それぞれの今日
どうにもならない運命と言うのは、きっといろんなところに転がっている。
私がそれを自覚したのは、慣れ親しんだ故郷が空族によって滅ぼされ、自分ただひとりが生き延びた時だった。
生きるために過酷な戦争を潜り抜けていくうち、気が付けば英雄とされていた。だけれど本当は、その評価は間違っている。
私はその場その場で、出来うる限りの方法で必死にもがいただけだ。
救えなかった命も、殺さざるをえなかった命も数多にある。
正解を選択している自信はない。
サーベラスとの共闘が正しいことなのか、確信もない。イルーシブマンも信用できない。それでも私は立ち続け、戦い続けるしかないのだ。
しかし私は、決して孤独ではない。
サーベラスとて一枚岩ではない。様々な事情や思想からサーベラスへと入隊した彼らは、全員が全員差別主義者、というわけではなかった。クルーはみな人間的に好感の持てる者たちばかりだったし、陽気な連中だった。
このクルーたちであれば、大丈夫。背中を預けられる。共に戦える。
利害の一致以上の関係が、私たちには芽生えている。
この絆があればコレクターたちに負けはしない。
戦いの先に何が待っていたとしても、イルーシブマンがなにを企んでいたとしても、私はきっと迷わないでいられるだろう。
私の名前は、ジェーン・シェパード。
宇宙船ノルマンディーSR―2号の船長として銀河を駆け、コレクターの野望をくじくために戦いに身をうずめる――傭兵だ。
***
任務を終えた少佐たちが、船に帰還する。私は敬礼でもってそれを出迎える。傍らのケリーが、少佐を見て嬉しそうに微笑みかけた。
「おかえりなさい、少佐。ご無事でなによりです」
「ええ、ありがとう。船は変わりない?」
「その件をお話しする前に、すこしお休みになってください。船員に気をくばるのは結構ですが、船長がお休みにならないとクルーが休めません」
ケリーがイタズラっぽい笑みを浮かべてそう言う。少佐の背後に続くギャレスが笑う。
「一本取られましたね、少佐」
ギャレスの言葉に少佐がびっくりした顔をするものだから、私もつい吹き出してしまった。出迎える面々にも笑いが伝達し、和やかな雰囲気になる。
「そう言われては、休まないわけにはいかないわね」
肩をすくめて、少佐はにっとくちびるを釣り上げた。
つい先ほどまで命がけの戦いをしていたとは思えないほど、気さくで平穏な気配だ。
戦場が日常になりすぎて、今更戦闘に興奮もしないのだろうか。裏方のクルーである私には、わかるよしもない。
「このところ出撃続きでしょう。どうぞ休んでください。じゃないとチャクワスが怒りますよ」
ケリーの軽口はきさくで、愛情がこもっている。少佐と仲がいいのだ。
私は二人のやりとりを微笑ましく思いながら、一人のクルーとして敬礼を崩さないでいた。
ノルマンディーSR―2号のクルーは、そのほとんどが裏方だ。船を調整するエンジニア、研究者、事務員、料理人。
少佐やミランダ隊長たち実働部隊の面々を補佐するために、私たちはいる。
楽しいことばかりではない。
死と隣り合わせの職場を後悔したこともある。だが――恐怖を押し殺し、前を向いて職務に従事するだけの価値が、この職場にはある。
私はこの船に、医者として搭乗できたことを誇りに思う。
「」
「あ、少佐。任務お疲れさまです」
休憩の時間、食堂に向かっていると、後ろから声を掛けられた。私は背筋を伸ばし、少佐にビシッと敬礼を向けた。
少佐はゆるく片手をあげ、私に応えてくれる。緊張しなくていいわ、と示され、敬礼を解く。
「どう? 私がいない間、船に変わりはない?」
「はい。ジョーカーとEDIが喧嘩してましたが、いつものことです。異常はありません」
「そう、なにもないならなによりだわ。なにか物資が足りなくて苦労はしていない?」
「ぱっと思いつくものは、とくには。――あ」
「なにかある?」
少佐が首を傾げた。私は説明しようとし、口をつぐんだ。
食堂の前は一目につく。
誰かに聞かれたくはなかった。
「展望室で少し話しましょうか。酒に付き合って」
少佐は、私が答える前に踵を返して展望室へと歩きはじめた。
気を遣ってくださったのだ。なんとお優しい方だろう。
少佐に付き従い、左舷展望室のバーカウンターにまで移動する。少佐は椅子に座ると、私がボトルに手を伸ばすより先にグラスに酒を注ぎはじめた。なんてこと。この方の手をわずらわせてしまった。
