新芽は芽吹き



 子供の頃、祖父の庭が大好きだった。夏休みで長期で遊びに行った時には祖父にまとわりついて、園芸を手伝わせてもらったり植物のことを教えてもらったりした。
 自由研究にでも、とローズゼラニウムをもらった時には嬉しくて飛び上がって、両親に散々見せて回ったっけ。
 植物が大好きだった。大人になったら植物園のオーナーになって、毎日植物に囲まれて暮らすんだって思っていた。
 でも私は結局ローズゼラニウムを枯らしてしまった。葉を触りすぎたことによるストレスと肥料をやりすぎたことによる根腐れだ。
 鉢植えをひっくり返して出てきた根の、真っ黒く変色し腐った姿が衝撃だった。
 私は散々泣き喚いた。
 一週間引きずったあと、幼い私は誓った。のだ。
 二度と植物には近づかない、と。


 目を開けると、古びた木の天井が目に入った。
 ──随分と昔の夢を見たものだ。
 彼女は上体を起こしてため息をつく。
 もう十年以上も昔の話だ。完全に忘れていたのに、今更夢に見るなんて。
 寝間着から着替えて歯を磨いて、庭に出た。
 枯れた植物たちが彼女を出迎えてくれる。枯れているのは死んでいるからではなく、厳しい冬を越す為に、根に栄養を蓄えているからだ。
 とは言え、知っていてもドキドキするものではあるけれど。
 鉢植えたちの様子を確かめて、水やりが必要そうな子にはジョウロでシャワーをくれてやる。
 祖父の庭。祖父が育てていた植物たち。枯らすには忍びないと引き取ったはいいものの、前途は多難だ。
 初心者なりに頑張って見せる、と意気込んだはいいものの、冬を越せるかどうかも怪しい。
 いや、迷う暇はない。やり切るしかないのだ。世話の仕方を教えてくれた、あの人のためにも……。
 脳裏に蘇るのは、先日家に訪れた全裸の吸血鬼だ。
 マントだけを羽織った全裸の大男。股間に花を咲かせた彼は、バラの剪定をしていた私に「そのやり方は間違っている」と言った──。
 植物系の吸血鬼なのだと言う彼は、親切にもバラの剪定だけでなく庭にいる植物の世話のコツを懇切丁寧に教えてくれた。
 幼少期のトラウマを思い返すと不安になるが、彼……ゼンラニウムの教えてくれたメモがあれば、きっと大丈夫なはずだ。

 ──お前はいい園芸家になる。

 彼はそう断言してくれた。その期待を裏切りたくはない。
 全裸の不審者ではあったが、その言葉に自分が救われたことは確かなのだから。
 日課と化している植物観察を終え、彼女は朝の支度を終えて元気よく屋敷を飛び出した。

「行ってきまーす!」

 誰もいない屋敷に向かって言いながら、走り出す。
 彼女、は新横浜近郊の大学に通う一年生だ。他県から長い通学時間を経て通っていたが、祖父の屋敷が空いたことで一人暮らしを始めたのだった。慣れない一人暮らしは戸惑うことが多いが、寂しくはない。植物に囲まれた生活は幸せだ。
 ……真冬なので殆どの植物は枯れているが。


   ***


 引っ越したことでバイト先の漫画喫茶への出勤も随分と楽になった。シフトも多く入れられるようになり、店長に「助かっているよ」と言われて嬉しかった。
 大学の講義を終えて、バイト先へ向かう。

「おはようございまーす」

 挨拶しながら、社員通用口からバックヤードに入る。
 玄関の前にすぐ目の前が休憩所になっている、小さなバックヤードだ。
 コートを脱ぎながらふと休憩所に目を向けると、机に置かれた可愛らしい小花が目に入った。
 この店はあちこちにこの花が飾られ、優しい匂いが漂っている。漫画喫茶のちょっとした名物だ。

