藤の花と夜の夢



 花柱ことカナエさんが死んだ。上弦の鬼に殺された。幸運だったと思う・・・・・・・・
 上弦に遭遇して殺され、死体を取り戻せたのは本当に幸運だった。大抵の隊士は、鬼に殺されそのまま喰われて吸収されてしまうから。
 カナエさんは愛する妹の腕の中で最期を迎えた。
 それはきっと、幸せなことだ。──なんて言葉、残された人間の救いになるはずがない。

 応援として駆けつけた私は、眠るように目を閉じるカナエさんとしのぶちゃんの小さな背中に、すべてすべて間に合わなかったのだと理解した。
 朝日が登り、大地と背をわずかに暖めている。鬼の気配は周囲には感じられなかった。太陽から逃げたのだと、察せられた。

「しのぶ、ちゃん」

 声がかすれた。何かに絡め取られたように、言葉が出てこない。きちんと喋れたとしても、なにを言えばいいのかわからなかった。



 しのぶちゃんの声が響いた。こちらに背を向けるしのぶちゃんは、どんな顔をしているだろう。恐ろしかった。泣いているだろうか。涙を拭う資格が、慰める資格が私にあるだろうか。

「怪我人を探して手当てをして。私もすぐに向かうから」

 私よりもよほど、はっきりとした声だった。
 唯一の肉親を殺された直後で、なにも手につかないほど悲しくて痛くて辛いはずなのに。しのぶちゃんはもう、己がやるべきことを見据えていた。

「しのぶちゃん」

 しのぶちゃんが振り返る。涙が溢れた私と違って、彼女は泣いていなかった。

「だめよ、のやるべきことをしなさい」

 感情が削ぎ落とされた無表情。顔で表現できないほどの大きな悲しみと怒りを抱え、表情筋がぷっつり切れてしまったみたいだった。
 なにか言わなくちゃいけないのに、私は何も言えなかった。
 今思えば、これが胡蝶しのぶという人間が──ひとつの転機を迎えて、ひとつの死を迎えた瞬間なのだと思う。


   ***


 しのぶちゃんの釣り上がった眉が好きだった。
 ムッと引き結ばれた唇が好きだった。
 おっとりしていたカナエさんを叱るときの、全く姉さんは、とため息混じりに笑うと声が好きだった。
 しのぶちゃんの、誰が相手でも物怖じしないところが好きだった。奴隷にひどい扱いをする商人には真っ向意義を申し立てるし、横暴な隊士には階級が上でも食ってかかった。
 隊士の中には、姉が柱だから調子乗ってる、って嫌う人もいたけれど、そんな奴には言わせておけばいい。

 しのぶちゃんはいつもぷりぷりなにかに怒っていたけど、それはいつだって人の為だった。誰より優しいから、誰より人の為に怒れるのだ。
 ……そういう子なのだ。

「姉さんはもう居ません。辛いですが、これからも頑張りましょう」

 カナエさんの葬式のあと、涙を流す子供たちに、しのぶちゃんはそう言った。穏やかに笑って、眉を下げて。

 カナエさんが死んでから、しのぶちゃんは怒らなくなった。なにを言われてもにこにこして、やり過ごし、蝶のようにひらりと躱す。
 横暴な隊士に蝶屋敷の子供たちが困っていても、食ってかからなくなった。代わりに相手の背後を静かに取って、「うちの子がなにかしましたか」「怪我が痛みますか」と穏やかに問いかけた。
 その変化を、隊士や隠は『姉が死に、柱を継いだことで責任感が生まれたのだ』と言った。
 そうじゃない。私は思う。
 しのぶちゃんはきっと、自分が死んでカナエさんが生きればよかったと思ってるんだ。


「しのぶちゃんが好きだよ、私」

 唇から言葉がこぼれ出た。右腕の包帯を張り替えるしのぶちゃんの手が止まる。
 唐突に思われたかもしれない。でもしのぶちゃんにとっては唐突でも、私にとっては唐突ではなかった。

 利き腕の骨が砕けた。複雑骨折。折れた破片が皮膚を突き破り、そこから菌が入って高熱が出た。無我夢中で鬼は倒したけれど、例え骨が繋がっても刀は振れないだろう状態だった。その他諸々の怪我も含めて、無様な状況だった。
 怪我と熱で死にかけていた時は死なないよう頑張ることで精一杯だったけど、傷が治りかけてきた今、戦えないという事実が重くのしかかった。そんな私に──。

