしているひまはない。魔王を倒したらイシの村の復興、それが終わればデルカダールの復興だ。道のりは長い。生涯を掛けて成さなければならない使命が――」
「待って。アナタに大事な使命があるのはアタシも知ってるわ。だけど、それとこれとは話が別でしょう?」
シルビアは大きく身体を傾げ、うかがうようにグレイグの顔を下から覗き込んだ。
にっこり笑って、指先をグレイグのくちびるに近づける。
「愛や恋は、己が胸から出ずるもの。誰も太刀打ちできない素敵な魔法なのよ」
優しく言い含められ、グレイグはうっと息をつめた。
の笑顔が脳裏によぎる。そよ風のような心地よい表情で笑う娘。心躍る声で笑い、歌い、旋律を奏でる。それを思い出し、頬が熱くなってしまったのは、シルビアの言葉があったからだ。
なにも言えないでいるグレイグを見て、シルビアは楽しそうに笑った。服の裾を翻してくるりと背を向ける。
「まったく、無自覚ってのも困りものねえ。ま、じっくり自分の心と向き合いなさいな。デルカダールの復興と言うなら、将軍の血を引いた跡継ぎだって必要になるでしょう?」
「なッ……! ま、待て、シルビア」
「あら、なあに?」
「俺がをす、好いていたとして……それがお前に関係あるのか? なぜはっぱをかけるようなことを?」
「それをアタシに聞くの?」
シルビアは苦笑する。
「アタシだって騎士の端くれよ。自覚のなさに付け込んで、先にスタートダッシュをかけるような真似はしないわ。騎士たるもの、常に正々堂々、己に恥じぬ戦いをすべし――ってね」
にっこり笑って、両頬に人差し指を当てて茶化した。だがそこに、とグレイグへの真剣な思いがあることは容易に見て取れる。
騎士の跡継ぎの役目を捨て、家出して旅芸人になった昔なじみの友人――ゴリアテ。今の名をシルビア。
グレイグは己の記憶のなかのゴリアテと目の前のシルビアが重ならなくて、戸惑ってばかりだったが。
なるほど、戦いのなかでの頼り甲斐という話でもなく。こういう芯の部分はまぎれもなく、かつてグレイグがハイタッチを交わしたあの日の少年の姿と一致する。
自然と髪の毛を掻き上げ、グレイグは苦笑していた。説明させる必要のないことを説明させてしまった。
シルビアが正々堂々という戦いを望むのであれば、グレイグも真摯に応えねばならない。
無自覚の恋の自覚は、まったくしていなかったのだが。
***
そんなことがあってから、グレイグはを見るとついつい意識してしまう。
朝起きた時の寝ぼけた笑顔にふっと癒されている自分に気づき、ある時はの竪琴にこの上ない安らぎを得ている自分に気づく。
戦いでが瀕死の重傷を負った時にはいつも以上に動揺し、いつも以上に奮起する自分に気づいた。
これは恋なのだろうか、と思って、ぶんぶんと首を振る。
「グレイグさん、なんか最近おかしくないですか?」
「なに!? そ、そうだろうか」
「ほらー今も。図星でしょ。なにかありました?」
「いや、なにも……」
そんなに顔に出ていただろうか、とグレイグは冷や汗を掻いた。
一行はクレイモランからラムダに向かい、道中のキャンプ場で休憩していた。
雪解けが残り、地面はぬかるんでいる。焚火に使った木が湿っていたから、周囲に生木の臭いを広がっている。
焚火の奥ではシルビアがセーニャたちと話し込んでいる。
「……実は寒さが苦手でな。それで様子がおかしく見えたのかもしれない」
「まあ、そうだったんですね。あ、私のマフラー使いますか?」
「いや、大丈夫だ。ありがとう」
首からマフラーを外そうとする手を掴んで止める。声が上擦りそうになり、平静を装うのに四苦八苦してしまう。
デルカダールの双頭の鷲が片翼と恐れられた将軍グレイグは、悲しいかな、今の今まで色恋沙汰にまったく縁がなかった。
一度異性として意識してしまうと、純情な少年のようにぎこちない態度になってしまう。
はグレイグの態度にすこし首を傾げてから、そうですか、と頷いた。首から外したマフラーを巻き直す。
「でも、なにもないならよかった。てっきり色々悩んでるのかと……」
「そんなふうに見えたか?」
「ええ。砦に残してらっしゃった王様や兵士の身を案じてるのかなって」
「心配をかけたな。気にしないでくれ」
「そうします。寒いんでしたら、心があったかくなるような曲でも弾きましょうか」
が竪琴を爪弾きはじめる。
その曲は以前にも聞いたことがあった。セーニャが戦闘中に用いていた、吹雪系のダメージを抑える魔力を帯びた曲だ。
心なしか、震えるような寒さがほんのすこしだけ和らいでいく。
闘気を剣や己に載せ、腕力を加算して叩き切る嵐のような戦い方を主とするグレイグにとって、竪琴は完全に門外漢だ。
魔力を回復力に変換する回復呪文の成り立ちはわかっても、音という無形のものに魔力を帯びさせることがいまいちピンとこない。
