盟友の立ち位置
甘ったるい空気のなかで、男女が抱き合っている。
主砲室の無骨な部屋に、熱に浮かされたような男女の眼差しは似合わない。そのはずなのに、何故だかその光景はひどくしっくり来た。
戦うために造られた宇宙船の、戦うための部屋。
闘争の中を生きる兵士が愛を確かめるには、ふさわしい場所なのかもしれない。――はぼんやりそう考えた。現実逃避だった。
あなたと、もっとこうしていたい。
私もよ、ギャレス。
シェパードがアーマー越しにギャレスの胸にしなだれかかる。二人の触れ合いは繊細で、優しくて、愛に満ちている。
は二人に気づかれないように踵を返し、逃げ帰るはあまりに惨めだ。
ギャレスがシェパードにぞっこんなのは知っていた。彼がシェパードを見つめる視線は、あまりにも優しすぎていたから。
だが所詮は異星人同士だ。シェパードは断ると思っていた。
失恋したギャレスを慰めるのが自分の役目だと、は思っていた――なのに。
――これだから、部隊内の男に惚れるのはいやだったのよ。
シェパードは強く、気高く、雄々しい女だ。銀河のどこを探しても、彼女以上の勇気を持つ者は存在しないだろう。
人類最強の女。銀河を救った英雄。この人のためなら死ねると心底思える上官だ。
ギャレスがシェパードを選び、シェパードがギャレスを選んだ。
失恋の痛みに泣きたくなると同時に、祝福したいと心底思える二人だった。
***
機関室横の貨物室には、必要物資やクルーの私物などが収納されている。
今はタンクから目覚めたクローガン――グラントが占拠をしているため、時おりシェパードが様子を見に来る以外、来訪者はほとんどいない場所だ。
――そのはずだったのだが。 グラントは、排泄を終えて貨物室に戻ってきたとき、こらえようのない怒りに包まれた。
戦闘時に感じる闘争本能ではない、もっと別のところから来る感情だ。
三角座りをしたが、が空っぽのタンクに寄りかかるようにして眠っている。
閉じられた瞳はあどけなく、白い頬はふっくらして柔らかそうだ。
――こいつ、なんでこんなところで寝てるんだ。
グラントは真横に伸びたくちびるをぐねぐねと動かし、目を細めた。
歩み寄るグラントの足音が狭い貨物室に響いても、が目を覚ます様子はない。
無警戒すぎる。
休息も闘いを生き抜くためには必要だ。任務を受けていない今は休むべき時だと理解しているが、グラントは苛立ちをぬぐえない。
この場でが休んでいると、グラントが休めないのだ。
ご丁寧に毛布まで持参しているにグラントはため息を吐き、その頬をぺしぺしと叩いた。
「おい……おい、」
「んん」
「起きろ」
起きる兆しがないので強めに叩く。バチンッと大きな音がしての顔が真横に飛んだ。
受け身をとって金属製の床を転がりながら、の足がグラントの視界の端で閃いた。
放たれた蹴りを腕の側面で受け止めて、グラントはハンドガンの銃口をまっすぐ見据えながら表情を歪めた。
「ずいぶんなご挨拶だ」
「えっ? あ、ごめん……敵襲かと。あはは」
事態を把握したがハンドガンを下ろす。
赤らんだ頬を撫でながら、ごまかすように笑った。
「頬がすごく痛いなぁ。もっと優しく起こしてよ」
「人間はか弱いな。ちょっと小突いただけだろう」
クローガンの腕力は岩をも砕く。手加減はしたつもりだったが、人間であるにとってはかなり痛かったのかもしれない。
が苦笑して肩をすくめ、また寝る体勢に入ろうとする。
グラントは慌てて声をあげた。
「こんなところで寝るな。邪魔だ」
「別になにかするわけじゃないでしょ。静かにしてるから、ちょっと場所貸して」
「ここは俺の部屋だ。自分の部屋があるだろ」
「共用部屋だとひとりになれないんだよ、騒がしいし」
「俺に出てけという気か」
「言わないよ。ただ、ここが一番静かだと思ったから……」
――別に、ここ以外にも静かな場所なんていくらでもあるだろ。
グラントのつっこみは、毛布にくるまってごろりと横になるには届かなかった。
セインやマサラなど、宇宙船での日々を静かに過ごす者はいくらでもいる。大方、彼らの瞑想の邪魔はできないと思ったのだろう。
グラントの邪魔はしてもいい、と思ったのだ。癪だ。
グラントはしばし考えた。をひっつかんで廊下に放り出すか。それも面倒だ。仕方ない。
「勝手にしろ」
吐き捨てると、寝返りを打ったが顔をグラントのほうに向けた。
