果ての世界でタランテラを


 デルカダールは今日も平和だ。
 馬の世話をしながら、空の青さに目を細める。

 遠くの稽古場で、兵士たちの気合いの声が聞こえてくる。
 剣戟の音が耳に心地いい。

「今日も平和だな~」

 藁人形を相手に突撃の練習をしていた兵士のひとりが、のんびりとした声を出す。隣の兵士がそれに応えた。

「こんな日は眠くなるよなぁ……グレイグ様の部隊に戻りたいよ~」
「ああ、お前、元はグレイグ様の部隊だったんだっけ。グレイグ様の部隊は優しそうでいいよなぁ」
「天と地だよ天と地。ホメロス様の部隊に異動ってきいたとき、泣きたくなったもん」

 あまりにぶしつけな言葉だ。
 無駄話をする兵士に上官が気づく。関係ないのに私まで緊張してしまう。

「稽古中に無駄話とは、ずいぶん体力が有り余っていると見える」
「ほ、ホメロス様!!」

 怒気を孕んだ低い声に兵士たちがすくみ上がった。私は馬のブラッシングをしながら、耳だけはそのやりとりに集中する。
 ひひーん、と何も知らない馬が気持ちよさそうに鳴いた。

「ソルティコに行きたいとはいい心がけだ。この私が直々に稽古をつけてやる……構えろ」
「え、いや、ホメロス様、」
「構えろと言っている」

 ダメだ、気になってしまう。
 兵士は言われた通り、おずおずと槍を持ち上げる。槍が構えられた瞬間、ホメロス様が地面を蹴った。
 通常、槍は剣よりも強い、と言われる。槍は剣の間合いに入らず相手を攻撃できるからだ。剣が槍の懐に飛び込もうとすればたちまち肉弾戦の餌食になり、また間合いを取られて外から攻撃されてしまう。
 しかし、重たい石剣を片手で操るホメロス様はどうだろう。必死に間合いを取ろうとする兵士に追随し、石剣の切っ先を向ける。
 わざと間合いを取らせてやったかと思えば、槍の穂先に剣をぶち当てて構えを崩し、また懐に入り込む。

「ほらほら、しっかり構えろ。目で見えていても対応できなければ意味がないぞ!」
「はっ、はいぃ!」

 兵士の情けない半泣きの返事。
 雑にくくった金髪がひらめき、石剣の切っ先が躍る。
 今日も今日とてホメロス様はお美しい。

「ホメロス様……さすがです。まるで舞を踊っているかのよう……」
「片手剣の扱いならアイツの右に出るものはいませんからな」
「ひゃあっ!?」

 後ろから声を掛けられ、背筋が伸びる。その拍子に足が揺れ、素っ転んでしまう。

「あいたたた」
「も、申し訳ない。驚かせるつもりはなかったのですが」

 グレイグ様が膝を曲げ、私に手を差し出してきた。素っ転んでしまうほど驚くとは、自分でも思わなかった。
 差し出された手が恥ずかしく、一度は断った。しかしなおもグレイグ様が手を差し出し続けるので、これ以上はかえって失礼かと思い直す。
 グレイグ様の大きな手のひらに手を重ね、すっと立ち上がった。

「お恥ずかしいところをお見せしてしまい……」
「こちらこそ驚かせてすみません。馬の様子はどうですか」
「はい。いつもと変わりなく、お元気ですよ。元気過ぎて困ってしまうほどですわ」

 ブラッシングの手が止まったからか、馬が催促するように私の肩に軽く頭突きしてきた。軽くと言っても馬にとっての軽くなので、私にとってはそこそこ痛い。
 はいはい、と馬の頭を撫でてなだめる私に、グレイグ様が笑った。

「精が出ますな。大変でしょう」
「そんなこと。騎士の妻として当然の――」


 背後から声を掛けられた。思わず背筋が伸びる。ホメロス様の声が、先ほどの兵士への声よりも低かったからだ。
 ぎこちなく振り返ると、ホメロス様は明らかに眉間にしわを寄せていた。太陽が背負って顔が影になっているから、なおさら怖い。

「はい。ホメロス様、なんのご用でしょうか」
「なんのご用でしょうか、じゃない。グレイグを呼び止めてなにをしている」
「オレから話しかけたのだ、ホメロス。オレが邪魔をしてしまったんだ」
「どうだか。さっき無様に素っ転んでいたようだが……」

