恋になり損ねた夢
グロッタの女が、ゆきずりの闘士と関係を持つことは珍しくない。仮面武闘会による観光収入が町の財源を占めるこの町において、強さとは何物にも変えがたいステータスだ。
強い者はそれだけで慕われる。性格も良ければさらに良し。つまるところハンフリーが町の女に嫌われる理由などないことになる。
だから、ハンフリーがわざわざお金を支払って私を指名した時も、いやだとは思わなかった。
同じ孤児院で育った弟。気恥ずかしさはあるけれど、指名された以上職業人としてできるかぎり応えるべきだ。
しかし当のハンフリーは、困ったように眉を下げて組んだ指先をすりあわせている。
「別に、そういうことをする気はなくて……」
ベッドの上に正座して、大きな体をちいさくしてまごついている。あたふたと言い訳するハンフリーに、私はため息をついた。営業スマイルを浮かべる気にもならなくて、ベッドの柵に寄りかかって肘をついた。
「指名して呼び出したくせに、そういうことする気はないなんてよく言うわね」
「ごめんって。仕事の邪魔して悪いと思ってるさ」
「今のあんたなら、こんなしみったれた店じゃなくて、上層のいいお店に行けるでしょ。チャンピオンになったんだし、奮発しても誰も文句は言わないわよ」
「だから、そういうことする気はないんだって」
頬を染めたハンフリーが、語気をすこしだけ荒げた、
チャンピオンになっても、女遊びをする気も春を買う気はないらしい。
とても真面目な男だ。年齢を思えば、すこしぐらい羽目を外したっていいはずなのに。先代神父の教えを素直に受けて育った、自慢の弟ではあるけれど。
「オレだって全然……顔出す気はなくってさ。間違えて店入ったら、人を指名しないと出られないって言われて」
「あ~……」
従業員の私が言うのもなんだけど、ぼったくりだ。うっかり下層に迷い込んだ旅行者を標的にする、お世辞にも上品とは言えない店だ。顔は知れているのだから、毅然として断れば店の者も強要はしなかっただろうに。
「それで、顔見知りの私を選んだわけね」
「ごめんな。ちゃんとお金は払ったから、そこは」
「そこはわかってるけどさ」
まったく。生まれたときからグロッタの下層に住んでるくせに、どうして間違えて店に入るかな。
ハンフリーの赤らんだ頬を見れば、経緯は簡単に想像できた。
大方、優勝を祝う席で友人の闘士たちに無理やり飲まされたのだろう。
主役はお前だ、飲めや歌えやと騒ぎ立てる闘士たちに付き合わされ、二次会から逃げるようにこんな場末の店にやってきたのだ。
「最近会ってなかったしさ……朝まで語り明かそうぜ。楽な仕事だろ?」
「簡単に言ってくれるわね。酔った闘士の自慢話に付き合うのって、結構疲れるのよ?」
「そう怒るなよ、姉さん」
頼み込むような口調になるハンフリーに、思わず口角が持ち上がる。
孤児院で子供たちの世話をしているときは兄貴然としているけれど、こういうところは子供のときと変わらない。
私にとって、ハンフリーは昔からずっと弟だ。
孤児院をひとりで背負う、よくできた闘士でも、教会の神父でもない。
十二歳のときにできた年の近い弟。
物心ついてから両親が死に、孤児院に引き取られたせいで子供たちとなじめなくて、私もなじむ気がなく、他人を遠ざけてばかりだった。そんな私に、ハンフリーが辛抱強く話しかけてくれたっけ。どんなにつっけんどんな態度をとってもニコニコ笑っているハンフリーに苛立っていたのに、気がつけば一緒になって笑ってしまっていた。
ハンフリーは昔から、そういう……自然と人の心に入り込んで、笑顔にさせる不思議な少年だった。
久々の会話は、とても盛り上がった。正座だったハンフリーはいつしか姿勢を崩し、あぐらをかいて座っている。
「それにしても、こういう仕事って大変そうだよなあ」
「サービス業だからね。マッサージ屋と一緒よ。看板偽ってるタイプのぱふぱふ屋と違って、うちはオープンだから良心の呵責がなくていいかな」
「間違えて入ると指名するまで帰してくれないけどな」
「あっはっは。まあ、優良店とは言いがたいわね」
