成長痛
ストレスを感じたときに爪を噛んだり指のささくれをかきむしってしまう。それは広義の自傷行為で、悪癖である以上にあまり誉められた行為ではないらしい。
と、モーディン先生が言っていた。
だとするなら、私のこれも自傷行為に当たるんだろうか。
「ねぇ、ギャレスって少佐のこと好きなの?」
「はぁっ!?」
問いかけると、ギャレスがあからさまにうろたえる。驚きの叫びは主砲室の壁に反響して、私は外に声が漏れていないかと心配になる。
金属のプレートを組み合わせたみたいなギャレスの顔がかしょかしょ動き、混乱の表情になる。
「な…い、いきなりなにを」
「だって見てて雰囲気が違うもん。少佐見つめてぼーっとしてたりさ」
「あのな。少佐は人間だ、トゥーリアンと恋愛はしない」
ギャレスは言葉をはねのけるように手を横に動かした。
自分自身に言い聞かせるような口調に聞こえるのは、私が「ギャレスは少佐がすき」だと決めつけているからかな。
私はくちびるをとがらせた。そんな言葉で納得すると思っているのなら、はなはだ馬鹿にされている。
質問に答えてないことぐらい、女子高生でもわかる。
「私が聞いてるのはギャレスの気持ちのほう。少佐とはなんともないの?好きな人いないの?」
「そりゃ少佐は尊敬しているが……」
ぐいぐい近寄って、アーマー越しにギャレスの腕にしがみついて畳み掛ける。ギャレスの返事は歯切れが悪い。
トゥーリアンは生真面目で、種族の特徴として嘘がつけないと聞いた。善の人か悪の人かに関係なく、嘘がつけないぐらい誠実。人間である私には理解しがたい感覚だ。
もっとも、この広大な銀河には、ちっぽけな女子高生には理解出来ないことであふれている。
マスエフェクト・フィールドとか言う高次の理論も、人間以外の種族のことも、未開の惑星のことも、もうなにもかもわからない。
2016年の日本に生きていた私が、どうして2185年の銀河にタイムスリップしてしまったのかも、私にはわかるよしもない。
かつての、記憶を思い出すと、気持ちがすこしだけ重たくなった。
私は首を振って感傷を押し流す。ホームシックにかかったところで現状帰れる方法もないのだから、目の前のことに集中したほうがいいに決まってる。
私の目の前にはギャレスがいる。
この時代にタイムスリップした時、はじめて出会ったひと。
ギャレスは困り果てたようにため息をついた。顎のぴろぴろがかすかに動く。私はそれをかわいいと思うし、かっこいいとも思う。
「――そうだな。この気持ちを少佐も抱いていれば、それは幸せなことだと思う」
遠まわしな言葉だったけれど、紛れもない肯定だった。
やっぱり好きなんだ。
紛れもない本心をしゃべってくれたのは、気心知れた仲間とか、チームとか、そういう絆が私にあるからじゃない。
単純に、私が子供だからだ。
子供にまとわりつかれると面倒だから、早々に折れてくれた。それだけの話だ。
私はそれを歯がゆいと思う。
ギャレスにお礼ができない。
ヘドロみたいに腐った星、オメガで――ギャレスは私の命を助けてくれた。保護してくれたのだ。
そのあとはノルマンディーの搭乗員として、私に職と生きる誇りを与えてくれた。タイムスリップして戸籍も生体番号もない、ハッキリ言って怪しくて仕方がない私をだ。
言語がわからず意思も通じなかったのに。私を助けてくれた。
ギャレスにとってそれは弱者に対する当然な反応で、特別な意味なんて今も昔もない。
がりっ、と、親指に痛みが走った。
無意識のうちに親指のささくれを強くひっかいてしまったらしい。
広義の自傷行為。感染症にもなりかねないからやめろと、モーディン先生に言われていたっけ。同時に、自分の置かれた環境へのストレス反応として自然なことだとも言われたっけ。
つまり、無意識にひっかいたということは、今私はストレスを感じているということだ。
わかってはいる。わかってはいたのに聞いてしまった。
そうせざると得なかった。
でも、わざわざ失恋しに行くのは、これは自傷行為でもなんでもない。
