終わり良ければ
カミュとはじめてキスをしたのは、鬱蒼と生い茂る森の中でのことだった。
キャンプ場を見つけ、野宿が決定した。夕飯の材料を調達するために、森に踏み入った時のことだ。
毒草を選り分け、食べれる物を選んで籠に積む。土を浚って土壌を調べ、汚染されていないかもチェック。
「なぁ、このキノコって食えるか?」
不意にカミュが声をかけた。振り返ると、地面にしゃがみ込んだままぼくに声をかけている。キノコを摘む前に声をかけたのは好感がもてる。
この前が素手でカエンダケを掴んでしまい、しばらく指が腫れ上がってしまった。それがメンバーのみんなの警戒度を高めているらしく、安全なキノコとわかっていてもぼくに確認役が回ってくるのだ。
しがない植物学者だったぼくがどうしてデルカダールに追われる勇者様ご一行についていくことになったかというと、まぁそこそこに紆余曲折があったのだが、今は語る必要のないことだろう。
ぼくは立ち上がって、カミュに歩み寄った。
肩から顔を出して、カミュの足元を覗き込む。
木の根元に、傘の大きな黄色いキノコがポツポツと生えている。模様的には馴染みがあるけれど、果たして。
「……うん、これは大丈夫だと思うな。ちょっと取ってみてくれるか」
「ああ」
肩から顔を出しているから、顔の近くでカミュが頷く声がする。
カミュの手がキノコを掴んで木からむしる。指を伸ばして、カミュの手を掴んだ。
カミュの手を動かしてキノコの角度を変える。裏側のひだもおかしくはない。無毒のキノコだと確信をもてる。
「うん、これは安全だ。大丈夫」
「よかった、ありがとな」
「どういたしまして」
身を離そうとした時、カミュがぼくの手を掴んだ。
自然とぼくはカミュの肩に寄りかかったまま、地面に縫いとめられるような形になる。
座った状態での、一本背負いをする直前、のような体勢だ。後ろから抱きしめる直前とも言うか。
カミュの目が、間近にぼくの目を覗き込む。思わずうろたえてしまう。
「カミュ?」
「隙だらけなんだよ、お前」
くちびるになにが触れたのか、よくわからなかった。
カミュはぼくの手から指を離し、さっと立ち上がった。硬直するぼくを残してキノコを回収し、スタスタと歩き去る。
力が抜けたぼくは思わず尻餅をついた。
くちびるがあたたかい。
あれはなんだろう。
湿り気を帯びた、ひどく柔らかいもの。熟しきった果実の柔らかさ。あるいはリップスライムの蒸し焼きみたいな──。
どきん、と心臓が大きく波打った。
これがぼくとカミュの、はじめてのキスだった。
***
それ以来、カミュはいろんなところでぼくにキスをした。城下町の路地裏、キャンプ場での見張り番のとき、朝ぼくを起こしに来たとき。
気安くぼくに触れて、ごくごく自然の挨拶というふうにくちびるを押し付ける。
そのしぐさだけを見れば甘やかす恋人という雰囲気だけども、あいにくぼくとカミュは恋人ではなく、好きだとか言いあったわけでもない。単なる旅の同行者であり、仲間でしかないのだった。
恋人同士というのなら、とカミュのほうがよりそれらしいかもしれない。
が敵の攻撃に倒れたとき、カミュはいつも真っ先に「!」と叫ぶ。集中の極地に入り、瞬く間に敵を仕留める。
セーニャに回復呪文をかけてもらうを心配する態度は、「勇者になにかあってはたまらない」というだけでは決してない。相棒を超えた絆があるように感じる。
つまるところ、ぼくはきっと代わりなのだろう。と合点がいったのは、そこそこ時間が経ってからだった。
キスはするけどそれ以上はなく、普段の関係は単なる仲間で友人という以外にない。いったいなんなんだと悩み、かと言って本人に問い詰めることもできず──驚きなことにぼくも結構まんざらではなかったのだ──考え込んでいたところ、そういう結論になった。
なーんだそういうことかと納得して、ぼくは素直に代わりを務めてやることにしたのだった。
確かに、勇者に無体は強いられない。それに故郷を共に過ごした女の子に殉じているに言いよるなんて、辛い気持ちを思い出させてしまうに仕方ない。
それを思えばカミュがに想いを告げられず、ぼくにぬくもりを求めて来たのも、納得できる。当然だし、仕方がない、と。
カミュは少し粗野なところもあるけれど、その実誰よりも優しいし真面目だ。への思いを隠すことは、色々考え込んでの選択だともわかっている。
セーニャやベロニカではなくぼくを相手に、というところにも打算が見える。うんうん、ぼくならキスぐらいしてもいいと思ったんだろう。ぼくを友人として共犯者に選んだというなら、なにも言わず受け入れてやるというのが男だろう。
