隔てのない愛と恋



 好きだなぁ、と思う。
 恋という気持ちが、相手の顔を見るだけで幸せになったり胸が苦しくなることなら、私はまさしく──アーラシュに恋をしている。

 食堂に、アーラシュがいる。
 お腹が減ってどうしようもないのに、配膳係のマシュやとか料理担当のエミヤを見つけるよりも早く、テーブルの真ん中に座るアーラシュが目に留まった。こういうことがある度、アーラシュが好きなのだと自覚して、面映ゆくなる。
 カレーを食べていたアーラシュは、私の視線に気が付いて顔を上げた。人懐っこい笑みを浮かべてくれる。

「マスター、ここ空いてるぜ!」

 隣の空席を指し示すアーラシュに、私はだらしなくにやけそうになる頬を押さえつけて、ほどほどの笑みを浮かべた。
 でも、隣か。隣はちょっと、距離が近すぎるかな。
 できれば対面の距離感がちょうどいいんだけどな……と思った時、不夜城のキャスターが近付いて話しかけてきた。

「おはようございます、さま。デザートが無くなりそうでしたので、代わりに受け取っておきました。牛乳プリン。……差し出がましかったでしょうか?」
「そんなことない! ありがとう?! ねね、よかったら一緒にご飯食べようよ」
「ええ、ぜひ」

 キャスターはご飯まで代わりによそってくれていたらしくて、両手にそれぞれカレーやサラダの器を載せたトレイを持っている。片方のトレイを受け取って、アーラシュの元へと歩み寄る。

「おはよう、アーラシュ」

 自然な動きを意識して、アーラシュの前に座る。不夜城のキャスターが戸惑ったようにアーラシュの隣を見た。

「おはようさん。どうした? 座らないのか、キャスター」
「いえ……。アーラシュさまのお隣だなんて、畏れ多く……」
「そんなこと気にするなよ、確かに俺は大英雄なんて呼ばれちゃあいるが、今は同じマスターのサーヴァントなんだから」

 恐縮するキャスターに、アーラシュは屈託なく笑いかける。キャスターはまだ納得はしていないようだったけれど、「では、失礼致します」と微笑んで、アーラシュの隣に座った。
 アーラシュはうん、と頷いてから、私の方に向き直った。

「マスターは、この前の怪我は平気か?」
「え? あぁ、うん。大丈夫だよ」
「無茶はいけないぜ。異変があったらすぐ言えよ」

 私はアーラシュの、こういう、気さくなところが好きだ。朗らかに笑って、人を思いやってくれる。
 千里眼持ちで人の気持ちが読めるらしいから、気が回るんだろうか。いいや、違うと思う。心が読める云々ではなくて、アーラシュ自身が優しい人だからだと思う。それとない気遣いが、とても嬉しい。
 ──あぁ?、やっぱり好きだなぁ。
 人理焼却という人類の危機を前に、恋愛にうつつを抜かしてる場合じゃないのはわかってるけど。アーラシュを見ると好きの気持ちが胸から溢れてしまって仕方ない。
 だめだめ、もっとキリッとして、しっかりしてないと。

「――マスターは、カレーがお好きなんですね」
「え?」
「とっても美味しそうに食べますので」

 不夜城のキャスターが微笑んだ。
 どうやら私の嬉しさはだだ漏れで、それをカレーが好きだからと受け取られたらしい。実際美味しいんだけど。

「あ、うん。タマモキャットでしょ、今日の当番。タマモキャットの料理って日本だ?、って感じがして、好きなの」

 これは本当。ブーディカさんやエミヤの料理も美味しいけれど、それは非日常の美味しさだ。行ったことのない土地の民族料理や、和食の中でも豪勢なご馳走。
 タマモキャットの料理は、有り合わせの食材をいかに有効活用するか、っていう創意工夫に満ち溢れている。多分、私が以前お母さんの手料理が食べたい……とぼやいたのを覚えてくれているんだろう。あれから、タマモキャットのご飯は家庭料理テイストになった。
 思い出したらしんみりしてしまった。
 今、家族はいない。漂白された人理に巻き込まれて、存在そのものがなくなってしまっている。

「……マスター、今日の予定、どうするんだ?」

 胸の痛みが伝わってしまったのか、アーラシュはさりげなく話題を変える。
 今日の予定。シュミレーターでの戦闘訓練。お母さんたちを助けるために、強くなる必要があるから。そう、だから落ち込んでる暇はないのだ。
 アーラシュを安心させるためにも、気持ちを切り替えて笑いかけた。