「でも、うまくやってるなら安心したよ。結構身体に負担かかりそうだし……」
ハンフリーは不意に目を細め、膝に置いた枕をぽんぽんと撫でる。子供に膝枕をしてやるときのように。
「まあ、もし子供出来たら孤児院に出戻りするかもしんないから、そうなったらよろしくねー」
「それは歓迎するけど、喜んでいいのかわかんないなー」
「喜んでよ。グロッタに子供が増えるんだからさっ」
シングルマザーなんて、大して珍しいものでもない。
行きずりの闘士と恋に落ちて、子供を産む女はグロッタではありふれている。こういう仕事をしているならなおさらだ。
「……まあ、出来れば恋人も合わせて紹介してくれよな」
困ったような苦笑。
ハンフリーは生まれたときから孤児院にいたらしい。教会で出産され、そのとき母が死んだ。父がいなかったから、そのまま引き取られた――それしか知らない。ハンフリーの母が私と同じ職業だったのか、あるいは他国の闘士と一夜の恋に落ちたのか、経緯は知らないし、ハンフリー自身も聞かされていないだろう。
ハンフリーの中には『自分を産んだ時に母が死んだ』という事実だけがあり、だから、私みたいな職業の女は心配になるんだろう。
昔から、誰よりも優しい男だ。
孤児院を卒業出来る年齢になったのに、孤児院を出なかった。孤児院を維持するため、子供たちの居場所を守るために戦う人だ。
「……チャンピオンになったんだよね、そういえば」
「え? あぁ……まあな」
「私は仕事で観戦してないけど、すごかったらしいじゃない。いままで伸び悩んでたのが嘘みたいな快進撃だったって」
「ははは、そんなんじゃないよ」
誇っていいことなのに、ハンフリーは決して誇らない。それが謙虚さから来るものなのか、奥底の自信のなさの現れなのか、どうだろう。
「これからはばんばん戦って、賞金を稼ぐさ。やっと……孤児院を守れるんだ。赤字も補填出来そうで」
「あまり無理しないでね」
「無理はしてないさ。孤児院を守れるのはオレだけだし――」
ハンフリーは決して私を頼らない。私だけではなく、ほかの孤児院出身の兄姉にも。
だから、想像しているより孤児院の経営が困窮しているわけではないのだろう。
実際問題、金を貸してくれと言われて、大金をぽんと差し出せるほど稼ぎがあるわけでもないから、助けを求めないでくれることはありがたくもあった。
なにも出来ないふがいない姉だ。自分が生きるのに精一杯で、他人に構っていられない。孤児院と心中することも、支えるために身を粉にする道も選べない。
ハンフリーがチャンピオンになれて、本当によかった。もう、私があれこれ心配する必要もないだろう。
「その節はありがとうな。その――金、を」
「いいのよ。どうせ使う当てもないしね。有効活用してくれたならなにより」
以前無理矢理渡した、雀の涙の資金。そのことを未だにハンフリーは申し訳なく思っているらしい。責任感の強い男なのだ。
私はため息をついて、ハンフリーに手を伸ばした。頭を撫でて、肩を引き寄せる。
「お、おい!? こういうことは……」
「ちーがーう、これは姉弟のスキンシップ。ほら、試合で疲れたでしょう? お姉さんが添い寝してあげるから、今日は寝なさい」
「おいおい、子供扱いするなよな」
慌てるハンフリーに体重をかけてのしかかると、彼はいともたやすく押し倒された。へたに抵抗すると、うっかり傷つけかねないと思ったのかも知れない。子供の世話は手慣れているのに、女相手となるとおっかなびっくりになる――そんな不器用でうぶなところが、嫌いじゃない。
隣に寝っ転がって、ふふっと笑う。狭くないベッドのはずなのに、ハンフリーの身体が大きいから、いつもより狭い。
「昔みたいに腕枕してあげようか」
「だから、子供扱いするなって」
苦笑しながら、ハンフリーがもぞもぞと動く。寝ころびやすい姿勢を探した後、上体を起こして私の首の下に手を入れた。
「子供たちと昼寝するときは、いつもこの姿勢だから
言い訳しながら、枕にした腕で私の頭を抱きしめる。もう片方の手は私の肩をぽんぽんと撫でる。毛布があれば、きっと肩にかけてくれていたことだろう。
