ネコ科にチョコは大敵です


 こういうことを言ってはたいそう不謹慎になるのだろうけど、カルデアでの生活は私にとって極めて刺激的なものだった。
 もちろんカルデアの外でなにが起きていたかはわかっている。
 だが──。人理は修復され、世界は在るべき姿を取り戻した。
 それまでの一年間、我々は一致団結し、休みなく働いて来た。
 それはサーヴァントとて同じだ。
 二月十四日。
 世界が救われてから初めて訪れるバレンタイン。
 普段であれば製菓会社の陰謀がどうとかこうとか笑いまじりにぼやくところだけど、今年は別だ。
 浮き足立ったって許されるはずだ。世界を救ったんだから。それぐらいしたって許される。
 去年お世話になった、本当にお世話になった、『人類最後のマスター』とそのサーヴァントをねぎらうことぐらい、許されて然るべきだ。
 私は己の下心を、そんなふうに正当化した。
 他の職員だってそうだ。みんな持ち回りで厨房を借りて、この日のためにとチョコの試作に明け暮れたのだ。
 気合を入れたチョコをラッピングする、そんな時。
 同僚から気まずげに声をかけられた。

「ねぇ、あなたの渡す相手って……その、つまり……チョコ大丈夫なの?」
「え?」
「だって、ネコ科でしょ?」

 あっ。
 思わず手に持ったチョコを取り落としかける。
 そう。
 私ははっきりと失念していた。ネコ科にチョコは大敵だということに──。
 あわや私の全力チョコは、お蔵入りになることを意味する。


***


 はーぁ。がっくし。
 休憩室のテーブルに突っ伏して息を吐く。
 渾身の出来だったというのに、渡すことすらできずお蔵入りとは報われない。
 せっかくのバレンタイン当日。まさかアタックするチャンスすら潰えてしまうとは思わなかった。もう一度ため息を吐いた時、コンコンと休憩室の扉がノックされた。
 扉を開けたのはサーヴァント。雅な陣羽織に身を包むかの伝説の剣豪、佐々木小次郎さんだ。思わず背筋を伸ばすと、佐々木さんは楽になされよと
ゆるりとした笑みを浮かべた。

「失礼。休憩の邪魔をしてしまったかな」
「いいえ。どうかされましたか?」
「今夜、マスターと茶会の予定が立ったのでな。よい茶葉はないかと調達しに来たのだ」
「そうでしたか。それでしたら、この前仕入れた玉露とかどうでしょう。抹茶は多分誰も持ってないかと……日本人って私だけなので」

 立ち上がって、個人の引き出しを漁る。人理が修復して外と連絡が繋がった時、私が真っ先に買ったものだ。
 茶筒を取り出してテーブルに置くと、佐々木さんはふむ、と思案した。

「玉露か。貧乏剣士には些か贅沢にも思えるが、マスター相手に見栄を張るには最適だ。しかし、戴いてもよいのかな? 見たところ個人の品に思えるが」
「ええ、構いませんよ。飲んでみますか?」
「それではお言葉に甘えよう。気遣い感謝する」
「気にしないでくださいよー」

 佐々木さんは丁寧にお礼を言うと、テーブルの向かい側に音もなく座った。
 私は立ち上がって、電気ポットの電源を入れる。急須と湯飲みの準備をしながら、佐々木さんに声をかける。

「【彼女】と二人でお茶会なんて、やるじゃないですか」
「ははは。いや全く名誉なことだ……と言いたいところだが、残念ながら。我が主はサーヴァントみなにチョコを配っているようだ」
「あらら」
「もっとも、特別扱いを強請るほどの武を打ち立てているわけでもなし。某には過ぎた気遣いよ。なにかを返せるような男でもないからなぁ」

 佐々木さんは軽やかな口調でそう言うが、実際のところ本心かどうかといえば、怪しいところだ。
 だってそうだろう。返せる男ではないと言いながら、サーヴァントみんなに渡すチョコレート──いわば義理チョコ、日頃のお礼チョコへの返礼のために、こうやって準備をしているんだから。
 だいたい、佐々木さんは本当に自分が受け取ったチョコが『みんなと同じ』だと思っているんだろうか。そうだとしたらあの子が浮かばれない。
 いや、どうだろうな。時間の問題、というやつではないだろうか。
 思わず笑みがこぼれる。
 ふふっと顔がほころんだところで、自分の現状に気づいてもの悲しい。
 ちくせう。リア充爆発しろ、というやつだ。

 電気ポットの湯が沸いた。湯呑みの温度に気をつけながら、お茶を淹れる。
 普段はそこまで丁寧に淹れないけれど、目の前にいるのはまさに侍。本場のお茶をよく知っているだろう人だ。気が抜けない。
 緊張しながら茶を淹れた甲斐あってか、お茶をすすった佐々木さんはパッと表情を明るくした。

