うるさいぞお前達



 母が倒れた。
 おそらく過労からくるものだと思うのだけど、布団から起き上がれなくなって咳が止まらなくなってしまったのだ。
 お医者様に診せたくても、私たちの住む村は規模が小さくお医者様がいない。隣町までは馬で走って三日かかるほどの距離があり、出向くのもお医者様に来ていただくのも現実的ではなかった。
 日に日に衰弱していく母に心が苦しくなる。背中を撫でる度、申し訳なさそうに謝る姿が痛々しくて見てられない。

 お医者様がいないなら、家族である私がなんとかせねばいけない。

 村にほど近い山の奥には、万病に効く薬草が自生しているとの噂がある。万病に効くなんてちょっとうさんくさいけれど、今はわらにもすがりたい。
 手立てがあるなら、それに賭けてみたかった。なにもしないで手をこまねいているのはまっぴらだ。
 そうして私は、村人が決して近づかない山の奥に足を踏み入れた。

 山を登り続けて陽が傾いてきたけど、後には引けず、ランタンを灯して注意深く進む。ごつごつした岩が増えてきて、道が消える。
 岩を歩くから岩をよじ登る、に表現が変わって程なくした頃合い。
 ようやっと目当ての薬草が見つかり、大切に籠にいれて道を引き返すことになった。

 ここからが問題だ。登るときよりも降りる時のほうが間接に負担を掛けて疲れるし、道なき道を通ってきたので、帰り方がわからない。
 あとで知った話なのだけど、山で迷ったときは下山ではなく頂上を目指した方がいいらしい。頂上はひとつだけだから、一度高いところから現在地点と目的地を把握したほうがよいのだと。
 山に不慣れな私はそう言った山の常識がわからず、右往左往しながら下山を試みるという愚行を犯した。

 やがてランタンの油が切れて、月明かりの薄闇に包まれてしまう。
 疲れ果て、野宿を覚悟した頃合に――それは月を背負って現れた。
 黒茶の毛並に、丸太のように太い手足。大きな鉤爪。馬よりも大きな呼吸音に、震える鼻先。
 最初、なんの生き物かわからなくて、しばらくしてからやっと熊だと気が付く。
 大きすぎるのだ。

 山の浅いところ――村人が足を踏み入れる範囲のところでも熊はごくまれに出現するから、見たことはある。男衆が数人がかりで熊を狩ってきて、調理をしたこともある。
 目の前にいる熊は、それより一回りも二回りも大きい。四つ足だから具体的な身長ははかりかねるけれど、私の倍ぐらいはあるだろう。
 歩く災害のようなそれと、思い切り目が合っている。
 鼻息は荒く、明らかに気が立っている風だ。
 熊の様子をよく観察すれば、背中に何本かの矢が刺さっている。腕にもいくつか切り傷があり、狩りから逃げてきただろうことは明白だった。
 手負いの獣。一番近寄ってはいけない類いだ。
 とりあえず、刺激しちゃいけない。戦ったり、逃げるのはだめだ。
 ジリジリと後退し、相手の興味や警戒する範囲から外れようと試みる。
 しかし熊は、私が後退した分だけ距離を詰めてくる。
 完全に獲物か敵だと思われているのでは……という危機感と絶望感が過ぎり、気が遠くなる。
 私は家に帰って、一刻も早く母に薬草を渡さないといけないのだ。

 と、その時。
 熊の背後から笛の音が聞こえてきた。熊はその音に反応し、顔を左右に振ると咆吼を上げた。

「GUGYAAAAAA!!」

 殺気がびりびりと肌を刺す。
 地面を前足でごりごりと蹴って突進の準備に入る熊に、私も腰を落として備える。
 熊は本当に走るのが速い。けれど、その分直線でしか移動できない弱点がある。ギリギリ突進を避けきれば、その一気に下まで走れば――狩人たちと合流出来るかもしれない。
 よし。
 来い!!