いわゆるセックスフレンド、というものですらない関係だが。旅の途中、仲間との結束を深めるための男色は往往にしてあるものだ。その一種だ。だから、とりたててカミュがひどい男だったり、僕の貞操観念がゆるいというわけでは決してない。互いが大体行為を認識し納得していれば、それは二人の在り方になるからだ。
***
サマディーの城下町を歩く。来たるレースのために、市場は活気で満ちていた。
やれやれ。慕われている王子がとんだポンコツだと知ったら、みんなどんな反応をするのかな。
「せっかくだから町の探検でもしようか?」
「そうですわね、お姉さま、二人でアクセサリーでも見ませんか?」
「いいわね。結構いいものが売っていそうよ」
の言葉に、自然とコンビになる双子の姉妹。はというと、通り過ぎた道にあったぱふぱふ屋が気になって仕方ないらしい。
ぼくとカミュは自然と顔を見合わせ頷いた。
「まったく、お前も好きだよな。あとで感想聞かせてくれよ」
「じゃあ三手に別れようか。カミュ、行こう」
とセーニャたちと離れ、散策を開始する。
こうして日の当たる往来の市場を物色していると、とカミュはお尋ね者の指名手配犯なのだ、という緊張感が失せてしまう。じきにここにもデルカダールからの手配書が回るだろう。そうなる前に虹色の枝を持ってサマディーからおさらばせねば。
「……にしても、アイツほんとぱふぱふ好きだなぁ」
「ぱふぱふは男のロマンだものな。ぼくもが行かなかったら行ってたよ」
「あれが『いわゆる』ぱふぱふならよかったけどな」
肩をすくめたカミュがニヤリと笑う。ぼくもクッと笑った。
わくわく顔でぱふぱふ部屋に入ったは気づいていなかったようだけど、あの店は単なるマッサージ屋だ。
ぱふぱふを終えて店から出てきた時のの顔が見ものだ。想像すると笑えてしまう。
「だいたい本物のぱふぱふならあんな真っ昼間からやってるわけないって気づいてないのがウブだよなぁ~のああいうところ超好き」
「わかってるなら教えてやりゃあいいのにっ。……くくくっ」
「カミュだって笑ってるくせに」
「そりゃこういうのは自力で気づかねぇと大人になったとは言えねぇだろう」
お互い心底から楽しんでいる気持ちは同じだろう。
二人で息をひそめて笑い合う。悪いやつだなぁ、お前だって、と目と目で会話する。
「……それにしても、お前もそういうこと興味あったんだな」
「あぁ、ぱふぱふのこと? そりゃあ人類ならぱふぱふには興味もってしかるべきだろう、御多分にもれずぼくも大好きさ!」
「全人類と来たか」
市場で美味しそうなリンゴを見つけた。おばちゃんから買い取って、その場で丸かじりにする。
「ぼくの育った村はさぁ、そういう娯楽がなくて。だからその反動かな。旅をするたんびにぱふぱふ商法に引っかかって、本来のぱふぱふは裏でひっそりやってるもんだと気づくのに三年かかったな」
「三年って、そりゃ遅すぎだろ」
カミュがからから笑う。真っ昼間から話す話題ではないと思いつつ、人通りの多い市場でぼくらの会話を聞いている人間なんか一人もいない。カミュも気にしていないようなのでぼくも気にしないことにした。
「お前はそういうとこ通わないイメージあったけど」
「見た目が人畜無害ってよく言われる。けどね、そりゃぼくも男ですから。がっついてた時期もあったよ」
「だからお前何歳だよって」
カミュがビシッと突っ込む仕草をする。ぼくも合わせて笑った。
「あ、でも仲間は別だから安心してね? セーニャにもベロニカにも手を出す気はないからさっ」
「セーニャはともかくベロニカに手を出したらまずいだろ色々と」
「セーニャもダメだって。痴情のもつれで後ろから刺されるのはもうこりごりだからねー」
「……だいぶもつれたのか」
「かなりね! だから、次の恋愛は覚悟決めて挑みたい」
うげっと顔を歪めるカミュに苦笑する。
もつれももつれなんてもんじゃない。最悪なものだった。
あの頃は人生経験が少なかったから、すぐにころっといってしまった。
よりによって、旅の仲間に。
死線を共に駆け抜けた戦士も彼女に惚れていて、自然とライバルのようになってしまった。
命を預けられる仲間である以前に、恋のライバルになってしまった。本来、恋のライバルである前に仲間であるべきだったのに。
その結果が──パーティの分裂と命の危機だ。
敵愾心はよくない。あれは仲間同士の連携を困難にし、頼ることをためらわせる。
だから、ぼくはもう旅の仲間に恋はしないと決めた。