「いい茶だ」
「人理修復記念、ってことで特上のものを買いましたからね。ええ、そりゃもう!」
「しかし、こんなものを本当に戴いていいのかな。無論、礼はするが……」
「気にしないでくださいってば。あ、よかったらお茶請けも食べてくださいよ」

 御茶請けのチョコレートを差し出す。
 本命チョコのあまりを適当に固めたものだ。ひとりで物悲しく消化するのもなんなので、ここはゴミ処理の役目を佐々木さんにお願いしよう。
 佐々木さんはそう言うのであれば、とチョコのかけらに手を伸ばした。口に含む様子を、少しドキドキしながら見守ってしまう。

「少し甘すぎる気もするが、このチョコも美味いな。これは其方が?」
「はい……まぁ、余りですけどね」
「これを渡された者は果報者であろう。うむ、茶にもよく合う」

 ふっと微笑む佐々木さんに嬉しくなる。
 渡したい相手に──隠す必要もなく、それは偉大な発明家なのだけど──渡せない以上、こうやって誰かに食べてもらうのが一番だ。
 私は少し迷ってから、冷蔵庫の中からラッピング済みのチョコレートを取り出した。

「もしお気に召しましたら、こちらも受け取ってくださると嬉しいんですが……」
「これは……。玉露の恩もある。相談事ならば喜んで引き受けよう、しかし」
「はい。いいんです……渡せないんで、それ……。残飯処理だと思って、受け取ってほしいです」
「只ならぬ事情とお見受けするが……このまま懐に入れるにはこのチョコレート、拙者には重すぎるな。なにがあったのか話してくれないか。何か力になれるやもしれん」

 柔らかく笑って、佐々木さんは一度は受け取ったチョコレートをテーブルに置いた。
 うう、佐々木さんの気遣いがしみる。

「その……おっしゃる通り気合い入れて作ったんですが……。相手が……その……」
「チョコが苦手で食べられない、とな?」
「まぁ、そんなかんじです。そんなの渡しても、迷惑でしょう?」
「しかし、気持ちだけでも受け取ってもらわねば其方の気が済まないのではないかな。贈り物は心で贈るもの。少しばかり苦手なものでも、己の為にと思えば嬉しくなるというのが──」
「アレルギーなんですよ」
「あぁ……」

 佐々木さんが困ったように眉根を寄せた。しみじみとした深い吐息を吐き出す佐々木さんは、心底私に同情してくれているようだ。その反応に私も改めてがっくしくる。でも、この話をしたのが佐々木さんでよかった。とても真面目に考えてくれているみたいだ。

「それほどの事情であれば、あいわかった。役得と思い、受け取らせていただこう。しかし──」

 佐々木さんがそう言って、テーブルに置いた私のチョコレートを手に持って受け取った。その瞬間。
 休憩室の扉を突き破って、誰かの雄叫びが聞こえてきた。

「マジで!? かのアイドル風に言うとデジマ!?」

 その声を聞いた瞬間、身体に緊張が走るのがわかった。今日最も会いたくない人だ。つまり──それは──。
 エジソンさんの声は止まらない。声の大きな人なのだ。

「いやぁ、はっはっは! 甘いものは頭に良いのだ! チョコレート、大好きです!」
「ええっ!?」
「……どうやら、拙者の出番は必要なさそうかな」


 私の反応を見た佐々木さんが片目をつむってゆるりと笑う。うっ、そんなに顔に出ていただろうか。

「早速行ってきたらどうだ、善は急げと言うしな」
「えっ! い、いや、いきなりなんてそんな……もう諦めてたし、やっぱり緊張しちゃうから! う、浮ついてるしっ」
「何を言う、年に一度の催しだ。それに今年は我らにとっては特別な──せっかく平和な時になったのだ、浮ついたところでわバチは当たらぬよ」
「えぇ??いきなりすぎるぅ……」
「ほら、其方ならば大丈夫。エジソン殿も喜ぼう」
「ううっ……! ムリ! ムリです!」

 ブルブル首を振る。
 もともと渡せないことに落ち込んでいたのだから、チョコレートがお好きとわかったのはとても嬉しいことなのだけど……。それはそれとして! 緊張! する!
 慌てふためく私に業を煮やした佐々木さんが椅子から立ち上がった。私の隣まで歩いてきて、チョコレートを胸元に差し出す。
 佐々木さんの目はどこまでも優しいから、私も断るに断れなくなってしまう。