 見られていたらしい。恥ずかしくなってうつむいた。
 いよいよ不機嫌になるホメロス様に、グレイグ様が慌ててフォローに入ってくれる。

「彼女の働きぶりはお前も知っているところだろう? サボっていたわけでは……」
「それは知っているが。――、お前がへまをすると、この私の評価に直結するのだ。ゆめゆめ承知しておけ」
「そんな言い方はないだろう、ホメロス。いくらお前でも」

 グレイグ様がムッとするのがわかった。
 ああ、仲のよいお二人を喧嘩させている。それはわかったものの、素っ転んでいたのも、ブラッシングをサボってホメロス様に見とれていたのも確かなので言い逃れ出来ない。

「夫人は――お前の妻としてよく働いているさ。誇りに思うべきだ。お前はいい女性を娶った」
「グレイグ様……」

 そんなふうに私を見ていてくださったなんて。
 思いがけない評価に、私は顔を上げた。自然と口角が上がってしまう。
 半面、ホメロス様は面白くないらしい。ため息をつき、グレイグ様の胸元に指を突きつける。

「まあ、のことはどうでもいいんだ。お前を呼ぼうとしてたんだ私は」
「オレを?」
「そうだ。あの軟弱なお前の部下のことだ。まったく使い物にならん。部下を甘やかすのも結構だが、締めるべきところはきちんと締めろ!」

 稽古場でへろへろになっている兵士を指差してホメロス様が言う。

「この分ではお前に預けた私の部下もどうなっているか。腑抜けた状態で帰ってきたら怒るぞ、グレイグ」
「それはすまなかったな。だがお前の求めるラインが――」
「いや、当然のことだろう――」
「だがしかし――」

 私の話題はすぐに流れ、兵士の役割や戦術についての話題にとって変わる。
 デルカダールを担う二人の将軍としての討論を交わしながら、お二人は共に稽古場に戻っていく。
 どうやら、私は解放されたのだろうか。
 人前でホメロス様と話すとき、どうにも周囲の目を気にして緊張してしまう。
 グレイグ様の言うように、私はホメロス様の妻だ。将軍の妻であるならば、いかなる時もしゃんとして動じず、その役割を全うせねばならないと言うのに。
 まだまだ修行が足りない、と言う事だろうか。自分の至らなさが恥ずかしい。
 落ち込んでいると、後ろからまた馬に頭突きされた。

「ごめんごめん、ブラッシングの途中だったね」

 しっぽを振って抗議する馬に舐められながら、私は自分の仕事へと戻った。


   ***


 デルカダールの将軍ホメロスとグレイグが、一人の女性を挟んでなにやら話しこんでいる。人差し指を突きつけ女性に怒った様子のホメロスと、それをなだめるグレイグは、もはや城内の風物詩のようなものだった。
 稽古場からそれを眺める兵士たちが、呆れたように笑った。

「またやってるよ、ホメロス様とグレイグ様」
「ホメロス様は人使い荒いし、若奥様も大変そうですよね」
「いや、アレは嫉妬だろう嫉妬……」

 微笑ましいやり取りに、兵士の間でくすくす笑いが漏れる。先ほどたるんでいると叱責されたばかりなので、稽古の手は緩めない。

「よく結婚する気になりましたよね、若奥様も……でも案外性格の相性はいいのかな」
「あれ? お前、知らないのか。そうかそうか、お前は最近城に来たんだもんな」

 上官の意味深な言葉に、兵士が首を傾げた。
 これはあくまでうわさだが、と上官が前置きし、言う。

「ホメロス様の若奥様。元はユグノアの属国の、ほら……悪魔の子をかばったにだまされた国の」
「あぁ……聞き及んだことがあります。悪魔の子をかばいデルカダールを攻撃したから、仕方なく反撃したと……」
「そう、それ。かの国のお姫様生き残りって噂だぜ」

 真偽のほどは知らないし、単なるうわさだが。と上官はもう一度くぎを刺した。


   ***


 かの国に、もはや名前はない。ユグノア城が落ちた次の日に、悪魔の子をかばってデルカダールを攻撃した愚かなユグノアの付庸国。
 滅んだ今となっては、わざわざユグノア国と呼び分ける必要がない。
 だからもう、みな名前を忘れている。
 ユグノア城で実際にモンスターに襲われ、これを打倒し何とか九死に一生を得たデルカダール王は、悪魔の子をかばったかの国に激怒した。
 悪魔の子は魔物を呼ぶ。ユグノアがモンスターに襲われ滅んだのがその証左である。魔物は人に化ける。子供一人とて逃がしてはならない。
 そうして、属国と呼ぶにもはばかられる小さな領地を進軍し、焼き、滅ぼした。
 過激な対応では断じてない。悪魔の子を討つことは、知己たるユグノア王の敵を討つことに他ならないのだから。