「今日はロビンフッドたちアーチャークラスの人たちと模擬戦闘のつもり。で、気分を上げてから、微小特異点の調査!」
「そうか。もし俺が戦力として必要な時はいつでも言ってくれよ」
「うん、ありがとう! でも多分、アーラシュの手を煩わせるような案件ではないと思うから、大丈夫だよ」
「──それは、オレならコキ使ってもいい、って意味ですかい? マスター」
「ロビンフッド!」

 後ろから、ロビンフッドの声がかかる。緑の外套を羽織る弓兵は、いつも通りの飄々とした笑みを浮かべていた。
 ちょうど、料理を食べ終え食器を戻しに行くタイミングで通りかかったのだろう。空の食器を持っている。

「ま、オレはしがない平民ですからねぇ。英雄サマよりはコキ使っても罪悪感はないよな」
「そういう意味じゃないよーっ! もう、からかわないでよ、ロビンフッドぉ」
「どうだか。俺たちのマスターは結構人使い荒いですからね」
「そ、そうかなあ」

 けたけた笑って言うだけ言うと、ロビンフッドは厨房まで食器を下げに行ってしまう。
 肩を竦めて唇を尖らせる私に、アーラシュはけたけた笑った。ロビンフッドの背中に声を掛ける。

「俺でよければ、いつでも変わってやるぜ? ロビンフッド」
「ジョーダン。受けた仕事は最後まで全うしますよ」

 片手をひらひらさせてロビンフッドが答える。彼は面倒くさがるような言動が多いけれど、その実とても真面目な人だ。
 特異点でいつもお世話になっているから、よく知っている。素直じゃないんだ。
 ロビンフッドの歩みに合わせてひらひら揺れるマントを見ながら、ぼんやり思う。

「……本当に、いつでも言ってくれよ」

 アーラシュが机に身を乗り出して、いつになく真剣な口調で言う。
 真面目な表情にドキリとしてしまって、ごまかす為にカレーをかっこんだ。

「ありがとう。アーラシュの力が必要な時は、ちゃんと言うね」
「そうしてくれ」

 アーラシュが片頬を釣り上げて、朗らかに笑う。
 あー、かっこいい。あー、好きだなあ。
 千里眼ってことは私のこの感情もだだもれなんだろうけど、アーラシュは素知らぬ顔だ。それが有難い。
 そう、千里眼で人の汚い思考もなにもかもを包み隠さず見てきただろうに、それでも人を慈しむ優しさと強さを持っている英雄なんだ。……単純に、すごいと思う。尊敬する。
 本当に眩しくて、好きになって当然の人だ。アーラシュは。私がどうしようもなくなるのは当然だと思う。うん。
 あー、好き……。
 いや、ちょっと私落ち着こう。

 お茶を飲み込んで、思考も押し流す。

 アーラシュは積極的に戦いに出たいと主張するタイプではないけれど、この話題が続くのも少し都合が悪い。いや、私がそう考えていることをわかっているから、一歩引いた態度をとってくれているのかもしれないけど。

 手早くカレーを食べ終え、立ち上がる。

「マスターは、もうお食事は終わりですか?」
「ん。午後の準備しないとね。人理修復の為には、休んでいられないよ」
「無茶は禁物ですよ、マスター。過労死してしまいますから」
「ご忠告どーもっ! じゃあね~」

 挨拶と共に食器を持ち上げ、アーラシュたちと別れた。
 逃げた、と言っていいのかもしれない。
 アーラシュが好きだけど、だからこそ、戦闘面での彼には引け目というか、文句というか、そういう気持ちがある。言葉にしない考えで彼を困らせたり気を使わせるのが嫌だから、私はつい戦闘の話となるとアーラシュを避けてしまう。

 ――だから。
「今回の特異点は、アーラシュに同行してもらうよ」
 ダ・ヴィンチちゃんがそう言った時には困った。そのあとの会話がほとんど耳に入ってこないほどに。
 古代ペルシャがどうのアーラシュが適任だのと言っていた気がするけれど、定かではない。
 私は隣に立つアーラシュが涼しい顔をしているのを見て、勝手にいたたまれない気分になった。