「こっちにもこの花、置くことにしたんですか?」
「ああ、違うんだ。それ、捨てるやつ」
「ええっ」

 奥にいる店長に声をかけると、想像もしていなかった言葉が返ってきた。思わず大きな声を出すと、店長がひょこりと顔を出した。

「店に監査が入ることになってさ。置いとくわけにいかないんだよ、それ」
「えぇえー」

 本社の監査とはそんなに厳しいものなのだろうか。観葉植物など、店長の采配で決めていいと思うのだが……。
 見れば机の隣には大きなゴミ袋があり、裁断された花がぎゅうぎゅうに詰まっている。
 植物を愛する身としてはもはやグロテスクにすら見えるおぞましい状況だ。

「昼の人に処分してもらったんだけど、間に合わなくてさ。休憩入ったらそれも切ってゴミ袋入れといて、燃やすから」
「そ、そんな……!」

 あまりの対応に愕然としてしまう。がこの店をバイト先に選んだのは、店内いっぱいに香る花の匂いに惚れ込んだからだ。可憐に咲く花を見て、店長はきっと植物好きな人なのだ、と期待したのだった。
 それが──。

「あんまりすぎる……」
「うーん、それならちゃんが引き取る? それでもいいよー」
「ええっ」

 また大きな声が出た。
 ゴクリと息を飲んで、机に置かれた鉢植えを見下ろす。正確に品種を確認したわけではないが、香り高いセンテッドゼラニウムの一種だろう、という検討はつく。
 ゼラニウム──つまりは幼少期、が枯らしてしまったあの花だ。
 脳裏には根腐れしきり、手の打ちようがなくなったローズゼラニウムの無残な姿が蘇る。

 ──だめだ。育てきれなくて、苦しませて殺してしまうぐらいなら、今ここで処分した方がこの子の為だ。

 胸がぎゅっと重くなる。暗くならないようにせめて明るく振る舞わねば。

「せっかくなんでいただいてきまーす!」

 思っていたことと真逆の言葉が出た。店長はパッと顔を顔を輝かせて笑う。

「本当かい? 俺もちょっと心が痛んでたからさ。助かるよ! よろしくねー」
「え、いや、私は、」
「大切に育てれば楽しいことになるみたいだよ。ありがとうね! いやーよかったよかった」
「うう……」

 やはり要らないと断ることは簡単なようで難しい。
 気が付けば、彼女は鉢植えを抱いて帰路についていた。

 が歩く度、月明かりに照らされた花がゆらゆらと揺れる。その度に優しい香りが鼻先をくすぐる。
 やはり、花は好きだ。
 一般的に──ゼラニウムは初心者にも育てやすい花だ。乾燥に強く、肥料もあまり必要としない。虫除けの香を出す為、害虫もつきづらい。多年草のため月日を超えて寄り添ってくれる。
 本来なら初心者向けの品種であるのだが、いかんせん幼少期に枯らしてしまったトラウマは、彼女の心に大きな根を張っていた。
 屋敷に帰宅し、テーブルに鉢植えを置いて。ため息をついた。

「育てきれるかなぁ、きみのこと」

 の憂鬱など何も知らぬその花は、白い花を咲き誇らせている。指先で花弁をつつきながら、彼女は物言わぬ植物に語りかけた。
 暖かな店内に置かれていたので、11月のこの時期にも花が咲いたままだ。今更寒い外で育てるべきではないだろう。寒さで枯れないように暖かな室内で冬越させてやらねば。

「……まぁ、あんまり触らないようにして、肥料もあげないようにすれば大丈夫だよね」

 ハーブというのは痩せた土地で育つものだ。だから肥料は本来あまり必要がない。知識がある今ならば、きっと……。
 ちゃんと育てられるはずだ。そう思いたい。

「今日からよろしくね、ゼラニウムちゃん」

 もちろんのこと返事はないが、なんとなく、香る匂いが強くなった。そんな気がした。


   ***


 次の日はアルバイトも大学も休みだった。存分に寝坊をして、起き出したのは昼頃だった。
 曇りが多く肌を刺すように寒かった数日間とは打って変わって、青空が見えて太陽が顔を出す。は洗顔や歯磨きより先に植物の世話をしに庭に向かった。
 そして、窓辺に飾っていたゼラニウムの花を見て悲鳴をあげた。
 昨夜まで瑞々しく咲き誇っていた花が、なんと縮こまってしおれ、だらりと垂れ下がっているのだ。

