新しい世界


 夢を見た。
 旧種ヒトの女が泣いている夢だ。
 夢の中の俺はその女の涙に焦がれ、泣かせて絶望させることに執着していた。だというのに、実際に目の当たりにしても全く楽しくなかった。そんな夢だ。
 大粒の涙をこぼす女に──なにかを懇願した。
 女は大きく、決意を持った目で頷いて、満足した俺はその場に倒れこむ。

 それは、生存は厳しく安らぎもない、悪夢が当たり前になったこの世界で──俺が生まれて初めて見た、平穏な夢だった。



 はっと目を開けると、見慣れない白い天井が視界に入った。自宅じゃない。知らない場所だ。
 反射的に起き上がろうとして、胸元に激痛が走った。

「ぐ、ぅ……っ」

 電撃のような痛みに指先まで痺れるようだ。俺は身体を硬直させてから、恐る恐る胸元に手をやった。
 確か俺は、あの時、をかばって……。
 散漫だった意識が繋ぎ合わさり、意識を失う寸前の記憶が思い出される。
 俺の胸元には包帯が巻かれ、身体には毛布がかかっている。誰かが手当てしたんだ。そして──状況からすると、それはきっと。
 真横に気配を感じて顔を横に倒すと、間近に旧種ヒトの顔があってギョッとした。
 俺の寝るベッドに突っ伏して、はくうくうと寝ている。片頬には傷を保護するテープが貼られ、自身もいくらかの怪我をしているようだった。

「おまえは……やったのか?」
「んん……」

 雷帝を倒し、皇女アナスタシアたちも打倒したんだろうか。俺たちのロシアは、どうなったんだろうか。俺とが生きてるってことは、多分存在してはいないだろうな。
 きっと、ここはシャドウボーダーの中だ。わざわざ俺を運び込んで、手当てを施したんだ。

 ……どんな顔で、俺をここに運び込んだんだろう。
 旧種ヒトってのは、どうしてこうも無警戒なんだろうか。普通、すぐ隣で物音がしたら飛び起きて手持ちの銃を構えるもんだと思うが。
 そんなことを思いながら、傷に障らないようにゆっくり上体を起こす。
 ねむりこけるのまぶたに、前髪がかかっている。それを耳元に掛けてやりながら、なんとも言えない気分になる。

 目の前にいるのは、俺たち(ヤガ)の世界を滅ぼした女だ。
 俺のすぐそばで眠っていて、殺そうと思えばいつでも殺せそうなほど弱っちろい。
 ……だからこそ、強いのかもしれない。

 それにしても、人の髪の毛は、ヤガの毛とは全然違うな。
 が眠っていることをいいことに、髪の毛のひとふさに触れる。硬質だし長いし、それに太い。
 そういえば、皮膚の感触も気になってたんだ。しかし、頬に触ったら流石に起きるだろうか。起こしたらなんて言い訳しよう。ゴミがついてた、って言えば納得するだろうか。

 ぼんやり悩んでいると、不意に奥の扉が開いた。に伸ばしていた手を引っ込め、呻いてしまうのをなんとか堪える。
 扉から部屋に入ってきたのはマシュだった。俺を見るなり目を輝かせる。

「目覚めたんですね、パツシィさん!」
「あ、あぁ。……おまえたちが手当てしたのか」
「はい。先輩がまだパツシィさんに息があることに気づいて……。本来なら手の施しようがない状態でしたが、そこはヤガの生命力に賭けました」

 マシュは嬉しそうにはにかんだ。その笑顔に、少しいたたまれなくなる。
 顔を見ていられなくて、帽子のつばで顔を隠そうとし、頭になにもないことに気づいた。帽子がない。倒れた時に落としたのかもしれない。仕方ないので、頭を掻くふりをして手で顔を隠した。
 ややあって、気配を聞きつけたのか廊下から足音が聞こえてきた。

「あ、目が覚めたようだねパツシィくん。身体に異常はないかい?」
「ああ……特には。すこし重だるいが、動けないほどじゃない」
「なるほど。ヤガの生命力は流石だね。心配は杞憂だったようだ」

 ガキみたいな見た目のダヴィンチは、ニコッと笑うと片目を瞑った。
 それから、俺の傍らで眠っているを視線で示して、嬉しそうに笑う。

「彼女が起きたら、お礼を言うんだよ。三日三晩キミの世話をしてたのは彼女だからね」
「三日も寝てたのか、俺は」
「対魔獣用の弓矢に心臓を貫かれたわけだからね。いくら頚動脈を切られても心臓を潰されても生きているヤガとはいえ、着弾時に爆発されてはたまらないだろう。我々旧種ヒトとしては3日で起き上がるのが不思議な怪我なんだが」