だからセーニャやの竪琴には、素直に感嘆してしまう。魔術的な仕組みに関しても、単純に技術の意味でも。
優しく竪琴を鳴らすの横顔は優しい。赤子を扱うように繊細な指先で弦を撫で、愛に満ちた表情をする。
「――でも本当に悩みやつらいことがあったら、遠慮なく吐き出してくださいね」
ふいに紡がれた言葉が、先ほどの話題を引きずってのことなのだと理解するのに時間がかかる。
「音に乗せて、思いを言葉にするんです。そうすればいやなことも、かなしいことも、音と一緒に消えていくんですよ。そのために歌はあるんですから……。そうやって、一歩を踏み出していくのです」
の言葉は、吟遊詩人としての哲学なのかもしれない。
命の大樹が燃え尽き、世界各地で異変が起き、太陽は姿を現さなくなった。その絶望を――グレイグはよく知っている。
そんな世界だからこそ、は歌の力と希望を信じているのだ。
――ああ、いいなあ。
自然と、そんな心地になった。
――デルカダールの復興をする傍らに、彼女がいてくれたら。さぞや励みになるに違いない。
ごくごく自然に、そう考えてしまった。
思い描いてしまった。
彼女といる、未来を。
「……ッ、俺は……!?」
胸に湧き上がった考えにハッとする。思わず発した言葉は、幸いにも竪琴に掻き消されの耳には届かなかったようだ。
顔を押さえて動揺を隠す。膝に肘をついて、神妙に曲に聞き入っているふうを装った。
どんどん頬が熱くなっていくのがわかる。寒さのせいでは断じてない。
心のなかで必死に「ちがう」とか「年が離れているし」などと言い訳めいたことを考え、そんな自分に気づいて呆れた。
きっと、シルビアに言われた件がなければ、己の感情に言い訳してなかったことにしていただろう。
だが。
――アタシ、ちゃんが好きなの。
――騎士として、正々堂々己に恥じぬ戦いをすべし、ってね。
シルビアはそう言った。
に惚れていない、と言うグレイグの言葉を逆手にとり盾にしてもいいのに、だ。
そこには仲間への気遣いと、シルビア自身の誇りや強さがある。
わざわざグレイグに恋の自覚を呼びかけ、向き合うことを望んだシルビア。
自分に嘘をつき、シルビアの恋を応援することは簡単だ。だがシルビアはそれを望んでいないのだ。
ならばこそ、グレイグも己の気持ちを不用意に踏みつぶすわけにはいかなかった。
後日、グレイグはシルビアを呼び出してキャンプ場から離れた。
どうしたの? と首を傾げて笑うシルビアは、グレイグの要件をまるっきり理解しているようだった。
「この前の件だが。――俺もが好きだ。お前にも譲れん」
くちびるを湿らせ、はっきりと思いを口にする。その瞬間に、グレイグの中ではっきりと気持ちが明確に固まるのがわかった。
そうだ、自分はを好いてるのだ。
気持ちが強固なものになり、四肢に染み渡る。
「……そう。じゃあアタシたち、ライバルってわけね。負けないわよグレイグ!」
シルビアは頬を持ち上げ、快活に笑う。両手を合わせて軽く身をよじるしぐさは、まるで共通の話題ができたことを喜ぶ少女のようにも見える。
グレイグはその様子に苦笑した。
魔王ウルノーガを倒す道中だと言うのに、惚れた腫れたなどとけしからん。そんな思いは歴然としてある。
だがしかし――きっとシルビアは。
――惚れた腫れたも上等じゃない。人間の心と愛で、アタシたちは魔王に勝とうとしてるんですもの。
悪びれもせず、それどころか誇りをもってそう言うのだろうな、と、グレイグは思ったのだった。
そしてこの考えを否定する気は今のグレイグにはなかった。
だからまあ、ひとまずは。
目下の目標としてはをデートに誘うところから、だろうか。
そこまで考え、グレイグは存外という娘に惚れこんでいるらしい、と、ぼんやりと自覚した。
同時に、ライバルはかなりの難敵であることも。
2017/09/11:久遠晶
アンケートにて「グレイグさんとシルビアさんのVS」というコメントが入ってまして、それを見てうっひょー! となり取り急ぎ書いたブツです。
アンケにこれを書いてくださった方は天才だと思います。お友達になりたい。出てきてほしい。
セコムグレイグさんもセコムシルビアさんも、両人とも恋愛感情持ってるのもいいなぁ~~!!と色々妄想爆発させながら書きました。
グレイグは色々使命が多くてがんじがらめだし、でもシルビアさんは先に奪おうとかせずにグレイグに自覚を促し、グレイグがその気になるのを待つに違いない……ライバルを増やす結果になっても禍根のない戦いを臨むひとだ……!!と書きながらものすごく楽しかったです!
こんなはじまりでどうでしょう?
これでよさげでしたら、続きも書こうかなと……!(`・ω・´)
試験中。もしいいね!と思っていただけましたら送っていただけると励みになります!