 熊が一瞬身をかがめ、瞬間大きさが膨れ上がった。
 正確にはそれは表現としては間違いで、突進が速すぎて一気に眼前まで迫ってきただけだ。
 反射的に地面を蹴るけれど、あまりに遅すぎる。
 黒い鉤爪が、視界を横に裂いて――。
 耳元の皮膚に爪が食い込んで――。

 私の顔をべろりと剥がす。はずだった。

 気が付いた瞬間、私の身体は宙を舞っていた。なにか突風のようなものが私の身体を包んで支えている。

「えっ!? なに!?」
「……」

 熊の背後をとるかたちで地面に着地してからやっと、誰かが私を抱えて跳躍したのだと気が付いた。
 私を助けたその人は、すぐに立ち上がり、私の前に出て熊と相対した。
 露出した背中は筋骨隆々で、あちこちに不思議な文様な入れ墨が走っている。
 腰に携える曲刀二本を構えると、その人は後ろでへたり込む私に顔を向けた。
 仮面だ。宗教的な儀式で使いそうな、独特のもの。

「ここでおとなしくしていろ、平地の者よ」
「えっ……は、はい!」

 低いけれど穏やかな声。
 私がこくこく頷いたのを確認すると仮面の人は熊に向き直る。

「まさか、あの熊に曲刀で立ち向かう気じゃ……!?」

 いくらなんでも曲刀で熊に敵うわけがない。リーチが違いすぎる。斬り込んだところで、真横から鉤爪で引っ掻かれて肉をえぐられるのがオチだ。絶対逃げた方がいいに決まってる。
 もしかして私のせいだろうか。私がいるから逃げられないとか。
 ああくそ、足が震えて、腰が抜けて動けない。
 しかしそんな私の予想とは裏腹に、仮面の人は──笑った。

「ふっ」

 と、息を吐いた音は、紛れない笑みだったと思う。仮面で隠れてはいるけれど、私にはそう感じた。

 先に動いたのは仮面の人だった。突進させる真を熊に与えず、距離を詰める。熊の大振りの一撃を跳躍してかわし、曲刀を閃かせる。
 地面に着地すると同時に、幾筋もの傷から血が迸った。熊が悲鳴をあげる。私が「ひいっ」と息を漏らしたと同時に曲刀が熊の首に食い込んで、熊の悲鳴が断ち消えた。

 あまりに一方的な"狩り"に、私は言葉が出なかった。
 呆然とへたり込むことしかできない。
 仮面の人は曲刀を振って血を飛ばすと、腰に収める。
 私に向き直った。
 表情のない仮面が、私を見つめる。

「あっ、ありっ、ありがとうございます、貴方は命の恩人です」
「平地の者が何故我等の領域に?」
「えっ?」

 頭のてっぺんからつま先まで、じろじろ見られているのがわかる。警戒されてる、って感じ。
 考えてみれば、この人は一体……。
 もちろん、村でこんなに強い人なんていない。兵士というわけでもなさそうだ。
 そういえば、薬草の噂には続きがあった。万病に効く薬草が自生していても、山の民がいるため手出しできないと。
 山の民は秦人を憎んでいて、彼らの領域に足を踏み出したら最後、惨たらしく殺される……とかなんとか。

 都合よく噂の前半だけ信じて山を登った訳だけど、目の前にいる仮面の人は、その山の民、ではないだろうか。
 とすると、私の危機はまだ脱していないのではないか。

「そのカゴは」
「ひいっ」
「……」

 カゴを指差され、身体がビクついてしまう。顔もわからないし、熊を秒殺した人だ。怖い。

「ご、ごめんなさい。母が病気で……ここの薬草が万病に効くって聞いて……」
「……そうか」

 言い方に気をつけながら慎重に話すと、仮面の人が私の前でしゃがみこんだ。一挙手一投足にビクついてしまう。

「怪我はないか?」
「あ、は、はい。貴方が助けてくれたから……ありがとうございます」
「足をすこし捻っているようだが」
「これは、薬草取るときに高いところから落ちちゃって……。でも歩けます。大丈夫です」
「そうか」
「……」
「……」

 沈黙。
 怪我を気遣ってくれるということは、敵意はないのかな……?
 まだ確証が持てずにドキドキしてしまう。
 そんな私を知ってか知らずか、仮面の人が立ち上がった。
 もう行ってしまうんだろうか。
 私も慌てて立ち上がろうとするも、膝が折れてしまう。腰が抜けて、うまく動かない。

