慣れ合い
風の匂いが好きだった。踏みしめる土の匂いが好きだった。身体を濡らす雨の飛沫が好きだった。
かつて好きだったものは色褪せ、この身を復讐の怒りが焦がした。
復讐を! 愛するものを殺した人間たちに、復讐を!
──そう思っていたはずなのに、何故、自分はここにいるのだろう。
首をぐるりと回すと、あの男の姿が見えた。蝶の羽を背負う、共に世界を滅ぼさんとした人間が。
また世界を滅ぼすつもりなのだろうか。
いいや、それは違うとわかっていた。
瞳が、あの女を捉える。
新宿の地で戦ったあの女。殺そうとした人間。
人類を救った英雄──その唾棄すべき言葉の意味を、自分はとうに知っていた。
「召喚に応えてくれたんだね、アヴェンジャー」
女の言葉は、狼たる自分には解読できない。だが自分に向けての言葉だとはわかる。
自分の背にはあの首なし人間が乗っている。放っていると勝手に人間を刈ってくれる機械のような男だったが、彼は目の前の女を殺す兆しはない。
殺す気がないのだ。
共に召喚された以上、自分と彼は一心同体だ。考えていることも、多少はわかる。
背に乗る男は、目の前の人間を主人と認めている。その感覚は自分にとって不愉快なものであったが、ある程度同調していることも否めない。
目の前の女は自分の前に歩み寄り、自分を見上げた。
小さい。
人間の、なんと小さいことか。
ちょっと小突き、爪でひっかけばたやすく女の柔肌は裂け、血が噴き出すことだろう。
「……その、触ってみてもいい、かな」
女は首を傾げ、なにかを問いかけている。言葉の意味は獣である自分には、よくわからなかった。
だから女に許可を出したのは背に乗る男だ。
目の前の女は恐る恐る自分の毛並みに触れる。
「君たちが来てくれてよかった。歓迎するよ」
その言葉に胸を熱くさせたのは、自分ではなく背に乗る男だろう。感覚や意識がわずかばかり同期しているから、男の感覚に引きずられてしまう。
嬉しくない。何故人間などと感情を同期せねばならないのか。
「気をつけたまえよ。手を噛まれるぞ」
蝶を背負う男が笑いながらそう言った。とっさに目の前の女が手を引っ込め、自分の歯はがちりと空を噛む。
「あっはははは…………まぁ、少しずつ仲良くなれればいいかなぁ」
「フォウくんのようにはいかんと思うがね」
目の前の女が苦笑する。
不愉快には感じなかった。
まったくもって認めたくない事実ではあるが、自分はこの女を気に入っているのだ――そうでなければ、召喚になど応じない。
2017/03/24:久遠晶