 ──私は、貴方が生きててよかったですよ。

 汚れた包帯をほどきながら、しのぶちゃんがぽつりと言った。
 だから私は、しのぶちゃんが好きだと言った。

 しのぶちゃんが好きだから、あの時生きててよかったと思った。
 カナエさんの死は本当に本当に残念だけど、カナエさんだってしのぶちゃんに「私が死ねばよかったのに」と思って欲しくないはずだ。
 しのぶちゃんが好きだから、しのぶちゃんにはしのぶちゃんのままでいてほしい。
 心からそう思う。好きだから。
 小さな肩も、細い腕も、怒りっぽくてかわいいところも、ぜんぶ私が守りたかった。好きだった。
 どうしてしのぶちゃんのそばに、しのぶちゃんを守る人がいないのか。私は弱いのか。それを考える。

 右腕に新しい包帯を巻くしのぶちゃんの手は、たっぷり十五秒ほどは止まったと思う。お互いの息が途切れて、窓からそよぐ風の音が穏やかだった。
 俯くしのぶちゃんの表情は、髪の毛で隠れてわからない。

「……ありがとう、さん・・

 しのぶちゃんは包帯に落としていた視線を上げて、私を見つめた。

「私もさんが好きですよ」

 貼り付けた笑みでもって、しのぶちゃんは私の告白をやり過ごした。
 蝶みたいにひらひらして掴みどころがない〝蟲柱〟胡蝶しのぶとして、部下の妄言を聞かなかったことにしたのだ。
 そうして、私の恋と想いは、受け止めてすらもらえずに地に落ちた。
 だから、私は……。

「……私、めげませんからね。例え隊士をしりぞいても、しのぶさん・・のお役に立ってみせますから」

 そう言って笑ってみせた。
 同じ育手に育てられて、同じ時期に隊士になった親友としてではなく、部下として望まれる態度で振る舞うと決めた。


   ***


 カナエさんの死から数年が経った。目まぐるしく時は過ぎ、鬼殺隊と鬼の戦いは今まさに最終局面を迎えようとしていた。
 きたる決戦のため、柱は門を解放し隊士は一丸となって稽古に励んでいる。
 元隊士としてその熱量を羨ましく思うし、戦えない身が歯痒い。だけど結局、人は成れる者にしか成れない。私は後方支援に徹するのみだ。

 蝶屋敷の研究室に保管している薬品を分類、仕分けして床に置いた箱に詰めていく。薬品は全てお館様のお屋敷に運ばれるらしい。
 研究室をお館様の屋敷に移すのだ。お館様の護衛も兼ねた采配なのだと思うけれど、しのぶさんはあまり快くは思っていないらしい──私にはよくわからない。
 こだわりを持ち造った研究室が移動するのが嫌なのだろうか。ご病気の産屋敷様のおそばにいるのが、心苦しいのだろうか。

さん」

 不意に、後ろから声がかかった。しのぶさんの声だ。
 今まさに考えていた人の登場に、ぎくりとする。本当に気配がない。
 私は平静を装う為に息を吐いてから、笑顔でしのぶさんを振り返った。

「しのぶさん。薬品、もうそろそろ詰め終わりますよ」
「ありがとう。箱は外に出しておいてください。持っていってもらいますから」
「はい。留守の間、アオイちゃんたちのことは任せてくださいね」
「ええ、頼りにしています」

 目を細めて、しのぶさんが笑う。昔よりもずっと、笑うのが上手くなった。お互いに。
 しのぶさんは洋扉に背中を預けて、箱に薬品を詰めていく私をじっと観察している。
 しばらくは気にせず仕事をしていたけれど、耐えきれなくなって口を開く。

「えぇと……しのぶさん、まだ何かご用が……」
「カナヲに話しました」
「え?」
「上弦の弐の殺し方について」

 胸元に手を当て、しのぶさんは言う。
 その言葉の意味することに思い当たり、ぶわりと背筋から汗が吹き出た。
 上弦の弐。カナエさんの仇。その倒し方。──しのぶさんのすべてを賭けた、決死の覚悟。

「……しのぶさん」
「私が居なくなった後のこと、くれぐれもよろしく頼みます」

 しのぶさんは淡々としのぶさんは言葉をねじ込む。柔らかい声と口調なのに、そこには有無を言わせない力強さがあった。
 気圧されそうになって、唇をひき結んだ。
 笑って送り出すべきだとわかっている。それを望まれている。だけど、笑えなかった。
 私はしのぶさんほど強くない。

