あなたのためにできること
現状を嘆き、未来を悲観してもなにも始まらない。
俯いて現実から目をそらす前に、いま自分はなにができるのかを考え実践するべきだ。
――と、言うわたしの人生哲学は、ノルマンディーSR2号の搭乗員に選ばれ、医療要員として奔走するうちにより強化された気がする。
ではこの場においての問題とはなんだろう。
コレクターを倒す。それは職務としての使命だ。
違う。これも大事だけど、これじゃない。
いまこの場においての問題。つまり、わたしの心持ちとしての……。
キーボードを叩く度、パソコンのホログラムディスプレイに文字列が踊る。
指先が考えをパソコンに流し込むより先に、脳みそは二手先に行っている。
研究はトライアンドエラーの繰り返しだ。間違いを正していくことによって精度を高める。
「ケチルブリトラアミノ酸の作用?化学反応、ホルモン反応……違う、これじゃダメ」
不正解に気づいて数式を書き換える。その解もダメだと理解しつつ、とりあえずパソコンに打ち込んでいく。
一つの正解はあまたの失敗から生まれる。こうして思考を残しておくことも重要だ。
行き止まりに差し掛かる度思考を引き戻して、別の道へと進んでいく。
没頭するうち、とうとう考えることも疲れてきた。
いよいよ行き詰まった私は思考を投げ出して、背もたれに大きく腰かけた。
溜め息がこぼれる。
大きく伸びをして深呼吸。
「休憩したらどうだ」
「っうわぁ!?」
突然背後からかかった声に身体がすくんだ。その拍子に椅子ががたりと揺れて、バランスをくずしてしまう。
「大丈夫か?」
視界が反転して床に倒れこむ寸前、誰かの腕が私の肩を掴んで支えてくれた。体勢を持ち直し、椅子に座り直して息を整える。
助けてくれたのはセインだった。
「ありがとう。いきなり声がかかったからびっくりしました」
「何度も声はかけた。あなたが気付かなかっただけだ」
「えっ本当? ごめんなさい、研究室に没頭してて」
言いながら、さりげなくディスプレイのウィンドウを閉じる。データを見られたくなかった。
「十分間の間、あなたを殺すチャンスが七回ほどあった」
「……」
他意がないことはわかる。けど、その言葉はどうなんだろう。
一応戦闘訓練は積んでいるものの、荒事は私の本職じゃない。セインにかかれば一捻りなのだろう。そして、危なっかしくも映るのかもしれない。仲間としてひ弱で頼りないと。
同じことはグラントにも言われたっけ。
「すみません、もう少し気を引き締めます」
「すまない、そういう意味ではないのだ。研究に集中していたことはわかっている。私から見れば大抵の者は隙だらけに映る」
「でも……いえ、わかりました」
「うむ」
手のひらを見せて言葉を押しとどめるセインに、私は言葉を飲み込んだ。もう少し真面目に訓練しようと決意する。
「それで、何の用ですか。随分と待たせてしまったようで、申し訳ありません」
「大した用ではない」
セインは気にするなと手を軽く上げた。
姿勢を正して言葉を待つものの、口ごもる彼はなかなか用件を切り出さない。口元に手を当てて視線をそらすセインに首を傾げた。
「セイン……?」
「あなたが私の部屋に来なくなったから」
確かに、私はこのところライフサポート室に寄っていない。
以前はなんだかんだ理由をつけてセインの様子を見に行っていたけど、最近は会いにいくのをやめた。
だからこうして顔を合わせるのも久しぶりだ。
「それで、わざわざ来てくださったんですか」
「ああ。迷惑でないなら少し話さないか」
「構いませんよ」
「感謝する」
セインは頷いて、口の端を持ち上げた。爬虫類のような外見の威圧感が弱まって、ふっと優しい印象になる。
この部屋には、パソコン用のデスクと寝室しかない客人用の折りたたみ椅子を展開させてセインに差し出す。自分はデスクチェアに腰かけ直した。
言葉を待つ。普段ライフサポート室にこもって瞑想にふけっているセインが、わざわざ私の自室に来る用件とはいったいなんだろう。
セインは私をじっと見つめた。無言で。
「あの、セイン? なにか用件があったんじゃないんですか?」
「いや……特別な用事は特にない」
「え?」
「あなたの声が聴きたくなっただけだ」
「……お上手ですね、セインって」
まるで口説き文句だ。私の笑いは呆れたようなため息となって、セインとの間を漂う。
ジョーカーが『セインみたいなタイプはモテる』と言っていたことを思い出す。その時はよく意味がわからなかったけど、なるほどこういう言葉をさらりと言えるところは女性に好まれそうだ。
「本心なのだが」
「そういうことはシェパードに言ってくださいよ」
「……なぜシェパードが出てくる?」
「だって」
──お二人、付き合ってるんでしょう。
と、言っていいものかわからず、逡巡する。
二人の関係は公のものではない。けれど、私は知っている。
二人は愛し合っているのだ。
***
ある日、ライフサポート室の扉を開けたら少佐とセインが話し込んでいた。私がやってきたことに気づくとすぐにお二人の会話は打ち切られたけれど、その数秒の間に、聞こえてしまったのだ。
──愛しているんだ。
そう囁くセインの声が。
言われた少佐は、ひどく穏やかな目をしていた。
――そう、それなら安心したわ。
嬉しそうに微笑む少佐。ああ、あの二人の、幸せに満ちた雰囲気は忘れられない。
少佐の表情は私に気づくとすこし気まずげなものになったけど、すぐに笑みに戻った。
セインに「それじゃあね」と返し、少佐は椅子から立ち上がってセインの肩をやさしく叩く。
硬直している私の元に少佐が歩み寄って、私の背中を撫でる。部屋から出ていく。ライフサポート室には私とセインだけが取り残される。
