笑っていようよ!
魔族二人に連れてこられたのは、森を抜けた先にある洞窟だった。
「アラクラトロ様、イキのいいシスターを持って参りました」
「孤児院に強力な結界を張っていた女ですので、エネルギーも豊富かと」
恐怖に一瞬立ち止まると、後ろの魔族がドスンと私の肩を小突いた。歩くよう促される。
奥に足を踏み入れるにつれ、邪悪な瘴気が鼻をつく。
巨大な蜘蛛と目が合い、背筋が震えた。
再び魔族に肩を押されて、震える足取りで巨大な蜘蛛の眼前に歩み寄る。
私の顔よりも大きい瞳に睨まれる。片目を失い、怪我をして傷ついているのがわかった。蜘蛛が吐く息は弱々しくか細い。かなら弱っていることが見てとれるけど、私では太刀打ちできないことには間違いないだろう。
「お前がシスターだと?」
「は、はい……そうです。私がシスターです」
蜘蛛の目がジロリと睨む。その目を見つめ返す。よりシスターらしく、より敬虔に。
あの子はグロッタにたどり着いただろうか。あの子がグロッタにたどり着き、ハンフリーさんに守られるまで──私はなんとか時間稼ぎをせねばならない。
くちびるを濡らして息を整える。アドリブで気をひく言葉を言おうとした瞬間、ヒュッと何かが風を切る音がした。
ついで、耳の奥で衝撃。側頭部になにかが叩きつけられ、私の身体は宙に浮いた。洞窟の壁に全身が叩きつけられる。
アラクラトロの足の先が私の頭を撫でたのだ、と気づくのに時間がかかる。
「くだらぬ……ただの小娘ではないか」
「そ、そんなはずは──」
「こんな小娘に騙されおって! 我が怪我を癒すどころか、腹の足しにもならぬわ!」
巨大蜘蛛──アラクラトロの恫喝が、いやに遠く聞こえる。耳鳴りが頭の中で激しく響いて、よく聞き取れない。
瓦礫の中から身を起こす。手足がきしんでうまく立ち上がれない。地面に真っ赤な血がぼたぼたと垂れている。
「忌々しい、やはり人間の手足が必要だ。ハンフリーならばすぐにイキのいい武闘家を献上してくれただろうに」
──ハンフリーさん?
その言葉だけ、妙にハッキリ聞こえた。
もげそうなほど痛む頭と首を動かして、アラクラトロを見やる。
アラクラトロ。人のエキスを吸う魔物。イキのいい武闘家。ハンフリーさんの名前。
頭の中ですべて符合する。
この巨大な蜘蛛の魔物が、ハンフリーさんが従い、武闘家を献上していた相手なのだ。孤児院のためにお金が必要で、武闘家として力を得るために、ハンフリーさんはこのようなおぞましい魔物の手下になったのだ。
ハンフリーさんは……どんな気持ちだったのだろう。わからない。
「なにをしている、貴様たち! さっさと他の人間を捕まえて来ぬか! ブギー様の仇を打ちたいのだろう!」
「──呆れた。ハンフリーさんが従ってたまものってどんなやつだろうと思ってたけど、こんなに情けないなんて。未だにハンフリーさんを部下だと思ってるなんて笑っちゃう」
「なんだと?」
「怪我して引っ込んで、自分じゃご飯も捕まえられない臆病ものじゃない!」
「この……!」
アラクラトロが大きく足を持ち上げた。
避けることなど叶わず、巨大な牙のような爪先に背中を抉られた。
肉がこそぎ落とされるような感触がし、背中から腰に熱さが走る。
目の前がチカチカする。悲鳴すらあげられない。吐き気がして手足の感覚がなくなる。
おかしなことに、洞窟の地面が柔らかいのだ。その柔らかさは羽毛のように私を包み、意識をブラックアウトさせていく。
「お前、ハンフリーの知り合いか? あやつは強さという欲にまみれた薄汚い男だ。かような男を慕うなど、貴様の方が呆れるわ」
──なんて言っていった?
