どうか幸せな未来を
街はイルミネーションで飾られ、こどもたちは家の戸を叩く。
10月31日・ハロウィンである。
彼女――ローリーは、彼女の家であるハドンフィールドから遠く離れた場所に住む年上の友人を尋ねていた。
「やぁ、よく来たね。歓迎するよ」
友人のはにっこり笑って、ローリーを家の中へと誘った。
寒さゆえか、ローリーの表情は冷たく強張っている。
「いつも通りの狭い家で悪いね。あぁ、わかってるだろうけど荷物は適当に隅に」
「ええ」
ローリーはリビングの隅にボストンバックを置きながら答えた。ローリーのバックは大きい。四日分の着替えが入っているから当然だ。
「いつもありがとう、」
「『トリックアンドリート』はするかい? 右の手か左の手、どちらにお菓子があるか当ててごらん」
「、私もう子供じゃないわ。……何年このやりとりする気?」
「君と会う度、毎年おなじことを言い続けるつもりだ」
「ねぇ、それジジィみたいよ」
冗談めかしてが言うと、ローリーはようやっと頬の緊張をゆるめた。
「シャンパンがあるよ。もう二十歳になったんだろ?」
「二十歳になる前から普通に飲んでたわ」
「いけない子だ」
がローリーの頬を両手で包んで、ぷにゅっと押し付けた。
手のひらの暖かさが、外にいたローリーには心地いい。
テーブルの上には大きな七面鳥や色とりどりの料理が鎮座しており、それを見てローリーは感嘆のため息を吐いた。
これらはすべての手作りなのだ。
「相変わらず豪勢。クリスマスみたいだわ」
「そりゃ君が来るんだ。気合も入る」
は冗談めかして肩をすくめる。
クリスマスだとしてもあまりに豪勢すぎる食事の数々は、が自分を気遣っているからだとローリーは知っていた。わからないほど子供でも、バカでもない。
「おっと。コルク抜きを台所に忘れてきた。あぁ、ついでにローリーも手を洗ったらどうだい。バイ菌で風邪を引いてしまう」
「ありがとう」
ローリーはと一緒に台所に行った。がコルクを探している間に、ローリーは水道で手を洗う。
洗面所ではなく台所で手を洗うのは、と離れたくないからだ。
恋人同士というわけではない。
単純に、ローリーが人と離れることを拒む性質だからだ。数年前、突如そうなった。なってしまった。
「コルク抜きがあったっ。さぁ、二人きりの素敵な夜を楽しもうじゃないか」
テーブルについて、シャンパンを開けて乾杯。
シャンパンには詳しくないローリーも、それが高いシャンパンだということはわかった。
なにからなにまで気を遣わせている――それがありがたくもあり、申し訳なくもあった。
はリンダの兄だ。数年前の『あの夜』に、はリンダという最愛の妹を亡くしている。
殺したのはローリーの兄だ。
血がつながっていることすらローリーにはおぞましい。あの悪魔だ。
マイケル・マイヤーズ。
あの殺人鬼が――の妹、そしてローリーの家族を殺した。
***
ローリーとは、たわいない話をしたり、いつもより失敗した料理の感想を言い合いながらの料理に舌鼓を打った。
近況や最近見たドラマ、職場や友人の愚痴、あるいは自慢。本当にたわいのない話だ。
食事は進み、酒も進む。料理はすこしを残して二人の腹の中へと吸い込まれていった。
「ってガールフレンドいるの?」
「……いきなりどうしたんだい」
アルコールで頬を赤らめたローリーが不意に尋ねた。
シャンパンはもう残っていないので、缶ビールを飲んでいる。
「毎年毎年、ハロウィンの間ずーっとここに泊まっちゃってさ。……悪いなって」
「あいにく、僕と付き合ってくれる物好きはいない。むしろ君が来てくれてありがたいよ。君はどうなんだ? 彼氏がいるのに一人暮らしの男のところに泊まるなんてのはダメだぞ」
「いたらのところにはいないし、作る気もないわ」
ローリーが缶ビールをちゃぽちゃぽと揺らしながら答える。残り少ない中身を一気に飲み干した。
「もう……イヤだもの。あんなこと」
『あんなこと』とは、ローリーが17歳の時に遭遇した、惨劇のことである。ハロウィンの夜――ローリーの日常は一人の殺人鬼によってあっけなく崩壊した。両親も親友も殺された。