サーベラスの制服が、の体のなだらかな曲線を浮き彫りにする。普段と違う角度だからか、その起伏は何故だかグラントの目を引いた。
クローガンにはない、人間の柔らかさだ。種族としての特性だ。
は目を細めて、ゆるりと笑った。目元は赤く、白目が充血していることにやっとグラントは気づいた。
「ありがとう」
かすれ気味の声と力ない微笑みに、グラントは妙に不安な気分になった。
伝説の英雄、シェパードによってグラントがタンクから目覚めたとき、グラントは船員から奇異の目を向けられた。
科学者オキアーによって造られた“最強のクローガン”の力を恐れ、対応をはかりかねていたのだ。
グラントを警戒し、一線を置いて接する船員のなかで唯一隔たりもなく話しかけてきたのが、だった。
口に出すことこそないが、のことをグラントは好ましく思っていた。
「なにかあったのか」
止せばいいのに、グラントは話しかけてしまう。
誰かが隣にいると思考や調べものに集中できない。そう言い訳をして、起動させていた携帯端末を終了させる。
はグラントの態度に目を瞬かせ、しばしの間の後に答える。
「なんもないよ」
「ならなんでここにいるんだ」
「眠いから」
返答は突き放すようだった。頑なな態度にグラントは顔をしかめた。
確かに自分は悩みの吐露に適切な人材ではない。
クローガンの思考は戦闘に特化している。人間のくだらない悩みなど聞いているだけで虫唾が走る。――と、考える時点でグラントでは実力不足だ。自覚はある。
「悩みがあるなら、シェパードに言ったらどうだ。あの女なら喜んで力になるだろ」
「少佐に迷惑かける訳にはいかないよ。大丈夫だって~しばらくここで休ませてくれればいいからさ」
経験則を踏まえて指揮官の名前を出すと、は苦笑しながら首を振った。
問答を否定するように目を閉じる素振りに違和感はないのだが、そもそも貨物室に来て寝ている状況がおかしいのだ。
いったい何があったのだろう。
グラントは首をかしげて考える。シェパードに迷惑をかけたくない、と言うのだから、やはり悩みがあるのだろう。
シェパードにも明かせない悩み。最近のに変わったところがないか思い出す。
は仕事柄ノルマンディーの内部を駆け巡り、チームメイトとコミュニケーションを取っている。最近は特にギャレスを気にかけていた。
ギャレスと言えば、彼の様子もここ最近おかしい。
考え事をしていると思えば突然慌てたり、ぼんやりしていたり。任務の時は真剣にやるとは言え、シェパードはそんなギャレスを見て嬉しそうにニコニコしているのだから、訳が分からない。
様子のおかしいギャレスを案じるあまり、自身も思い悩んでしまっているのだろうか。
そう考えるとしっくり来る。
グラントは三角座りで膝に顔をうずめるをちらりと見下ろす。
まるっこくて、脂肪でふかふかしていて、華奢だ。人間がどれだけ鍛えても、岩の塊のように強健なクローガンの肉体には遠く及ばない。
女であるならなおさら弱い。少なくとも肉体強度の面では。
「」
呼び掛けると、がグラントを見上げた。天井の照明に目を細めながら、グラントに笑いかける。
「どうしたの」
「ギャレスの悩みなら、きっとシェパードが――」
――きっとシェパードがなんとかするから、心配しなくても大丈夫だ。
グラントの言葉は、途中で詰まって声にならなかった。
が表情を強張らせたからだ。
くちびるがわななき、眉根が寄せられ、瞳が泣きそうに揺れる。
異変はものの数秒で、はすぐに表情を戻した。しかし、一度表情が変わったことには変わりない。
「お前、ギャレスたちとなにかあったのか――」
「――なんでもないから、なにも聞かないでよ」
がぐしゃりと顔を歪ませた。握りしめられた拳が白くなって震えている。
あくまで否定しようとするに、何故だかグラントの胸まで痛くなる。
ギャレスやシェパードの性格はグラントだってよく把握している。
なにがあったのかはわからないが、少なくとも誰かを――同じ船に搭乗するチームメイトを――悪意をもって侮辱したり傷つける者たちではない。
しかし、ノルマンディーには個性的な面々ばかりが搭乗している。異種族ともなれば当然、思想も生態も、なにもかもが違う。
本人たちにその気がなくとも、喧嘩を売る結果になったり誰かを傷つけることにもなる。
きっと、些細な行き違いが原因なのだろう。