「…………やはり、まずは私を被験者にするべきでした。どんな副作用があるかも、上弦に通用するかもわからないのに。そんなぶっつけ本番で、馬鹿みたいだ。毒も薬も、臨床数が大切だと貴方だって知ってるはずなのに」

 恨みがましい言葉が次々と溢れ出た。
 藤の花の毒を摂取し続け、身体を徐々に毒に置き換えていく。その臨床実験に志願した私を、一年前しのぶさんは笑顔で切って捨てた。それが恨めしい。
 自分で試す前に、私を使ってほしかった。それが死に損なった私が生き延びた意味だったはずなのに。

 しのぶさんは少し困った顔をして、聞き飽きた言葉を吐き出した。

「私が居なくなった後、この屋敷をまとめる誰かが必要です。アオイもカナヲもまだまだ子供ですから……。すべて、貴方を頼りにしているからですよ」
「聞きたくありません、そんな言葉」

 うわべを撫でるように薄っぺらだ。
 役に立たないなら役に立たないで、はっきりと言ってほしい。死出の供にするには役不足だと、そう突き付けてほしかった。

「……好きな人に生きてて欲しいと願うのは、当然のことでしょう?」

 その言葉に、瞬時に頭に血が昇る。足元の箱を避けて大股に距離を詰め、細い腕を掴む。

「貴方が言うんですか、それを。──私に」

 驚くほど簡単にしのぶさんは突き飛ばされた。しのぶさんのすぐ後ろにある洋扉が揺らぎ、ガタリと音が鳴る。だけどしのぶさんは動じない。微笑んだまま、私を見据えている。

「あの時私の告白をなかったことにした貴方が! それを言うんですか!」

 下らない逆恨みだ。わかってはいるけど止まらなかった。
 このまま掴んだ腕を締め上げて、いっそ骨のひとつでも折ってやりたい。殴ってやりたい。恨めしい恨めしい。
 しのぶさんは爪が隊服に食い込んでも、涼しい顔をしていた。その目が直視できなくて、私は俯いた。

「私の気持ちをわかっているくせにそんなこと言うなんて、最低だ」
「そうですね、ごめんなさい。今更です」

 しのぶさんの手が持ち上がった。跳ね除けられるのかと思って目を瞑ったけれど、やってきたのは衝撃ではなくて抱擁だった。
 私の頭を撫でて、肩口に顔を押しつけられると、藤の匂いが強く香った。
 一年以上藤の花の毒を摂取し続けて、すっかりしのぶさんの匂いそのものになってしまった香り。
 子供をあやすみたいに髪を撫で付けられるのが屈辱だった。
 私の言葉は、怒りは、愛しさは、しのぶさんには届かない。幼子に何を言われても腹が立たないように、しのぶさんにとって私は愛でて守る対象であって共に戦う相手ではない。
 泣きたくないのに泣けてくる。
 固い隊服越しでも、じっと抱き締め続けられれば、じんわりとしのぶさんの体温が伝わってくる。そのことに泣けてくる。
 己の死を作戦に組み込むこの人が、悲しい。

「うっ……くぅ、うっ、話、聞いて、るんで、す、か。性格悪いって、言ってるんですよ」

 涙が溢れ出る。鼻水のせいでくぐもった声になってしまう。すぐにひゃっくりまで出てきた。

「私、しのぶさんが好きなんですよ。ずっと前から。あのとき振ったくせに、好きとか言うな、ばか、もうっ、ほんと、やだっ」

 しのぶさんは無言で私の頭を撫でている。
 いつしか私もしのぶさんの腰に手を回して、縋り付いていた。

 どれほど悪態を吐きながら泣いていただろうか。しばらくして涙も引っ込んできたら、冷静になると同時に猛烈な羞恥とやってしまったという焦りが押し寄せてきた。
 す、すごい勢いで困らせた……。
 そもそも私がした告白なんて忘れてるに違いないし、今更引き合いに出すことじゃない。
 やるせなさと共にしのぶさんの肩を押した。鼻水がしのぶさんの胸元について、そこだけなめくじが這った跡のように光っている。