だから、への思いを隠すことに決めたカミュの気持ちは全霊で応援するし、協力する。キス程度安いものだ。役得という話……ではないんだけど。
「ま、みんなそれぞれ色んな人生を歩いてるってことかね……俺も、恋愛はする気にはなれねぇな。めんどくせえし」
「振り回されそうだもんな、カミュ」
「うるせーよ」
背中をどすりと叩かれた。その力が思いの外強く、咳き込むのを我慢するのが結構大変だった。
――ということがあったのは、まだ魔王が復活する前のことだ。
世界に異変が起きたあと、カミュは記憶喪失になっていた。その時の話は割愛するとして、カミュは記憶を取り戻し、妹を助けて人間の側に引きずり戻した。
「本当にありがとな、」
カミュは晴れやかな顔で笑い、一筋涙を流した。
はコクリと頷き、カミュと硬い握手を交わす。
黄金で作られたまばゆい城の中で、カミュとはなにより光り輝いているように見えた。
ぼくは……ぼくは、素直に綺麗だと思った。太刀打ちできない輝きを秘めていた。
だから──今なんでカミュに押し倒されてるのかさっぱりわからない。
天井の明かりを遮るようにカミュがぼくに覆い被さる。手首を掴む手は力強くて、迷いがない。
クレイモランの夜は寒い。宿泊するホテルはそこそこにお高い部屋をとったが、それでも窓を叩く北風は旅人には厳しいものだ。
だから、寒いからと同じベッドで寝る、というのはまぁわかる。
問題はなぜ左右ではなく上下の状態になっているかだ。なんで立体なんだ。なんでぼくの上に覆い被さってるんだ。
「、」
「か、かみゅ、待って!」
「あん? なんだよ」
「なんでこんな状態なってんの?」
素朴な疑問だ。押し倒される意味がわからない。
記憶を失ったカミュはのことまで忘れていたから、キスを交わす程度の友達──という関係は解消されていたはずだ。
記憶が戻り元の関係に戻ったとしても、まさか順序を飛ばして押し倒されるとは思わない。
「いやなのか? いやなら、無理強いはしねぇけど……」
「いやだっていうか、それ以前の問題じゃない? ぼくらってそういう関係じゃないだろ」
「…………お前、この流れでそれ言うか?」
カミュがため息を吐いてぼくの前から退いた。ベッドの上にあぐらをかくカミュ。ぼくも上体を起こしてベッドに座った。
この流れで、と言われても。
「……マジで気づいてねえのかよ。ふつうベッドのうえでキスして無抵抗だったら「アリ」だと思うだろ! 言わせんなこういうこと」
「確かにそれを言われるとぐうの音も出ないな」
夜更けにやってきた仲間。ねぼけ眼で応対すると、カミュは挨拶もなくぼくにくちびるを重ねた。
――抵抗しねぇのか。
――痴情のもつれはこりごりなんだろ。
カミュは以前のサマディーでの会話を引き合いに出して、ぼくにそう言った。
ぼくはごくごく自然に、「ぼくだって抵抗する相手は選ぶよ」と言った。つまるところ、他に本命がいて、かつ仲間から思いを寄せられていないカミュのキスを抵抗する必要がないのだ。むしろカミュにとって適度なガス抜きは必要だろうと判断した。
「……待てよ。思い返すと確かにどうにでもしてのサインって感じだ」
「完全に無自覚かよ」
はぁぁぁと地獄の底のように長いため息を吐き出すカミュ。
そのげっそりとした態度を見ると、にわかに罪悪感がよぎらなくもない。
「うーんぼくもキスまでならやぶさかじゃあないんだけど。本番はやっぱり本命とするべきだと思うし、相思相愛ならともかくなぁ……」
「はあ? まあ、お前にその気がねえなら無理強いしねぇけどよぉ……ていうかキスまでならやぶさかじゃないじゃねえよ」
「さっさとをあきらめることを推奨するな。カミュなら男でも女でもホイホイ引っ掛けられるでしょ」
「は? ……そこからかよ……」
「うん?」
「今お前と過ごしてきた色んなものが瓦解してんだ、そっとしておいてくれ」
頭を抱えて落ち込むカミュの意味がわからない。
ぶつぶつと、「オレがいけないのか?」「オレもあの時は色々……」などとつぶやいている。
うーんうーんと唸るのは構わないけど、とりあえずぼくは寝ていいのかな。明日も早いしなるべく早くに寝たいんだけど。などと考えるのは薄情だろうか。
ぼくが理由っぽいのが何とも言えない。心あたりがないのだ。
「とりあえずな。勘違いしてるみてーだがオレとはなんもねぇからな」
「うん、それは知ってる」
「惚れてねぇって意味だ」
「ええっ」
とんでもない発言だ。カミュがに惚れてない? そんなわけがない。あれだけ親密そうにしてたんだから。