 俺の負傷の具合を羅列しているダヴィンチを放って、マシュが俺に歩み寄った。
 未だ眠りこけているの肩を揺らす。

「センパイ、起きてください。パツシィさんが目覚めました」
「う?ん…………」

 寝ぼけ眼が、俺を捉えた。
 はしばらくそのままぼうっとしてから、パチパチ瞬きした。

「な、なんだよ。なんか言えよ」
「パツシィ!」

 飛び上がったかと思うと、は両手を伸ばして俺に飛びかかった。
 されるがまま抱きつかれてしまったのは、べつにこいつがなにをしようが俺を殺せるほど強くないことがわかりきっているからか、それとも怪我のだるさがまだ残っていたからか──おそらく両方だ。
 体重をかけて思い切り抱きつかれ、真横の壁にごつんと頭が当たった。

「パツシィ、よかった、よかった……!!」

 肩を叩いて、背中を撫でて、はそう繰り返して泣きじゃくる。
 胸筋のあたりにの胸の膨らみを感じる──これ、ヤガ的にはだいぶ当たっちゃまずい部位なんだが、旧種ヒト的には問題ないんだろうか? それともそう言うことを考えてる余裕がないのか。

「……あー、わかったよ、ちゃんと生きてるから、離せって。暑苦しいだろ」
「よかった??パツシィ??」

 とりあえず肩を叩いてみるが、余計に抱き締める力を強くされただけだった。とはいえ旧種ヒトに締め上げられても、痛くも苦しくともなんともないが。
 しばらくしてやっと俺から身を離したの顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、眉を下げた情けない顔が見ちゃいられなかった。

 ──やっぱ、コイツの泣き顔見ても思ったより楽しくないな。

 笑った顔の方がいくらかマシだ。そんなことを思いつつ、居ても立っても居られなくて、の頬に手のひらを押し付けて、自分の毛並みで涙を拭った。


   ***


「──キミには、選択肢が二つある」

 と、ダヴィンチは言った。目覚めたての俺の身体に異常がないかと変な器具を使って調べたあと、休憩も入れずにこれだ。
 シャドウボーダーの司令室のモニターがダヴィンチの顔を青白く照らしている。まるで、尋問されているような心地になる。

「一つ目は、シャドウボーダーを出て滅びゆくロシアと共に自らの生に幕を閉じるか。二つ目は、我々と共に異聞帯を旅をし、協力しあって生きていくかだ」
「やっぱり、もう終わってんだな。俺たちの世界は」
「お察しの通りね。……その節は助かった。あの時マスターくんを奮起させられたのは、あの場においてキミだけだった。複雑だろうが、礼を言わせてほしい」

 司令室に、重苦しい空気が満ちる。モニターを管理する者や、シャドウボーダーの操縦桿を握る搭乗員たちが息を呑む気配がする。

「別に、礼を言われる筋合いなんかねぇよ。俺を哀れんだり罪悪感を持つ必要もない。……ヤガは袋小路に迷い込んでた。……だから、お前らが正しいんだろうさ」
「それが、キミが彼女を助けた理由かい?」
「星を見てみたかった、ってのもあるかもな。元々俺もヤガの中では爪弾き者だったし」

 俺は肩をすくめて、おどけたふりをした。
 死ぬと思って言った言葉の真意を聞かれるのは、正直、すこしこっぱずかしい。
 そんな俺に、ダヴィンチはくすりと微笑んだ。テーブルに頬杖を突いて、俺を見上げる。
 こうしていると旧種ヒトの子供にしか見えないが、サーヴァントなのだからきっと俺よりずっと強いのだろう。頭の回転が速いことは、ロシアで散々知っている。

「我々としては、キミの意思を尊重したい。我々と来るなら歓迎するし、ロシアに居たいのであればそのように手配する」
「ええい、尊重などと言っている場合かね!」

 ダヴィンチの背後で、恰幅のいい男がいきり立った。確かこいつは、所長、とに言われていた奴だ。

「死にかけたパツシィを助ける為に、我々がいくつのリソースを割いたと思っている? ここまで来たら次の異聞帯でも相応の働きをしてもらわねば採算が取れん! だから私は救助に反対だったのだ」
「おや、あの時パツシィに息があるとわかった時、の次に慌てふためいて喜んでいたのは、ゴルドルフ新所長だったと記憶していますが」
「そそそそそんなわけなかろうが! 黙りたまえホームズ!」
「ははは、寛大な所長を持ち我々は幸せですな」
「ちょっと……舐められないようにしてるんだから茶々を入れんでくれ茶々を」
「あー、後ろのは気にしないでくれ。パツシィくん」