乾杯もそこそこに、酒に口をつける。瞬間、燃えるような感覚が口から胃へとすべりこんだ。咳き込みそうになるのをこらえる。
「もっと度が強い酒はないかしら」
少佐のぼやきに反応出来ない。十分、喉が焼けただれそうな度数だと言うのに。そういえば以前、シタデルでクローガン用の酒を飲んで倒れたとお話しになっていた。冗談だと思って笑っていたけれど、ひょっとしてひょっとして。
頭がくらくらする。明日の仕事に差し支えそうだ。
「それで、どうしたの?」
「あ……実は、性能のいい除湿機がほしくて」
「除湿器?」
「はい。ライフサポート室に置きたいんです。あそこは船内でも比較的乾燥しているとはいえ、基準値には到底及びませんから」
「あぁ……」
納得したようにうなずく少佐に、私もこくりと頷く。
ライフサポート室には、最近仲間になったドレルの暗殺者――セインがいる。ケプラルシンドロームという不治の病に侵されたセインにとって、湿気は大敵だ。
私はこの船の医者だ。見過ごせない。
「もちろん、これはただの気休めです。除湿機を使って多少乾燥させたところで、彼の病気の進行は止まりません。焼石に水でしかないことはわかっています」
「あなたの言いたいことはわかるわ。なんというか……見てられないもの。彼は」
グラスを揺らし、少佐は目をつむった。
死期を悟った敬虔な暗殺者。暗殺者と殉教者という、ともすれば相反する印象を兼ね備えたセインは、酷く危うく見える。
どうにかしたい、と感じてしまう。
焼石に水だとわかっていても、すこしでもなにかをしたいと思ってしまう。
「次の行先はオメガよ。マーケットでいいものがないか見ておくわね」
「よろしいですか。すみません、お忙しいのに……」
「構わないわ。彼のことは私にとっても重要だもの」
バーの照明に照らされた少佐の表情は、とても優しい。この方は末端のクルーにも丁寧に対応し、真摯に考えてくれる。一蹴されてしかるべき私の要望を、真剣に受け止めてくださる。
この方が人類初のスペクター。銀河の英雄。この方と対峙し、この方のために働ける今を……奇跡のように感じてしまう。
「あら。あなた全然飲んでいないわね。せっかくなんだから飲みなさい。今日の仕事はもう終わりでしょう?」
「いえ、私は……わわ」
空になったグラスに二杯目を注ぎながら、少佐が私のグラスを見て笑う。
遠慮してるんじゃなくて、本気で飲めないんだけど……。
少佐の目が痛い。どうして飲まないの、という表情だ。こういうときに断りきれないのが私という人間だ。少佐が相手ならばなおさらがっかりされたくない。
ごくりとつばを飲んだ後、思い切りグラスを煽った。
味のしない灼熱が入り込んだ瞬間、喉がびくんと痙攣した。警告を無視してごくごくと飲み続ける。グラス一杯分だ。どういうことはない。
飲み干しきり、テーブルにカンッとグラスを置く。
あ、頭がぐるぐるする。胃がビクビク動いて驚いてる。
「いい飲みっぷりね。二杯目行く?」
「そ、それは遠慮しときます?」
慌てて辞退する。少佐はそう? と首を傾げ、自分のグラスに三杯目を注いだ。ペースが早すぎる。
「はは……そういえばリンコル飲めるんでしたっけ、少佐」
「さすがにあれは無理よ。いつも倒れちゃう」
「いつも倒れるけど飲むんですか」
「おいしいでしょ」
少佐の返事に唖然とする。人間なら死ぬと言われている酒を、倒れても、何度も、飲む……。理解しがたい神経だ。これが英雄の器だろうか。
ふたりで、とつとつと会話していく。
少佐は私に、仕事上でなにか不満はないか、細かく、熱心に聞き取りを行った。
さりげなさを装っていたけれど、間違いなく、クルーの心理面を探っているのだ。悪い意味ではなく、司令官としての職務として。
クルーの不満の発散は、とても重要な事柄だ。共に酒を飲み交わすことは団結感を高め、心を開く。感情の乱れや不信を取り除くことは、任務の成功率に直結する。
少佐はそのことをよく理解しているのだ。
度数の高い酒を煽ったことで、私の口も軽くなってしまう。
最近よく来るイタズラメールがうざったいだとか、そんなどうだっていい愚痴すら話してしまう。
「……色々ありましたが、サーベラスに来てよかったと思います。あなたに会えた」
グラスに視線を落としたまま、聞き飽きているであろう言葉まで、伝えてしまう。