手からスルスルとほどけていく思考の糸を、万力のような力で掴み上げる。どうにか一筋すくい取れたそれを引っ張って、私は全霊で地面から顔を引き剥がした。
「あんたなんかに、ハンフリーさんはもう屈しない。あんたよりハンフリーさんはずっと強い!!」
口が鉄の味がする。あばらでも折れているのか、喉の奥から熱いものがどんどん溢れてくる。
自分の血に溺れるようにして、水音と濁点まみれで放った叫びは、アラクラトロに届いたのだろうか。
アラクラトロは虫でも見るような目で私を見下ろした。
「もうしゃべるな、人間」
吐き捨てるような声音。アラクラトロの爪が、私にゆっくりと下りてくる。
そこで意識が途切れ、後には真っ暗な無だけが残った。
***
なんでこんなことになっちまったんだろう。
あぁ、くそ、外を出歩くなんて不用心がすぎる。でもそれも仕方ないのかもしれない。
相棒がブギーを倒してから、ヤツの配下は一目散に逃げ出した。このあたりの魔物も少なくなって平和になった。
いくら周辺に住む魔物が強くなったからと言って、油断してしまうのも無理はない。
ああ――しかし――でも――!
なんでよりによって、なんだ。なんでもよりにもよって、オレの弟が魔物にはちあわせるんだ。
嫌な予感がする。
地面を蹴って、が向かったという湖に辿り着いた。
周囲を見渡して異変を探る。オレは単なる闘士であって、旅人でもなければレンジャーじゃない。足跡のひとつでもたどれればいいんだが……。
そう思って周囲に目を凝らしていると、薬草が不自然に落ちていることに気づいた。
多分、がここで魔物に出会ったのだろう。
心臓がせわしなく動く。オレは歯ぎしりして呻いた。
「くそっ! どこにつれていかれたんだ、は……!!」
弟が喋れない状態だったので、なにが起きたのかはわからない。だが危機が迫っていることはたしかだ。
絶望的な気分で薬草の枝を掴み上げる。その時、道に点々と薬草が落ちていることに気づいた。落ちた薬草が風にさらわれて移動したわけでもない。
ぐしゃりと人為的に握りしめられ、丸められた薬草が数メートルおきに落ちている。
だ。
魔物に連れていかれるとき、機転を利かせたのだ。まるで童話のように。
オレは導かれるように薬草をたどっていく。森へと入ると薬草はなくなるが、ここまでくればオレにだって探索が出来る。
魔物の足跡と人間の足跡を探せばいい。ところどころ折れた木の枝が、オレに道を指し示してくれる。
森を抜ければ、洞窟が見えた。
あそこか!
待ってろよ、。オレが絶対助けてやるからな。
オレは装備したクローを握り直し、意を決して洞窟のなかへと入っていた。
奥に入っていくと、むせかえるような血の匂いが鼻をついた。後頭部に危険信号が発せられる。
の血じゃないよな。大丈夫だよな。急き立てられるように洞窟の奥へ奥へと入り込む。
そして――。
「おお、ハンフリーか。まさかお前のほうから出向いてくれるとはな」
よく聞いた声だった。
耳の奥になじむ低い音。
かつてオレが膝をつき、頭をたれたその魔物の名前を、忘れるわけがない。
アラクラトロはが倒したハズだ。それがなぜ、こんなところに。
異常事態に、オレは身構えることすらできなかった。
「シュルルル……魔王ウルノーガ様の影響で復活したのだ。しかし不完全で、勇者との戦いの傷も癒えてはおらぬがな」
そんな説明はどうでもよかった。アラクラトロなんてどうでもいい。
足元を注視するオレに、アラクラトロが足の一つを持ち上げた。ぬちゃりと赤いものが足の先から地面に垂れて、血だまりを作った。
「ああ、これか。最後までお前の名を呼んでいたが……愚かな女だ」
血だまりのなかにいるのが誰なのか、判断がつかない。でも血のしみ込んだ衣服には見覚えがある。の服だ。
「さあ、ハンフリー。もう一度お前に役目を与えてやる。我が復活すれば、強者のエキスを再び――」
この期に及んで、ヤツはなにを言っているのだろう。
こんなヤツにオレは膝をついて、頭を垂れ、強者のエキスをありがたがって受け取っていたのか。
地鳴りみたいな声がうるさい、と思った瞬間、オレの身体が勝手に動いていた。
地面を蹴って、アラクラトロの顔面を爪で殴り抜ける。
あれほど強いと感じ、平伏していた存在は、まるで紙みたいに引き裂かれた。
