知らぬは本人ばかりなり
強者が弱者を踏みしめ、虐げる都市――オメガ。
貧民は地下に押しやられ、上層部は終わらない宴が続く。
一見は華やかでも、その裏側はいつだって血と硝煙の臭いにまみれている。
そこに天使が舞い降りたのは、ほんの数ヵ月前の話だ。
ノルマンディーに緊急搬送されてきたとき、アークエンジェル――ギャレス・ヴァカリアンは瀕死の状態だった。
スーツ内部はメディジェルにまみれ、骨は砕け、肺は潰れて内臓にも深刻なダメージがあった。
ギャレスが一命をとりとめた要因は、装甲に風穴を開けたミサイルが身体に直撃しなかったことが大きいだろう。
正面から斜めに装甲を破壊したミサイルはギャレスの右頬を掠め、えぐりながら通り抜けて爆発した。直撃していれば肉塊に成り果てていたところだ。
それでも、人間やサラリアンであれば死んでいて当然の怪我だ。
深刻な後遺症が残るところを三日で治してみせた自分の身体にギャレスは感謝し、また誇りに思う。
ただ――頬に残った傷跡に関しては、勲章と言っていいのか微妙なところだ。
自分を注視して表情を強張らせる医療要員のを見ながら、ギャレスは内心で苦笑した。
任務から帰還し、医務室での怪我の手当を行うこの時間は、通常なら一息ついて安心できる瞬間でもある。しかしむっつりとくちびるを引き結ぶを見ると、すにもギャレスは居心地悪くなってしまう。
セインの容態を確認しているチャクワスが、セインの腕を覆うメディジェルを超音波で流し取りながら苦笑する。
「今回はまた手ひどくやられたわね」
「毎度、『自分で志願したことだ』と言い聞かせている。一日にだいたい二回だな」
「二回で済めばいいほうだ」
「違いないわね」
セインの軽口に、ギャレスが突っ込む。チャクワスが笑った。
は淡々と、穿たれたギャレスの右腕の処置をしている。銃弾の摘出、メディジェル神経網の接続、埋め込み、そして縫合。
処置の速さには目を見張るものがある。
流石にイルーシブマンがシェパードのために用意した船員のひとりだ。
人類至上主義組織・サーベラスの医者と聞いて、当初ギャレスはの処置の腕前を疑っていた。異星人を差別する気持ちはギャレスにはないが、同じ肉体を持つ同胞の医者にかかりたいと思うのは当然の心理だ。サーベラスの人間であればなおさら、トゥーリアンの怪我の処置がまともに出来るのかと不安だったのだ。
しかし心配は杞憂だった。
聞けばギャレスが緊急搬送されたとき、その処置をしたのはチャクワスとだったという。特にはギャレスが目覚めるまでの三日間、つきっきりで世話をしてくれていたのだと言う。
そのことに礼を言ったことがある。するとは「仕事ですから」と首を振った。忠実に職務を遂行するの寡黙な態度は、規律を重んじるトゥーリアンにとって好感が持てる。
「ミスター・ヴァカリアン。施術が終了しました」
「……ん、もう終わったのか。すまない、ありがとう」
「これが仕事ですから」
促され、固い診察用ベッドから起き上がる。
の口ぶりはまるでAIの人工知能のようだ。いいや、EDIのほうがまだ感情らしい感情がある気がする。しかしギャレスは知っていた。
堅苦しい態度はギャレスにだけだということを。
セインやモーディン相手であれば彼女は微笑みのひとつも浮かべて見せるし、グラントに対しては軽いげんこつのひとつだって簡単にやってのけるだろう。ジェイコブやミランダには上官に対する尊敬の念をあらわにする。
ギャレスに対してだけだ。が処置の際むっつりと黙り込み、軽口のひとつ叩くこともなく沈黙するのは。
職務は忠実にこなしてくれる。求めるものはそれだけでもいいはずだが、の態度には気まずさを感じてしまう。
――自分の顔がそんなに怖いのだろうか。
主砲室の手すりに反射する顔を見ながら、ギャレスは考える。
元々この銀河のなかでトゥーリアンの顔面はあまり評価されない。金属をつなぎ合わせたようなトゥーリアンの顔立ちは異種族に威圧感を与え、怖がらせてしまう。
赤く爛れ、崩れたようなギャレスの右側はなおさらだろう。傷を勲章とするクローガンの女性にしか評価されない――別にそれを悲しく思うことはなかったが、同じ船のクルーを怖がらせてしまうなら話は別である。
***
「……あ」
