くだらない恋の終わり



 意外なほど暖かい唇に、僕はすこしだけ驚いた。彼女の肉体なら、もっと冷たいだろうと思っていたからだ。
 匂い……。彼女は消毒液の匂いがすると常々思っていたが、唇が触れるほど身を寄せると彼女自身の匂いはそうではないことがわかる。
 あの時の僕は、ほのかな甘い香りに跳ねる鼓動を気取られないよう必死だった。誰だって、大切な――認めたくはないけれど、あの時の感情を今代弁すると、そうなるのだろう。……愚かな感傷だとはわかっている――大切な人には、スマートな自分だけを見せたいものだろう。
 だけどかすかに離れた唇が紡いだ次の言葉に、心地のいい暖かな感覚はすぐにしぼんで、消えてなくなってしまった。

「私、大切な人は作らないようにしてるの」

 無感動に彼女はそう言った。
 温度のない彼女の瞳に僕は酷く傷つき、同時にどこか救われるような気さえしたのを覚えている。どうして安堵したのかはわからなかったが、大人を気取った僕は目をつむって物わかりのいい少年を演じた。

「そう……ですか」

 彼女の頬に触れていた指先から力が抜けると、彼女はぎこちなく笑い唇をふれ合わせてきた。柔らかい唇に彼女の気持ちは余計にわからなくなったけど、彼女のスタンスだけは理解できた。いたいけな少年をもてあそぶ気はなく、そのキスは謝罪だった。
『それでいいなら、私は拒絶しない』というスタンスを僕に取ることへの、謝罪だ。
 彼女はいつも冷めた目をしていて、そのくせ誰かが怪我をした時は人一倍心配をするような人だった。
 触れてほしくない過去には触れず、自分の過去にも触れさせない。そのかわり誰かが心の扉を開けた時は、穏やかな笑みでもって受け入れる。彼女は分け隔てなく平等に暖かく、平等に冷たかった。

「私、ヒーローは嫌いなの」
「そうですか」
「だからあなたのことも嫌いになるわ」
「……そうですね」

 ヒーローになる為、アカデミーに入学する。だから会えなくなる。
 そう伝えた時も、彼女は冷めた目をしていた。かすかに傷ついた表情をしていたようにも思えるけど、当時の僕にはわからない。
 彼女は静かに目を伏せ、ため息を吐いた。
 わかりきった反応だった。ヒーローなんて危ないから行くな、と止められたかったわけではない。止められ、すがられたとしてもその手を振りほどいて僕は行っただろう。
 だがウロボロスの捜索に当たって色々と世話になった彼女への報告は、義務だと思った。

「さよなら」
「さようなら」

 言葉に被せるよう別れの言葉を吐いたのは、僕が別れを見送る側になりたくなかったからだ。
 彼女はすこしだけ驚いた顔をした。タバコを吸おうとしてから僕に気づいて止め、そしてかすかにぎこちなく笑う。

「御武運を、ヒーロー」

 ヒーローになれるといいわね、でもヒーローになれると信じているわ、でもなく、彼女はそう言った。
 ヒーローが嫌いな彼女の皮肉であり精一杯の優しさなのだろうと思って、僕も彼女と同じように笑った。
 彼女との関係に名前をつけることすらできず、互いに本心を言わないまま、僕たちは互いの信念に則って違う道を歩き出した。
 そして終わった。

 そんな……。
 そんな、くだらない関係だった。





2013/6/20:久遠晶
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