ある隊士の手記



二月十日
 これから日記をつけることにしました。
 鬼殺隊に入ったらまず遺書を書けと言われたのですが、正直私には遺書を書く相手もいないし。一応師匠には育手になってくれたお礼を書いたんですけど、それだけになってしまった。文章を書き慣れてないと、こういう時にだめだなーと思います。
 なので、日記を書くことで遺書の練習としたいと思います。


二月三十一日
 初めて一人で鬼を倒した。
 最終選別の時とは全然違う。情けない話だけど縮み上がってしまって、
全然だめでした。
 よく今生きてるなって思う。あの時悲鳴で我に返らなかったら、喰われてた。
 鬼から守るため鬼殺隊に入ったのに、逆に助けられてちゃ世話がない。
 亡骸は埋葬して、隠の方に託した。
 私、頑張る。今日守れなかった人たちの分まで、人を助ける。

三月二日
 鬼を倒す為には、鬼の居場所に出向かないといけない。そうすると、徒歩で移動になる。警備にもなるから町から町へ渡り歩くのにも意味があるけど、ずっと歩くばかりはもどかしい。


三月月五日
 鬼殺隊の仕事の八割って、もしかして移動?


三月七日
 なんとか倒した。
 助けてくれてありがとう、なんて言われる資格、間に合わなかった私にはない。
 あの子は両親を失って、これからどうするんだろう。あの子にはきっと、輝かしい未来があったはずなのに。



三月十三日
 くさらずがんばる。


一月一日
 知らない間に年が明けてた。半年以上開いちゃった。
 とりあえず、なんとか生きてます。

一月二日
 実践は最高の訓練ってことなのかな。
 最近は鬼相手にひるむことがなくなってきた。今回の鬼は華族の令嬢を気取っていて、裏で子供達をさらって喰っている、反吐が出るような奴だった。どうにか周囲に被害を出さずに倒せた。
 監禁されていた子供たちを解放したら、泣きながらお礼を言われてこちらが泣きそうになっちゃった。でもなんとか堪えたよ。
 助けに来た英雄が泣いちゃったら、かっこつかないもんね。
 後処理は隠の人に託したけれど、あの子供たちが自分の親と再会できたらいいな。


二月二十日
 やっちまった。
 鬼にぶん殴られて、あばら骨折。あげくに刀が折れた。そんなわけで療養中。
 折れた刀は、また刀鍛冶の方に打ってもらえるそうで安心した。おはぎに手紙を託したけど、ちゃんと届けてくれるかなぁ。喋れるぐらいなんだから大丈夫だと思うんだけど。
 傷が治るのが待ち遠しい。全治一ヶ月、体の感覚を取り戻すのに二週間ってところかな。一刻も早くまた戦えるようにならないと。


二月二十三日
 おはぎが戻ってきた。さすがに早い!
 ちゃんと刀鍛冶さんに届けてくれた?と聞いても、おはぎはぷるぷる震えて首を振るだけだった。心なしか頭がハゲてる気がする。
 道中で悪ガキに石でも投げられたかな。かわいそうに。