それから一年後、もっと辛い出来事が起こった。死んだはずの殺人鬼は生きていて、またローリーの家族と友人を奪っていった。
ハロウィンの爪痕は数年経った今も色濃く残り、ローリーに健全な人間関係の構築を難しくさせている。
誰かと強く結びつくことを恐れてしまうのだ。
「まだ、夢に出るのか?」
神妙な表情のにローリーは頷く。
いくら飲んでもローリーは酔えない。それが苦しくて新しい缶ビールを開ける。
数年経った今でも、ローリーは時折悪夢を見る。あの殺人鬼に襲われる夢を。
そして、殺人鬼となった自分が大切な誰かを殺す夢を。
「怖いの。またアイツがやってくるんじゃないかって。そうして、そして、みんなを殺して私も殺すんじゃないかって……!」
「落ち着いて、ローリー……! 君はハロウィンの日に、立て続けに辛い思いをした。引きずってしまうのは仕方ないし、それは正常だ。でも、彼は死んだ。そうだろ?」
が、頭を押さえてパニックになるローリーの肩を掴む。
あやすように背中を撫で、すこしずつローリーは落ち着いていく。
「二回目の事件で、あの男――マイケル・マイヤーズは死んだ。検死もされて、きっちり埋葬もされた。僕もそれは確認した。君は……まだ墓に行けてないようだけど」
「怖いのよ。私がアイツの墓に行ったら、棺から這い出てくるんじゃないかって」
ジョークの類ではなく、ローリーはそれを本気で信じていた。
「大丈夫だよ。もう終わった。それを証拠に、何度ハロウィンが来てもあの男は現れないだろ?」
「わかってる……わかってるんだけど……」
「うん。気にせず泣けばいいさ」
が頭を引き寄せてきたので、ローリーはされるがまま胸板に涙でぬれた頬を押し付けた。
恐怖で冷たく強張っているローリーを、の体温が暖めていく。
「マイケル・マイヤーズは死んだ。僕がいるから、安心してくれ」
ぽんぽんと穏やかに背中を撫でられると、ローリーはどうにか安心することが出来た。
アイツは死んだ、もう居ない。呪文のように唱え、言い聞かせる。
それは、ハロウィンの夜の度、何度も続いてきたやり取りだった。
***
の後悔は二つある。
ひとつ目の後悔は一回目のハロウィンの事件があったとき、ハドンフィールドに居なかったことだ。自分が居れば、せめて愛しい妹の身代わりになれたかもしれないのに。
二つ目の後悔は、二回目の事件があったとき、やはりハドンフィールドに居なかったことだ。妹を失った事実が耐えられなくて、彼はあちこちをさまよっていた。
事件から数年経った今も消えない傷をローリーや被害者の心身に残した殺人鬼へは、怒っても怒りきれない。おそらく自分は、一生この怒りと付き合っていくしかないのだろう。
だがローリーには、そんな負の感情とは無縁で居てほしかった。
覚めない悪夢から解放され、昔のような屈託のない笑みで笑ってほしいとは強く願っていた。
「ふぁあ……なに、ここどこ――あぁ」
「やあ、おはよう」
ゆっくりと意識を浮上させたローリーは、寝ぼけ眼で周囲を見渡し、やがてすべてを把握した。
ローリーはのベッドで寝ていた。ベッドの持ち主は床に座っていて、その手はローリーがしっかりと掴んでいた。
の身体には毛布などかかっていない。ベッドから落ちたのではなく、最初から床に座って寝たのだ。
ローリーは一人になるのを嫌がる――ハロウィンの夜限定で。
自分の見えないところでマイケルが大切な人を殺してしまうのではないかと恐れている為だ。もそれはよく理解しているから、ローリーを決して一人にしない。
かと言って恋人同士ではないので、同じベッドでは眠れない。必然的に床で寝ることになる。
「別に……だったら同じベッドでもいいのに」
「……あのなあ。ボクだって悪い狼なんだぜ?」
が苦笑して肩を竦める。
ローリーはがそういう欲求を抱いている場面がどうしても想像出来ない。男として見れないのだ。
それに――もし押し倒されても構わない。いやであれば、最初から泊まりになどこない。はそれをわかっていないのだ。