「ハンフリー! なぜだ……勇者によって改心したか! 忌々しい!」
毒の爪を避けて、蜘蛛糸をかいくぐって距離を詰める。
殴る度体液がほとばしって、オレの身体を濡らした。
オレはなにをやっているんだろう。なにをしていたんだろう。
――孤児院のためだった。孤児院を守るためならなにをしたっていいって思った。
だから魔物の甘言にのり、手先になった。孤児院のために。孤児院に住む子供たちのために。
それが――それなのに――。
オレのその弱さが、を傷つけた。傷つけて、痛めつけて、殺させたのか。
叫びも涙も出なくて、オレはただアラクラトロを殴り続けた。
***
その日、勇者一行はグロッタの町を訪れた。
空飛ぶクジラ、ケトスにのって勇者の剣を鍛刀する道すがら。カジノや友人の同行が気になり、孤児院の門をたたいた。
「こんにちはー」
が教会兼孤児院の門をあける。すると、通常なら気づいた子供たちがわっと駆け寄ってくるところなのだが――様子がおかしい。
教会の祭壇の前で、ベロリンマンやガレムソンをはじめとする闘士が話し込んでいる。
「なにかあったのかしら?」
「取り込み中のようですね。勇者様、どうなされますか?」
シルビアが首をかしげ、セーニャがをうかがう。
取り込み中ならば声をかけることははばかられるが、彼らの表情には切羽詰まったものを感じる。
は恐る恐る彼らに近づいていった。
「だめだ、湖のほうに行ってみたけど、魔物の足取りはつかめなかったよ。このままではもう日が落ちる……早くハンフリーと合流して女の子を助けないとまずいぞ」
「ハンフリーの野郎、オレたちに黙っていきやがって、言ってくれればいいのによ!」
「ベロンベロン……! 日が落ちたら捜索は絶望的ベロン……!」
「おい、ガキもなんか言えよ! お前しか嬢ちゃんがどこいったか見てないんだろ!?」
「あのう、どうかしたんですか」
不穏な会話を続ける彼らに話しかけると、闘士たちの顔がぱっと輝いた。
は武闘会の最後のチャンピオンだ。おかげでグロッタの町で一目置かれている。
「チャンピオン! 聞いてくれ、ハンフリーの女友達が魔物にさらわれたらしいんだよ」
「ハンフリーのやつ、一人で追いかけて行ったらしくて。加勢しにいきたいんですが、目撃者の子供はさっきからだんまりで……」
「魔物に呪われたらしいんだ」
「呪い? もしかしてさえずりの蜜の残りが使えるかもしれませんわ」
話を聞いていたセーニャが、の横から顔を出した。
荷物の中からロウがさえずりの蜜を取り出した。量は少ないが、なにがしか効果はあるかもしれない。
子供は怪訝な顔で蜜を受け取る。ぺろりと舐めて、咳き込んでしまう。
「――げほっ、がほっ。あ、こ、声が出る……!!」
子供が泣きそうな顔で喉を押さえた。
ひとしきり喜んだあと、はっとしてを見上げる。
「お兄ちゃん、お願い、ハンフリーにいちゃんとお姉ちゃんを助けて!!」
「やはり、何かがあったようじゃな。ようし、案内するんじゃ!」
「まものが、洞窟にいるって言ってた! だいたいの場所ならわかると思う!」
少年が頷いて、孤児院を飛び出した。たちもそれに続く。
***
それからのことは、よく覚えていない。アラクラトロを殴り続けるオレを誰かが止める。ハッと我に返ると、オレを止めたのはだった。
魔王を倒すために旅をしていると言っていたが、たまたまグロッタに立ち寄ったのだろうか。そういうことに気を取られる余裕すらない。
にの仲間──セーニャと、孤児院の恩人ロウが駆け寄る。
洞窟の入り口でマルティナの「見ちゃだめよ!」という制止が聞こえた。道案内をさせたのだろうオレの弟の目をふさいで、なかば肉塊と化しているを隠している。
「瀕死じゃが息はしとるな、しかし……いかん、これは相当強力な毒に侵されておる……セーニャ!」
「はい、ロウ様!」
二人が神への祈りを捧げ始める。両手のひらが淡く優しい光を放ち、の身体を包む。
オレは力が抜けて、地面に膝をついた。オレは何もできない。
「心配しないで、ロウとセーニャが助けてくれるから」
がオレの肩を優しく叩く。
あの時、地下洞窟でオレを優しく許してくれた時と同じ目を、オレに向ける。そんな目を剥けられる資格は、オレにはないのに。