「前、空いてますよ」
ギャレスが正面の空席を示すと、彼女は周囲を見渡し、食堂の席がもうすべて埋まっていることを確認する。
そうしたあと、ぺこりと頭を下げてギャレスの正面に座った。
無言で食事を口に運びながら、ギャレスはからの視線をちらちら感じて仕方がない。
ふっと顔をあげると、は素知らぬ顔で食事を咀嚼している。
「……どうかしましたか」
「いいえ……なんでもありません」
ギャレスが首を振ると、は無言で食事に視線を戻す。会話もしたくない、という態度だ。
胸がぴりっとひりつくような感覚に襲われる。
は性急に食事を終えると一息つく間もなく立ち上がり、自室へとこもってしまう。
自分がそうさせてしまったようで、居座りが悪い。
ため息をこらえた時、隣に座るカスミが声をかけてきた。
「ねえ、ギャレス。ギャレスってあまりと話さないけど、彼女のことがきらいなの?」
「……いや? 私は避けられている側だ」
「まあそうでしょうね」
フードを目深にかぶった盗賊はにんまりと笑った。目元には影が落ちて、正確な表情は見て取れない。
「どうも、彼女はこの顔が苦手のようで」
「ま、クローガン以外にモテる顔じゃあないわよね」
カスミが無遠慮に言う。会話を聞いていたジョーカーがブハッと吹き出した。
同じく会話を聞いていたらしいグラントが、やいのやいのと口をはさんだ。
「クローガンにとっちゃそんな傷跡、屁でもない。クローガンの女にならば引く手あまただなんて思うなよ」
「そんなことは思っていないから安心しろ、グラント」
ギャレスの口調は自然と、すこし雑なものになった。
との関係はギャレスがひそかに気にしている問題でもあるし、無遠慮に顔の傷を笑われているようで不愉快でもあった。
顔の傷そのものは大して気にしていないが、それと他者に笑われて許せるか、というのは別だ。
むっとするギャレスにカスミはくすくす笑いながら、彼の肩を叩いた。
「のことはあんまり気にしないほうがいいわよ。あの子、照れ屋なだけだから」
「照れ屋?」
「奥ゆかしいのよね~日本人のあたしよりも。ねえ、もしあの子が気になるなら、ぐいぐい押していったほうがいいわよ」
「はあ? ふざけているのか」
ギャレスは顔をしかめた。
明らかにカスミは面白がっている。
ただでさえぎこちないとの関係を引っ掻き回して、なにが面白いのか。当人のギャレスはたまったものではない。だって不快だろう。
「あら、ふざけてなんてないわよ。あの子ギャレスのこと大好きだもの」
「そうそう、カスミの言う通りだぜ。でもだめだろうなあ、トゥーリアンは恋愛の情緒がないからな」
ジョーカーまで好き放題言い始めた。
ギャレスは食事を口のなかにつめこみ、さっさと食事を終わらせるよう努めた。
***
夜――なんとなく眠れず、ギャレスはひとり起き出して廊下を歩いていた。
右舷展望室にでも行ってみるか、とぼんやりと歩を進める。
すると、エレベーターが音もなく開いてばったりと出くわした。
は気まずげにぺこりと会釈する。
「ミスター・ヴァカリアン」
「。こんな夜中に、どうして?」
「ケリーに仕事を押し付けられましてね。ああ、いまは少佐の部屋に行くのはやめてほうがいいですよ」
「え?」
「ケリーと大いに盛り上がっているようですから」
が肩を竦める。眉をひそめて、ぷりぷりとケリーに怒っている。
「少佐と食事することになったら仕事を変わってくれと言われて。予定時間を何時間もオーバーして戻ってこないからどうしたのかと少佐の部屋に行ったら、こんな時間になっても話し込んでるんです。まあ、その、健全なデートで大変結構ですけどね」
「それでこんな時間まで起きて仕事を?」
「ええ。もう面倒になったから、残りの仕事は明日のケリーにやらせます。全く彼女は人使いが荒いんですよ。おかげで仕事を終わらせても目がさえちゃって」
ひとしきりこの場にいないケリーの愚痴をこぼしたあと、気が済んだのかはギャレスをじっと見つめた。
「ミスター・ヴァカリアンはいかがしましたか?」
「いや、眠れなくなっただけです。……あなたももし眠れないなら、展望室で一緒に酒でも?」
「いえ、私がいると邪魔でしょう。部屋に戻ります」
「あ、いや」