五月二十日
 随分と間隔が開いてしまった。日記のことを忘れてたわけじゃないんだけど。
 ええと、どこから書けばいいだろう。
 結論から言うと、まだ藤の家で療養しています。いや、うん、四月には復帰できるはずだったんだけどね!
 三月末ごろ、骨もくっついて体の勘も取り戻せてきたころ……刀鍛冶の方が藤の家に日輪刀を届けに来てくれたの。
 で、刺された。
 刀鍛冶に。包丁で。
 いや、こっちに向かってくる時なんか包丁持ってるなーとは思ったんだけど、まさか刺されるとは思ってなくて。ざっくり脇腹。
 で、治療が長引いてた……。
 鉄穴森さんが後ろから取り押さえてくれなければ、どうなっていたことか。
 聞くところによると、私を刺した刀鍛冶……鋼鐵塚という男はえらい偏屈な男で、自分の打った刀を折られると烈火の如く怒り、打ち直しの依頼が入る度刃物を振り回しているらしい。
 私は厳正な処分を期待したけれど、鬼と戦う人間が人に刺されるなどあるまじきことだと逆に怒られた。
 先輩の隊士には指をさして笑われたし、医者は苦笑していた。
「鋼鐵塚さんに本当に刺された隊士は貴方が初めてですよ」って鉄穴森さんが言っていた。流石に泣いた。
 もーほんとにひどいんだよ。みんな馬鹿にするけど、大変だったんだ。
 刺された時あんまりスルッと刃がお腹に入り込むもんだから、最初痛くなかったんだよね。冷たさがお腹の中に入り込んで、そのあとカッと熱くなった。血が溢れたからだと思う。
「き、切れ味いいな……!」
 って膝を突きながら思わず言っちゃったもんね。そしたら鋼鐵塚さん、一瞬うろたえた後に烈火の如く怒って。
「その俺の刀をお前が折ったんだろー!」
 って。怒号よ。抜いた包丁引き抜かれて、馬乗りになって振りかぶられた時には、かなり死を覚悟したもん。滅多刺しの瀬戸際だったもんな。
 とにもかくにも、とりあえず今脇腹は治ってます。大丈夫。
 ひとつ前向きに考えるとすると、人間脇腹を刺されても多少は動けることがわかったのは儲け物だった。混乱せず、呼吸を疎かにさえしなければ、数十分、動く余裕はある。
 鬼を相手に脇腹を刺された時には、戦闘不能になる前にきちんと首を飛ばさないといけない。その時は、やってみせる。
 人間相手に刺されるなんて気が緩んでるとか、弱すぎるとかも、全部その通りなんだよね。血が滲むほどの努力なんてやって当たり前で、まだ足りないんだ。

 私はこれから強くなる。絶対に。
 
 ……って、えらそうに書いてるけど、腹から菌が入って高熱で寝込んでたのと、ボロクソ言われて心が傷ついて、刺された直後は到底こんな前向きには考えられなかったけど。
 脇腹治して、鍛錬しなおして。
 一度落ち着いてからじゃないと、この日記は書けなかった。
 ……がんばる。


九月二十五日
 鬼の調査の為、京都に来た。人が多い。ご飯も美味しい。母さんにも食べさせてあげたかったな。
 都会の人間は栄養状態が良いから、都会に紛れる鬼を野放しにしておくとすぐに手がつけられなくなるって話だ。もちろん行方不明者が出れば騒ぎになるし、異変に気づけばすぐ私たち鬼殺隊が出動するんだけど。
 どの程度の強い鬼と遭遇するかわからないということで、今回は合同の任務になる。先輩の隊士と共に戦うのは、鬼殺隊に入って一年目にして、はじめてのこと。こんなこともあるんだな。貴重な機会だから、先輩の戦い方を見て勉強したい。
 先輩が京都に入るのは明日になる。楽しみだ。

九月二十六日
 粂野先輩はめちゃくちゃ優しかったけど一緒に組んだ同期がめちゃくちゃ怖かった、別に怒鳴ったりとかはしないけど、もたつくとすぐに舌打ちする。一応粂野先輩が助け船出してはくれるけど、怖いもんは怖い。


十月一日
 先輩と同期……不死川くんはすごく強かった。やばかった。出る幕がほとんどなくて、私はむしろ邪魔者だった気さえする。きっと、二人ともすぐに柱になるんじゃないだろうか。すごい人の戦いを見せていただいたかもしれない。
 でも……いちゃもんをつけるつもりはないけど、不死川くんの戦い方は無茶すぎる。生き残ろうという意思が感じられない。
 自分はいつ死んでもいいけど、死ぬ時には鬼をなにがなんでも道連れにしてやる、って感じの戦い方。稀血の作用で、怪我をすればするほど鬼の動きが阻害されるってのを加味してもやりすぎだ。
 夜ご飯食べながら三人で話していた時、不死川くんは守りたいものなんかない、ただ鬼を全員滅ぼしてやるだけだ、って言っていた。
 突き動かすのは憎しみだけで、人々を守ろうとか、そういう、使命感ってモノが感じられない。早死にするたちだ。

