秘密の共犯者



「ムカデ人間?」

 やせぎすの男から発せられた言葉に、女は眉をひそめた。

「すまん。もう一度言ってくれないだろうか……なにか、変な言葉が聞こえた」
「人間の口と肛門を縫い付け一体の生命体を作る。ムカデ人間だ」

 男は無表情に、先ほどと同じ言葉を同じ口調で再生する。
 言葉の意味を理解出来ても、男の意図までは理解出来ない。かげる女の表情とは裏腹に男はすべてを説明した気になっているようで、不明瞭な相槌しかできない女をバカを見る目で見つめている。

 女は居心地悪そうに周囲を見回した。
 はじめて招かれた男の家は性格を表すように整然としている。床に塵一つこぼそうものなら罵倒の嵐が待ち受けているに違いない。壁にかけられた結合双生児をモチーフにしたのであろう絵画は、もしかしたら女の年収以上の価値があるのかもしれない。だが、女にはその絵画にそこまでの価値を見いだすことはできなかった。
 大きなガラス窓の向こう、男の三匹の飼い犬が犬小屋で寝ている。吠えはしないが、やんちゃな犬たちだ。男は躾けがうまくいっていないのだと以前とこぼしていたが、女にはかえって好感が持てたものである。

(ムカデ人間……肛門と口をつなげる? 言っている意味がまったくわからない)

 文章としては認識出来るが、意味がわからない。頭に虫が湧いているか、もしくは麻薬でもキメているとしか思えない発想だ。

 怪訝な顔で、女は改めて男を見た。

 ヨーゼフ・ハイター。シャム双生児の分離手術で知られる外科医の権威で、本来女とは生きる世界が違う人間だ。共通点と言えば、対象は違えどお互い医者であること、そしてお互い人間嫌いであることぐらいか。
 ハイターの飼い犬が病気をした時、女の動物病院に来たことから二人の親交は始まった。お互い人間が嫌いである、という共通点から仲良くなるのはすこしおかしいかもしれない。だが、地位も、生活水準も、性格もあわないというのに、不思議とハイターと女は気があった。

(『ムカデ人間を作る映画を見た』でも『そんな映画を撮りたい』でもない。『ムカデ人間を作る』と、博士はそれだけ言った)

 B級映画のあらすじか、と肩をすくめることは容易だった。事実発言したのがハイターでなければ女はそう笑っただろう。だが、ハイターが無類の人嫌いで冗談嫌いであることを女は知っている。彼が冗談を言う、という状況そのものに違和感を抱いた。
 そうであるなら、女がこの場でハイターに返す言葉はひとつしかない。
 息を吐き出し、吸う。その間に理論を固めて、女は目の前の権威ある博士に向き直った。

「そう。ムカデ人間。作るのか。頑張れ」
「笑わないのだな。お前のことだから、B級映画だのなんだのと言うと思っていた」
「その予想は正しい。だが、私は、本人が理解してそうなことは言わないことにしているのでね」
「……」

 ハイターが吐き出した溜め息は、女の冷めた反応に対する失望か。テーブルに置かれた水に口をつけるハイターに釣られ女はグラスを手に取るが、硬直したのち、飲まずにテーブルに戻した。

「飲まないのか」
「危険に自ら歩みよることも、私はしないことにしている」
「私の出す水は危険か?」
「ああ」

 女が肯定を返すと、ハイターは目を細める。憐れむ目線が、目踏みと観察を含んだものに変化した。
 言外に水を警戒した理由を問われた気がして、女は口を開く。

「あなたにくだらない冗談を言うほどのユーモアがあるとは思えないから、なら本当にムカデ人間を作りたいんだろう、と理解した。造形物としてのムカデ人間を造りたいなら、あなたはきっと全部造り終えたあとに私に披露する。なら、本当に、マジモンに生きた人間を捕まえてムカデ人間にする気なのだと思ったよ。間違っているか?」

 ハイターは相槌をつく代わりに目を閉じた。ソファーの肘掛けに頬杖をつき、じっくりと女の言葉を反芻するつもりなのだろう。
 その様子を見て、女は続けた。

「人間改造の作り方なんて、獣医の私よりもあなたのほうが詳しくて然るはずだ。で、あれば。考えたくはないが――」
「ならばお前をムカデ人間の素体にするつもりで呼び出されたはずだと、そういうことか」
「ええ。だから私はあなたに振る舞われた水は飲まないよ。医者の出す水なんて危ないからね」

 ハイターは目を開け、生来のぎょろついた目で女を射抜いた。あまり驚いてもいないし、不快になってもいないようだ。
 いきなりナイフを持ち出して攻撃してくるかと身構えていた女は、すこし肩すかしを食らった気分になる。
 もう一度水を飲み、ハイターは首を振った。

「いい推理だが、ひとつ違う」
「あれ」
「私はまだ人間を素体にする気はないし、お前を連れてきたのも素体にする為ではない」
「まだ、ね……」

 ハイターは女の警戒を解く為に発したようだが、その言葉はまったく逆の効果をもたらした。女は警戒をより強くし、ハイターからの一挙一動に集中する。
 だが女の目に恐怖はなく、むしろこ極めて冷めた目をしていて、それでいて若干の楽しさがにじんでいた。
 ハイターがなにもしないから、女もなにもしない。しびれを切らしたのは女だった。