自ら進んで傷ついて、さらに傷口をえぐろうとする私の行為は、それでも賞賛されるはずだ。
ギャレスはしばし悩んでから、私を見つめる。
「人間の女性は……どう褒められると嬉しいものなんだ」
「えっ?」
「聞いてきたんだから、相談ぐらい乗ってくれ」
「あーっと……」
しまった、話が変な方向に進んできた。
でもギャレスにとって、異星人である少佐と恋をすることはきっと大変なことだろう。
生きる早さも、食べるものも、文化も。何もかもが違う。
意図せず相手を傷つけることも、きっとある。ギャレスはそれが不安なのかもしれない。
私はギャレスから離れ、主砲ケースに置いてあるボックスの上に腰かけた。
「人間とトゥーリアンは全く違うからな。どう喋ればいいのか……」
「でも、シェパードのことならギャレスのほうが詳しいと思うなあ。いつも一緒でしょ」
「任務に関わることと、男と女としてのことは違うだろう。……特に人間は」
ギャレスが言う。確かにその通りかもしれない。
ふたりは兵士としての絆しか培ってなかったのだ。
「少佐は実は銃より肉弾戦で敵を屠るほうが好みだとか、ロケットランチャーを愛してやまないとか、そういうことは知ってるが。知ってても役に立つのか?」
「ひどい知識だなあ」
「本当のことだぞ」
だからひどいって言ってるんだよ。
兵士なのだから当然だけど、ロマンスの欠片もない情報だ。
うむむと唸ると、ギャレスも困ったようにかぶりを振る。
「普段女性として扱われないでしょう、少佐って。雄々しい人に限って、女性としてエスコートされると感激するって話は聞くなぁ」
「女性として、か。トゥーリアンは性差で態度を改めることはないんだ。人間の女性への扱いってどうすればいいんだ」
「ええっ。それは……。そっと腰を抱いたり、扉開けるときに先に開けて待ってくれたりとか……?」
「基本的に自動ドアだが」
「ううーん」
価値基準が2016年だから、種族が違うのも相まって話が進まない。
本当に、私なんかたずねることじゃないと思うんだけどな。
もっと適任がいるはずだ。カスミ……は、面白がって応援してくれるだろうけど、相談には向いてないか。
ミランダは言わずもがなだし、ジェイコブはいい人だけど恋愛には向いてなさそうなイメージ。ザイードも一途な恋はしたことあるのかな。偏見かな。モーディン先生も、人間の情緒には詳しくないようだし。
セイン。セインは女にモテるタイプだってジョーカーが言っていたけど、どうなんだろう?
この船、恋愛相談に適した人があんまりいないなあ。
もちろん、いるにはいるんだけども。
ケリーとか。
ケリーなら、真面目に相談を聞いてくれるしアドバイスもしてくれるだろう。
――シェパードのことでなければ。
はあ。なるほど確かに、私しか相談相手がいないんだ。
私はちらりとギャレスを見上げた。主砲室の手すりに肘をかけた、ラフな姿勢で、私をじっと見つめている。
「逆に聞くけど、トゥーリアンは女の人とどんな会話するの?」
「トゥーリアンか? そうだな、主に髪の毛や体つきを褒める。例えば……『あなたの腰はがっちりしている』とかな」
それは言わないほうがいい。
百五十年以上経っても人間の感性はそこまで変わっていないようだから、確実にそれは女の人を怒らせる。
でも、自分が言われた気になってすこしときめいてしまった自分に腹が立つ。
ギャレスは私の腰をじっと見つめると、ふむ、と腕組みをする。
「お前はもうすこしちゃんと食事をとって身体を鍛えろ。腰が薄すぎる。前から思っていたが、触ったら折ってしまいそうだ」
「グラントみたいなこと言うなぁ~……」
私は苦笑した。 人間の価値基準にあてはめれば、『腰が薄い』はかえって褒め言葉かもしれない。痩せてるって意味だから。
でもここが宇宙船ノルマンディーSR‐2号の内部で、ギャレスもシェパードもみんな兵士であることを考えれば当然の指摘でもある。