 粂野さんも兄弟子として、彼の向こう見ずさを心配しているみたいだ。
 もしまた実弥と組むことがあったらよろしくな、と言われた。お兄ちゃんがいたらこういう感じだったのかな、と思う。粂野先輩は優しい人だ。


一月一日
 年が明けた。鬼殺隊に入って二度目の正月を迎えられたのを、嬉しく思う。
 いつも一戦一戦命がけなことに変わりはないけど、。最近は自力がついてきたのか、早々危ない場面もなくなった。だけどそれに油断しちゃいけない。隊士って、最初の一年を生き延びた後は三年目に死ぬ確率が跳ね上がると聞いた。
 ……油断しないようにしよう。


三月四日
 粂野さんが殉職したらしい。
 優しい人から死んでいく。
 不死川くんは大丈夫だろうか。


三月二十日
 次は合同での任務になる。
 那田蜘蛛山に、複数の鬼の報告があるらしい。その為か、動員された隊士の数も多い。かなり大規模な任務だ。
 合流地点である麓の村には、私が一番乗りだった。隊士が全員到着するのは三日、四日ってところかな。
 すぐそばに鬼がいるとわかっているのに待機するのは、かなり歯がゆい。
 こうして日記を書いている今も犠牲者が、とか、逃げてしまうかも、と、よくない想像ばかりが巡る。


 三月四日
 だいぶまずいことになっている。
 遅れてやってきた隊士が性格悪い。のはいいんだけど、妙にいきり立っていて話を聞かない。
「強い鬼が群れるなんて聞いたことがない、弱いから群れるんだ」
「俺たちで鬼を倒せば大手柄だ」と。
 なにが厄介って、向こうのほうが階級が上なことだ。
 現地についたら先輩の指示に従え、とも言われている。ということは、私は従わなくちゃいけないんだろうか。こういうときに限っておはぎが居ない。
 ……鬼殺隊の上下関係は絶対。
 夜明けを待って出立すると言われたら、拒否権はない。
 一刻も早く鬼を倒したい気持ちはあるけれど、気が進まない。
 これで問題が起きたら全部あの男の判断によるものだと強調するため、記しておく。
 私は何度も止めた。


[newpage]


三月八日
 久々の日記
 手が  ふるえ


三月九日
 ゆびがまだ できってない
 ペンもてない


三月十日
 あんまおぼてないけど
 くものおにのどく で くもに された
 からだ もどるの 時間かかる  わたしはまだ はやいほう
 母さんが 丈夫に 作ってくれた から

三月十五日
 字書くのしんどい
 またたたかえるかな
 しのぶさんは こういしょう 残る 言う

三月二十日
 からだが 元に もどってきた
 あしができてきて うれしい


三月二十五
 あしができた
 でもあるけない ひざ おれる


三月三十日
 しんどい
 あるけない


四月七日
 はがねづかさん きた
 たいしに包丁ふり回してた わらっちゃう
 きっとみんなとーる道なんだろな


四月八日
 昨日のはなし
 はがねづかさんは 私にもお見まいにきて くれた
 川に落ちて さびちゃったの 研いでくれてたみたい
 字を書くのもこんななのに また握れるとき来るのかな?

 また折ったりさびさせたら承知しねぇぞ
 って言うから、
 次があったら担当変えてもらいますって言った ら
 俺の刀が気に入らねえのか  って包丁振り回された
 でもよけれた
 べっど転がって、床に落ちてよけた
 腰痛かったけど
 くもみたいにはってきょりとったら、はがねづかさんまた怒った
 なんか その変わらなさ、ありがたかった