「マスター、よろしくな。久々だな、マスターとレイシフトするのは」

 レイシフトの前に、アーラシュはそう声を掛けた。
 私はどう返答すればいいのかわからず、眉をしかめて息を吐くことしか出来ない。

「……まあ、仕方ないかあ。よろしく、アーラシュ」
「そんな顔するなよ、マスター。……もうマスターに怪我はさせないさ」
「アーラシュ! わかってるでしょ」

 アーラシュはわざと、私の不満を取り違えた。非難すると、彼は困った顔で頭を掻く。

「今回のレイシフト、ぜったい私の指示に従って。無茶はしないで」
「もちろん。出来る限りそうするさ」

 あっけらかんとするアーラシュが好きだけど、このときばかりは憎らしい、と思った。


   ***


 時間はすこし巻き戻す。
 マスター運はいい方だと思う。思想の噛み合わない相手と組む羽目になったことは少ない。
 特に今は、焼却された人理を取り戻すという大義がある。通常の聖杯戦争では敵同士としてまみえる誉れ高い英雄と共に戦えるのは、ストレスがなくていい。
 ――とはいえ、あのマスターとの付き合い方には、軽く悩む。
 食堂を後にするマスターの背中を見て苦笑した。

「振られてしまいましたね」
「ははは、そうだな」

 隣に座る不夜城のキャスターに話を振られ、俺は笑った。
 彼女の真名は千里眼でとうに見通しているが、彼女が秘匿を望むので、俺も開示はしない。そんな俺に引け目と感謝を抱いていることも、伝わっている。

「マスターにはな、嫌われちまってるんだ。いや、好かれている自覚はあるぜ? 戦闘面、でな」

 嫌われている、と言った瞬間不夜城のキャスターが眉をひそめて怪訝な顔をするので、俺は言葉を付け加えた。
 マスターの好意は知っている。本人も俺の千里眼を知っているから、大して隠そうともしない。

「ああ……そういうことですか。アーラシュ様も、マスターのことを大切にしてらっしゃいますね」
「まあ、いいマスターだからな」

 ――えっ、アーラシュさんって心読めるの!? なんだあ、生理なの隠してたけど、意味ないね。お腹痛いからちょっと休んでいい?
 俺の千里眼を知った時、マスターはけろりとした顔でそう言った。
 気を使って体調不良を隠していたのに見透かされていて、結果として俺に妙な気の使い方をさせた。そのことにため息を吐いていた。
 隠し事がなくあっけらかんとしていて、切り替えが早い。デリカシーがないと言う評価もあるだろうが、俺は好きだ。
 俺が心を見通せると知って、心の中で俺に対する思いをぐるぐる巡らせて百面相するところなんか、言っちゃ悪いが面白いしな。
 本心はどうあれ一線を超える気がないところもいい。助かる。
 まあ、つまり、いいマスターだ。

「いいマスターだ。だからこそ……」
「戦いを避けたい私だけでなく、アーラシュ様のことも戦場から遠ざける……」

 不夜城のキャスターの言葉に、俺は苦笑した。背もたれに身体を預ける。

「困るよなあ」
「ですが、そんな様をアーラシュ様は好んでいらっしゃるのですね」

 彼女が柔らかく微笑む。俺は瞬きをしてからすこし考え込んで。
「そうだな。本当に……いいマスターだと思うぜ」
 そう返すと、不夜城のキャスターは眉を下げて、よりひそやかに微笑んだ。


 そう。いいマスターだと思っている。人間としても好ましい。
 だから――泣かせたくはない。んだが……。


 ごめんなさい、とマスターから言われる度、不思議な気分になる。
 俺は、神の時代から人の時代に移り変わりゆくなかで、神代の身体を持って生まれた。
 生まれついて人ではないから、人であるマスターの感覚はわからない。千里を見渡し人の心さえ見透かす眼を持ってしても、他人の感情は共感しがたい。

 ごめんなさい、とマスターが言う。ひび割れ血の吹き出る俺の身体を見て、顔を歪めて嗚咽を漏らす。
 大地を割りペルシャとトゥランに国境を作った流星の如き一矢。宝具の使用で俺の身体はずたずたに壊れていたが、マスターが持たしてくれた礼装のおかげでなんとかその形を保っている。
 とはいえ利き手はちぎれ飛んでいるし、足などはあらぬ方向にぐにゃぐにゃに曲がり果てているが。一命はとりとめたのだから、まあよしとするべきだ。
 時間をかけて治癒してもらえれば、なんとかなる。だから大した問題はない。
 俺はそう思うのだが、マスターはそうではないらしい。ぼやけた視界でもマスターが泣いているのは知覚できた。

 俺の命がけをはいつも嫌がって、泣いて、怒る。
 それが……よくわからない。
 俺と同じ事をマスターが諫めただろう。人類最後のマスターが死ねば、それで世界は終わりなのだから。

