恋はかくも難儀なり



「エレナさんは恋愛についてどう思います?」

 魔術書に視線を落としていたエレナ=ブラヴァツキーは、その言葉に顔を上げた。
 エレナを純真な目つきで見つめているのは、カルデア職員の一人だ。カルデアに在籍する者の例に漏れず魔術師の家系であり、神秘を好む。それでいて科学にも傾倒する──比率は違えど、どこかの誰かに似た性質を持つその子のことを、エレナは気に入っていた。
 とはいえ、挨拶もなしの不躾な質問はいただけない。
 ここはカルデアのラウンジであり、待機中のサーヴァントやわずかな休憩をもらえた職員がが陣取る憩いの場所でもある。誰に聞かれるともわからない場所で、恋愛沙汰の話など。
 ムッとしたあと、職員が仕事用のファイルを抱えていることに気づいた。
 おそらく、わずかな空き時間なのだろう。20人ばかりでカルデアの全システムを支える彼らの勤労があってこそ、エレナたちサーヴァントは安心してレイシフトができるというものだ。であれば、せっかくの休みに長ったらしい前置きなど時間の無駄である。
 ……やっぱり不躾だと思うけども。
 エレナは大人の対応で、笑って答える。

「さあね、恋愛のことなんて解らないし、相手をよく見極めた方がいいとは当然思うけれど。でも今の時代なら離婚も簡単かしら?」
「どうでしょう、役所が消えてるからそもそも結婚できないかも」

 肩を竦める職員に、エレナは眉をしかめて苦笑した。

 カルデアを残した世界の全てが焼却された今、外の話はご法度だ。
 彼らはみな、家族や恋人を置いてカルデアの任務に就いている。カルデアで職場恋愛していた者は、レフ=ライノールによる先の爆発事件で愛する者を喪失しているのだから。
 直接話題に出すことはもちろん、想起させることすら彼らのモチベーションや生きる気力を失わせかねない大罪だ。
 とはいえ、目の前の職員はあまり気にせずこの手の話題を出す。もちろん相手を選んではいるのだろうが。
 恐れていない、という目だ。人類最後のマスターへの強い期待がある。

「人類最後のマスターなんて言って、あの子には申し訳ないですけど。結構確信してるんですよ、あの子ならなんとかしてくれるって」
「当然よ。あの子にはこのあたしがついてるんですもの」

 エレナが覚悟と決意を持って胸を張ると、職員は目を細めた。
 この職員はいつも、眩しいものを見る目でエレナを見つめる。愛おしそうに目尻を緩める視線にエレナはいつも首を傾げ、それから納得する。
 ──あぁ、サーヴァントだものね。あたし。
 マハトマの声を聴き神秘を探求するエレナにとって、己が人間か英霊か、というのは大した問題ではない。己がサーヴァントだと忘れることはしばしばだし、『マスター』のことも主人ではなく愛弟子のように思っている。
 だから職員が目に浮かべる、英霊への尊敬の眼差しはありがたくもあり、いまいちピンとこないものであった。
 機会があれば職員とじっくり現代魔術について話したいものだが、カルデアの内部を奔走する職員を捕まえて話をさせるなど到底できない。
 かと言って人理を修復したあとの世界に、エレナは現界していないだろう。契約が消えれば座に還るだけの存在なのだから。
 だからエレナは、英霊として尊敬されることに違和感を覚えながらも、かと言って個人としての親交を深めることはできないジレンマを抱えているのである。
 別に、お近づきになりたいとは思ってもないけれど。

「話が逸れたわね。それで、どうしたの? 恋愛相談なら乗ってあげてもよくってよ!」
「おや、話が早くて助かります」

 エレナの向かいの席に座った職員が困ったように笑う。
 その返答は少し意外なものだったが、ある意味で納得もある。過酷な環境では、生きるために他者と手を取り合わねばならない。その最中に愛が芽生えても不思議ではないからだ。

「……どんな子?」
「え、聞かれると困るなぁ。かわいい人なんですよ。いつも自信満々で、そのわりに失敗ばっかりしてて、喧嘩もしてて……それを……」
「えっ! ま、待ちなさい」

