寄り添えない焦燥
宇宙船ノルマンディーSR2号。
その、長らく閉鎖されていたライフサポート室が開放された。
とはいえ、重病人が出たわけではない。新しくノルマンディーの仲間となった者にとって、その場所が一番快適だっただけの話だ。
湿気が大敵のドレルが、艦内でも比較的乾燥しているライフサポート室に居着くのは当然だ。
ドレルのアサシン、セイン。暗殺者という血生臭い職業とは裏腹に、彼は非常に礼儀正しく、温厚で、物静かな男だった。
職業人としての冷徹さではない。もっと大きななにかに殉ずるような、敬虔で静謐なものを感じさせる――と、出会って幾ばくもないチームメイトをはそのように評価していた。
セインへの評価が妥当なものかはわからない。
だがは、いつも物思いにふける暗殺者を好ましく思ったし、シェパードもそれは同様のようだった。銀河を救った英雄、シェパード少佐が認め、仲間にひきぬいた人材。そうであれば、セインを疑う余地などなかった。
ノルマンディー号、クルーデッキ。夕食の時間になると、食堂は人が集まって賑やかになる。
やれ、今日のめしはうまいなどという声が、ガヤガヤと聞こえてくる。
配給の列に並びながら、は周囲を見渡してくすりと笑った。
いつみても個性的な面々だ。人間至上主義のサーベラスのなかにサラリアンの研究者、トゥーリアンの元軍人、目覚めたてのクローガンがまじっている光景は変なかんじがする。
異星人を除外しても、黒いフードに顔を隠した泥棒、上半身裸の元囚人など、視線を集めるメンツばかりだ。
カレーを口にかっこむジャックと目が合うと、彼女は不愉快そうに眉根を寄せた。
相変わらず彼女は人嫌いだ。肩をすくめて苦笑する。
そこでふと、彼の姿がないことに気づいた。
「あれ、セインは?」
「セイン? そういや来てないなぁ」
の皿にカレーをよそいながら、炊事係のガードナーも周囲を見渡した。
暗闇に溶け込む黒いラバースーツもドレル特有の爬虫類のような外見も、ノルマンディーのなかでは目立つ。目立つはずなのに気配がなくて存在に気づきにくいのだが、こうして隅々まで探しても見つからないのはまれだ。
「まだ来てないみたいだ。今日は食事要らないのかな」
「いや、そんなはずは……」
「セインは瞑想中です。わたしの問いかけにも反応がありませんでした」
ガードナーとの会話を聞いたEDIが会話に割ってはいる。艦内を管理するAIは船員たちをよく見ているようだ。
「時間を忘れちゃってるんですね。ご飯届けにいってきます」
「健気なことだな」
ガードナーがクッと肩をすくめて笑った。意味深にからかわれる理由がわからず、はムッとする。
セインの分のカレーもよそってもらいながらの返事は、あきれまじりのものとなった。
「別に、彼を特別扱いしたことはないつもりなんですが」
「はいはい、そういうことにしとくさ」
どういうことになんだ。
あしらうようなガードナーの反応は大いに不服だったが、食って掛かっても泥沼にはまりそうなので黙りこむ。
こういうとき、年期の浅い若造は損かもしれない。
両手にカレーを持ち、食堂を抜けていく。
その時、背後から破裂音が響いた。
キッチンの水道が破裂して、ブシャアアッと水が噴出している。もろにかかったガードナーが悲鳴を上げる。
「うわぁっ!? おい、グラントなにやってんだ!?」
「蛇口が貧弱なんだ、銅なんか使うからだ」
食堂はちょっとした騒ぎに陥っている。
やばかった、もうちょっとあそこにいたら私も巻き込まれるところだった。
私は騒ぎをすり抜けるようにして、迅速に食堂を後にした。
セインのご飯のためだ。掃除には……まああの人数がいれば十分だろう。
ライフサポート室のスイッチパネルを肩で押すと、小さな駆動音とともに扉が空いた。
部屋の奥で椅子に座っているセインは、扉が空いたことに気づいていないらしい。
「セイン」
部屋の入り口から呼び掛けてみても返事がない。
「セーイーン」
「……ん」
もう一度名前を呼ぶと、しばし間があいたあと反応があった。
爬虫類によく似た瞳と目があって、自然との表情はほころんだ。
「食事の時間ですよ。あと、さっき、水道が壊れて食堂が水浸しになっちゃったんで、しばらく近寄らない方がいいかも」
「ああ……そうか、すまない。持ってきてくれたのか」
「ここで食べても?」
「もちろんだ」
セインは椅子から立ち上がって、に一礼した。
艦内の誰よりもセインは礼儀正しい。
暗殺者らしからぬ丁寧さに笑みがもれた瞬間、の胸にわずかな違和感が通り抜けた。
なんだろう、と首をかしげて、どうでもいいかと自分の心の機微を流す。
ライフサポート室に足を踏み入れ、テーブルにカレーを置く。セインの方はドレル用に調整されたものだ。
「いただきます」
両手を合わせ、セインは自らの神に祈る。神をあまり信じないも形式上はそれに合わせて目を閉じる。