 俺が生前、己の矢でペルシャとトゥランに国境を築いた時そこに自己犠牲の精神はなかった。
 長きにわたる戦いがあり、疲弊した民がいた。誰もが戦争を嫌がってるのに、あとに引けなくなって止められなくなった戦いだ。
 俺には戦争を終わらせる力があった。そうであれば悩む必要もない。だから俺が、戦争を終わらせた。それだけの、当然の話だ。
 だから、普通の人間の痛々しい自己犠牲に怒るように、俺に怒るマスターは理解出来ない。感謝で泣かれることはあれど、悲しみとやるせなさで泣かれることなど、生前ついぞありはしなかったからだ。

 ごめんなさい、とマスターが泣く。ひしゃげた手の甲に生ぬるい水滴が落ちて、つるりと地面に落ちる。

(やばいなあ)

 胸が痛い。
 必要とあれば何度だって矢を放ち死んでもいい。その痛みは受け入れる。
 だが、今のこの胸の痛みは受け入れがたい。彼女の涙を見たくない。

 泣き声を聞いているのが辛くて、笑って欲しくて。ぐしゃぐしゃになった手をうろうろ動かして、彼女の手に触れた。腕を辿り、迷った末に肩を抱き寄せる。
 胸に、とすんとなにかが当たる。マスターの額だ。だがマスターは、俺に寄りかかることをよしとしなかった。
 体重をかけようとしないマスターに、思わず笑ってしまう。

(ごめんな)

 かすれた謝罪はほとんど吐息でしかなかったが、マスターには伝わったらしい。

「あやまる、なら、最初から、しなっ……で、ばかぁ」

 しゃくり上げるマスターの言葉は非難めいていたが、そこにあるのは自責だ。
 俺への心配、罪悪感。自分が魔術師として強ければ俺に宝具を使わせることもなかったはずだ、という、己自身への怒り。全て伝わっている。
 なんとか口を開けて、きちんとした声を出そうとした。喉の奥で血が溢れ、咳き込みながら。

「守っ……らせて、くれよ。マスター」

 口の端に血の泡を溜めながらの濁点混じりの言葉は、到底英雄らしいとは言えない。
 マスターの魔力が、触れた肩や指先から流れ込んでくる。礼装による補助を受けた治療魔術だ。それは、アーラシュの肉体の怪我を少しずつ癒やしてくれる。

「私、アーラシュが好きだよ。だからさ、あんまり、無茶しないでよ。お願いだからさ、強くなるからさ……」

 この場合の好きは、個人に向けた恋愛感情ではなく、他者全般に向ける愛の話だ。
 マスターは己の隣人を愛するようにサーヴァントにも慈しみを向け、誰かが傷つき悲しむことを心から厭うことが出来る人間だから。――だから、守りたいと思ったのだ。
 修復されてきた手でマスターの肩を撫でながら、重みのないマスターの体を感じる。
 もう少し頼りがいがあれば……あるいは逆に、流星のごとき一矢など撃てない程度に打たれ弱ければ、マスターは己の胸板に身を預け、支えられてくれただろうか。
 己の行為にも境遇にも後悔や悩みはないのに、そんなことを思った。


   ***


「体の調子はどうだい?」
「問題ないよ。調整ありがとうな」
「とんでもない。微小特異点だから危険は少ないと判断してしまった、我々のミスだ」

 ダ・ヴィンチがすまなそうな顔をして眉を下げる。俺の負傷を謝る必要はないのに、律儀なことだと思う。無事再生された利き腕を広げて「気にするな」と笑うと、ドクターはほっとして笑顔を見せた。

「よかったらちゃんのところに顔を出してやってくれないかな。アーラシュの怪我をすごく心配していたから」
「……そんなにしょい込む必要ないのにな」
「あの子は優しい子だから」

 苦笑するダ・ヴィンチに、俺も頷いた。
 人類史に刻まれた英雄を、己の隣人のように愛し、慈しみ、心配するというのは、簡単に見えて難しい。彼女の美点であり欠点だ、と、思う。
 サーヴァント用の医務室を出て廊下を歩いていると、千里眼で探す必要もなくマスターはすぐに見つかった。
 廊下の先でロビンフッドと何かを話し込む背中が見える。肩を落とすマスターの肩を、ロビンフッドが気さくな態度で叩いている。
 レイシフト先での……俺との出来事に落ち込み、慰められているのだろうか。

「マスター」

 後ろから声をかけると、マスターが肩を揺らして振り返った。俺の姿を認めるとぱっと目を輝かせ……それからはっとして視線をそらした。
 ロビンフッドのマントをめくりあげ、彼の背中とマントの中に隠れてしまう。