四月十一日
 読み返したら、だいぶ字が上手くなってる
 長い文も書けてる
 訓練はつらいけど、それがあるからがんばろうって思える


五月十三日
 村田さんがおみまいに来てくれた
 止める私を引きずって山に入った隊士は、相当こっぴどく叱られたらしい
 身体もほとんど出来てない頃だったのに柱の前に引っ張り出されて絞られたと
 ざまあみやがれって感じ
 なんか前にお見舞いに来てくれたときにも同じことを説明してくれたらしいんだけど、そんなことあったけ? 身体が再生されてる間、あんまり記憶がない


四月二十日
 歩けるようになってきた
 まだ数歩でへばっちゃうけど
 進歩してる


四月三日
 歩けるようになってからは、急速に身体が動くようになってきた、
 日常生活に支障がなくなるのも、時間の問題だ。手がずっと震えるのが止まらないけど、着実に以前に戻ってきてる。


四月五日
 善逸くんと話した。那田蜘蛛山の鬼を倒してくれた子。
 私の身体を見ると、「身体が元に戻ってくれてよかったですね」と言ってくれた。
 善逸くん自身あの鬼の毒で、だいぶ危ない所だったらしい。彼の場合は解毒が早かったので後遺症はまったくないらしい。だけど薬湯飲むのを嫌がって、縮んだ手足の治りが遅くて騒いでいたとアオイちゃんが怒っていた。
 ちょっと騒がしいけど、明るくていい子だと思う。
 きちんとお礼と謝罪が言えてよかった。
 明日からは本格的な機能回復訓練が始まる。善逸くんに同情されたんだけど、どういうこと?

四月十日
 機能回復訓練ほんとにつらくて気がめげそう。善逸くんが言ってたのってこれかあ。


四月二十三日
 炎柱が死んだらしい。善逸くんたちを守って。
 上弦に遭遇して、後輩を守り通したのだ。善逸くんたちも炎柱の亡骸を守り通した。すごいことだと思う。
 一刻も早く身体を治して、戦線に復帰しないと。

五月七日
 しのぶさんに、隊士に復帰するのは諦めた方がいいと言われた。日常生活に支障が出ないところまで回復したのは奇跡に近いと。
 私は、


六月十日
 しのぶさんにはああ言われたけど、私は諦めない。


[newpage]

六月二十五日
 本当はなんとなくわかってた。今の私は、昔の私とはちがう。違ってしまっている、
 蜘蛛にされていたころの意識は曖昧だけど、隊士を攻撃させられたとか、鬼の笑い声であるとか、そういうことをぼんやりと覚えている。その、ぼんやりという感覚が、今もずっと続いているのだ。
 目の前のことが他人事のように思えて、現実感がない。ぼーっとしすぎていて、話しかけられても気付かなかったり、記憶が数時間飛んだりする。
 回復訓練、薬湯掛けの最中でも、追いかけっこの時でも、木刀で打ち込みをしていても。操り人形の糸がぶつんと切れるように、不意に身体が動かなくなる。なにかをしなくては、という意識だけはあるのに、なにをしなくてはいけないのか、なにをしようと思っていたのかを忘れる。
 隠してたつもりだったけど、しのぶさんには看破されてたみたいだ。柱ってすごいな。
 しのぶさんには、つらい出来事を自分から切り離そうとして起こる健忘障害、後遺症だって言ってた。今後治るかはわからないし、利き腕の手の震えも含めて、期待しすぎるなと。隊士に復帰は諦めろと。後遺症ばかりだなあ。


九月一日
 私はこれからどうすればいいんだろう。
 結局、どれだけ訓練しても、後遺症が治ることはなかった。
 手の震えはまだ補いようもあるけれど、健忘は致命的だ。戦いに行かせるのは許可出来ないと、しのぶさんに首を振られてしまった。
 反論出来ないのが悔しかった。
 鬼の毒で首から下を失い、蜘蛛にされて、人を毒牙にかける手下にされた。その間も意識だけはずっとあって、生きているのが耐えがたかった。殺して、楽にしてほしかった。蜘蛛にされている間、私はずっと意識を飛ばして、目の前のことを考えないようにしてきた。
 それが、自由を取り戻してなお、ずっと続いているのかもしれない。
 手の震えも、恐怖心が抜けないからなんだろうか。
 情けない。後輩たちが頑張ってるって言うのに。