「い、いったいどうして!?」

 鉢植えに飛びかかるようにして抱え上げる。
 水が足りなかった? いや、ゼラニウムは乾燥地で育つハーブだ。真夏ならばともかく、水分不足でしおれてしまう可能性は低い──昨晩は元気だったのだ。
 家に持って帰ってから肥料は与えていない為、栄養過剰のセンもない。
 だとするなら窓辺が寒すぎたか。暑さと乾燥には強いが、寒さには弱いのがゼラニウムだ。夜から暖かいという予報を受けて窓際に置いたが、思いのほか冷え込んでしまったのかもしれない……だとしたら昼になるまで窓辺に放置したの責任になるが。それにしたってこんなに急にしなびるものだろうか。
 の脳内では様々な憶測が駆け巡ったが、園芸初心者の知識では見当がつかない。

 太陽光が直接あたらないリビングのテーブルまでゼラニウムを運び、詳しく観察してみる。
 土は乾いているとも湿っているとも言い難い、微妙な状態だった。
 水が過剰でも過多でも、枯れたりしおれたりは起こり得る。

「ゼンラニウムさんなら、理由わかるかな……いやダメだ。こんなことで連絡したら迷惑かけちゃう」

 脳裏に全裸の吸血鬼の姿が浮かんだが、頭を振って想像を振り払った。
 困ったことがあればいつでも言うといい、とゼンラニウムは言ったが、真に受けてしまうのは迷惑だろう。
 そもそも個人の連絡先を知らない。吸対センターに電話をして、「植物栽培について相談したいからゼンラニウムさんを呼んでくれ」などと事務の人に頼むのは気がひける──仕事の邪魔だ。

 彼女はがっくりと肩を落とし、しおれ切ったゼラニウムを見下ろした。

「本当にごめんね。やっぱり私、植物を育てる才能ないのかな……」

 頑張って育てるぞ、と決意した次の日にこんな状態になり、彼女の心にはずっしりと重たい石が乗ったようだ。
 今しばらくは、植物栽培ノートにいい報告は出来そうにない。


 迷った末、一度水をやってみることにした。花や葉を傷めないようにしながら、底から溢れるまで水を注ぐ。
 もしかしたら、ずっと店内に置かれていた為、急に直射日光を浴びて驚いたのかもしれない。可能性として低くはないと思い、窓辺には置かずに、台所の棚の下に移動させた。
 しばらく日陰で様子を見ていたが、彼女の判断は当たっていたようだ。
 ゼラニウムは日ごとに元気を取り戻し、葉も花もしゃっきりと瑞々しさを取り戻した。

「うんうん、元気になった。やっぱり直射日光が悪いみたいだな。半日陰のほうがいいのか? いや、動かすの怖いな」

 ぶつぶつ言いながら、経過をノートに書き留める。
 こうやって物言わぬ植物の容態を観察していると、これこそが植物栽培の醍醐味、という気がしてくる。
 大学の友人に言ったら「枯れてる」と散々なことを言われたが、性に合っているのだ。
 人差し指でゼラニウムの葉に触れる。空気中の水分を抱き留めるための細かな毛が指に気持ちいい。

「このまま元気に育ってね、ゼラニウムちゃん」

 その言葉に答えるように、鼻腔をくすぐる花の香りが強くなった。くだらない思い込みだったとしても、彼女にとっては幸せなことだ。
 胸いっぱいに優しい香りを吸い込んでいると、徐々に眠くなる。
 ここのところレポート続きで睡眠不足だったのだ。夕飯を作らないと、と思うものの、どんどんとまぶたは重たくなっていく。
 結局、テーブルに突っ伏して眠ってしまった。