「な、情けない姿をお見せしました……。アオイちゃんたちは任せてください。しのぶさんのご武運をお祈り──」


 頬に手が添えられて、温かい指が俯く私を上向かせる。

「もうしのぶちゃんとは、呼んでくれないの?」
「……へ?」
「いえ、もう遅すぎるかもしれませんが。あの時の貴方の言葉、本当に嬉しかったんですよ」
「へっ、え?」

 瞬きすると、また涙が溢れ出た。
 それが面白かったのか、しのぶさんがふっと吹き出して。

「私もずっと前から、貴方と同じ気持ちでしたよ」
「えぇっ……!?」

 笑いながらそんなことを言う。

「うっ、うっ、うそっ」
「嘘なものですか。気のない相手に思わせぶりなことはしませんよ」
「い、いや、うっ、うそだ」

 思わずのけぞって距離を取ると、その分しのぶさんが距離を詰めてくる。それを繰り返しているうち、棚に背中が当たった。薬品が抜けて軽くなった棚が軽く揺らいで、かしゃんと鳴った。多分後ろで薬品の瓶が倒れた。
 横に逃げるより早く、しのぶさんの手が退路を塞ぐ。私を追い詰めたしのぶさんは、さらに身を寄せてきた。身体の凹凸が密着する。
 えっ、ちょっと、まってまって。
 しのぶさんの柔らかさを、急に意識してしまう。しのぶさんはそれをわかった上で、押し付けてるはずだ。
 顔が熱い。明らかにからかわれている。
 くそ。人の気も知らないで。

「??ッ、なんで、今更……」
「本当はお墓まで持っていくつもりだったんですけど。……結局私は、姉さんのようにはなれない未熟者です」

 しのぶさんの本心だ、と思った。
 笑顔で包んだ蟲柱としてのしのぶさんではなくて、ここにいるのは私の同期。姉を喪っても戦い続けた、私の好きな人だと感じた。

「もう、間に合わない? 

 ──それは、凄まじい殺し文句、だった。
 焦がれた人が、目の前にいる。
 手汗がびっしょり吹き出た手が、そろりそろりと持ち上がる。しのぶさんの肩を掴んで、唇を寄せた。
 唇に触れる寸前、手のひらが滑り込んだ。哀れ私の唇は、しのぶさんの手に阻まれて拒まれる。

「…………この流れで待ったは、本気で性格悪いよ。しのぶちゃん・・・……」
「あっ、いや、そうじゃなくて……。その」

 しのぶちゃんは目を逸らした。その頬が赤い。すまなそうな顔。

「藤の花の毒が、どんな影響をもたらすか分からないから──んっ」

 なんだ、そんなことか。なんでかわいい遠慮だろう。
 言い終えるより早く手首を浮かんで、退かして、唇を塞いだ。
 しのぶちゃんの唇は柔らかかった。その輪郭を撫でて、隙間からつるりと侵入して、歯をなぞる。
 物言いたげに眉根を寄せたしのぶちゃんは、思いの外あっさりと口を開き、私の舌を招いた。
 舌を絡ませると、甘い味がした。藤の花の毒を摂取し続けたことで唾液の味が変化しているのか、単に私が舞い上がっているだけなのかわからない。
 ただ、しのぶちゃんと触れ合っているという喜びで脳が焼き切れそうだ。心臓が痛いぐらい跳ねる。耳元でドクドク血が流れる。

「しのぶちゃんの口、甘い……」
「……ばか、もう」

 しのぶちゃんが唇を尖らせた。それ以上の異議が唱えられるより先に、もう一度唇を奪う。
 粘膜を擦り合わせて、唾液を絡ませて、呼気を交換する。
 胸がグッと締め付けられて、堪らなくなってきた。
 唇を離してしのぶちゃんを抱き締めた。肩に顎を乗せ、深呼吸。

「胸が痛い……」
「ええっ、大丈夫? やっぱり毒のせいで」
「幸せで、だよ」

 しのぶちゃんが薬を取りに行こうと身じろぎするので、抱擁を強くして押さえ込む。

 どうしよう、やっぱり行って欲しくない。
 でも伝えたところでこの人は止まらない。私如きが止められる覚悟で、戦っていない。
 だから私は、覚悟を持って送り出すべきだ。結局のところ、今までと結論は変わらない。
 私がしのぶちゃんに声をかけようとした時、不意に洋扉がノックされた。

「──さん?」

 アオイちゃんが扉越しに声を掛けている。
 なんとなく、しのぶちゃんと二人でぎくりとしてしまう。平静を装って扉越しに返事をした。

「ど、どうしたの?」
「お館様のお迎えがいらっしゃったんですが、しのぶちゃんが見当たらなくて。こちらに来てませんか?」

 しのぶちゃんと顔を見合わせる。
 どうやら思いの外、長話をしてしまっていたみたいだ。
 しのぶちゃんは私の腕をすり抜けて、扉を開けた。アオイちゃんがひょっこりと顔を出す。