「……じゃ。どういうことなんだい。無駄話の世間話為に呼んだと言うなら、私は怒る」
「創造の為には実験がつきものだ」
「ま、その通りだと思うよ。で?」
「まずムカデ犬を作る」
「そうだね。で――って、え?」
「私は人体には詳しいが動物に関しては獣医であるお前のほうが上だ」
「はあ……いや、待て。もしかして」
「実験に協力しろ」

 女は頬をひきつらせた。
 伺うように見つめたハイターの目は拒否すれば殺す、と語っていて、また頬がひきつった。――いや、殺さないだろう。
 殺しはしないが、膝の靱帯を切り、歯を折り、ムカデ人間という不可思議な妄想を実現しようとするはずだ。
 女の体を使って……。
 目の前の人間嫌いの医者は、他人に同情など覚えない。付き合って日は浅いが、冷酷にその手術をしてのけるだろうという確信が女にはあった。

 女は髪を掻きあげて、ため息を吐いた。わけのわからない妄想を聞かせられ、実験への協力を強制され、あげく言外に脅迫されている。

「博士ってさ……」
「なんだ」
「人間嫌いなのに何故医者をやってるんだよ?」

 かねてより感じていた、素朴な疑問だった。
 ハイターは、おそらくは今までの人生で何度も似たような質問され、その度に体裁を取り繕う言葉を吐いていたであろう唇を濡らし、やがて言った。

「嫌いだからだ。だから切り離した」

 シャム双生児の分離手術で知られる外科医の権威は、抑揚なくそう言った。結局はただの嫌がらせに過ぎない、と。
 ハイター以外の他人が言ったなら冗談だと笑い飛ばすところだが、ハイターに言われてはなんの反応も出来なかった。
 自分の仕事にさしたる誇りも、興味も、関心すらも抱いていないことが、ハイターの目を見ればありありとわかる。
 人を軽蔑する態度をとることはあっても、自らの地位をひけらかすことはしない人間だと、ハイターのことを女はそう思っていた。だがそれは分別があるからではなく、単になんの感慨も抱いていないからだったのだ。
 ハイターにとって今の地位は、嫌がらせの副産物に過ぎないのだろうか。

「じゃあ……ムカデ人間も、嫌がらせか」

 呟くように言った言葉は想定外だったらしい。ハイターは天井を向いてしばし考えた。

「いや……単に。知的好奇心だ。……人間は嫌いだが、ムカデ人間であれば愛せる、という予感もある」

 胸の奥底の感情や感覚を注意深くすくい取り、ハイターはそう言語化した。だが感情を適切に言い表した言葉ではないらしく、視線をさまよわせ心を探っている。

 女はなにも返さなかった。ハイターは思案しているので、周囲はしんと静まり返る。
 嫌いだから切り離した。次は繋げたい。
 知的好奇心ゆえに、人間を繋げたい。その前に、まずは犬で実験だ。
 1ミリたりとも共感も出来なければその欲望に至るまでの理由も納得も出来なかったが、理解できないという事実はかえって女に親近感をもたらした。

「……私は。私も人間は嫌いだ。だから獣医になった。あなたみたいな負の感情からじゃなくてだ。私は動物が好きだからな」
「そうか」
「だから、その、ムカデ人間はどうでもいいんだけどさ、ムカデ犬はいただけないな。動物虐待だよ」
「……」
「そもそもムカデ人間造りたいってのがまるで意味も意図も必要性も理解出来ないが、でも博士も意味のないことするんだなって笑っちゃったよ。あ、別に悪い意味じゃないよ。人間味を感じたってこと」

 そのフォローにハイターは眉間のシワを深め、その様子を見て女はぷっと吹き出した。
 女はテーブルに身を乗り出し、無邪気な子供のような純粋な笑みを浮かべる。

「協力するよ、ムカデ人間! 私がいなくても博士は実験するだろうし、そのたびに犠牲となる犬が増えることを思えば協力したほうがマシだね。いやー楽しくなってきた」
「本当か?」

 ハイターは少なからず驚いたようだった。女がテーブルに身を乗り出た分ハイターがのけぞるが、女は気にせず続ける。

「えぇ。私も結構、他人が不幸になるのは好きなタチなんだ」

 女がにこやかに笑うと、ハイターはあっけに取られた。
 やがて、破顔。和やかな笑みではない。これでもかというほどの悪どい笑みを口元に称え、ハイターは女に笑う。

「やはり……お前に持ちかけてよかった」
「だが、あなたが捕まった時には私の名前を出さないでくれよ」

 いたずらをたくらむ子供に笑いをこらえる女に、罪悪感らしきものは欠片たりとも見えない。それは首謀者であるハイターも同様で、二人は今後の展望を考えては笑みを浮かべた。
 かくして女はハイターのおぞましい計画の荷担者となり、ハイターとの共通点が増えてしまったことを自覚した。
 それが喜ばしいことなのかはわからないが、ハイターの笑みが見れたのは収穫だと女は思っている。





2012/9/26:久遠晶
書き終えてから公開する覚悟をキメるまで三カ月ほど必要でした。
人間嫌いのハイターさんがなんで人を助ける仕事をしているのか? ということを考えたら、こんな感じになりました。
 試験的にチェックボックス設置中。ぽちぽとしてくださると大変励みになります!
萌えたよ このジャンルの夢もっと読みたい! 誤字あったよ 続編希望!