 はっと気が付けば、日がとっぷりと暮れていた。窓から見える景色が黒一色になっていることに動揺する。

「ご飯作ってなかった! 明日のお弁当!!」

 慌ててゼラニウムを持って立ち上がり、台所へ向かう。ゼラニウムを棚の所定の位置において、冷蔵庫を開いた。
 あり合わせの食材を引っ張り出して刻んでいると。
 目の前を黒いなにかが横切った。

 家庭の怨敵。借り暮らしの《ヤツ》。

 見た目や名前を描写することすらはばかられる虫が、かさかさと触覚を揺らしている。

「――ッ、」

 彼女は本能的に息を詰めた。身体が硬直し、包丁の狙いが外れて指先をざっくりと斬ってしまう。しかし痛みを感じる余裕すらない。
 指先から血を垂れ流したまま、ゆっくりと後退する。
《ヤツ》との距離をすこしでも取る為に。
 棚に背が当たって、今度は横にじりじりと動く。
 静かに行動する身体と違い、脳はパニックを起こしている。
 彼女は《ヤツ》が大の苦手だった。現れたが最後、駆除も出来ずに逃げ惑うだけの憐れな人である。一人暮らしとしてあるまじき耐性の低さである。
 台所から逃げれば命は助かるが、食材が蹂躙されてしまう。

 誰か助けて、と思いながら、すこしずつ《ヤツ》と距離を取っていると、腕になにかが触れた。ややひんやりしたものが、さわさわと皮膚をくすぐっている。
 腕を確認することはできなかった。彼女の頭のなかでは、台所のシンクを陣取る《ヤツ》と、腕に触れる感触がリンクする。
 つまり――背後からの襲撃である。

「イヤーーッ!! 助けてェーーッッ!!」

 半狂乱になって包丁を振り回す。指の血が周囲に飛び散るが、気にする余裕ももはやない。
 ゼラニウムの淡い色の花に血が飛び散って、赤く染める。そのことにも気づかない。
 一人暮らしとは思えぬ≪ヤツ≫耐性の低さであった。


   ***


「うーむ、いきなり来て迷惑ではなかったろうか……」

 ゼンラニウムは、古民家の前で居住まいを正した。
 マントのすそのしわを伸ばして、股間の花の向きを調節する。前方のどの角度から見ても、ゼンラニウムの花が美しく見えるように。
 しかし悲しいかな、その動きは股間がかゆい中年男性そのものだったので、夜の散歩に出ていた一般人が悲鳴をあげて速足になった。

 いま、ゼンラニウムはハロウィンの日に知り合った少女の家に来ていた。
 連絡先を知らなかったので、来訪することは告げていない。それが玄関の呼び鈴を押すことをためらわせていた。
 久々に外に出る許可が下りたので、月夜の散歩に興じていた。そのうちに彼女のことを思い出し、植物は元気にしているだろうかと気になった。
 それだけだ。それだけの話だ。
 しかし、どうにも。
 怖がらせるかもしれないし。
 迷うゼンラニウムは、呼び鈴を押そうとしては指を引っ込めて悩む。
 犬の散歩をしていた婦人がゼンラニウムを見てあげる悲鳴も聞こえないほど緊張している。

 ええいままよ、と呼び鈴に指を突っ込もうとした瞬間、彼女の家から甲高い悲鳴が聞こえた。

「イヤーーッ!! 助けてェーーッッ!!」
「な、なんだ?」

 呼び鈴の音をかき消すほどの悲鳴。ついで、どたばたと暴れるような足音。
 有事の気配を感じ取ったゼンラニウムが玄関を開けようとしたのと、彼女が飛び出してきたのは同時だった。
 目の前でばったりと出くわしてしまったので、彼女がゼンラニウムの腕のなかに飛び込んでくるような状態になる。