「オレはあいつの相棒! それ以上でも、以下でもない。二人きりで旅してた頃は色々協力しあってきたし、そりゃ相棒なんだから信頼し合って当然だろ? 勘違いすんなよな」
「まじかい……あれ? 待てよ」
じゃあなんでぼくにキスしてきたんだ。ぼくはの代わりじゃなかったのか。
「身代わりに旅の仲間にキスするような男だと思われたのはかなりショックだぜ、オレは」
「……だって、カミュは恋愛なんかしそうじゃなかった」
カミュはなんていうか、底の見えない男だった。
粗野だけど陽気で、調和を大事にして、素直ではないけど根は誰より優しい好青年。そういう人となりはわかったけれど、カミュは過去の旅の話になるといつも口をつぐんだ。
オレは単なる盗賊だから、人に話せるような過去なんかないぜと言って。
ぼくらも無理に聞き出すような人間ではなかったから、そうかと笑って流していたけど。
カミュはそういう――肝心なところで一歩引いて、ぼくらに心を隠すような男だった。
そんな男がキスしてきたのだから、当然そこに色恋があるわけがない。色恋を開示するような男ではないのだから。となると、予測のなかでもっとも説得力があったのが『の代わり』というものだった。
そう言うと、カミュは困ったように眉を下げて頭を掻いた。
「悪かったよ。最初はオレも正直はずみだった」
はずみだったんかい。
「あのころはマヤのこともなにもかもオレのなかで片付いてなくて、ただと一緒にいてを守って、を導けば贖罪になるって、それだけだった。だから……お前に何度もキスしたけど、正直逃避だったんだ。オレ自身気づいてたから、罪悪感もあって。ただお前はいやともなんとも言わなかったから、勝手にオレの決心がかたまるのを『待ってくれてる』と思ってたんだが……」
しゃべりながらカミュはがっくりとうなだれ、落ち込みだした。
言われてみれば確かにあの時のカミュは心ここに非ずというふうにキスをして、キスをしたあと眉をひそめてつらそうな顔をしていた。
ぼくはその表情をみて、「ああぼくをと重ねているんだな、叶わない恋をしているんだな」と勝手に納得していたわけだ。
そして叶わない恋を隠しとおすことを選んだと勘違いしてたぼくを見て、カミュは『待ってくれてる』と思い込んだと。
か、勘違いに勘違いを重ねすぎだ、ぼくら……!
「なんかその、本当ごめん」
「マジで追い打ちかけんのやめろ」
カミュが顔を覆ったままそう言うものだから、なにも言えなくなる。
まあカミュはなにも言ってないしなにも言われてないのに勝手にその気になってしまった状況なので、穴があったら入りたいぐらいだろう。
困ったな。そういう顔をさせたいわけでもないんだけど。
「顔をあげてよ、カミュ。カミュがその気ならこっちは断る理由ないって」
「は?」
「いやー、ぼくも結構まんざらじゃなかったんで。の件が……代わりってんじゃないなら、こっちはぜんぜん。やぶさかじゃないよ」
顔をあげたカミュのくちびるをかすめ取る。
妹との一件。贖罪。どうにもならない過ちを乗り越え、妹さんを取り戻した。
そうして自分の過去にけりをつけ、真っ先にぼくのところに来てくれた。素直にうれしい。うれしくないはずがない。
――に惚れてるカミュに惚れたって無駄なんだぞ、と心に言い聞かせる必要がないのなら、願ってもない。
「……いいのかよ。こりごりなんだろ、痴情のもつれ」
先ほどと同じことを言われ、ぼくは苦笑した。この先だいぶ引き合いに出されそうだ。
「受け入れる相手は選ぶよ」
暗がりのなか、カミュがゆっくり近づいてくる。
あ、どっちが上か下か決め忘れた。
ベッドに押し倒されながら、これってぼくが下の流れかなぁ――と思って、まあいいかと思った。
カミュの心底ほっとしたような顔をみたら、そのへんのことはぜんぶ些末な問題に思える。
カミュの身体は固い。しなやかで線は細いけれど、しっかりと男だ。
ぼくの憧れる、女の子の柔らかさはまったくない。カミュもひょっとすると、同じことを考えているかもしれない。
そうであればいいなあ、とぼくは思った。
2017/09/24:久遠晶
アンケートにて『男キャラ×男夢主のBL』というコメントを受けてのもの。
十年夢を書いてますが、BLDを書くのははじめてでした。わー! 初! BLDってこういう感じでいいんでしょうか。うまいこと男同士の距離感や、ならでは感を出したかったんですが、うーん難しい。
うまいこと書けてるかわかりませんが、楽しんでいただければ幸いです~! アンケートコメントありがとうございました!
試験中。もしいいね!と思っていただけましたら送っていただけると励みになります!