最近、ガードナーの料理は旨くなった。素材が違うのかもしれない。
「カレーっていつ食べても美味しいなぁ、最近は特に」
「こちらのカレーも異星人に合わせてよく調味されている。彼は努力家だな」
「この前、ガードナーが頭抱えてましたよ。クォリアンやトゥーリアンたちは人間食べるものが違うから、味見ができないって。試行錯誤しているみたい」
「ありがたい」
セインが口元をほんのすこしだけ緩めて笑った。セインがノルマンディーにやってきた当初は、この表情の変化がよくわからなかった。
ライフサポート室に通いつめるうち、やっとセインの表情がわかるようになってきた。
嬉しい進歩だ。
カレーを咀嚼しながら、ちらりと部屋の隅に目をやった。
設置された除湿器は、セインのために24時間稼働している。購入したのはシェパードだが、嘆願したのはだ。
湿気は、肺に重大な疾患を抱えるセインの死期を早める。
除湿器程度で病の進行を送らせることは出来ない。焼け石に水なのだとしても、彼のためになにかしたかった。
せっかく仲間になったのだから……。
こういう態度が、ガードナーのからかいに繋がるのかもしれない。元軍医であるにとって、他者への献身は当然のものだ。仲間としても、ひとりの医者としても、打てる対策は打っておきたかった。
はよほどぼんやり除湿器を見つめていたのだろうか。セインがふっと息を吐き出した。微笑みだ。
「おかげさまで、住み良い場所になっている。感謝している」
「へっ」
「シェパードから聞いた。きみが除湿器を設置するよう取り計らってくれたんだろう」
「とんでもないです、当然のことですから」
頭を下げるセインに慌ててしまう。彼の丁寧すぎるところも困りものだ。
そうしてまた違和感が強くなる。セインと縮まった気がしていた距離が、また遠くなった気がする。
任務が終われば、サーベラスメンバーではない者はまた散り散りになる。セインとも他人に戻って、それきりなのだろうか。
任務から生きて帰れることをは疑っていない。
あの伝説の英雄、シェパードが最高のメンバーを揃えて指揮をしているのだ。
絶対に生きて戻れる。そう思わせてくれるなにかをシェパードは持っている。
だが……。任務が終えた後のことは、あまり考えていなかった。特にここ最近は。
漠然とした展望はあれど、意図的に考えることを放棄していたのかもしれない。
任務が終わる。それはつまり……。
目の前のドレルと離れるということであり、彼の死期が近づくことに他ならないからだ。
歴戦の強さを誇っても、優秀なスナイパーだとしても。見た目に変化がなくともセインは死期の近い病人であることに変わらないのだから。
――イリウムには仕事で二年滞在していたが、はじめてだ。
――ここの空はこんなにも美しかったのか……。
以前、シェパードと共にイリウムの商業エリアに買い出しに出掛けたとき、セインはそうひとりごちた。
手すりから身を乗り出し、緋色に染まる深い空をじっと見上げるセインの心中は、にはわからなかった。
ひょっとするとその呟きはイリウムに滞在していた2年間だけではなく、今までの人生をも含んでいるのかもしれない。暗殺稼業に手を染めてきたすべての時間のなかで、空の美しさに目を奪われることなどなかったのかもしれない……。それくらいの、には到底推し量れないほどの重みと、悲しみに満ちていた言葉だった。
ああ、なるほど。
と、は気づく。
セインの人柄は、少ない時間のなかでもよく伝わっている。好ましく思っている丁寧さにときおり妙な違和感を抱く理由。
――この人は、わたしのことなんて見てないんだ。
――いつも目の前の誰かではなく、もっと大きななにかを見ているような。
壁を感じる。といえばわかりやすいが、そんな単純なものでもない。には胸に渦巻く感覚をどう形容すればいいのかわからなかった。
ただ――もどかしい。
自分はセインになにが出来るのだろう、と考えてしまう。
死が確定している暗殺者。深い悲しみに生きる彼のことを、はあまりに知らない。
彼の死を看取る者はいるのか。悲しむ者はいるのか。――隣に寄り添う者はいるのか。あまりに知らなすぎる。
それらを聞ける間柄でないことがどうしてか悔しい。
甘口のカレーに苦味が増えた。気がした。
2016/7/3:久遠晶
マスエフェクトは2からはじめて現在プレイ中です。面白いですね!世界観が広大で歩くの楽しい!
よく練られたスペオペ世界観なので、うかつに二次創作書くとなにかしら設定間違いを起こしそうで不安なのですが……
とりあえずセイン氏とほぼ初対面の私からは今のところセイン氏はこう見える!というつもりで書きました。
設定間違いで書けるのは未クリアの今だけ!(ちからこぶ)
間違いなどは暖かく見守っていただけると嬉しいです。