「あ、あのう、私帰り道がわからなくなっちゃって……」

 仮面の人は私を無視して熊の死骸に向かうと、熊の大きな手を両断した。
 爪の部分を掴んで持ち上げると、私の方を見もせずにこちらに放り投げる。

「持っていけ」
「えっ!?」

 思わずキャッチしてしまう。でかい。私の顔ぐらいある大きな熊の手だ。傷の断面からはまだ血がぴゅるぴゅる吹き出ていて、その血の生々しさに目の前が遠くなった。
 そういえば私、体力の限界以上に山を登って疲れ果てていたんだ。挙句道に迷って精神的にも余裕がないし、緊張が張り詰めての連続だった。
 血に慣れてない、なんて貴族様みたいなことを言う気はないけれど、このギリギリの状況では最後のとどめになったらしい。
 浮遊感すら感じない。地面に倒れた衝撃も感じない。
 私は人生で初めての気絶を体験したのだった。


   ***


 平地の少女が山の民の領域に足を踏み入れたときから、山の民は彼女を捕捉していた。
 武装もしておらず、兵士でもないことは見て取れた為、攻撃の意思はないとして泳がせていたのだ。
 戦士バジオウは彼らの暮らしの常として、少女のことなど気にせず普段通りに狩猟を行なっていた。
 しかし、まだ年若く未熟な仲間の射った矢が熊をいたずらに刺激してしまい、荒れ狂ったまま逃がしてしまった。本来であれば若者に経験を積ませる為、指定の場所まで追い込み倒させるのがバジオウの役目であったのだが、熊の進行方向に平地の者がいるとなると話は別だ。
 秦の王と山の民の王、楊端和ようたんわは堅固な同盟を交わしたばかりだ。
 山の民の領域で秦人が獣に喰い殺されたととあっては、その同盟に泥を塗ってしまうかもしれない。
 バジオウは仲間との集団から一足先に熊に追いつき、今まさに餌食とならんとしていた少女を助けた。
 危なげなく熊を倒すと、へたり込んでいる少女な涙目でバジオウを見つめ、その戦いぶりに呆然としていた。

 ──平地の人間はこの程度の熊も倒せないのか?

 バジオウは少女の驚きぶりに、仮面の奥でそんなふうに考えた。

「あり、ありがとうございます、貴方は命の恩人です」
「平地の者が我等の領域に何の用だ?」

 言葉が被ってしまった。少女が目を瞬かせる。
 少女が説明するところによると、病気の家族のために薬草を取りに来た、ということらしい。
 平地の村から薬草が自生する地点まではかなりの距離がある。山の民ならばともかく、平地の者が丸腰で挑める高さではない。
 よく見れば少女の手足は擦り傷だらけで、足をすこし捻ってもいる。相当な無茶をしたらしい。
 よほど家族が大事なのだろう。
 バジオウを敵か味方か計りかねる困惑の中にも、どうにかこの薬草だけは守り抜くぞ、という決意が見える。
 かなり警戒されているらしい。無理もないことだ。
 かつての遺恨から、山の民と平地の者は互いの領域に近づかないようにしている。特に平地の者が山に迷い込んできたときには、恨みを持っている連中がこれ幸いにと嬲り殺すような時期もあった。
 同盟があるので取って食わないから安心しろ、と言えれば楽だが同盟に関しては他言無用と強く言われている。他国に死王との同盟を知られたくない、という秦王の政治的判断がそこにはある。

 そうだ。と、気づく。
 熊の死骸はあらゆる箇所が無駄にならない。漢方の材料にしてもよし、肉を焼いて食ってもよしの滋養増強には持ってこいの食材だ。
 獲物を分けてやれば彼女も警戒を解くに違いない。

「持っていけ」
「えっ、わっ、」

 熊の前足を切り落として彼女に向かって放り投げた時、バジオウを呼ぶ仲間の声が聞こえてきた。

「あら、仕留めちまったのか。若手に仕留めさせるって話じゃなかったか?」

 木々の隙間から顔を出す仲間――シュンメンやその他の面々に、バジオウは立ち上がる。

「平地の者が襲われそうになっていたから仕留めた。薬草を取りにここまで入り込んでしまったらしい」
「平地の者ぉ? ……って、そこで寝てる子か?」
「ん? あっ」

 背後を指差され、振り返る。
 平地の少女が熊の前足を持ったまま、泡を吹いて倒れている。
 どうやら気絶したまま深く寝入っているらしい。かなり無理をして山を登っていたようだから、平地の者の体力を考えると当然だろう。

「平地の女は血が苦手なのか? 軟弱だなあ。……で、どうすんだ、バジオウ。楊端和ようたんわの元に連れてくのか?」
「バカ言え。……不本意だが麓の村まで送り届けるしかない、だろう。お前たちは熊の解体をして先に帰っていろ」