「私、あのまま寝ちゃったの?」
「そういうこと。朝ご飯とシャワーどっち先にする?」
「朝ごはんで……いいわ」
「ありがとう。でもシャワーでもかまわないよ? ちゃんと扉の前で待ってるさ。おなかが空いてても君を置いて台所になんて行かない」
「朝ごはんにしましょう」
「うん。すっごくありがとう。すっごく」
が本当に助かったというように自分の腹を撫でた。
通常、ハロウィンというのは10月31日から11月2日の三日間行われる。だからローリーも三日間の家に滞在する。
ブランチを食べて、相手がシャワーを浴びるのを互いに扉の前で待って、その後はまったりと過ごす。
「今日の夕飯はなにがいい?」
「の特製オムレツー」
「僕としては君の手料理が食べたいが……む。卵が切らしちゃってるな。別のにしないか?」
「えぇ……マジ? 今すごくオムレツ食べたい気分なんだけど……」
「残念だが、無理そうだ。あきらめて他のにしよう」
買い物に行くという選択肢はあってないようなものだった。
ハロウィンの日に友人や親を殺された彼女は、外に出ることで友人たちに死を招いてしまうのではないか――という恐怖がある。
「……私、いいよ」
「ん?」
「大丈夫……だから。買い物に行こう」
オムレツに執着していたわけではない。だが、このままではダメなことを、ローリーは自分は一番よく知っていた。
すこしずつでも、恐怖とトラウマを克服していかねばならないのだ。
***
スーパーでの買い物は滞りなく終わった。問題があったのは、「ハロウィンに外で買い物」をクリアでき気分が向上したローリーと外で食事をすることになってからだった。
こじゃれたレストランのテラスで雑談をしていると、どうにも周囲の様子がおかしい。店員はおびえた様子でオーダーをとり、他のテーブルの人間は腫れものを観るようにローリーとを見てひそひそ話をする。
「ごめん。ここのやつらはよそ者が嫌いなんだよ。そのせいだと思う。家に帰るか?」
は周囲の煙たい反応をそのように解釈したが、それは間違いだとすぐにわかった。
ローリーの視線が、あるテーブルに座る男たちが読む本に固定されていたからだ。そのローリーの表情を観た途端の背中に嫌なものが走った。
予感は的中した。本の背表紙には『マイケル・マイヤーズの半生』と書かれていた。
ルーミス医師が出した二冊目の本。マイケルの出生のすべてと、ローリーの血縁関係はおろか顔写真までモザイクなしで掲載されている。
その本を見ながら、男たちはローリーを見て侮蔑の表情を浮かべている。
「ご、ご注文の品のカルボナーラふたつです……」
ローリーへの明らかな怯えを含んだ表情の店員が、震えた手で料理とコーヒーを置く。その拍子にグラスからこぼれたコーヒーが数滴の腕にかかった。
店員が謝罪の言葉を口にするよりも早く、が机に両手を叩きつけ立ちあがった。
「うるさいから黙れ」
しん、とあたりが静まり返った。
「ローリーが誰の妹だろうが、彼女は彼女だ。お前たちには関係ない」
睨みつけると男たちはヒイッと肩をちぢこませた。怯えと敵意の見え隠れする表情が、の癇に障る。
が気づかれないように深呼吸したのは、自分の言葉が周囲にしみこむのを待つためと、ローリーに見せる笑顔を準備するためだった。
ローリーはなにかに絶望したような顔をして、を見上げていた。
どうしてそんな顔をする必要があるのだろう。
ローリーが。被害者が。幸せになるべき、若い少女が。
「……ちょっと雰囲気悪くなっちゃったな。やっぱり家に帰ろうか」
はそう笑って、テーブルにお代を置いた。荷物を持って立ち上がる。
ローリーはうつむいた。はローリーの手を取って立ち上がらせて、引っ張っていく。何も言わずに、ローリーはそれに黙って従った。
逃げるようにレストランから出て、家への道を歩く。
その道中。
ぽつりとローリーがつぶやいた。
「ごめんなさい」
――それはなんに対しての謝罪なんだ。
マイケルと血がつながっていること? マイケルが多数の人間を殺したこと? の妹を死なせたこと?