「違う。違うんだ……全部オレのせいなんだ。オレの…………」
オレは首を振って、の手をはねのけた。腕を持ち上げることすらおっくうで、まるで撫で付けるように力ない。
はなにも言わず、ただオレの隣に佇んでいた。静かに祈りの言葉を唱えて、ベホイムでオレの怪我を癒した。抵抗する気力もなく、オレはされるがままだった。
ロウとセーニャがの怪我を癒してから、を抱えて孤児院へと帰り着いた。
を抱えるオレに、子供が駆け寄ってくる。
「ハンフリーにいちゃん、大丈夫だった!?」
「ハンフリーにいちゃんなら大丈夫だって信じてた!」
「おねえちゃんは!?」
オレの無事を素直に喜ぶ眼差しに耐えきれない。思わず顔をそらすと、後ろにいたが慌てて手を出した。
「ハンフリーは疲れてるから、いったん休ませてあげて。さんも寝かしてあげなきゃね」
「あっ、そっか……ごめんなさいハンフリーにいちゃん」
「いや、いいんだ……」
いつもの笑みを形作れない。ぎこちなく目を細めるオレに、なにも知らない子供たちは笑いかけてくれる。
ふいにズボンを引っ張られた。と共に薬草を取りに行った弟が、すがるようにオレを見上げている。
「お姉ちゃん、大丈夫だよね……?」
ああ、当然だろ、もちろんだ、と声を掛けるべきだ。安心させてやらなきゃいけないとわかっている。
どういう経緯でがさらわれたにせよ、居合わせたこの子は責任を感じているだろうから。
──だが、オレは。
どのツラ下げてこの子の頭を撫でてやればいい。が大怪我をしたのはオレの責任だからお前は気にするなと、そう言えというのか。
「……きっと大丈夫だよ。を連れてきてくれて、ありがとな」
言葉がなにも思いつかず、オレは一番無難な言葉でごまかした。隣をすり抜け、自室にを横たえさせる。
「ハンフリーよ、気を強く持て。その娘もじきに目覚めるじゃろう……傷跡は残るじゃろうが、怪我も毒もワシらが完璧に治したはずじゃ」
「そうですわ、ハンフリーさん。その方が起きた時のために、笑顔でいませんと」
の仲間たちが心配して声をかけてくれるが、その声に、笑顔で対応できない。
「あぁ、そうだな……。一度ならず二度までも助けてもらっちまって……。なんの礼も出来ないけど、せめて泊まっていってくれよ。ベッドの空きならあるからさ」
オレが言うと、は少し眉をしかめた。
「あまり無理しないで、ハンフリー。あなたのせいじゃないよ」
「いいや、オレのせいだ。オレがアラクラトロに初めて会った時、きちんと拒んで、ヤツを倒していればこんなことにはならなかった。に会わせる顔がない…………」
「ハンフリーちゃん……」
オレに手を差し出そうとし、シルビアが慌てて引っ込める。
なにも言えないのだろう。当たり前だ、事実なのだから。慰めてもらう必要もなければ、その意味もない。
「──お主の気持ちはわかる。じゃが、まずはその娘が目覚めてからじゃろう」
「……あぁ、そうだな。子供たちにこんな顔見せられないもんな。はは……」
「あまり無理しないでね、ハンフリー」
がもう一度言った。その言葉に応じることができず、オレは聞こえなかったふりをする。
オレの布団の上でが眠っている。四肢を投げ出して、溶けそうなほど力なく。
すぐに目覚める、とロウのじいさんは言ったが、3日経ってもは目覚めなかった。
怪我は治した。おびただしくいびつな傷跡が残ったにせよ、は心臓を動かして息をしている。しかし目覚めない。身体の異常はないのに、起き上がらない。
「おそらく、攻撃を受けたときに頭にダメージが入ったのかもしれんな。脳震盪の影響は回復呪文では治せんからのう……。明日か、明後日か。はたまた一年後か……起き上がるのは本人の気力次第じゃ」
「そんな………!」
「――あるいは命の大樹が燃え尽きた影響かもしれぬ。命の大樹がなくなってから、世界各地で病死が相次いでおるとも言うし……このまま衰弱死する可能性もありうる」
重苦しい声でロウのじいさんが言う。ロウのじいさんだって本当はこんなこと言いたくはないのだ。
命の大樹が燃え尽きた影響。それはオレも知っている。孤児院でも急に具合が悪くなって、ベッドから起き上がれなくなって衰弱した子がいるからだ。
あの時を思い出したのか、一番年長の妹が息を呑んで泣き崩れる。