 しのぶさんは、蝶屋敷で働くことを提案してくれた。重傷患者の看病や機能回復訓練の補佐をアオイちゃんやなほちゃんたち四人だけで行うのは大変だから、と。
 有難いお申し出だと思う。けどやっぱり、今の私は迷惑になってしまうだろう。
 しのぶさんは、返事は今でなくてもいいと言ってくれた。一度戦いから離れるべきだと。
 もう何ヶ月も離れてますよと言ったら、しのぶさんは悲しげな顔をした。


 九月五日
 しばらく刀鍛冶の里で療養することになった。アオイちゃんが許可を取ってくれたのだ。アオイちゃんにはいつも怒られてばかりだったから、わざわざ私の代わりに申請してくれていたことに驚く。
 こんなにしてもらって、いいのかな。


九月十日
 刀鍛冶の里にきた。ここの温泉は怪我や病によく効くらしい。確かにすごく気持ちよくて、身体のきしみや凝りが一気にほぐれる感覚がする。お肌もすべすべになった。どうせなら全身に浮き出た紫の斑点もどうにかならないかなあと思ったけど、無理そうだ。せめてこの色素沈着ぐらいはなんとかなってほしい。


九月二十三日
 ひがな一日ぼんやりしている。温泉は気持ちいいし、景観もよくてほっとするけれど、逆に私の健忘症は加速してしまうんじゃないかと不安になる。
 私に暇が出されているせいか、おはぎも私のそばを離れない。
 私のそばにいてつまらなくないか、と何度か聞いてみたけど、おはぎはいつも返事をしてくれない。


九月二十四日
 鋼鐵塚さんに会った。
 私を見るなり鋼鐵塚さんはくるりと踵を返してどっか行ってしまって、
『せっかく刀を研いでくれたのに一度も使えてないからそれを怒ってるのかなー、誰かから私が復帰できないこと聞いたのかなー』って思ってたら、包丁を持ってきて走ってきたから叫んでしまった。
 そうやら刀を折って里に来たのだと勘違いしたらしい。
 木の上にのぼりながら、必死に説明して、なんとかわかってもらえたけど。「紛らわしい」って怒鳴られたのは、納得いかない。
 みたらし団子を貢ぎながら、鋼鐵塚さん家で色々話した。
 せっかく刀を研いでいただいたのに、復帰出来そうになくて申し訳ありません、と誠心誠意謝ったつもりだけど、鋼鐵塚さんは無言だった。
 みたらし団子食べる時にもお面を外さないで、ずらして食べるもんだから、表情がわからなくて怖かった。
「このあとどうすんだ」って言う声が固くて、どきどきした。
 会話の最中女中さんが「蛍さん、嫁に来てもらったらどうですか」って言いはじめてまた一悶着あったけど、それは書くのが面倒だから割愛。
 それにしても、私は鋼鐵塚さんが怒ってるところしか見たことがない気がする。


九月二十五日
 ずっとぼうっとしてるのも悪いので、今更ながら里の雑用を手伝うことにした。
 薪を切ったり、刀を作る為の木炭や冷却水を用意したり、仕事はたくさんある。
 労働に汗水垂らし、ご飯を食べる。
 当たり前の暮らしが出来るのが、とても嬉しい。
 薪を作って、洗濯を手伝ったら、お世話になっている宿の女将さんがえらく恐縮していた。里に常駐している隊士は警備の仕事をしているし、たまに来る非番の隊士は労わないといけない存在なので、仕事の手伝いをしてもらうことはほとんどないらしい。
 隊士にこんなことをしてもらうなんて申し訳ない、と頭を下げるので、私は隊士には復帰出来ないと思うので気にしないで大丈夫、と笑った。
 女将さんはちょっと困った顔をしてから、それなら里に住んだらどうですか、と言ってくれた。
 確かに里はご飯は美味しいし温泉も素敵だし、住むにはいいところだ。鬼の襲撃が怖いところだけど、どこに居たって、鬼に襲われる危険は付きまとう。
 刀鍛冶の里は鬼殺隊の要のひとつだ。まがりなりにも戦える者が里に増えるのは、鬼殺隊にとってもいいことかもしれない。許可が下りるかは別として。