「あなたのような司令官は初めて見ました。ここまできめ細かく、我々の事を見てくださるひとには……。あなたと行くのなら、きっと地獄もこわくない。生きて帰れるって、確信してます」
こんなこと、酒でも入ってないと言えないことだ。
死を覚悟するのではなく、生き抜く覚悟をすること。それはとても難しいことだ。
少佐はすこしだけ困った顔をして、肩を竦めた。酒が進んでいるから、少佐と言えど少し酔っているらしい。頬がほんのりと赤い。
「買いかぶりよ」
「なにを言うんです。あなた以上の司令官なんて、この世には存在しませんよ」
謙虚な言葉に、思わず笑ってしまった。
瞬間、後悔する。
あなた以上の司令官なんてこの銀河に存在しない――なんて。
どんなに恐ろしい、呪いの言葉だろう。
どれだけの責任を負わせる言葉だろう。
わかっていたはずなのに、だから、言うのを控えていたというのに――言ってしまった。
酒に酔っていたから、自戒が緩んだ。それが言い訳になるだろうか。
瞬間、手に汗がにじんでしまう。
恐る恐る少佐を見やると、少佐は空になったグラスを揺らし、睨んでいた。
やっぱり、重荷にならないはずはないのだ。
この人だって人間なのだから。
どれほど強くて、雄々しくても。どれだけ人体を補強していたって、メンタルはきっとふつうの人のはずなのに。
なんといって取り繕えばいいだろう。言葉が思いつかない。
「あ、あの……少佐。でもあんまり根詰めないで――」
「もう我慢できない」
「え?」
少佐はぼそりとつぶやくと、おもむろに酒のはいったボトルを掴んだ。赤と青の酒をグラスに注いで混ぜ合わせる。ピンク色になった怪しいそれを、思い切り煽る。
「か、カクテル!?」
「ぷはあっ! 一度やってみたかったのよ。前にバーで頼もうとしたらギャレスにとめられたんだけどね」
「そりゃあ止めますよ……」
「でも美味しいわ」
くっ、と少佐が喉の奥で笑った。驚く私を見て、楽しんでいる。
「今回、あなたと話せてよかったわ」
「そ、そうでしょうか……」
「ええ。あなた、今まで私になにも言わなかったでしょう?」
「え?」
「私に期待してるとか、少佐ならなんとかするとか。尊敬してます、とは言ってくれたけど」
「はあ……」
その通りだ。今まで、かえって重荷になってしまいそうで、絶対銀河を救えると言った言葉は意図的に言わないようにしていた。それが……さっきは……。
「ひょっとして信頼されてないんじゃないか? って思ってたのよ。そうじゃないとわかって安心したわ」
「え? そ、そんなこと?」
慌ててかぶりを振る。
まさか、私の気遣いは空回りだったんだろうか。
「私はこの銀河をコレクターの良いようになんてさせないわ。なにがあっても、コレクターを倒してみせる」
決意に満ちた言葉だった。酒の勢いで言っているのではない。心からの、純粋な決意。
思わず背筋が伸びた。椅子から立ち上がり、敬礼する。
「はい! その時まで、私もノルマンディーのクルーとして精一杯お供します! 補佐させていただきます?」
「銀河を救うのは、私だけではできない。あなたの力も必要なのよ」
少佐が立ち上がり、まっすぐに私に向かい合った。
重たい言葉だった。一瞬怯みそうになり、ぐっと弱音をのみこんだ。
「――はい! この命、あなたのために尽くします」
なにが、呪いの言葉だろう。
私は少佐に重荷を背負わせたくなかったんじゃない。
少佐に頼る言葉を言うことで、自分にその言葉が跳ね返ってくるのが怖かったんだ。
だから今まで――言えなかった。
なんて愚かなことだろう。
私は私を信頼できていなかった。ノルマンディーに搭乗してなお、まだ、覚悟ができていない大馬鹿者だったのだ。
でも、今は違う。
少佐をまっすぐ見つめる。少佐はふっと笑って、私の肩を叩いた。
「楽になさい。あなたがこの船にいてくれて、本当によかったわ」
胸に、じわりと熱いものが広がった。
この人は、本当に人を乗せるのがうまい。たまらない気持ちにさせられる。
ジェーン・シェパード。人類初のスペクター。一度銀河を救い、そして今回、再び銀河を救う人。
この方を前にするだけで、誇り高い気持ちになれる。
少佐は間違いなく、そういうたぐいの英雄だった。
2017/04/01:久遠晶
再録夢本書下ろし用に書いてたんですが、実際に出すまで間が空きそうだったんでサイト掲載。
再録夢本のプロローグ用に書いたものなので、そんな感じのタイトルです。