最後の夜を貴方と



「クリスマスプレゼントは……私自身です…………」

 ベッドに腰掛けるシェヘラザードが、か細い声でそう言った。
 自分の身体を抱きしめて所在なさげに、肩をもじつかせて。ふにゃふにゃして柔らかそうなおっぱいが腕に持ち上げられて、皿に出したプリンみたいに震えている。
 はっきり言って、目に毒だ。見慣れてきたとは言え、聖夜の夜に頬を染めた表情とかけ合わさると、そりゃもうたまらない。

「えっ、えーと……」

 私はよくわからないまま愛想笑いを浮かべて、言葉に詰まった。居心地悪くて、自分を包む毛布とお布団を抱きしめた。
 私はベッドに座ってお布団の中に足を入れていて、シェヘラザードがその横に腰掛けている。自然と彼女の背中の方がよく見えて、表情は見えないけれど、髪の隙間から覗く耳は真っ赤だ。

 クリスマスプレゼントは、私です。

 一体何がどういう発想でそうなったのか。
 シェヘラザードと『そういう』関係になったのは、ほんの半年ほど前の話だ。
 最近はおちゃらけ気味とは言え、カルデアに来てからは生きるか死ぬかの瀬戸際の毎日だった。そういう意味では「ほんの半年前」とは言えない期間だけど、恋愛的な意味ではほんの半年、だろう。そのはずだ。
 人理を修復し、亜種特異点を調査しながら半年を過ごし、夏のレースの後……。
 英霊たちの退去の日取りが決まりつつあった、そんな時だった。


   ***


 ──私、シェヘラザードが好きなの。

 私は勇気を出してそう言った。
 窓から月明かりの差し込む廊下で。眠れずにカルデア内をさまよっていた私に、寝物語でもいかがですか、と微笑んだシェヘラザードに。
 スカートの裾を掴んで、舌を濡らして、はっきり声を出した。

 ──いきなりごめんね。シェヘラザードが座に還っちゃう前に、伝えておきたくて。

 冗談だよ、と笑いたくなるのを必死に抑えた。言葉を使って戦って、生き抜いてきたシェヘラザードに、発言を取り消すような真似は……不誠実なことはしたくなかった。

 ──それは、どういう意味なのかお分かりですか、様。

 シェヘラザードは少なからず面食らったようだった。カルデアの彼女が自分の真名を明かし、『アガルタの』自分が申し訳ありませんでしたと、こうべを垂れたときのことを思い出す。
 今までありがとう、これからもよろしくね、私のキャスターさん──そう笑ったときのシェヘラザードと、同じ顔だったのだ。

 ──自意識過剰なら申し訳ありませんが、私の生きていた国では同性愛は普通のことで……その……。
 ──うん、そう。その意味で……君が好きだ。パワハラになったらごめんねっ。

 あと数ヶ月で座に還ってしまうから。それまでにちゃんとした形でこの恋を終わらせたかった。未練がましく想い続けたくなかった。
 不夜城のキャスター。私の大好きな人。あの日、爆発から生き抜いて、死に物狂いで冬木からカルデアに戻ってきて。グランドオーダーが発令して。ボロボロの状態で、聖遺物もなにもなく、藁をも掴むような気持ちで召喚を試した時、真っ先に召喚に応えてくれた、大切な人。
 感謝と一緒にこの気持ちも告げて、振られておきたかった。そうすれば私は、日常に帰ってもちゃんと歩いていけると思った。もう二度と会えない人を想い続けるのは、まっぴらだったから。
 そんな私にシェヘラザードはほっと息を吐いて笑った。

 ──それならなによりです。これからもよろしくお願い致しますね、我が王。
 ──へ? そ、それは……。
 ──私を死に追いやろうとするのが悪い王で、私を大切にしてくださるのが善き王です。貴方ほど私を大切にしてくださる方はいませんでした……。貴方の寵愛を頂ける私は幸せ者です、マスター。

 私になにかする前、必ず許可を取る彼女が、珍しく何も言わずに私の肩に触れた。一歩踏み込んで、私のおでこにキスをした。

 ──おやすみなさいませ、様。また明日。

 言葉を噛み締めるようにはにかんだシェヘラザードの表情が、心の奥に焼き付いて離れない。
 

   ***


「やはり、迷惑だったでしょうか。事前の許しも得ずに、夜に訪れるなど……」

 回想に耽っていた私の思考は、他ならないシェヘラザードの言葉で打ち切られた。俯いて身体をもじつかせるシェヘラザードに、慌てて声を掛ける。

「そ、そんなことないよ。びっくりはしたけどさ。嬉しいよ」
「本当ですか? ずっと悩んでいたのです。クリスマスには何をお渡しするべきか、と……。私は所詮、物語ることしかできない女ですから」
「あ、あぁ、そういう…………」