 ホームズにゴルドルフが食ってかかる。その様子を横目に見て、ダヴィンチが苦笑して肩をすくめた。

「でもまぁ、所長の言う通りでもある。我々に同行するなら職員として相応に働いてもらう。具体的には、ヤガの戦闘能力を見込んでのシャドウボーダーの護衛だね。くんに随行してもらう場合もあり得る。
 もちろん、異聞帯を全て倒し、我々の世界を取り戻した暁には、キミの権利と立場は我々カルデアが保障する」
「……おまえらは、俺のことをなんとも思わないのか?」
「なにがだい?」
「雷帝みたいなのがまた出た時、裏切らない保証ができない」

 ホームズと言い合っていたゴルドルフの声が止まる。仕事をしてる奴らも、気が張り詰めていくのがわかる。気にしないようにしていて、その実しっかり意識を俺に向けている。
 俺に対する警戒が高まる中、鷹揚に構えているのはダヴィンチだけだ。
 笑顔を貼り付けたままのダヴィンチに変わり、口を開いたのはホームズだった。

「誠実な回答ありがとう、ミスターパツシィ。確かに、裏切りは我々最大の懸念事項だ。我々はすでに、キミを心臓部に招いている……だから、その点に関しては、逆に問うことにしよう」
「……なんだ?」
「キミはすでに、雷帝を打倒したミスを見ているね」
「あぁ……あんなのに立ち向かって、バカだと思った」
「うむ。だが我々は──いや、彼女たちは雷帝に勝利した。そこでどうだろう。雷帝以上の敵が出て来た時、キミはどう思う?」
「どう、って」
「──が、雷帝以上の敵を打倒するところを、見たくはないか?」

 それは、裏切らないと確信できる保証、担保が欲しい、と語るこの場において、あまりにも似つかわしくない言葉だった。
 雷帝の姿を思い出しただけで身の毛がよだって、ガタガタと手足が震える。アレよりも恐ろしいものだと、この世のどこを探してもないはずだ。と、確かにそう思ったし、今も思っている。
 ──だと言うのに。
 今はもう、雷帝の姿を思い出しても恐怖は湧かなかった。
 アレに立ち向かうの姿を見ているからか、倒された後を見届けているからか。
 ホームズは本気で、雷帝以上の脅威が現れることを想定しているし、それをが打倒すると確信している──あるいは、そのように推理しているのか。
 勝てるだけの論理を組み立てるはずだ、と本気で考えている。

「……ハッ、おまえら、最高にバカだ。いいさ、協力するさ。どうせオレの住む世界はもう滅んでる。なら、オレの命を保障してくれる方に勝ってもらわないとな」
「そうしてくれると、こちらも助かるよ」

 ダヴィンチが明るく言うと、ゴルドルフが咳払いをし、首元の飾りの位置を整えた。

「ならば、我々カルデアはキミを歓迎しよう。──よろしく、パツシィ。せいぜい私のために馬車馬のごとく働くことだな! ぬわっはっは!」

 ゴルドルフは肩を揺らして豪快に笑いながら、俺に手を差し出した。
 その手の意味がわからなくて、とりあえず同じように手を差し出すと、ダヴィンチが俺の手を掴む。

旧種ヒト流の挨拶ってやつさ。互いの手を握りあうことで、敵意がないことを確かめ合うボディランゲージだ。ヤガにはこういった挨拶はないのかい?」
「ふうん……旧種ヒトってのは、よく色々思いつくもんだな」

 言われるがまま、おそるおそるゴルドルフの手を掴む。ツルツルで毛の生えていない皮膚はなめらかで、ヤガや魔獣とは違う感触がしてなかなか気持ち悪い。
 だが俺の手を握りこむ手は思いのほか強かった。もっと、旧種ヒトは筋力がないと思っていたが。
 ──の手は、どんな感触がするだろう。

 ふと考えて、俺は意識を司令室の外へやった。
 オレは気づいている。司令室の扉の前で聞き耳を立てて、忙しなく心臓を鳴らしている奴がいることに。
 オレがカルデアに協力するのが、そんなに嬉しいのか。ズルズルへたり込んで扉にもたれかかるの心音を聞き分けながら、俺はいまいち、よくわからない気分になる。
 旧種ヒトのことなんて、わからなくって当然だ。
 だがシャドウボーダーでこいつらと過ごしていくうちに、わかっていけるだろうか。
 旧種ヒトのことを知りたい。他ならないシャドウボーダーの面々のことを、知っていきたい。
 そう考える自分に、俺は気付いていた。これが、奴らの平和ボケに感化されてのことだとも。






2018/07/08:久遠晶
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