一礼し、はギャレスの隣をすり抜けて自室に戻ろうとする。
その手首を掴んで引き止めていたのは、反射的なものだ。
は人間独特の形をした瞳をまんまるに広げ、ギャレスを見つめた。
音にならない困惑が伝わってくる。
「えっ……と、これは……」
「…………」
も困惑したが、ギャレスも困惑した。
逃げるように隣をすり抜けられ、少なからず傷ついたことに。
顔をそらして視線を逸らすは、なにを見ているのだろう。金属質の廊下ではないことは確かだ。
――あら、ふざけてなんてないわよ。あの子ギャレスのこと大好きだもの。
カスミはそう言っていたか。
ぐいぐい押していったほうがいいとも言っていた。
それは明らかに冗談だ。
なぜなら、ギャレスの三本の指に腕を掴まれたの身体は限界まで緊張している。
肩を震えさせて、身体を硬直させて。
その様子に傷ついた。
消灯した廊下は薄暗い。の反応がなおさら悲愴に感じる。
「あなたはどうして、そこまで怯えるんだ。いくらこの顔が怖いと言っても――」
――いくらこの顔が怖いと言っても、怖がりすぎじゃないのか。
そう言いかけたくちびるの動きは途中でとまった。
ギャレス自身が言おうとしたように、今のの反応は普通ではない。
いくらギャレスの顔が怖いとはいえ、グラントにも怯えないクルーがギャレスに対しここまで怯えを示すだろうか。
廊下に、の震える吐息がイヤに響く。俯いているから顔はわからない。
だがトゥーリアンの瞳は薄暗い廊下でも、の真っ赤な耳を認識することが出来た。
――赤い?
「あ、あなっ……あなたは……アークエンジェルだから……」
「え?」
アークエンジェル。久々に聞いた通り名だ。
顔をあげたは、耳だけではなく顔全体を真っ赤に染めている。
「だから……あなたは希望で……だから……」
――憧れ、なんです。
そうつぶやくがあんまり必死で、トゥーリアンの目にも愛らしく映ってしまったから。
思わず腕を掴む力を緩めてしまった。
瞬間、アンジェリアの手がすり抜けていって、走って自室へと逃げてしまう。
廊下に取り残されたギャレスは、茫然と立ち尽くしてしまう。
――なんだったんだ、あの顔は。
***
次の日、ギャレスと顔を合わせたは気まずげな顔をして目をそらした。
その頬がどことなく赤い、と感じるのはギャレスの気のせいだろうか。
「……どうも」
「……おはようございます。昨日は取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」
「いや」
ギャレスも目をそらした。頬を染めたを思い出してしまったからだ。
「白状しますと、私はオメガの貧民街出身なんです。ですので、オメガで戦うあなたには強く憧れておりましたし、勇気づけられました」
「そういうことだったんですか」
はこくりと頷いた。がオメガ出身だとは思わなかったが、だとするなら昨日の言葉には納得がいく。
「ご安心ください。公私混同は致しませんので」
「えっ……あっ、いや」
はぺこりと一礼すると、踵を返して走り去ってしまう。
――なにが、安心しろなんだ。
都合のいい受け取り方が出来てしまう言葉だ。
もう一度取り残されたギャレスは、走り去るの背中を見つめることしかできない。
頬を押さえながらの走り方は、戦闘訓練を受けた者の走りとは思えない。という一人の女性としての走りに見えてしまう。
いままでギャレスの前で黙りこくり視線をそらしていたのは、顔の怪我が原因ではない。それをギャレスは理解しつつあった。
だとするならば――。
胸に沸いた憶測そのものよりも――自分がまんざらでもないと思ってしまっていることに、ギャレスはなにより困惑したのだった。
オメガに巣くう傭兵どもを駆逐すれば、すこしはオメガも住みよい星になると思った。
しかし実際は、巣くう傭兵の名前が入れ替わっただけでなんの変化もない。
アークエンジェルとして行ったすべては無駄だったのだと、ギャレスはオメガに再び降り立った時失望したのだ。
だが自分の行いが、何らかの形で人々に食い込んでいるのなら。
勇気づけられた者がひとりでもいたのなら。
ギャレスはほんのすこしだけ救われたのだ。
2011/11/22:久遠晶
トゥーリアンが夜目きくのかわからないんですが、実際きくんでしょうか?