 なんだ、寝物語を聞かせてくれるつもりだったのか。それで『プレゼントは私』ということか。誤解を招きすぎる言葉だ。
 ホッとしたような、がっかりしたような。
 晴れて付き合い始めたとはいえ、特に今まで接し方が変わることはなかったし、当然キスもまだだったし……。いや、別に、期待したわけじゃないけど。
 恋は今までしたことないけど、クラスの男子にぼんやり憧れたり、アイドルにグッと来たことはある。だから多分私は異性愛の人間で、女の子を相手に恋愛的な気分を予想をしたことはなかった。だからシェヘラザードが初恋になったのは、なんというか交通事故のようなもので…………その、『そういう』ことは考えるだけで恥ずかしいというか、なんというか。
 だから『そういう意味』じゃないなら逆に助かるというか、なんというか。
 誰に対して言い訳してるのかもわからないままぐるぐる考えている間にも、シェヘラザードの話は進んでいく。

「……だから私は、他の方と違って、貴方に何も残して差し上げられない」
「そんなことないよ!」

 腕を伸ばして、シェヘラザードの肩を掴んだ。上体をこちらに向けさせて、おっぱいを支える手に触れた。おっぱいから離させて、指先を掴む。ギュッと握る。目を見る。

「シェヘラザードは、こんなへっぽこマスターにも根気よく付き合ってくれて、助けてくれた。いろんなことを教えてくれた。私の中に、すっごくたくさん残ってるよ」

 クリスマスプレゼントの話はともかく、今まで、色んなものをシェヘラザードからもらった。何も残せない、なんて、言わないでほしい。

「色んなことを教えてくれた、ですか……。私の浅知恵が、これからのマスターの助けに、ほんのすこしでもなればよいのですが」

 その言葉に歯噛みしそうになる。カルデアのサーヴァントは、明日にはみな退去し、カルデアは空っぽになる。年が明ければ私も日本に帰るのだ。
 堪えたつもりで、寂しさが顔に出ていたのだろうか。シェヘラザードは眉を下げて、悲しそうな顔をする。冷たい指で私の頬に触れ、頬にかかった髪の毛を耳元に寄せてくれる。

「そんな顔をなさらないでください。今宵、私は貴方のそばにおります。座に還っても、貴方のご多幸をお祈りしておりますから」
「うん、ごめんね、来てくれてありがとう、シェヘラザード」

 シェヘラザードの顔が近づいてくる。私は身を固くして、それを受け入れた。
 やわらかい──。湿り気のある熱は、ぴとりと私のくちびるに吸い付いて、それからふわりと離れていった。
 耳まで赤くしていたのに、くちびるはそこまで熱くはなかった。体温が低い人なんだ。
 甘い香りがする。シェヘラザードの匂い。いつもつけてる香水とすこし違う。頭がクラクラしそうだ。
 シェヘラザードは私に身を寄せたまま、私の指を握り返した。空いている方の指を閃かせる。
 ベッドサイドに立てかけられていた杖の巻物から妖精がすり抜け出て、電気のリモコンにまとわりついた。照明が薄暗くなっていく。シェヘラザードの顔が見えるか見えないかぐらいまで暗くすると、妖精はその場に霧散した。
 よそ見をしていた私を嗜めるように、シェヘラザードがくちびるの端にキスをした。頬に触れて、シェヘラザードの方を向くように示される。くちびるでくちびるをすりすりと撫でられると、息が詰まってしまう。
 緊張する私を察知したのか、くすくすと笑い声が響いた。

「ふふ、様、すこしくちびるがささくれていますね」
「! ご、ごめん、痛かったかな」
「お気になさらず。ほら、リップクリームを塗りましょうか」

 すこし身を離して、シェヘラザードが自分の胸元に触れた。胸の谷間に手を突っ込んで、平べったい箱を取り出した。薄暗くてよく見えないけど、指に取って塗るリップクリームだろう。箱を開けて中指に取るので、どうやら塗ってくれるらしい。
 そう思っていると、シェヘラザードはリップクリームを自分のくちびるに塗り始めた。
 暗闇に溶け込む肌の中で、翠の瞳とくちびるだけがテラテラ光って、私に近づく。

「シェへ──んっ」

 またくちびるが押し付けられた。リップクリームを分け合うように、何度も触れては離れて、また触れてくる。スタンプをするように。
 ぬるぬるしたものが私のくちびるを食んで、ぬるみを分け与えて熱と吐息を交換する。
 シェヘラザードの手が私の背中に回る。もう片方の手で肩を押される。あれよあれよとベッドに押し倒されて、耳元にシェヘラザードの長い髪が落ちてくる。

