エドガーとマシーナリー
「おや、またいらしたんですか、エドガー様」
エドガーがフィガロの地下に赴くと、そこにいた女整備士が戸惑ったように眉をひそめた。
自国の王に頻繁に顔を出されてはおちおち仕事もできやしない。そう言いたげな批判的な視線に、エドガーは苦笑した。
「空調の調子はどうだい? まぁた変なのが絡み付いていたら厄介だからな」
「今は問題ありません。我々もきちんと点検はしているんですけども……」
「単なる息抜きだ。君らがうつつを抜かしているとは思っていないよ」
フィガロ城のエンジン部をぐるりと見渡しながら、エドガーは女整備士に笑いかけた。
視察は口実で、実際はこの女整備士と同じ空間に居たいから……というのが本心だった。
「――なら来なきゃいいのに。こうも頻繁に来られると……」
不満げな呟きはしっかりとエドガーの耳に届いた。大臣がこの場にいれば王に向かってなんたる言い草だと大問題になるところだが、あいにく今はエドガーと女整備士の2人きりだ。なので、この不敬な呟きは黙認される。
エドガー自身、身分差に気を使われるよりは歯に布着せぬ態度のほうが付き合いやすいと思うタイプだ。女整備士の態度はかえって好感をもてる。
はじめて会った頃に比べれば、声を小さくするだけ丸くなった方だ。
女整備士と出会ったのは、サウスフィガロの港でのことだった。
他国からの密漁や違法アイテムの輸入、いさかいが問題になっていた時期だ。街への影響を憂慮したエドガーは抜き打ちで商店や船員の監査を行わせ、 彼自身もそれに同行した。
船員たちが慌てて獲れた魚を差し出す。
怯えながらも不正はない主張する中で、彼女だけが知らぬ顔で船の整備を行っていた。
機関室に踏み込み引きずり出そうとするとする部下を止めたのは、単なる興味本位だった。国王自らが監査に出向いた状況で平然と整備を続行出来る度胸に、顔が見たくなった。
船の機関室で、彼女は一人で船の中エンジン部分の整備を行っていた。
ボルトを締め、メーターを監視し、基盤を交換し、外装を洗う。
流れるようなしぐさで、ただの一度も手を止めることなくエンジンの問題を解決していく姿に、エドガーはマシーナリーとしてひどく感心させられたのだ。
背後で見守るエドガーや兵士を意図的に無視しているのか、それとも気づいてすらいないのか。どちらにせよ技術は巧みだ。
部品を扱う指先は繊細で、赤子を抱くような慈しみに満ちている。部下にも見習わせたいとすら思った。
整備が終わり、座り込んでいた女整備士が立ち上がった。急に動いた為かふらついたその身体に手を伸ばし、胸に抱きとめて支える。
──大丈夫かい?
──エドガー王?
──ああ。整備を見させてもらった。きみ、名前は?
名前を尋ね、技術を讃える言葉を遮って。
頬を襲った衝撃を、エドガーはずっと覚えている。
激昂した兵士が女整備士を引き倒し、首に槍を当てて動きを封じる。逸る兵士を止めながら、エドガーは頬を押さえた。
──その服を仕立てるのに金貨が何枚必要で、何人の職人が必要かご存じか。
エドガーを平手打ちした拳を震えるほど握りしめ、女整備士は怒りを瞳をにじませてそう言った。貴方は人を支える役割でもなく、そのための服を着ていない、と。
自らの服に視線を落とすと、彼女を抱きとめた腕にうっすらオイルがにじんでいた。腕だけではない。手足もすこしすすけている。
国王に支えられたことに感謝や動揺をするより先に、その服が汚れ、職人の努力が徒労になることを嫌がる性質。
本来であれば国王に手をあげるなど正気の沙汰ではない。船長は目を剥いて驚き、女整備士の頭を殴って平伏し謝ったものだ。
頭を下げつつも自分の非は認めていない彼女の瞳が、エドガーはかえって気に入った。
だから彼女はここに居る。
フィガロの城の、命とも言えるエンジン部に。
***
追想は、自分を呼ぶ声に引き戻された。
「エドガー様」
「ん、なんだい」
「視察するなら真面目にしてください」
ぼーっとするなと冷たく言われ、エドガーは肩をすくめた。図星だから言い返せやしない。
「先程言いましたように、毎日点検はしています。地下洞窟の見回りもしてますし、もう植物のツタで空調が止まる、移動出来なくなる……と言うのは考えにくいかと。断言はできませんが」
「世界が崩壊してからモンスターが凶暴化した。ケフカを倒して緑が戻りつつあるとは言え、悪影響が消え去ったわけではないさ」
「おっしゃるとおりでございます。常に万全の態勢で警戒します」
ピシリと背筋を伸ばし女整備士が敬礼する。気合を入れ直したようだ。
