憧れの偶像


 恋をすると美しくなる、と俗に言います。
 それは間違いではありません。恋をするとホルモンの分泌が活性化し新陳代謝はよくなり肌にはハリが出る。同時に意中の相手を見つめるときには瞳孔が拡大し、相手の一挙一動に集中します。
 恋は一時の気の迷い、といいますけども。
 いいじゃないですか気の迷い。
 誰かを愛するのはとても尊いことです。恥じることでもさげすむことでもありません。


  ***


「私はそう思うんですよ、さん」
「ご高説ありがとう、竜崎さん」

 竜崎の話を聞き終えたわたしは、手に持った紅茶を飲み干した。その様子を、向かい側のソファに体育座りする竜崎が物欲しそうに眺めている。……いや、もったいなさそうに、というべきか。
 砂糖を入れれば紅茶はもっとうまくなる。と、甘党の竜崎はそう言う。あいにくわたしはストレートティ派で、砂糖は苦手だ。竜崎もそれを知っているのに、彼はわたしは砂糖入りの紅茶を飲んで欲しくて仕方ないらしい。
 我が道を生き、他人に興味なさげな竜崎だ。大の甘党であるとはいえ、他人に強く主張するほどのこだわりでもないくせに、なぜだか竜崎は好みを押し付ける――わたしにだけ。
 竜崎は隈の濃いどんよりとした瞳でわたしを見つめ、首を傾げた。

「あなたはどう思いますか?」
「恋愛の話? さぁ……あんまり縁がないんですよね、こういう仕事をしていると他人というものが信頼できなくなってくるので」
「私立探偵の悲しいサガですね」
「人を疑うのが仕事ですから。世界の名探偵にもそういうことが?」
「あいにくですが、特には。相手の人格を見極める審美眼はあるつもりですよ」
「それは確かに」

 わたしは室内を見渡して肩をすくめた。
 キラ対策本部の人員は必要最小限――いや、必要数すらそろっていない少数精鋭だ。その分、竜崎が信じた者だけがここに存在している。
 わたしも含めて……。
 自然と背筋がのびる。世界最高の探偵、Lが眼前にいる。それを意識するとつい身構えてしまうくせは、知り合って数年が経つがいまだに抜ける気配がない。
 もともとはLの手足のひとつでしかなく、こうしてLに『謁見』できるようになったのはキラ事件があったからだ。キラ事件がなければ、竜崎都の関係はモニター越しのビジネスライクだっただろう。
 そういう経緯があるので、わたしは未だにLを前にすると緊張してしまう。私が引こうとする上司と部下としての境界線を、L――竜崎は好ましく思っていないようだが。

「緊張するのはやめてください。私まで緊張します。これ以上ドキドキさせてどうするんですか」
「ムリな相談ですよ、肩の力抜けませんって。……って、ドキドキって、ええ?」
「わかりませんか?」
「まあ、キラ事件対策本部のトップですものですね」

 わたしは視線をそらした。
 いつ殺されるかもわからない。キラ事件の核心に迫れば迫るほど殺されるのリスクが高まる状況で、横にピリピリガチガチ緊張している人間がいたら、心が休まらないのも当然だ。

「命がけの現場です、休めるときには休みたいですよね。すみません……」
「そうじゃありません」

 竜崎はこれ見よがしに溜息をつくと、テーブルの上のケーキに手を伸ばした。手づかみでぱくつく。
 見ているだけで胃もたれしそうだ。これだけの糖分を摂取したうえでガリガリの体を維持しているのだからものすごい。推理に頭を使うんだろうな。率直な意見を言わせてもらえば、糖尿病が心配になる。

「わかりませんか」
「わかりません」
「私のこの、瞳孔が広がった目を見ても?」
「寝不足なのかなとしか」

 落ち窪んだジト目で睨まれて萎縮する。竜崎の心は読みづらい。
 わたしも探偵のはしくれなのだから、人の心を読んだり計算するのは得意のつもりだ。しかしつかみどころのない竜崎はやりづらい。篭絡する気がないのでやりづらくっても別にかまわないが、こういうときにはすこし困る。
 竜崎は子供のようにむくれっつらをした。歳は結構いっているはずなのに、こういうしぐさをしていると年齢すらもはかりかねる。
 こういうころころ変わる見え方が、彼を世界一の探偵たらしめているのだろうか。

「あなたが恋愛に縁がないのは……」
「その話に戻るんですか?」
「鈍感だからだと思います」
「えぇ?」

 思わず溜息が出る。世界一の探偵の考えることは突拍子がなくて理解できない。
 会話の流れを『普通に』考えるのであればモーションをかけられていると判断するところだが、相手は竜崎だ。

「からかわないでくださいよ。これでも仕事上必要なとき以外色事に触れたことってないんですから」
「そうなんですか?」
「まあ……中学校のころにあこがれてた人はいましたが」
「相手がうらやましいですね。どんな人だったんですか?」
「手の届かない人でしたよ」

 世界一の探偵の偶像に惚れていたといえば、目の前の男はどんな顔をするだろう。笑うだろうか、悲しむだろうか。きっと面倒くさそうにじとっとわたしを見て、『そんなことよりもこの書類から情報を抜き出してください』などと激務を言い渡すに違いない。
 つくづく、恋をするには難儀な相手だ。探偵Lも、目の前の男も。
 苦笑すると、竜崎は怒ったようにわたしを見た。話が通じない人間のために会話レベルを落とすときの、この表情。失望と同意義なのかもしれないけれど、嫌いではない表情だ。

「……そんなことより仕事をしましょう、さん」
「あなたが無駄話をしはじめたんじゃないですか」
「休憩だって時には必要です」
「それなら仮眠したほうが」
「添い寝してくれるなら考えますが」

 竜崎はさらりととんでもないことを言いながら、膝に手をついて立ち上がった。

 扉から出て、捜査室にいる夜神さんに話しかける。その顔に、子供じみた表情は既にない。
 頼りがいのある表情はまさしく『L』のものだ。
 溜息をついて、私も立ち上がった。
 戯言は終わりだ。
 ややあって、わたしも仕事モードへと切り替わった。





2016/01/18:久遠晶
これも携帯サイトからのサルベージ未遂作品……だから!アップロードして!作品一覧にリンクを!張り忘れすぎだよ!

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萌えたよ このジャンルの夢もっと読みたい! 誤字あったよ 続編希望!