 エレナは職員の言葉を止め、周囲を見渡した。誰もエレナたちに注意を払っていないことを確認し、身を乗り出して声をひそめる。

「ま、まさか……サーヴァントじゃないでしょうね?」
「あ、そうです」
「……天才児ふたりのどちらか? ていうか……エジソン?」
「え?」

 驚いた顔で職員がエレナを見つめる。
 パチパチとまばたきする表情に全てを察したエレナはウンウンと頷いた。

「……サーヴァントと人間ってことは理解してるのよね。あの二人が、恋の相手としてはどうしようもないってことも理解して、私に相談を持ちかけた。それならば私はなにも言わないわ」
「え? エレナさん?」
「でも大丈夫。私もがんばるわ。サーヴァントとの恋、ひとときの思い出だとしても、美しく心に残る思い出を咲かせましょう? ……相手が正直、気に入らないけれど……」

 もうちょっと惚れ甲斐のある男にしておけ、というのがエレナの率直な感想だ。
 職員の意中の相手はおそらくエジソンであるが、生前よく相手をしていた友人としても、サーヴァント仲間としても、恋愛の相手としてはどうしようもない。
 しかし覚悟の上だと言うのであれば、その忠告は飲み込むしかないだろう。
 だからエレナは顔を上げて、ニッコリ笑いかけた。

「よくってよ! このあたしが応援してあげる!」

 そうと決まれば話は早い。まずはエジソンの様子を見に行くことにしよう。
 席を立とうとするエレナに、職員は「う」とか「え」と言った戸惑いの声を上げた。恥じらう言葉を受け流し、「あたしに任せなさい」と笑いかけたのだった──。


 ***


 細い身体を猫のようにしならせてラウンジを後にするエレナの背中を、職員はなにもできずに見送った。
 読書中のエレナに職員が話しかけてから、五分すら経っていない。まさに早業というか、早計と言うか。

「な、なにが起きたんだ……?」
「ばっ……バカかねきみは!?」

 物陰に隠れていた英霊が、呆然とする職員の肩を叩いて小声で叱責した。
 獅子の顔をした偉大な発明家サーヴァントはオロオロとうろたえて、エレナの座っていた席と彼女が出ていった自動扉を見比べる。その後ろではニコラテスラが頭を抱えている。

「だいたいなんだね! あそこで『僕が恋しているのはあなたです』と答えるはずだろう! なんだあのアドリブは! 大根役者め! ハリウッドなら即刻降板だ!」
「アイタタタタ!! いや、喧嘩する二人を仲裁に入るあなたに恋してますとつなげる気だったんですよ!」
「フン、やはり凡骨の『ドキドキ★恋の直流相談プラン』は失敗に終わったか。やはり最初から『トキメキ??恋の交流デートプラン』にしておくべきだったのだ」
「ハァーッ!? 私のプランは完璧だったはずなのだ……しかし今からでも遅くはない! 幸いにして私が好きだと勘違いされてるのだし、このまま芝居を続けて距離を縮めるのだ!!」

 そう、職員の恋愛相談は恋愛相談ではなかった。
 元々はエレナに告白して玉砕するつもりだったのである。
 しかし玉砕覚悟と言えどもワンチャンの可能性を求め、発明家二人に相談したのが運のツキ。
 告白プランで二人は散々喧嘩し、すったもんだの末の告白で彼は緊張のあまりどうでもいいことを口走った。そしてエレナにとんでもない勘違いをされてしまったと言うわけだ。
 大根役者のくだらないアドリブの末路とも言えるが、しかし腑に落ちないことがひとつ。
 テスラは顎に手を当てて考える。

「ブラヴァツキー女史にしてはくだらない勘違いだ。まさか凡骨に惚れるような人間が居るわけあるまいに」
「ちょっと待て生涯独身男! 聞き捨てならん! 私、生前結婚してるし子供もいるし!」
「結局離婚してる人に生涯独身をとやかく言われたくはないなぁー」
「なにをー!?」

 テスラは彼にしては珍しくエジソンの言葉を受け流し、エレナについて考える。
 話を最後まで聞かずに早とちりするなど、聡明な彼女らしくない行為だ。
 ならばそこには、エレナの心を乱す「なにか」があった。
 エレナは動揺していたのだ。
 なぜ?
 答えは導き出すのは簡単だ。はじめて見る機械の図面を脳内に書き起こすように、テスラには容易に見通せる。

 なんだ、存外脈なしでもないじゃないか。

 ひとりそのことに気づいた天才はふふっと笑い、そのことを胸にしまいこんだ。
 テスラとて、このことを他者が簡単に暴露するのは「違う」とわかっている。
 完璧なプランが崩れたと慌てるエジソンの笑える顔を観察するためにも、しばらく黙っていようか。

 だがまぁ、人間とサーヴァントのひとときが暖かなもので終わりそうでなによりだと、テスラはひとり頷いたのだった。





2017/05/07:久遠晶
▼ クリックで作者コメント展開