九月二十六日
 里の人に里に住む方法ってあるんですか、って聞いたら、刀鍛冶と結婚すればいいよと言われた。だめなやつじゃん。
「鋼鐵塚の長男が独り身だよ!」とおすすめされて、笑ってしまった。
 鋼鐵塚さん、あの性格じゃあお見合い結婚出来てもお嫁さんが裸足で逃げ出すよ。という話をしてたら鋼鐵塚さんが通りがかってめちゃくちゃびびった。


九月二十八日
 手伝いで鋼鐵塚さんちの工房の前を通った。随分な色男がいらっしゃると思ってたら、鋼鐵塚さん本人だったと後からわかって驚いた。私のときめきを返してほしい。ていうか鋼鐵塚って名前書きにくいよ。墨だまりが出来ないように書くのがたいへん。


九月二十九日
 朝から里が騒がしいと思っていたら、音柱が上弦の陸を倒したらしい。これはすごいことだ! ただ音柱は引退らしい。でも生きているんだからすごい。聞けば上弦の陸との戦いに参加した隊士は全員生きていると。上弦との戦いで誰も死ななかったなんて快挙だ。でも……一人は意識不明の重体らしい。大丈夫だろうか。
 後輩が頑張ってるって言うのに、私はなにをやってるんだろう。


九月三十一日
 最悪。ぼーっと朝ご飯食べてたら、鋼鐵塚さんが乱入してきて味噌汁こぼした。
 なんか担当の隊士が刀を無くした? らしくて、「どうしてお前たちはそんなに扱いが雑なんだ」って延々肩揺さぶられて追いかけ回された。困る。
 私、完全にとばっちりじゃない?
 里の人も鋼鐵塚さんの癇癪には慣れっこなのか、「今日も元気ねぇ」ぐらいの温度感で、子供のいたずらを見守る親の目線なので始末に負えない。ちゃんと教育してほしい。
 で、ひとしきり私と追いかけっこして満足したのか、仕事放り出して山に籠もるとか言い出すし。
 あの人、絶対一生独身だよ。
 親の顔が見てみたいと思ってたけど、ご両親は真っ当な方なんだよな……私が追いかけられてても息子止めてないけど。


十月二日
 おとといから鋼鐵塚の姿が見えないがなにか知らないか、と刀鍛冶の人が私の元に来た。
 どうやら仕事を放り投げて山に行ったらしい。なにやってんだよあの人。あげくに何故か私が捜索する羽目になるし。
 いや、手は空いてるからいいんだけど。山って未だにイヤな感じするんだよな。


十月五日
 山ごもりって刀鍛冶的に益になるんだろうか。
 まあ私も呼吸の習得するとき、自然と一体になれとか大地の力が云々とか言われたから、そういうことなのかな。
 鋼鐵塚さんは山小屋に籠もっていた。鋼鐵塚さんがいくら仕事終わらせてから山に籠もったって言っても、そのあとも仕事は来る。ので、さっさと工房戻って仕事してくださいって言ったらすごい睨まれた。お面越しでも圧でわかる。
 刀を折るやつなんか知らん、そんなやつ待たせておけばいいんだ、という意見も一理あるかもしれないけれど、でも隊士としては一日でも早く刀が手もとにきたほうが安心するのだ。
 とりあえず今回は鋼鐵塚さんを抱えて里に戻って刀を打ってもらった。
 でも、今回限りだろうなあ。頑固で偏屈だし、次回はむりやり工房に押し込んでも打ってくれなさそうだ。


十月六日
 鋼鐵塚さんの様子を見に行く。みたらし団子を差し入れたらすごい喜んでた。
 今まで怒ってる時の鋼鐵塚さんしか見たことなかったけど、普通の時にみたらし団子食べさせると、あんなに嬉しそうにするんだなあ。
 お茶飲んだあとは鋼鐵塚さんに付き合って走り込みした。