「きゃあっ!」
「おっと。大丈夫か!?」

 バランスを崩した彼女を腕に抱きとめながら、ゼンラニウムが何事かと問いかける。
 目の涙をためた彼女はゼンラニウムにすがった。

「あ、貴方は……!? こ、この際なんでもいいや! お願いです! 助けてください!!」
「う、うむ。我にできることであれば」

 あまりの勢いに気おされながらうなずくと、彼女はほっと表情を緩ませた。


 どうやら台所に苦手な虫が出たらしい。事情を聞いたゼンラニウムはただならぬ事態に、廊下を先導しながら表情を引き締めた。

「大変な状態だな。動揺は察するにあまりある。我に任せるといい」
「『そんなことでこんなに慌てて』、って言わないんですね、ゼンラニウムさんは」
「うむ。我は身体がある故根切り虫も葉モグリも怖くはないが、動けぬ植物にとっては脅威になりかねんからな。虫は誰だって怖くて当然だ」

 植物系吸血鬼としての共感を寄せるゼンラニウムに、彼女は微笑んだ。
 ゼンラニウムの回答はすこしとんちんかんなものではあったが、彼なりの理解を示してくれていることは伝わったからだ。

「全裸だけど優しいんだなあ」
「ん、なにか言ったか?」
「いいえ!」

 彼女に導かれ、台所に入る。
 赤い血がそこかしこに飛び散っている台所に、黒い虫は見当たらない。

「いないようだが」
「す、隙間とかにいませんか?」

 扉の隙間から様子をうかがう彼女は、本当に虫におびえている。駆除しないままでは今夜は眠れないだろう。
 気を引き締めたゼンラニウムが五感を集中させて虫を探そうとしたとき、コンロのそばの床でなにかが動いてみるのが見えた。
 植物だ。

「? あれは……。うわぁっ、もしかして私、暴れたときにゼラニウムちゃん落としちゃったの!?」

 床で割れた鉢植えと散乱する土を見て、彼女が青ざめる。
 しかし、単に棚から落ちただけなら花も鉢植えのすぐそばにあるはずだ。
 植物は少し離れたコンロのそばでその花を揺らしている。彼女がそのことに気が付いて首をかしげるより前に、ゼンラニウムは直感があった。

「おお、我が眷属ではないか!」

 明るい声を出すゼンラニウムに、植物がのそりと動き出した。
 花を反転させて『振り返る』。

 ――ゼンラ!

 妙な鳴き声を発して、植物が立ち上がった。ぷりぷりのお尻がうれしそうに震える。
 てこてこと駆け寄るゼラニウム――いや、ゼンラニウムの眷属たるコゼンラニウムの木に、黒光りする虫が取り込まれていた。それに気づいた彼女が悲鳴を上げる。

「ぎゃー! ぐろいことになってる!」
「ふむ。どうやら眠っていたのが血を吸って動き出したようだな。虫を退治したから誉められたがっているぞ」

 足元にまとわりつくコゼンラニウムを抱き上げたゼンラニウムが、よしよしと花を指先でくすぐる。
 状況がよく理解できない彼女は、困惑して眉を下げた。

「え、ええ……? こ、これ、なに? なんなんですか? アルバイト先で引き取ってきたんですが」
「ああ、あの漫画喫茶か。なに? 吸対の監査が入ることになって、処分されそうになったところを助けてくれた? なるほど、いい主に恵まれたな」

 コゼンラニウムの意思を読み取ったゼンラニウムは朗らかに笑う。
 眷属にも自我があるし、処分される度にゼンラニウムの心は痛むものだ――彼が違法に繁殖させるから処分されるのだが。
 同様に彼女もコゼンラニウムの廃棄処分に胸を痛め、引き取ってくれたのだ。
 さすが、我が見込んだ少女だ!
 ゼンラニウムは喜んだが、彼女は眉根を寄せた。
 彼女にとっては、植物だと思って引き取ったものが吸血鬼の眷属だったのだ。たまったものではない。

「ちょっと待ってください。吸血鬼だったなんて聞いてません! ああもう、通りで日向に置いたらしおれると思った……!!」

 語気を荒げる彼女は、苛立ったように髪を掻きむしった。
 コゼンラニウムが不安そうに葉を揺らす。ゼンラニウムの腕から彼女の腕に移動したがるが、彼女は身体を引いてコゼンラニウムを避ける。