「ホメロス様の奥方様が亡国の姫君であると? それはあまりにも……もし本当であれば、デルカダール王が黙ってないですよね」
「だから、うわさだよ。うわさ。ただホメロス様がどこからか奥方を連れてきたのもその時期だって話だ。身よりもなくてどういう素性かもしれない女にっていう周囲の反対も押し切って、情熱的だったらしいぜ」
「想像がつかないですね」

 ちらりと兵士は馬小屋のほうを盗み見た。
 なにやら話し込んでいる将軍二人と、ホメロスの奥方。奥方はずっとホメロスの様子を気にして、ずっと注視している。頬を染めた、恋する乙女の表情で。

「……もし本当であれば、あれだけホメロス様にぞっこんなのも頷けますね」
「だろう? だから信ぴょう性があるんだよなあ~」

 茶化して笑った。
 やがてホメロスとグレイグが稽古場のほうまでやってきたので、慌てて口を閉じて真面目さを装う。
 うわさが真実であれば、将軍ホメロスはなんと慈悲深い方なのだろうか。
 かの国からデルカダールを攻めてきたとはいえ、当時幼かった姫君に罪はない。すべてを失った姫君を憐れみ、救いの手を差し伸べた将軍。
 単なるうわさだったにせよ、身寄りのない少女を嫁として引き取ったことは事実だ。
 そう考えると、普段部下への当たりが強く厳しいホメロスの、違う一面が浮かんでくる。
 部下に寛大なグレイグと比べて冷徹な上官だ、とホメロスのことを思っていたが。
 これはなかなかどうして、尽くし甲斐のある上官かもしれないぞ、と――とある兵士は思い、槍の柄を握る手に力を込めたのだった。


   ***


 一日の仕事を終え、湯浴みをし、兵舎の離れにある自宅へと帰る。部屋のベッドに倒れこむと、深い息が出た。

「ホメロス様」

 控えめな声がオレを呼ぶ。視線をそちらにやると、は頬を赤く染めた。
 まるで犬のようなしぐさでオレの元へやってきて、嬉しそうにする。

「今日も一日お疲れ様です。マッサージでもいたしましょうか?」

 ベッドの端に座っての言葉は、騎士の妻の役割をよく理解している。
 ユグノアの属国――の姫君であったころには、到底考えたことのない献身だろう。
 身の回りの世話は侍女がすべて行う王族と違い、騎士の妻がやることは多い。馬の世話や洗濯、旦那の慰安などを一手に引き受ける体力仕事だ。
 難色を示すだろうと思っていたが、思いのほかは今の生活に溶け込んでいる。むしろ喜んで、率先して騎士の妻としての役目を果たしている。
 立派な仕事ぶりを見れば、誰もが元姫君とは思わないだろう。

「では、背中を頼めるか?」
「喜んで」

 がはにかんで笑った。目を細め、くちびるを釣り上げる表情は計算されつくしている。王族としての短い生活のなかで身に着けた、気品のある笑みだ。
 軽く首を傾げるしぐさも品がある。普通の娘では決して出せない育ちの良さがにじみ出ている。
 だと言うのに、オレに喜んでしっぽを振る。
 うつ伏せになると、がオレの腰をまたいだ。両手で背中に体重をかけ、指圧する。
 身体の凝りがほぐされていく心地よさに目を閉じると、がさらに力を込める。

「気持ちいいですか?」
「ああ。マッサージがうまくなった……」
「よかった」

 の声には、心底からの喜びに満ちている。
 オレに仕え、オレを支えることこそがにとっての何よりの喜びなのだ。
 そのようにした・・のだ。オレが。
 何年もかけてすこしずつ……。

 の背中を押していたの指が腰のほうに降りていく。なにも言わずとも、全身をもみほぐしてくれる気でいるらしい。
 オレはもぞもぞと上体をよじり、を制止する。

「そちらはいい。来い」

 両手を広げて命じると、言われるがままはオレの腕のなかへと収まった。
 ベッドのうえで足を絡ませ、きつく抱きしめ合う。
 ごろりと反転し、を組み敷く。髪を梳いて撫でてやると、は心地よさそうに目を細めた。

「ホメロス様……」
「グレイグとなにを話していた?」

 このままキスをしてもよかったが。一つ懸念事項がある。
 はぱちぱちとまばたきをして、驚いた顔をする。

「あぁ……お昼の、ですか? 別に他愛のないお話しですよ」
「私が聞いているんだ。話せ」
「ええと、片手剣でホメロス様の右に出る者はいないと。グレイグ様がおっしゃっていました」