 眠りを妨げないようにしながら身体を起こして持ち上げると少女のあまりの軽さに驚いた。片腕で持ててしまう。
 山の民と違い、筋肉量が圧倒的に少ないのである。
 その代わり、猫のように柔らかい。バジオウの身体にぴったり添う。心なしか甘い匂いがする。山に生きる狩猟民族であるバジオウ達と違い、平地では匂いを消して森と一体になる必要がないからだ。
 思わず息が詰まる。
 バジオウの動揺は、仮面を隔てていても仲間には伝わってしまうらしい。

「バジオウが気絶した女に手を出すぞ」
楊端和ようたんわさまにチクろう」
「好き勝手言うんじゃない。元はと言えば弓矢の一発で仕留められなかったせいだろう」
「わはは」

 仲間のからかいにため息が出る。これはあとでシゴキ倒してやらねばなるまい。そう決意をしながら、バジオウは熊の死骸を仲間に託し、山の麓へと降りていった。


   ***


 なんだか、大きなゆりかごに揺られていたような気がする。
 ずっしりとした安定感と、すべてを受け止めてくれる力強さがあるものに。
 そんな心地よいまどろみが終わり、ゆっくりと現実に向かって浮上していく。
 目を開けると、見慣れた家の天井が見えた。

「ん~よく寝た」

 起き上がろうとすると、腰がびきっと痛んだ。腰だけではない。太もも、ふくらはぎ……下半身が全体的に痛い。
 仕方がない。山の奥深くまで入り込み、登って登って登りまくったのだ。
 母のために。
 あれ? 私はいつ家まで戻ってきたんだっけな……?
 ぼんやりした意識がすこしずつはっきりしてくる。

「……そうだ! 薬草!」

 慌てて飛び上がった瞬間、身体がきしむ。全身筋肉痛なのだ。
 私は山の中で熊に襲われそうになって、仮面の人に助けてもらって──そこから先の記憶がない。
 熊の前足を投げられた時に気絶した、と、思うんだけど……自力で降りてきたとは思えない。
 首をひねっていると、母が部屋に顔を出した。

「あら。起きたのね、
「お母さん! だめだよ、寝てないと」

 痛む身体を起こして立ち上がる。
 私の心配をよそに母はぐっと拳を握って笑った。

「大丈夫よ。の薬草がすっごく効いたの。熱も引いて、咳もおさまったの」
「えっ! それはよかった」

 確かに、母の顔色はとてもよくなっている。青ざめていた皮膚に血の色が戻り、快復したことが見て取れる。

「貴方が家を飛び出して、夜まで帰ってこなかったときはとても心配したけどね。もう無茶しちゃだめよ」
「う……ごめんなさい」
「まさか、山の民に抱っこされて帰ってくるとは思わなかったわ」
「え?」

 母が言うにはこうだ。
 夜になっても帰ってこない私を心配して、家族は村の人たちと一緒に捜索隊を山に送ろうとしていたらしい。
 するとそこに、「その必要はない」と、私を抱きかかえた仮面の男が現れた。
 上半身に走る刺青に曲刀。その出で立ちに村人は警戒するが、私が寝ているだけであることを確認して警戒を解いた。
 仮面の男は、薬草に毒性があることを伝え、「よく水に晒してから服用するように」と教えてくれたのだと言う。

「それに、あの熊の手! 滅多に手に入らないものよ。『家族が病気だと聞いたから、これも使うといい』って、ポンとくださったそうよ。私は寝ていたからその方にお礼はできなかったけど……それもあって一日で起き上がれるようになったの」

 あの熊の手、そういう意味だったのか。

「どうしよう。あの人に全然お礼言えてない。名前とか聞いてない?」
「話したのはお兄さんだけど、名前も名乗らず立ち去ってしまったって。山の民、蛮族と聞いていたけど、所詮噂だったのね。私も一度、お姿を拝見したかったわ」

 怯えるばかりで会話もできなかった自分を反省する。とんでもない失礼な態度を取ってしまった。
 それに、下山中だったとは言え山の中腹から麓までは相当な距離がある。それを、私を抱きかかえて送り届けてくれたなんて……。