十月十日
 里に、風柱…もとい、不死川くんが来ていた。
 彼と組んだのは去年のことだけど、私のことを覚えてくれていた。首筋の斑点を聞かれて答えたら、「那田蜘蛛山で蜘蛛にされた隊士ってお前だったのかよ」って舌打ちされてしまった。ふがいなくて面目次第もない。
 不死川くんのことだから、だらしがないとか弱すぎるとか延々怒られるかなと身構えていたけど、思いの他彼は優しかった。
「どうせ何度も言われてんだろ。さらに畳みかけるほど鬼じゃねえよ」とのこと。これははっきり言って意外だった。
 柱になって責任感でも芽生えたのか、向こう見ずで自分が死のうがどうでもいいって感じの雰囲気も消えていたし。みんな、私がぐずぐずしている間に先を行かれてしまうなあ。
 ぴりぴりしたところは相変わらずだったけど、縁側に二人で座って腰据えて話してくれたし……同期とはいえ柱と一般隊士なのに。意外に面倒見がいいのかもしれない。
 でも、これは私が悪いのかなあ。
「もう戦えねえなら、すっぱり隊士辞めたらどうだ、嫁に行くとかよ」
 と言うので、「えっそれはつまり求婚してます?」と返したらすさまじい勢いで怒られた。顔掴まれて壁にドスドスされたし。これ私が悪いの? 俺のとこに嫁に来いって意味かと素で思った。


十月十一日
 不死川くんに挨拶しても返事してくれなくなった。そんなに怒らなくても……。



十月二十日
 仕事の手伝いを終えたら鋼鐵塚さんの様子を見に行くのが日課になりつつある。
 面倒な人だけど、刀関係で怒らせなければ、まあまあ付き合える人だ。
 走り込みの最中、ずっこけた鋼鐵塚さんを起こしてあげたとき、その手にすごくおどろいた。大きいのもそうなんだけど、手や腕にあちこち火傷の痕があった。刀鍛冶の手、ってやつだ。
 火を扱うのだから火傷をするのは当然かもしれないけど、火傷を厭わず刀を作れるというのはすごいことだと思う。
 反面、私の手はどうだろう。一応まだ隊士だけど、誰ももう隊士とは思っていないだろう。里に来てからも素振りは欠かしていないけれど、腕はずっと鈍っているはずだ。
 それが、恥ずかしい。恥だと感じるということは、私は結局まだ戦いたいのだ。二度とあんな目にはあいたくないと思っているくせに。


十月二十一日
 鋼鐵塚さんが来た。あの人は自分勝手だ。そして刀のこととなると鋭い。
 思い出すと未だにムカムカする。あーーーーーーーーだめ。冷静になれない。


十月二十二日
 一日経ってもムカつく。私の戒めとして昨日のことを記しておく。
 先日ずっこけた鋼鐵塚さんを起こしたとき、利き腕じゃないほうの手を差し出したのはどうしてかと、問いただされた。
 あの人は本当に頑固だ。
 隊士に復帰出来ないことは話してあるし、研いだ刀をまた使ってあげられないことに関しても謝罪済みだ。だからもう話すことはないと何度言っても納得しなかった。
 結局根負けして、全部話した。
 昨年の一件から利き腕に握力がほとんど戻らず、手が震えること。文字を書いたり歩いたりと言った日常動作はなんとか、問題なく出来るようになったけど、戦いには出れないこと。
 しのぶさんにも、諦めろと言われたこと。
 喋りながらどうにも泣けてきてしまって、悔しくてたまらなかった。幸いだったのは、鋼鐵塚さんが泣き出す女を優しく慰めるほどの甲斐性がある人間ではなかったことだ。いや、不幸なのか。どうなんだろう。
 同情はされたくないし、慰められたくもなかったけど、とりあえずあの男は、私の求める態度は取らなかった。
 あの人は、私が一通り喋り終え、涙が引っ込んできた頃合いに、ああーむかつく。あいつ、私の手を掴んだ。握力がある、利き腕じゃないほう。
「なにしてるんですか」って聞いたら、あいつ。
「利き腕の握力なくなったなら、こっちで刀振りゃいいだろ」
 って言いやがった。こともなげに。
 刀振ったことないやつの意見だ!
 いや、刀鍛冶だし振ったことはあるんだろうけど、剣士じゃない人の意見だよ。簡単に言いやがって。腹が立つ。私がその努力してないとでも思ってんのか。
 で、取っ組み合いの大げんか。あの人は折れる性格じゃないし、私も後には引けなかった。なにも知らないくせに、無遠慮に踏み込んでいたあの野郎が悪い。