おそらく、すべてを含んだ謝罪なのだろう。
クソくらえだ。は心底そう思った。
が掴むローリーの手は冷え切っていて冷たい。可憐で、ヒステリックな面もあるが心優しく、愛らしい女の子が、今もなお恐怖にさいなまれて幸せな日常を送れない。
クソだ。
ローリーに対し、なにも言葉をかけてやれない自分に腹が立つ。
ただ手をぎゅっと握って、どうか苦しまないでくれと思った。
いつの間にか、強い雨が降り出していた。
***
結局、昼食も夕食も合わせのものを適当に調理しただけのものになった。
ローリーはずっと黙り込んでいる。なにをどうしてやればいいのかわからず、はローリーの身体を抱きしめて、そのままずっとベッドで寝ていた。
家の外では雨がぼたぼたとうるさい。
そうなってくると、の気持ちも沈んでくる。そもそも努めて明るく振舞っているだけで、自身妹を殺されている身だ。たやすく立ち直れるはずがない。ただローリーを責めることだけは絶対にしない、ローリーにだけはツライ顔をしないと決めているだけで。
ローリーの肩が震えている。
たまらなくなって声をかけようとした瞬間、ローリーが重い口を開いた。
「明日なんだけど」
「え? あ。ああ……」
「付き合ってほしい場所があるの」
は意味が分からず、怪訝な顔をした。明日はハロウィンの最終日だ。先ほどの一件があって、ローリーはなおさら外に出たがらないだろうと思っていたからだ。
「構わないけど、どこだ?」
「墓地」
「――え?」
「あいつの墓に行きたい」
「ローリー、それは」
「もう終わらせたいの」
ローリーがの腕のなかでうごめいて、起き上がった。を必死な瞳で射抜く。
「私のハロウィンを終わらせるためには、それしかないの」
切実な叫びだった。
ハロウィンの夜に実両親、養父、親友たちを殺された少女の、切実な痛みだった。
震える手でベッドのシーツを握りしめて、ローリーは歯を食いしばる。
「今までずっと怖かった。アイツがまたやってくるんじゃないかって、ずっと眠れなかった。だけどもうそんなのいや。アイツは死んだんだって、この目で確かめて、それで……終わらせたい」
血反吐を吐くような言葉だ。の胸も詰まる。だってローリーと同じだからだ。
はマイケルと会ったことはない。しかしいつも夢に見る。悪魔が大切なものを連れ去る夢を。
こうしてハロウィンの日に二人で会うのだって、ローリーだけの為ではない。お互いさまだ。
お互いにトラウマを抱え、他者と強く結びつくことを恐れている。
ローリーはそのトラウマを乗り越えようとしている。ならばだって、勇気を出して、それを支えるべきだ。
***
次の日、ローリーとは朝早く起きた。
家を出るとき、ローリーはすこし怯えた顔をして、玄関を出るのをためらった。
「怖いかい?」
「そりゃ、当然でしょ。でも……行くわ。行かないといけないの。私は」
「うん、ぼくもだ」
自然と手をつないで、二人で玄関を出る。
ずっとこうして寄り添って、歩いていくのだろうか。喪失の痛みは消えず、きっと誰も穴埋めになどならない。
それでも歩いていくしかない。
雨上がりの空が、震えを押し殺すローリーを優しく照らしている。
――どうか、この不幸な少女のこれからに。
――彼女が味わった痛みと同じだけの優しい未来が、待ち受けていますように。
男は静かに、ただそれだけを願った。
2017/05/29:久遠晶
ちょうど五年前に書きはじめ、いまようやっと書けた……。ああ……ローリー……。
おかげで前半の文章がなんかアレなのは、つまり五年前の文章なのですね。意図的に変えてません。ていうか恥ずかしくて見返せない……。かなりやばいなって思ったらひっそり修正します。
ハロウィンⅡのローリーはほんと不幸すぎてとにかく泣きたくなります。そして映画ではラストローリーまで殺人鬼として目覚めるかのような描写があり「お前さらにローリー不幸にする気か監督さん!?」ともはや笑えてきた思い出。
ローリーホント幸せになってほしい。Ⅲ出たら確実に不幸になるのが目に見えてるので続編作らないでほしいレベルで。一生分の不幸を背負いすぎてますあの子は。誰か抱きしめてあげて……という気分で書きました。
試験的にチェックボックス設置中。ぽちぽとしてくださると大変励みになります!