 もしかして私が夢に見ていた、『大きなゆりかご』のイメージは、あの仮面の人の腕、だったんだろうか。
 想像すると、頬が熱くなってきた。
 だってそうだろう。上半身裸の男の人に抱きかかえられた、なんて。顔も胸板も、すぐそばにあったに違いない。
 あの盛り上がってかたそうな筋肉が……。

 ぜんぜん覚えてないのは、幸か不幸か。

「今度、絶対ちゃんとお礼しないと」

 決意する。
 お礼に何を差し上げれば喜んでくれるだろうか。ドキドキして動揺している頭では、なかなか妙案は浮かんでこなかった。
 困って兄に相談しようと畑に顔を出すと、心配させやがってと鼓膜が破れるぐらい怒られた。反省。

 数日後、母が完全回復したことを確認して、熊の鉤爪の余りを市場で買って。
 山ではなかなか手に入らない平地で育つ果物や野菜を買った。
 兄に付き合ってもらって、一緒に山を登って。
 確かこの辺りで助けてもらったのかな、という地点にたどり着く。
 夜だったから地形も何もぜんぜん覚えてないけど、熊が引っ掻いた真新しい跡が木に残っているから、おそらくこの辺りのはずだ。

「あのう、本当にありがとうございました!」

 山の中に向かって声をかけて、木の枝にお礼の入ったカゴを引っ掛ける。

「これで本当に受け取ってもらえると思えるかな、ななし。受け取ってもらえれば嬉しいけど。やっぱり住処を探すべきじゃないか?」
「でも、あの人、『平地の者が我々の領域に何の用だ』って言ってたの。あんまりよそ者に入ってこられたくないんだよ」
「今俺たち思い切り領域犯してない?」
「……それはまぁ。お礼のためだと、思っていただいて……」

 そう言われると困る。
 でも見ず知らずの私を村まで送り届けてくれるぐらい優しい方だし、お礼のための立ち入りは許してくれるといいな。

 改めてカゴに向かって一礼し、喜んでくれることを願った。

 後日また山の中に入っていくと、カゴの中身が綺麗になくなっていた。代わりに、中に木彫りのペンダントが入っている。
 奇妙な装飾は、山の民独自の文化だろうか。
 お礼、受け取ってもらえたんだ。
 そう思うととても嬉しかった。出来ればまた会えれば嬉しかったけど、それはきっと難しいのだろう。
 ペンダントを握って、喜びに浸る。

「ありがとう、名前も知らない山の人」


  ***


 ペンダントを握りしめる彼女は、バジオウと再び会うことはないのだろうと思っていたが、実は違う。
 この時彼女が空を見上げていれば、木の登り、平地の者を監視するバジオウとその仲間に気がつくことができた。

「姿は現してやらないのか?」
「必要ないだろう。あまり親交を持つと他国に同盟が漏れる可能性があるし、関わるべきではない」
「とか言って、気になってるくせに」
「領域に入ってくる人間は気にするだろう」
「あんな木彫りのペンダントなんかわざわざ作ったくせに、よく言うよ」

 囁きを交わすバジオウたち。
 バジオウに平地の女ができた、とからかう声を、バジオウは無視した。
 どうせ、今回限りだ。やがて忘れる。
 そう思っていたのだが。
 平地の少女は度々領域の中に入ってきた。
 季節の折に、山では手に入りにくい果物や秦の織物などを木の枝に引っ掛けてはバジオウに供えるのだ。
 彼女にとってバジオウは自分と家族の命の恩人だ。いくら礼をしてもしたりない存在なのかもしれない。
 純粋な行為を無下にもできず、物を貰うたび、カゴに返礼品を入れ続け。
 カゴを回収しにきた彼女が、供えたものがなくなっていることを知り「受け取ってもらえた」と安堵する表情を上から見下ろし続け。
 バジオウに平地の女ができた、とその都度その都度シュンメンをはじめとする仲間たちからはからかわれ。冗談じゃない、と言い続け。
 平地の者に懐かれてこちらも困っているんだと弁明しながらも、満更ではないことにバジオウ自身気がついていた。
 だって、当然だろう。
 彼女の贈り物の中には、秦の民族工芸品なども含まれている。
 山の民は文明で先を行く平地の隣人が意外なほど好きなのだから、好意自体は迷惑なはずがない。

 ──それだけだ。
 ──それだけだとも。
 ──なんだその顔は。





2019/05/30:久遠晶
萌えたよ このキャラの夢もっと読みたい! 誤字あったよ 続編希望!