オレはなにも言えなかった。
子供たちはベロリンマンが世話してくれているから、病室と化した俺の部屋にいるのはたちと年長組の俺と足を悪くした弟だけだ。
「そんなのってないですよ、だってやっとが帰ってきて、ぼくたちと暮らして、ハンフリーさんと……また……仲良くやるってところだったんですよ。それなのに、こんなのってあんまりです!」
「子供たちになんて説明すればいいのよ」
その嘆きが胸に痛い。オレは俯いたままなにも言えなかった。ベットの上では寝ている。すやすやと、胸を上下に動かして。それなのに起き上がらないと言う。
オレはどうすれば、に報いれるだろう。
***
その日から、の介護がオレの仕事になった。
の身体を抱き上げ、椅子に置いてベッドのシーツを取り替える。また横たえさせたあと、床ずれ予防のために身体をほぐしてマッサージする。
寝ているとはいえ身体は代謝しているから、ご飯だって必要だ。でもの身体はなかなか流動食を嚥下してくれなくて苦労する。スプーンで口の中に入れて、指で喉を刺激すれば、どうにか身体が反射で動いてゆっくり物を飲み込んでくれる。
は時折瞬きをしたり指先を動かしたりしたけれど、それは単なる肉体の反射でしかない。
わかっているのにオレたちは一喜一憂しては落ち込んで、また疲弊した。
今のは服を着替えたり外に出歩くこともできない。他者が介助しなければベッドに横たわり続け、床ずれができてそこから壊死していくだけの存在だ。
オレは毎日の包帯を取り替えた。回復呪文が追いつかないほどのダメージと強力な毒を負っていたから、回復呪文で癒えたとはいえ完治には時間がかかる。
床ずれ予防のために全身に軟膏を塗る。たまには庭に連れ出して、外の景色を見せてやりもした。
たちは一週間は孤児院に滞在したが、魔王のことは捨て置けない。大事な時に協力できなくてごめんと言って、旅立っていった。
「ハンフリーさん、あまり無理をしないで。このままじゃハンフリーさんが潰れちゃうよ」
「なに言ってんだ、昔父さんが病気で倒れたとき、看病や介護をしてたのはオレなんだ。だからこういうのは慣れてるよ。力仕事だしオレがやるべきだ」
「そんなこと言わないでよハンフリーさん……」
「お前はみんなのためにご飯作ってやってくれよ」
妹は泣きそうな目をして顔を歪めた。首を振って、オレの腕に抱き付いてすがりつく。
「そんな顔しないで、ハンフリーさん。私、私……」
オレがどんな顔をしていると言うのだろう。にっこりいつもの笑顔なはずだ。
笑顔は悲しみを癒す一番のクスリなんだから。オレはいつも笑ってないとだめなんだ。が眠り続けて、事情を知ってる年長の子たちは気が参っちまってる。どんよりした空気は下の子たちにも伝わって、孤児院全体に活気がない。
だからオレは、オレだけは笑ってないとだめなんだ。
たとえオレに、笑う資格がないとしても。
「もいつか起きるさ。いつも寝坊助なんだもんな。参るよな。でも大丈夫だよ」
「ハンフリーさん、お願いだから自分の心配してよ。このままだとハンフリーさんがつぶれちゃう……私もお姉さんのお世話手伝うから、だから休んでよ」
「オレがやらなきゃいけないんだよ。オレのせいなんだから……」
妹が大粒の涙をこぼす。ベッドにすがりついて嗚咽する。
ああ、オレのせいだ。孤児院は笑顔であふれていてほしいのに。オレがを人形みたいにさせて、この子を泣かせて、孤児院に暗雲を呼び寄せた。
泣きじゃくる妹の肩を撫でられない。撫でる資格がない。
***
は今日も眠っている。もうみんな、が起き上がるとは思っていない。誰も話題に出さず、見ないようにし、ただただ礼拝堂で祈りを捧げるだけだ。
の頬に手を添えて、くちびるにキスをした。の吐息は常に一定で、ピクリとも動かない。柔らかい肌に熱がこもることもない。眉を下げてはにかんで、ハンフリーさん、と呼ぶこともない。
童話の中の物語のようにはいかない。
当たり前だ。オレは王子様ではなく、魔女ですらない。魔女の手先にしかなれない脇役なのだから。
――オレは。オレは……。
今すぐ死にたい、と思った。
2017/10/21:久遠晶
次回最終話です。最後までお付き合い頂ければ幸いです。よろしくお願いします。