十一月二日
 あれから鋼鐵塚さんには会ってない。
 未だに思い出すとむかっ腹が立つ。
 だけど冷静に、かつ好意的に見ると、あの人は私が隊士に戻ることを疑ってない、ってことだ。
 半年以上もう実戦に出てなくて、里で薪を切って山菜とって過ごしている私が。蝶屋敷で怪我人の看病の手伝いしたらどう、とか、刀鍛冶と結婚して里においでとか言われているこの私が。
 また戦線に復帰出来ると、思ってるんだろうか。
 手に持つの中から久々に引っ張り出した刀は、持ち慣れているはずなのにずっしりと重かった。

十一月三日
 おはぎに、今後どうしたらいいと思うか聞いてみた。
 指令が来たときには耳元でひたすらうるさいくせに、こういう時にはだまりこむ。なんとか言ってとせっついたら、手の甲をつつかれた。階級が掘られている方の手。鎹烏なのに、もう戦えない私から離れない子。


十二月二十日
 鋼鐵塚さんが来た。ちょっと見ない内に随分とむきむきになっていた。
 彼は、私に刀を持ってきた。
「作り直してやった」と。今まで利き腕に合わせて作っていたから、今回はもう片方に合わせた、と。
 やっぱり、鋼鐵塚さんは私が復帰してまた鬼と戦うことを、疑ってないのだ。
 正直真面目に泣いた。
 危うく惚れそうになって、私は刺された脇腹の傷を撫でて気を保った。
 私自身が私のことを信じてあげられなかったのに、どうしてこう、真っ直ぐ隊士としての私を見てくれるかな。


十二月二十三日
「鋼鐵塚さん、貴方のこと好きですよ」と鉄穴森さんがぶっこんでくるので、割と真面目に不安になった。剣士としてってことだけど。言い方が悪いよ。

 刀鍛冶は、自分の仕事を認めてくれる剣士を好きになるもの。
 自分の打った刀を振るい、更に強くなろうとする剣士を好きになるもの。
 蝶屋敷に刀を届ける時、何度か貴方を見た。
 ある時は、身体が再生途中の痛ましい姿。またある時は、震える手で木刀を掴んで、必死に素振りをする姿。そんな貴方を見て、あの人なりに応援してたんだと思いますよ。
 ……と言われた。
 その時は感動したんだけど、日記読み返すと私あの時刺されそうになってるんだよな。
 まあ、嫌われてないなら……。いや、いいのか? あんまりよくない。


十二月二十四日
 素振りの回数を増やしている。利き腕じゃない方を軸にしているので、すぐに身体が疲れてしまう。手が震えて、太刀筋も乱れる。こっちの腕の神経が、刀を振るように出来てないって感じがする。
 でも、わざわざ刀を打ってもらって、出来ませんは言えない。


 頁がもうない。
 簡単に一冊書き終わると思っていたけれど、かなり時間がかかったな。任務が忙しいし、暇な時じゃないと書かないものな。
 思い返すと長かった気もするし、短かった気もする。いや、絶対長かったし辛かった。
 多分、これからも辛い。でももうすこし頑張ってみようと思う。
 次の日記も、多分書き終えるまでは時間がかかる。きっとこれから忙しくなるはずだから。





2020/02/20:久遠晶
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