「私はここに居ますよ。すぐに行きます。……では、先程の件、よろしくお願いしますね」
「はい。薬品はすぐにまとめて、運び出しますね。しのぶちゃん」

 しのぶちゃんはさっきのやりとりなんてなかったかのように平然と振る舞っている。その変わり身の早さに内心舌を巻きながら、私もなるべく自然に頭を下げる。
 まだ作業が残っている私を置いて、しのぶちゃんはアオイちゃんと共に出て行こうとした。部屋から出る寸前、何かに気付いたように手をポンと鳴らした。



 私の前までつかつかと歩み寄って、しのぶちゃんが笑う。

「なにか忘れ物でも?」
「ええ」

 しのぶちゃんが、身を寄せた。藤の花の匂いが強くなった瞬間、唇に柔らかいものが押しつけられる。さっき散々味わった、しのぶちゃんの唇だ。
 一瞬、押しつけられたそれは、すぐに離れていく。

「私からしないのは不公平だと思ったので」

 いたずらが成功した子供みたいな目で笑う。
 しのぶちゃんの背後で、アオイちゃんが頬を赤らめて困惑しているのが見える。

「……未熟者の私は、貴方の元に置いていきます。私は蟲柱・胡蝶しのぶとして、やるべきことをやってきます」
「──は、い。私も、やるべきことをやります」
「ええ。みんなをよろしく」

 しのぶちゃんは私の肩をポンと叩くと踵を返す
 アオイちゃんの隣をすり抜けて、鮮やかな色の羽織をひらめかせて部屋を出ていった。

 しのぶちゃんが視界からいなくなってから、思わずその場にへたり込んだ。

「あれは反則でしょ絶対……」
「えっ、えぇと……! こ、この辺の箱は運び出して大丈夫ですよね! 持っていきますね」
「あっ待って、まだ封してないの。すぐやるから……」
「私も手伝います」

 私は頷いて、アオイちゃんと共に仕事を再開させる。
 ……ち、沈黙が気まずい。
 お互い顔がゆでだこのようだ。ごまかしたくて口を開く。

「なんか、ごめんね、アオイちゃん、びっくりしたよね、いや、私もびっくりしてるんだけどっ」
「謝らないでください、さん。……そりゃびっくりしましたけどっ!」

 アオイちゃんが箱に封をしながら言う。

「……さんはご立派ですよ。引け目に思うことなんて、ないんですから。胸を張ってください」

 思っても見なかった言葉に、面食らう。アオイちゃんは私の方を見ずに言うから、表情はわからないけど。
 単純に、びっくりさせたと思ったから謝っただけなんだけど。アオイちゃんはそれを、しのぶちゃんとの関係に引け目を感じている故の謝罪と受け取ったらしい。
 本当に、いい子だなあ。
 隊士を続けられなくなって、蝶屋敷の手伝いをすることになった。利き腕の握力が戻らなかったから、患者の看病はせずに雑用をこなしていた。そんな私を、立派だ、胸を張れと言ってくれているのだ。

「ありがとう。アオイちゃんも立派だよ」
「今は私の話はしてません!」

 アオイちゃんがムッとしたのがわかる。昔のしのぶちゃんに似ているのだ、こういうところ。
 私はなんだか嬉しくなってしまった。箱を持ち上げて外に出ながら、アオイちゃんに声をかける。

「色々終わって、しのぶちゃんが戻ってきたらさー、みんなに付き合うことになりましたって報告したほうがいいかな?」
「いいと思います。しのぶちゃん、人気高いですからね。言いよる身の程知らずもそうそういませんけど!」

 アオイちゃんはそう言って笑った。
 戦いが終わって、全てが終わったら。蝶屋敷のみんなでおいしいご飯を食べよう。寿司でもまぐろでもいい。柱の皆さんや功労者を呼んで、夜中の間ずっと騒いで、お酒を飲むのだ。鬼の危険をなにひとつとして感じずに。
 そういう未来が間近に迫っているはずだ。
 あの人の隣に私がいなくてもいいから、どうかその騒ぎの輪の中で、しのぶちゃんが笑っていますように。






2020/02/24:久遠晶
 おまけ(19巻~本誌までのふんわりネタバレ)。
 希望ある感じで終わらせたい方には非推奨です。
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