「なにか不審な点や違和感があれば遠慮なく言うといい。なんなら直接私が聞いても構わない」
「それでは遠慮なく……あ、いえ」
「どうした?」
「さすがに大臣や上司に怒られそうなのでやめておきます」
「言いなさい」
命じると、女整備士が逡巡した。もう一度『どうした』と問いかけると、困った顔で口を開く。
「城の動力部に致命的な欠陥が発見されました。エンジンに植物が取り付いた影響だと思いますが。一度や二度動かすぐらいなら可能でしょうが、何が起こるかわかりません。爆発の危険もあります」
「なるほど。旅の間、こいつには何度か世話になったからな……」
「元々、一度に何回も動かすことを想定されてませんからね。何度か上には掛け合ったのですが、武器開発で忙しいらしく一蹴されました。今重要なのはモンスター討伐の方ですから、仕方がありません」
「ふむ」
エドガーは顎に手を当てて考えた。
モンスター討伐のため兵器開発を優先する意向もわかるが、女整備士の進言もわかる。
城のエンジンを起動させねば安全だ、という問題ではないのだ。
フィガロの国設立の時から、動く城の伝説はある。フィガロの誇りでもあり、象徴でもある。この機構に助けられたことは歴史的に見ても少なくはない。
致命的な欠陥を放置することはフィガロの威厳に傷がつくと同時に、有事の際の選択肢が一つ減ってしまうことでもある。
兵士の心の拠り所や士気にも関わる。
「その問題は私の胸に留めておく」
「感謝致します、陛下」
女整備士が深々と頭を下げる。エドガーもそれを受け入れた。
本当であれば、王と民という間柄を捨て去り、一度酒でも飲み交わしながら機械について議論を交わしたい相手だ。
もっと言えば口説き落としたい相手でもある。つれない態度はエドガーの男の部分を刺激するし、冷たくあしらわれても嬉しくなってしまう相手だ。
通い詰めてもいい顔をしないから、かえってそれが面白い。本人にしてみればたまったものではないだろうが。
笑みが漏れた時、彼女の額にオイルを汚れを見つけた。敬礼の時に手袋から移ったのだろう。
「オイルが」
「あら、失礼致しました。差し出がましいですが、陛下も頬についてますよ」
「なに」
「ほこりが、すこし。ええとれました」
エドガーが自分の頬を撫でると、女整備士がフッと笑った。
「そんな埃をつけて淑女に挨拶したらいけませんよ。いい加減ここからでないと、お召し物にオイルの臭いがつくのでは?」
「オイルの臭いはきみの匂いだ。きみの香りを纏うことができるなら、それは光栄なことだな」
「ふふ、面白い」
いいながら、女整備士が自分の額についたオイルをツナギの袖でぬぐう。薄くはなったもののオイルの黒ずみは広がってしまった。
通常であれば『私がぬぐってあげよう』と手を出すところだが、この女整備士にそれをやると激怒されかねない。よくて口を聞いてもらえなくなり、悪くてフィガロから出奔されるだろう。美しい女と技術の流出はフィガロの大きな痛手だ。
「どうかなさいましたか、陛下」
「いや、君に見とれていた」
「お世辞が下手でらっしゃいますね」
息を吐くように口説き文句が口からでる。歯に布着せぬつれない速答に、エドガーは肩を竦めた。
培った口説きのテクニックも、機械を愛するこの女整備士には通用しないのだ。
「世辞ではない。なによりも機械を愛しているのが、きみの手つきを見るだけで伝わってくる」
「もったいないお言葉です」
満更ではないらしく、女整備士はゆるりと微笑んだ。当たり前だ。機械への情熱を認められ、よく思わない技術者はいない。エドガーだってそうだ。
技術者はいつだって道具に愛を注いでいる。それはともすれば容易く人間への関心を凌駕する。女整備士もその類の『機械バカ』なのだ。
機械を見つめる視線は恋をする少女のように熱っぽく、触れる指先は繊細で雄弁だ。
だからこそ、エドガーは彼女を安心して口説けるのだ。そして本心から。
「いつかその情熱的な視線で私のことも見てもらいたいね」
「ご冗談を」
笑いながら口説き文句を流される。そんなところがたまらない、とエドガーは思い──いよいよ怒られる前にと、機関室から撤退したのだった。
──今度他国への視察に、彼女を同行させるか。彼女にはそれだけの技術がある──フィガロ城を歩きつつそう考え、エドガーと本来の仕事へと戻った。
2016/07/24:久遠晶
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