エドガーと王妃
支配者は打ち倒され、世界に平和が取り戻された。
そうして、死んでしまったと思っていたあの方も帰ってきてくれた。
それはなんという幸運で、なんと言う幸せなのだろう。
愛する者と結ばれ、輝かしい未来を共に歩める喜びを、細胞の一つ一つが歓喜して歌うようだった。
災害の爪痕はいまだ各地に残るものの、国民とひとつになり乗り越えていけると信じた。
もう、恐れるものは何もない。希望を胸に歩いていけば不安はないのだ。
ただひとつの──極めて個人的な──懸念を除いては。
今日もあの方が寝所にやってくる。
足音が近づく度、私の心臓は握りこまれたようになって冷えていくのだ。
あの方がベッドの端に腰かける。音もなくベッドが沈み、節張った指先が、背中を向ける私の頬を撫でる。
「寝ているのか? レディ」
「……エドガー、様」
「嫌な夢でも……?」
「……?」
「ひどく悲しい顔をしている」
エドガー様は目ざとい。女性の変化にいち早く気づく観察眼が、私は嫌いだ。
どんな些細な変化も見逃さず聡明なこの方は、私の本心などとっくのとうに見通しているだろうから。
エドガー様の胸に寄り添うと、その大きな腕で私を優しく抱き締めてくれる。
私の心音がトクトクトクと早くなっていく。なのに、エドガー様の鼓動はいつまでも変わらない。ゆったりしていて穏やかだ。
そのことにひどく絶望的な気分になる。贅沢者だと、自分で思う。
「子を成す準備はできております」
「ああ……そうだな、レディ。フィガロのため……世継ぎを頼む」
優しく私を組み敷くエドガー様の目はどこまでも理性的だった。私の胸は高鳴り、頭はどうしようもないほど冷えていく。
「名前……」
「うん?」
「名前を、呼んでくださいませ」
「ああ……」
エドガー様は静かに私の名前を呼ぶ。吐息も、熱もなく、ただ文章を読み上げるように事務的に。
口のなかに苦味が広がって、表情を保つことに苦心する。
私は目をつむって、口をつぐみ、エドガー様が意中の女性を想像しやすくすることだけに集中し続ける。
極まりのときでも、決して愛しているとは言わない。相手の名前も呟かない。その誠実さに、ただ感謝していた。
2016/07/24:久遠晶
試験中。もしいいね! となりましたら送っていただけると励みになります!