 ――嫌味か、それは。
 反射的に舌打ちしそうになる。
 確かに片手剣のみという縛りがあればオレはグレイグと均衡出来るが、縛りがなければ真に強いのはグレイグの方だ。
 それを、片手剣でホメロスの右に出るものはいない、だと?
 クソ。グレイグの奴め。偉そうに。
 かろうじて舌打ちはこらえたが、表情に出ていたのだろうか。
 おびえた顔をしたが、慌ててオレをうかがう。

「申し訳ありません。馬の世話の最中でしたのに、私、部下に稽古をつけるホメロス様に……見とれてしまって……あぁ、自分が恥ずかしい……」
「それ以外には?」
「へ? いえ、特には……」
「――ならば構わないのだが」

 が首を傾げる。こちらを見上げるしぐさは警戒を知らない箱入り娘そのものだ。

「まあいい。何度も言うが、グレイグにはあまり近づくな」
「はあ……」

 わけがわからないなりに、オレの命令だから、とこくこくと頷く。本当に犬だ。

「お前の出自が万が一でもばれでもしたら、私もお前も無事ではすむまい。……後悔しているか? 私の妻となったことを」
「そんなこと!」
「グレイグであれば、お前をさらって逃がしてくれるかもしれないな」
「なにをおっしゃるのですか」

 が語気を荒げて否定する。泣きそうな顔で首を振る。 

「私がホメロス様の元を離れることなど、ありえません。あの日ホメロス様に救われた命です。御恩を忘れるような真似は致しません」
「恩があるから逃げられない、と?」
「ちっ……違います。わかっているでしょう、ホメロス様……」

 くちびるを噛み、は眉根を寄せてオレを睨んだ。そんな顔をしてみせても、嗜虐心を煽るだけだ。

「私はホメロス様のモノです。だまって貴方に従います。貴方を……お慕いしております」
 
 その言葉に、クッと笑みが漏れた。
 まったく嘆かわしくも愛らしい。
 苛立ち、ささくれ立った心が優しく凪いでいくのがわかる。
 ――何も知らないで、無邪気なものだ。
 あの日誰が軍を率い、城を焼いたと思っているのだろう。
 逃げ惑う侍女を誰が後ろから斬り捨て、最後まで武器を持たず平和的に事を納めようとする領主を、誰が焼き殺したと思っているのだろう。
 年若い騎士は主君の命令に逆らえなかった? 最後の良心で姫君だけは助けた?
 笑ってしまう。
 オレの言葉を素直に信じるにも、オレとの関係をお涙頂戴のストーリーに勝手に解釈する周囲の腑抜けた兵士にも。

「どこまでもお供します。私には貴方様だけです、ホメロス様だけ……」
「――意地の悪いこと言ったな、謝ろう」

 オレに縋り付くは必死だ。親と国を失い、には何もない。もう自分には、オレしかいないと思い込んでいる。
 そう思い込ませたのだ。何年もかけて傷ついた心を癒し、オレなしでは生きられないように作り直した。
 そういうおもちゃだ。は。
 肘の力を抜き、の隣に寝っ転がった。もぞもぞと腕を動かすと、が頭を浮かせてオレの腕枕の中に入り込む。

「どこまでも私に従うか? 私には王がいる。お前を最優先にすることは叶わんぞ」
「わかっております。王よりも優先していただくことなど、望みません。ただ私は……貴方様のそばにいたいのです。こうして寄り添うことを許してくだされば、私はそれで……」
「私の行く道に付き添うということか。地獄への進軍かもしれんぞ」

 は目をつむった。染み入るようにオレの言葉を反芻してから、とろける笑みを浮かべる。

「――はい。地獄の底の底まで、ご随伴させてくださいまし」

 今度こそこらえきれず、ハッと吹き出してしまった。
 オレの笑みが、にはどのようなものに映ったのだろう。は嬉しそうにオレの胸元にすり寄ってきた。
 憐れな娘だ。なんと愛おしいのだろう。
 オレの所業と、オレが仕える本当の王ウルノーガ様のことを知ったらはどんな反応をするだろうか。
 泣くだろうか。喚くだろうか。軽蔑するのか、罵倒するのか。
 どうだっていい。
 夫婦の契りはとっくに果たしている。
 が望む望まないにかかわらず、はもうオレのモノ・・だ。
 他者には渡さない。泣きわめいても逃がさない。
 命の大樹を魔王様が滅ぼし、冥府すらも壊れて消えたあと。
 王とオレ以外何もなくなった世界で、この女と踊り続けるのも悪くない。

 気分がよくなったオレは、何も知らぬ憐れな娘にキスの褒美を落とした。