子供扱いしているようであり、恋人扱いのようでもあり。
少しのいたたまれなさと、少しのどぎまぎ。気恥ずかしくて肩をすくめた。
「これじゃどっちが子供扱いしてんだかわかんないわね」
「そういうなよ。いつも仕事で苦労してるだろ? たまには姉さんにも癒やしが必要だろー」
私は、ハンフリーこそを癒やしたかったんだけど。
こうして男に包まれるのは嫌いじゃないけど、一応業務時間であるので、私が労られるのは据わりが悪い。
ハンフリーの腕枕から逃げて、逆に腕枕をしてもよかったけど。
私を抱きしめるハンフリーが間近にある。その顔を見ると、わざわざお姉さんぶる必要はないかな、という気になってきた。
細い釣り目を弓のようにしならせて、ハンフリーが笑っている。距離が近いから、普段はまつげで見えない瞳が、よく見える。
「さすがにこうしてるとちょっと恥ずかしいな……」
太い眉を下げてはにかむ表情が、なんだか愛らしい。
ああ、だめだ。どきどきしてしまう。昔から屈強な闘士に憧れたし、屈強な闘士の弱々しいところにきゅんとしてしまうタイプだった。
甘えたくなるし、甘えさせたくなってしまう。
「……ほんとなら別料金なんだからねー」
「ええー。じゃああとで追加でお金払わないとな」
まけてあげる、という意味で言ったのに、お金を出したがる律儀な男。たまらないなあ、もう。さぞもてるだろうに、恋愛なんかせずに子供たちのために日々を費やしている。
「いいのよ。初回無料キャンペーン中だから」
別料金というのも、初回無料というのも口からでまかせで、単なる照れ隠しだ。
ハンフリーのことは好きだ。一緒にいればすぐ好きになるだろう。人好きのする、人を引きつける好青年なのだから、私がハンフリーを好きになっても不思議じゃない。
でもどうしても、私はハンフリーの背負う孤児院を一緒になっては背負えないし、ハンフリーも私のことまで背負ってられないだろう。
「ハンフリーのお姉ちゃんでよかったなー、私」
「いきなりどうしたんだよ、むずがゆいぜ」
「だって、チャンピオンの弟だもの。誇らしいわ」
「うん――」
ハンフリーだって、もっと誇っていいし喜んでいいのに。ハンフリーにとっては仮面武闘会での優勝も、孤児院を維持するための第一歩でしかないのかな。
人がよすぎて、優しすぎて、私にはハンフリーの考えてるところはすこしわからない。
はあ、やっぱり釣り合わない。姉と弟の関係でよかった。家族としては最良の青年だと思うけれど、恋人としても優良だと思うけれど、結婚相手としては不適だ。孤児院付きの男なんて。
自分だって孤児院出身のくせにと我ながら思うけれど、生活のことを考えれば、ハンフリーと恋をするのは難しい。
でも闘士なんてそんなものだ。
だからグロッタの女は、闘士と一夜限りの夢を見る。
「あー、眠くなってきた。このまま寝ていいかな」
「ゆっくり寝なよ。私も寝るから」
「うん、ありがとな」
ハンフリーは何の夢を見るだろう。子供たちと何不自由なく暮らす夢だろうか。
なんにせよ、私の見る夢とは違うものであることには変わりない。
いつか誰か、ハンフリーと一緒に孤児院を支えてくれる誰かが、彼に現れますように。
ハンフリーに釣り合う優しくて素敵な人が、ハンフリーと子供たちを愛してくれますように。
そんな風に考えて、気がつけば私も眠りに落ちていた。
2017/12/31:久遠晶
2017年最後の更新にすべりこみセーフ!
ドラクエに娼婦は当然ながら出てきませんが、現実的なリアリティラインで考えると存在はしてるはずですよね。グロッタは娯楽の町であるらしいので、あっておかしいことはないでしょう。
でもやっぱり娼婦という単語をドラクエの世界観で使うことにすこし抵抗がありつつ、うなりながら書いてました。あの世界は職業に貴賎なしということで、変な職業差別はきっとないだろうな、でもハンフリーさんは単純に身体の負担が心配になっちゃうんだ。
もしいいね!と思っていただけましたら送っていただけると励みになります!