──すまない。聞いていたか。
──いいえ、なにも。
──そうか、よかった。
セインとの会話はあまりにも気まずかった。
私の見え透いた嘘にセインは遠慮がちに笑う。そこには確かな安堵があった。
私はあの時、平静を装えていたのだろうか。ちゃんと笑えていたのかな。
***
「?」
不意にセインの声が思考に割って入って、現実に引き戻される。
「すみません、ちょっとぼーっとしてました……研究に入れ込みすぎるとこうなんです」
笑って肩をすくめながら、我ながらうわべだけの言葉だなあ、と思う。
二人だけの秘め事に足を踏み入れるほど、私は無粋じゃない。言わないでおこう。
「研究に没頭するのもいいが、身体を壊しては元も子もない」
「そのとおりです。でも、行き詰ってるときほど考えちゃうんですよねぇ」
「そういえば、何の研究をしているんだ」
質問に、息が止まるのがわかった。
一瞬硬直して、それから、普段と同じように笑みを浮かべてみせる。
「内緒です。くだらないことですよ」
「くだらないことに睡眠時間を削るのか」
「他人にくだらなくても、私には重大な研究なので」
「どう言っても教えてくれそうにないな」
私は苦笑した。説明が難しいとごまかして。
研究内容なんて、この人にだけは知られたくない。
──ドレルの皮膚毒の無力化。私が行っているのは、そういう研究だ。
ドレルの経皮は、人間が触れると皮膚にかぶれや発疹、幻覚などを引き起こす。
少佐とセインが身体を触れ合わせる時、きっとこの皮膚毒が邪魔になる。それを、どうにかしたかった。
愛する人に触れられないのは拷問だ。終わりが確定している二人の未来に何ができるかと考えた時、思いついたのがこれだった。
一から研究を始めねばならないケプラルシンドロールと違って、皮膚のことなら以前私が行っていた研究を土台にできる。一年以内に研究が身を結ぶ確率も、皮膚毒の無力化のほうが高い。
だから私は、セインの生存を高める研究よりも、心を充足させるであろう研究を選んだ。
それを当人には知られたくはない。なんでそんなことをと聞かれたら、きっと私は惨めな女になる。
だって――どんな顔をして、この研究をはじめた理由を語ればいいんだ。
セインとシェパード少佐の仲をすこしでも応援したくて。
きれいごとは紛れもない本心ではある。だけど、笑って言える自信がなかった。
――難儀だな、君は。
モーディン先生にはそう言われた。サラリアンらしく理知的で合理的で、感情の変化に目ざとい。デリカシーがない。
まったく参る。
思い出してずっしり重たい気分になりながら、努めて平静を装って笑った。
「つまらないことですよ。興味ないひとには」
「興味はあるし、知りたいとも思う。あなたが語ってくれるのなら」
「どうしてそこまで」
「あなたが没頭していることだからな」
大きな黒い瞳に見つめられて、私はさりげなく視線をそらした。
「だからそういうことはシェパードに言ってください。知ってるんですよ、私」
「なにがだ?」
「お二人付き合ってるんでしょう?」
「なんだと?」
セインが思い切り目を開いた。ドレルが目を開くとこうなるのか、と私は妙に感心してしまう。
大きなため息のあと、セインは頭を抱えた。
首を振ったり頭を抱えたり。銀河に住まう二本足の知的生命体は、みな同じようなボディランゲージをする。進化の過程も発達の理由も違うのに、意思疎通において共通項が多い。私はそこに神秘を感じて、強く惹かれる。
「それで最近、私の元に訪れなくなったのか?」
「まあ、邪魔しちゃいけないですからね」
「それだけか?」
「だって鉢合わせしたら気まずいでしょう」
セインがもう一度ため息をついた。
「私なにかおかしいこと言いましたか?」
「いや……。いいんだ。まずはどこから言うべきか。まず明確にしておきたいのは、私とシェパードは愛し合っていないということだ」
「えっ!? もう別れたんですか!?」
「そもそも交際していない」
「うそ。だってあの時」
「あの時がいつを刺しているのか知らないが、本当だ。私の想い人は別に居る」
一瞬安心しそうになったのもつかの間、セインがねじこんだ言葉に胸がうっとなる。
しぇ、シェパード以外で好きな人いるんだ……。
「そ、そうでしたか……失礼いたしました。変に気を遣ってしまって、すみません」
「理解してくれれば、問題ない。あなたはどうなんだ?」
「へ?」
「最近、よくモーディンの部屋に行っているそうだが」
突然モーディンの名前が出てきた。
確かに最近彼の部屋を訪れることが多い。単純に、研究に行き詰ったときの息抜きと相談だ。
「彼はサラリアンですよ。人間ではありません」
セインに惚れてるくせによく言うなあ、と自分で思った。
大きな目をわずかに細めたセインが、そうか、とつぶやいた。
「それを聞けて良かった」
「はあ。いいえ」
「きみに意中の男性がいないとわかってなによりだ」
「は?」
いきなり何を言い出すんだ。
セインはまっすぐ私を見つめ、その真っ黒な瞳を向ける。真っ黒。
深い闇のように黒い瞳。でもよく見れば、虹彩と瞳孔を確認することができる。吸い込まれそうになる。
「また、この部屋に来てもいいか? きみと話していたい」
それは――それは。
どういう意味なの。
微笑みと共に言われたら、誰だって勘違いするにきまってる。
冗談はよしてくださいよと言おうと思ったのに、気が付いたらこくこく頷いてしまった。
なにはともあれ、ドレルの皮膚毒無力化の研究は無駄にならずにすみそうだった。
2016/11/18:久遠晶 試験中。もしいいね! となりましたら送っていただけると励みになります!