「吸対に電話してきます。ゼンラニウムさんはテーブルに座っててください」
「ま、まて、早まるな」
「座っててください!」

 強い口調で言われて、思わずゼンラニウムの背筋が伸びる。
 荒々しく台所の扉が閉まる。玄関傍の電話までどすどす歩いて行く足音を聞きながら、ゼンラニウムは汗を垂らした。

「ううむ、まずいことになったな……」
「ゼンラ……!」
「いやいや、虫を吸収したのが逆鱗に触れたわけではないさ。自分じゃ駆除できないと言っていたしな。そうではなくて……」

 しょぼくれる眷属に胸が詰まる。心なしかゼンラニウムの股間の花も垂れ下がるようになってしまう。
 吸対に電話するというのだから、十中八九駆除要請だろう。それは避けたい。

「なあ、我が引き取るから駆除はやめてくれないだろうかっ……! 我が眷属も生きているのだ……!」

 慌てて玄関に行くと、既に彼女は黒電話で話し込んでいるところだった。
 唇に人差し指を当てて喋らないで、とアピールされる。

「はい。家に吸血鬼が……仮性かな? わからないんですけど、植物系吸血鬼さんの眷属みたいで……ああはい、それです、お尻がプリティな……」
「や、やめてくれ」

 ゼンラニウムは右往左往することしかできない。
 電話を勝手に切って中断させようかと思ったが、それをすると緊急出動案件として大事になってしまう。下手をすればゼンラニウム自体が駆除されかねない。
 死を悟ったコゼンラニウムが、腕のなかで生気を失っていく。

「はい。はい。そうなんです。いいえ駆除ではなくて、吸血鬼のペット申請ってどうすればいいんですか?」
「え?」
「――はい。ああ市役所かネットで書類を……。本人同伴? じゃあ夜伺う感じですね。わかりました。今度伺います!」

 夜分にすみませんでした、と言って、彼女が受話器を電話機に戻す。いかにも古い黒電話、と言った具合に、ガチャンと高い音が鳴った。
 電話を終えた彼女がゼンラニウムに向き直って、首を傾げる。

「どうしました?」
「あ、いや……我が眷属を駆除するのでないのか?」
「へ、するわけないじゃないですか! 吸血鬼と暮らすとなると市と吸対に申請がいるから、それについてコールセンターに聞いてただけですよ」

 彼女が慌てて言った。電話中のメモにも、申請の方法が書いてある。

「せっかくうちに来てくれた子を、駆除なんてするわけないじゃないですか。ねえ」

 コゼンラニウムの葉を人差し指で軽くつつきながら、彼女が笑う。

「そうだ。飼育の方法教えてほしいんですけど……」
「……素晴らしい! 我は猛烈に感動している」
「ゼンラ~!」

 コゼンラニウムが、ゼンラニウムの上からジャンプする。胸に飛び込んできたそれを彼女が慌ててキャッチすると、コゼンラニウムは嬉しそうに花を彼女の口元にすりつけた。

「あははっ、いい匂い。……まて、これゴキブリ吸収した花……?」
「うちの眷属をなにとぞよろしく頼む……!」

 さっと青ざめる彼女の動揺に気付かないゼンラニウムが、感激のまま彼女の肩を叩く。
 ゼンラニウムが、まるで愛娘を嫁に送り出す頑固親父のような表情をするものだから、彼女は笑ってしまった。

 こうして、彼女に新しい家族が増えた。
 植物だけど動いて、ふわふわなお尻を持つ吸血鬼の眷属。
 どうなることかと思ったが、これはこれで悪くはない。触って愛でられ、意思疎通が出来る植物と考えれば、彼女の求めるすべてを寄せ集めたような存在だ。愛せないはずがない。
 ……それに。ゴキブリも退治してくれるしね!
 でも朝、顔のそばに退治した虫を持ってくるのは辞めて欲しいなあ、と、猫のような修正を持つコゼンラニウムに悲鳴を上げながら彼女は思った。





2020/02/20:久遠晶
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