「……本当に大丈夫だと思います?」
「勿論。あのチョコは美味であった。ここで良き結果を願っていよう」

 ゴクリと唾を飲み込んだ。
 扉の外では相変わらずエジソンさんの声がする。誰かと話しているらしい。今からその会話に割って入って、どうかこれをと言ってチョコレートを渡して、そのまま逃げる。うん。いける……かもしれない。
 佐々木さんが大丈夫だと言うのだから、大丈夫な気がしてきた。
 深呼吸して立ち上がる。
 その瞬間、緊張のためか急に立ち上がった為か、不意に立ちくらみが襲った。
 視界が両端から黒く染まり、重力の方法がわからなくなる。

「──大丈夫かッ!」

 佐々木さんの声がする。手首を掴まれて、引き寄せられて支えられる。私もテーブルを掴み、寄りかかる。

「ご、ごめんなさい、ここんとこ働きづめだったし、チョコのために寝れてなかったから……」
「大丈夫か? 無理はしなくて良い、落ち着くまで支えていよう」
「すみません……」

 頭がグラグラする。舌がチリチリして、思考がまとまらない。
 しばらくそうして、少し楽になってきた時──不意に扉が開いた。

「ふははははは! では早速マスターのチョコをいただこうではないか! そしてこのクッキー! 夫人の紅茶! 最高の布陣で、あ──あー──……」

 勢いよく扉を開けたエジソンさんが、その場で硬直した。
 あれ、どうしてそんなふうに固まるんだろう。ぼんやりと、佐々木さんに支えられたまま考える。
 そして思い至る。
 私の手にはチョコレート。私を引き寄せ支える佐々木さん。二人きりの休憩室を
 ──もしかせずとも、その、これは、つまり。

「あぁ……いや、これは困った場面を見られてしまった。いやエジソン殿、誤解なさらぬよう。彼女が立ちくらみをしたゆえ、それを支えただけのこと」
「ん、んぅ? ……そうなのか?」

 佐々木さんの説明は余裕かつ的確だ。なんとか誤解を解いてもらえそうだ。私も慌てて頷く。
 しかし。
 佐々木さんはエジソンさんの後ろから顔を出した『あの子』を見て固まった。

「あっこ、これは……マスター……ちが……」

 震えそうになる声を聞くだけでも、佐々木さんの顔からサァッと血の気が引いているのがわかった。そして、私から心なしか距離をとる。とはいえ手を離すとうまく立てない私が転ぶのがわかっているので、ちゃんと支えてくれているのだけど。

 人類最後のマスターは、私と佐々木さんの状態を見て「ふぅん」と顎をあげて頷いた。

「小次郎もやるじゃん! あ、今夜の約束は別にナシになっても良いよ。エジソンとお茶会するから! それじゃ?」
「まっ! 待たれよ! マスター!!」
「そ、そうです、待って……!」
「いいんだよ! 誰にも言わないから! 末長くお幸せに!」
「わ、ワッハッハ! 小次郎くんにこのような甲斐性があったとは! けしからん! 羨ましい! 応援してます! それでは!!」

 私と佐々木さんの悲鳴をよそに、エジソンさんが有無を言わせぬ口調で雄叫びをあげると、ばたりと扉を閉める。
 その音が断絶を示しているような気がして、やっと立ちくらみが収まった私は、その場にへなへなと座り込んだ。

 ──や、やっちまった……。

「ご、ごめんなさい佐々木さん。私ちゃんとあの子に説明しますから」
「……いや、元はと言えば拙者も悪かった。マスターの方はこちらでなんとかするゆえ……其方はエジソン殿にきちんと思いを伝えるのが先決だなぁ……」

 私を気遣ってくれる佐々木さんだけれど、その笑みは力ない。
 あの、本当、ごめんなさい……。
 お互い告白する前に振られているような、既にオーバーキルにされつつあるようなダメージを被っている気がする。

「あのぅ、本当、ごめんなさい……」
「構わぬよ。だが……そうだなぁ……これは『お互い頑張ろう』というやつかなぁ、エジソン殿には私からもきちんと説明しておこう……」

 とりあえず、今は追いかけても話を聞いてはくれないだろう。夕飯のあと、相手がひとりになった隙にそれぞれ説明して誤解を解く……という感じだろうか。
 あぁ、私はともかく佐々木さんとマスターの仲までこじれたらシャレにならない。
 エジソンさんに振られるのは仕方ないとはいえ、どうにかあの子の誤解だけは解かなければ。

 抱きしめたチョコレートに視線を落とす。
 一生懸命頑張ったこれを捨てるだなんてとんでもない。私をないがしろにして、さっさと渡さないからこうなるのよ──なんて、チョコレートに責められてる気分になった。
 こっそりエジソンさんのロッカーにでも入れておけばいいかと思っていたけれど、佐々木さんに迷惑をかけている今、そんな弱音は吐けない。

 なにがなんでも告白して、誤解もとく。私はそう決意を新たにして、チョコレートを握り込んだ。





2017/05/26:久遠晶
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