「ちょっとちょっと、オレを盾にしないでくださいよ」
「あー、ずいぶん怒らせちまったみたいだな、俺は」

 まるで兄の背に隠れる妹だ。さしずめ、俺はいじめっ子だろうか。
 慌てるロビンフッドに片手をあげて、大丈夫だと示す。
 目線で許可を得てロビンフッドのマントを捲り上げる。ロビンフッドの背中に額をこすりつけるマスターの視線の位置までかがんで、名前を呼んだ。


「……」

 ふてくされた様子のマスターは、なかなか俺と視線を交わしてくれない。そっぽを向いて無視される。

「なあ、怒ったままでいいから、これだけ教えてくれ。怪我はないか?」
「…………。おかげさまで」

 ふくれっ面のマスターが、しぶしぶ口を開いた。すこしほっとする。

「よかった。宝具まで撃っておいてマスターに怪我させたんじゃ、みんなに顔向けできないからな」
「そういうの、いいよ。やめてよ」
「そうだな。悪かった」

 ロビンフッドが苦笑した。ちょっと困っているのが見て取れる。ロビンフッドのためにも俺が引いて、そっとしておいてやるべきなのかもしれない。でもどうしてもこれだけは伝えたい。

「……生前、あの矢を射ったことを後悔なんかしてないんだ。俺に能力があり、助けを求める声があった。なら、それに応じるのは当然のことだろう?」

 マスターは顔をむすっと歪めながらも、口を挟みはしない。黙って聞いてくれるので、言葉を続ける。

「周りの人間も、当然のことのように俺を英雄だと崇めてくれた。……だからさ、慣れてないんだよ。マスターみたいに……誰かに心配してもらうのはさ」

 少し恥ずかしい内情だ。ロビンフッドの反応を気にしつつ、照れ隠しに頬を掻いた。

「……あのさあ、慣れてないなら、心配させないでよ。いや、私の力不足が原因なんだけどっ」
「うん、善処するよ。……あっ、違うな、宝具を撃つような状況にさせない。その前に敵を倒す! 必ずだ! ……で、いいか?」

 笑いながら問いかけると、マスターは俺の言葉に満足したのか、おずおずとマントの中から出てきた。
 隙間に入り込んだ猫が出てきてくれたような心境になっていると、
「痴話げんかなら外でやってください、人のマント越しにやらんでくださいよ」
「うわっ!」
 ため息交じりのロビンフッドがマスターの背中をどんと突き飛ばした。よろけたマスターを片腕で受け止めると、小さな身体が腕の中におさまった。

「あ、ご、ごめん」
「いや」

 マスターはすぐに俺の胸板を押して、一歩身を引く。
 接触が恥ずかしかったんだろうか。その顔は急速に真っ赤になってしまう。

「……えと、あの、ほんと、私強くなるね。アーラシュが宝具使わないでもすむぐらい強くなるので。急務で。それでは!」

 ぎこちない動作で後ずさったあと、マスターは耐えきれなくなったように踵を返して走り出した。

「あ、うん。でも無理するなよ。俺も頑張るから……大丈夫かな。こけないといいが」
「あんたが追いかけたら確実にこけると思いますよ」
「だよなあ」

 もつれそうになっている足が気にかかるが、引き留めるのは逆効果だろう。
 ううん。好かれるのも考えモノだな。
 それにしても、マスターって体重をちゃんと預けた時でもあんなに軽いのか。それに、普通の時に肩を抱くとあんな反応をするのか。
 一瞬抱き留めただけだからよくわからなかったが、ずいぶん細くしなやかだったように思う。いや、徒歩でアメリカ横断していたはずだし、俺が力持ちなだけか。
 手のひらに、マスターのぬくもりが長く残っていた。


   ***

 なんだか最近、アーラシュとよく目が合う気がする。
 自分がよく見てるんだから、当然だろう。気にしすぎだ。そうは思うものの、自分がアーラシュに気づくより先にアーラシュが自分の方を見ている、気がする。

「よぉ、マスター」

 気さくな態度でアーラシュが片手を上げて、挨拶してくれる。……まぁ、サーヴァントなのだから、私より先に私に気づいてもおかしくはない。当然の話だ。

「よお、不夜城のキャスターも」
「ええ。おはようございます……」
 だって、目がよく合うことを除けば、アーラシュは本当にいつも通りだ。だからやっぱり、自意識過剰だろう。

「シュミレーター帰り? 最近よく行ってるみたいだね」
「ああ。もう謹慎食らいたくはないしな。それに、宝具撃つ前に終わらせるってお前と約束したからな」

 ──あぁ、本当、好きだなぁ。
 すべての人間に等しく降り注ぐ、分け隔てのない愛だとしても構わない。それを受け取れる位置にいれることが嬉しい。心からそう思う。





2020/02/06:久遠晶
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