そこまで理論的に考えつつも、グラントは腹から立ち上る怒りを抑える気にはなれなかった。
グラントがきびすを返して扉に向かうと、慌てたがその腕をつかんだ。
「な、なんでもないって! ほんとに関係ないから!! 気にしないでってば!」
「離せ。関係あるだろう」
「待ってよ! 普段人に無関心なのに、どうしちゃったの」
「どうしたと聞きたいのは俺のほうだ」
「わかった言うよ。ギャレスにフラれたの。そんで今落ち込んでるの」
「は?」
「グラントが一番気使わないくれるからここ来たの。迷惑かけて悪いけど、明日になれば元に戻るから今だけ落ち込ませてよ。ね?」
が首を傾げて、なだめるように笑いかける。
「ギャレスはトゥーリアン……」
「そう。だから次はちゃんと人間好きにならないとね」
冗談めかしては笑うが、強がりなのは明らかだ。
強がりであってほしいと、無意識のうちに思った。
グラントが手を振りほどくと、は驚いて目を見開いた。
無視して扉に向かうと、今度は腕にしがみつかれる。体重をかけて引き止めようとしているらしいが、クローガンであるグラントにはまるで意味がない。
を引きずりながら歩いていく。
「やめてよ、グラントがそこまで心配することないって!」
「ないと思っているのか、お前は」
反射的に立ち止まって、を振り返る。
腕に抱きつかれて密着しているから、顔を横に向けると自然と顔と顔の距離が近くなる。
しがみつかれている方とは反対の腕での肩を掴んだ。
クローガンの大きな手にとって、人間の肩は細く小さい。
きょとんとした顔をするが嫌いだ。この女は仲良しこよしを気取るくせに、いつでもグラントから一線を取っていて、肝心なところに触れさせない。
「お前は俺のアテントだろう」
クローガンの故郷トゥチャンカで――。グラントがアテントはいるのかと聞かれたとき、迷わずわたしだと言ってくれた。
命を懸けた儀式にも関わらず、ためらいもなく協力すると言ってくれたシェパードとに――グラントがどれだけ勇気付けられたことか。ありがたかったことか。
そこまでした仲なのに、は自分の弱味をグラントに明かさない。
自分は弱いと言われているようで、グラントの勘にさわる。
はグラントの言葉に目を瞬かせた。
沈黙が流れて、グラントはとの距離の近さをいやでも実感してしまう。
抱き締められた腕に、人間のからだの柔らかさが伝わってくる。
クローガンにはない暖かさと華奢さが、グラントの腕を包んでいる。
グラントはタンクの中で闘争の方法を学び、遺伝子を受け継ぎ、タンクを出てすぐ敵を与えられ銃の引き金を引いてきた。
だから、自分を包み込む柔らかさは知らない。
未知の感触と温度は容易くグラントの心を掻き乱していく。胸から沸き上がる、『抱き潰したい』という感覚が殺意なのか敵意なのか、グラント自身わからない。
「そう」
は大した反応もなく、短く相槌を打った。そのままこてんと頭を傾け、額をグラントのアーマーに押し付ける。
「アテントなら、今はそばにいて」
すがるようにグラントの腕を抱きしめる身体が小さく震えだす。
どう返事をすればいいのか、グラントは知らない。
オキアーから与えられた知識はすべて戦いのためのもので、誰かと関わる方法論など教わっていないからだ。
悩んだあと、の肩を掴んだままだった片腕を、ぎこちなくの背中にすべらせた。
シェパードが友人によくやる、親愛の仕草。それの真似事でしかない。
――お前は俺のアテントだろう。
先ほどそう言ったのは自分なのに、どうしてかこの距離が憎らしい。
はグラントに体を預けたまま、なにも言葉を発しない。
泣くこともない。
うつむいてグラントに顔を隠しながら、きっとくちびるを噛み締めて涙をこらえている。
涙はクローガンにとっても恥の象徴だ。必死に隠したがる理由はグラントにもわかる。だがそれでも。
の涙が見たい、と思った。どんな風に顔を歪ませ、嗚咽し、震えるのか。その様子を見たい。
獲物への嗜虐心などに抱いていないはずだが、かといって本当に心配しているならこんな気持ちにはならないはずだ。
自分がなにを考えているのか、なにをしたいのかもわからないまま、タンク育ちのクローガンは天井を見つめて息を殺していた。
2016/07/15:久遠晶
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