非戦闘員のクルーとはいえ、貧弱な人に勤まるべくもない仕事だ。紆余曲折あり搭乗を許されクルーとして迎え入れられたとはいえ、やっぱりひょろひょろしている子供がいると気になるんだろうな。
一応、頑張って鍛えるようにはしているし、ジョーカーには筋肉ついたと褒められたんだけど。
トゥーリアンやクローガンは筋骨隆々だからなあ。
考え込んでいると、「それで」とギャレスが言う。
「人間の女性はどう口説かれるとうれしいものなんだ? ムードのある音楽とか……」
うっ、話が戻ってしまった。
私は顎を当てて考え込むふりをする。
失恋した直後に好きな人の恋愛相談に乗るなんて、なんだか不思議な気分だ。
「無理にシェパードに合わせて口説く必要もないんじゃない? ありのままの自分を見せていったほうがいいと思うな。女口説き慣れてるギャレスとか、ちょっと面白いし」
「真面目に考えてくれ」
「真面目に考えてるよ! あ、でも、いきなり口説くのはナシだな。まずは男として意識してもらうことから。ギャレス自身をアピールしていかないと」
「男として意識……なるほどな」
恋愛経験なんてしたことないし、シェパードの感覚もわからないけど。いきなり迫られても、きっと困るだけだもんね。うん。
「まずは、部下としてじゃない、普段のギャレスを知ってもらわないといけないよ」
「普段の私?」
「そう。魅力的な男なんだぞーって」
「なるほど」
ギャレスは目をぱちぱちさせながら深く聞き入って、反芻するように何度か頷いた。
その様子に傷ついたのは一瞬だった。
ちくっと胸が痛くなったあと、すぐに私は感動したのだ。
ギャレスは本当にシェパードが好きなんだなあって思うと、感動した。
誰かが誰かに強い熱量を抱いている。純粋であったかい気持ちを向けている。そのことそのものに、感動してしまう。
だからやっぱり、これは自傷行為なんかじゃない。
前を向くために必要な、大切な手順だ。
私はにっこり頬を持ち上げて、ギャレスに笑いかける。
「ギャレス、頑張って。私応援してるから! ギャレスならね、きっと大丈夫だよ! シェパードって、結構母性くすぐられるタイプに弱そうだし」
「それ、ほめてるのか? だが……ありがとう」
ギャレスが苦笑して肩をすくめた。
私はまばたきを多めにしながらボックスから立ち上がる。
「シェパードの好みわかったら教えるねっじゃあ私、やることあるから。調整の邪魔してごめん」
「いや、構わない。またな」
「うん。またね」
ギャレスが手を振ってくれた。私はパネルを操作してドアを開けて、主砲室から退散する。
小走りになって食堂までを駆けるとガードナーの注意が飛んできた。
無視して走ると胸が苦しくなって、これが疾走による肉体的な反応なのか失恋の痛みなのか、ギャレスへのドキドキなのかがわからなくなる。
多分全部だ。
でもやっぱりうれしい気持ちもある。
だってシェパードもきっとギャレスが好きだから。
勝手な話だけど、シェパードなら構わないってすんなり思える人だから。
あ、そういえば『腰が太い』は言っちゃダメって言い忘れた。
でもまあいいか。言ったところできっと幻滅なんてされない。苦笑されるかもしれないけど、そんなところもかわいいわって思われるに決まってるんだ。どーせ。
軽く卑屈になりながらエレベーターのボタンを押すと、扉からシェパードが出てきた。
「あら。そんなに急いでどうしたの」
「なんでも! シェパードはギャレスのところ?」
「クルーの仕事ぶりを見て回るだけよ」
シェパードは目を細めて笑った。
頬をすこし朱にしていたら、ごまかしたって意味がない。
うん、やっぱりギャレスの前途は明るそうだ。
私は嬉しくなって、にこにこしながらシェパードを見送る。
ちょっとだけ痛む胸を、いまは大事にしていたい。
明日になればギャレスもシェパードも、再び任務に出向いていく。
私に出来ることなんて微々たるものだけど、すこしでもみんなに貢献したい――と思った。
2016/11/18:久遠晶
試験中。もしいいね! となりましたら送っていただけると励みになります!