様」

 耳元で囁かれてドキッとした。すりすりと肌を温めるように肩をさする手が下に移動する前に、なんとか掴む。

「ま、まって、シェヘラザード」
「……如何されましたか?」

 シェヘラザードが薄暗い照明を遮って首をかしげる。首元の髪が揺れてこそばゆい。
 ただでさえ薄暗いし、逆光だから、おぼろげなシルエットしかわからない。怖くはないけど、戸惑う。

「ぷ、プレゼントって、そういうことなの?」
「へ?」
「その、寝物語じゃなくて……」
「………………………………。様がお求めになるのでしたら、やぶさかではありませんが」

 あからさまにがっかりした反応を隠さないで、シェヘラザードがため息をのみ込んだ。上体を起こして自分で電気をつけようとするシェヘラザードの背中に、慌てて抱きついた。

「ご、ごめん、ひどいこと聞いた。嫌なわけじゃないから、お願い、つ、続けよう?」
「……いえ。過度な有酸素運動は心臓を破る危険がありますし、死の危険を避けるためにももうおやすみになったほうが」
「ごーめーんーってーっ!」

 机に置かれたリモコンに手を伸ばすシェヘラザードの手を掴んだ。でも間に合わなくて、部屋が明るくなってしまう。

「ごめん、ごめんて、許してよ」
「許すもなにも、私はただのサーヴァントですので……」
「もう! ちょっと、遊んでるでしょ、こら」
「いえ? そのようなことは決して」

 笑い混じりのシェヘラザードに、ムッとする。わりと本気で傷つけたと思ったのに。
 頬を膨らませた私はシェヘラザードの前に回って、体重を掛けて押し倒した。非力な女性とはいえサーヴァントだから、黙って押し倒されてくれる以上、シェヘラザードは怒ってないのだ。
 シェヘラザードに覆いかぶさるように抱きついて、そのまま隣にごろりと寝そべった。おでことおでこをくっつけて、くすくす笑いあうと、ひどく幸せな心地がした。

「……私、シェヘラザードが好きだよ。本当に好きって思うんだ。はじめてだから緊張するけど……」
「ええ。存じております。どうかリラックスしてくださいね」
「うん、あ、あのさ、女同士ってどうするの?」
「…………。様は私に身を任せてください。私も同性相手ははじめてなのですが、精一杯ご奉仕致しますので」

 私を抱きしめる手が、そろりそろりと下に下りてくる。

「ん、ダメだよ……シェヘラザードも、気持ちよくならないと」
「ふふ、貴方は本当に優しい方……」

 シェヘラザードに触れられたところから、幸せがさざ波のように広がって、胸が苦しくなる。
 シェヘラザード。明日にはいなくなる人。大好きな人。
 たまらなくなってくちびるにむさぼりついた。やり方もわからないで舌を絡ませると、甘いベリーの味がした。さっき食べていたのかな。
 シェヘラザードはなんの味を感じているんだろう。さっきの歯磨きのミントだとしたら、あまりにも味気ない気がした。

「……なにも残せない、なんて、言わないでよ、シェヘラザード」

 私の心の一番奥の席に座って、これからも誰にも明け渡さないだろう人。あのとき振ってくれれば空席にできたはずなのに、応じてくれるもんだから空席にできなくて、ここまで来てしまった。
 心の一番大事なところを占拠して、そうして、私の身体にも食い込もうとする貪欲な人。

 なにも残せないのは私の方だ。ここに現界するシェヘラザードが座に還ってしまえば、それで終わり。座に記録されるだけで、シェヘラザードの本体にはなんの影響も及ばさない。

様、こんな私にも優しくしてくださる、優しい王。ええ、ええ、貴方は私を覚えていてくださるでしょう。その優しさに、少しでも報いたいのに……」

 シェヘラザードが欲しくて仕方ない。同じ気持ちだから、シェヘラザードも今夜私の部屋に来てくれた。
 だから喜ぶべきで、明日を思って泣くのは失礼だ。だから私は弱音を押し込んで笑った。
 すると今度は、シェヘラザードが泣きそうな顔をした。

「受肉が許されれば、いつまでも貴方のそばにいるのに」
「その言葉で十分だよ、ありがとう」

 なにより死を恐れて、死なないために世界ごと自殺しようとしたシェヘラザードが、私の為に受肉を望んでくれる。死の危険よりも私のそばにいたいと言ってくれる。
 彼女が召喚に応じてくれてから、今までずっと。誰よりも人間みたいに死を恐れるサーヴァントがそれでも弱気を押し殺して災厄に立ち向かう度に。くじけそうな心がどれだけ奮起したことか。私を物語の勇者だと思ってるシェヘラザードは、きっと知らないだろう。

「大好きだよ、シェヘラザード」
「ええ、私もです。我が王」

 パワハラしてるみたいだから今はその呼び方やめてよ、と言うとシェヘラザードはプッと吹き出して、
「愛してますよ。私の可愛い人」
 そう微笑んで、私に口付けた。





2018/12/31:久遠晶
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