消去法
その女のことを、真面目に考えたことなど一度もない。
=。元フォーサイト財団の建築技師。元バーニッシュ。バーニッシュになる前も後も、犯罪歴はなし。
一度引き起こした火災事件は、この私が揉み消した。
なぜ手を回してやったかといえば、彼女が燃え上がる研究施設の中で、私に電話をかけたからだ。
バーニングレスキューへ、自分がバーニッシュ化して施設を燃やしてしまったと通報した後に。
この私に電話し、「研究室を燃やしてしまった」と泣いた。
理性を振り絞ってバーニッシュ隔離用の冷却コンテナの中に自ら入り、この私にすべてを託した。ビルをこれ以上燃やさないように。
バーニッシュに覚醒したばかりの人間は炎の衝動に耐えきれずに暴走するか、フリーズフォースに捕縛された後を想像して逃亡するかの概ね二択だ。
彼女は潔く己が火元であると明かした。手を尽くせる限りの対処を行なった上で──。
その人道に則った適切な対処は、非常に好感の持てるものだった。
全くどこぞの英雄とは違い、彼女は理性的だ。
だから、ほんの少し手を回した。彼女はバーニッシュが発火するのを間近で見てしまって混乱しただけの一般人だと。
彼女は優れた建築技師だ。善良で責任感も強い。"箱舟"の建設にも役に立つ。箱船の建設には人手がいくらあっても足りないのだから、これは正当な評価だ。
もっともせっかくの便宜も、あの女がもう一度通報したことで徒労に終わったが。
責任感が強く、その上で『守るものがない』人間は考えものだ。彼女はバーニッシュ火災の孤児で、親も兄弟も他界している。身内にバーニッシュが出たところで迫害される家族がいないから、己の信念の為だけに行動できる、というわけだ。
本当にくだらない女だ──理性的と思っていたが、どこまでも感情的なだけだった。
人に優しく、弱者に愛を。
道徳と倫理に従い、この私の計らいを無下にする。まったくくだらない。
バーニッシュとして隔離施設に送られた後は……あの女の気が変われば職場に戻す気だったが、あの女の口から、ついぞ助けを求める言葉は出てこなかった。
だから私は、あの女をバーニッシュとして扱った。人権を無視した無体な人体実験を繰り返した。苦痛と屈辱の責め苦に表情を歪めるあの女に、すこしだけ胸がすくような気分がして、それ以上に、苛立たしい気持ちになった。
しんねりと目を伏せて、与えられるものを受け止めて。苦難の聖女を気取ることで、あの女は私に反逆していた。
ソレが最も効果的に、私の気分を害す方法だと知っていたからだ。
今も昔も、変わらない。あの女のやることなすこと、腹立たしいことばかりだ。
防弾ガラスの奥に、あの女がいる。面会拒否はできない囚人の身の上が恨めしい気分になる。
「お久しぶりです、クレイさん」
「……いつもいつも、飽きないな、貴様は」
椅子に座りながら、私は舌打ちをする。望んだ面会ではないことを知らしめる為に。
だが女は、大して気分を害した様子もなく笑っている。
へにゃりとして気が抜けて、覇気がない笑みは昔からわからない。バーニッシュへの人体実験による後遺症はないのだろうかと、私は気にかかる。被験体の経過を気にするように、心理状況を気にする。
女のがどういった形でストレス反応を出すのか気にはなるが、それを知る立場にはもうない。
バーニッシュへの人体実験に関しては自治国を相手どった訴訟問題になっているが、それ以上の情報は刑務所には入ってこない。矢面に立っていた私を飛び越えて、元バーニッシュの怒りはプロメポリスそのものに向けられている。
惑星への移住に関しては私の独断で許されざることだが、バーニッシュの迫害に関してはプロメポリスの問題でもある、ということらしい。
もちろん私の極刑を望む元バーニッシュは多い。だがそれ以上に、元バーニッシュにとっての目下の問題は根深く残るらしい差別と、これからを生きる為の資金。バーニッシュへの扱いは不当なものだった、と、最高責任者に認めさせることなのだ。
だから。
だから私は。
「今月も生きてますね。クレイさんは」
「……見ればわかるだろう」
――だから、今日も生きている。
私はずっと、バーニッシュと共存できないかを考えてきた。
バーニッシュの炎を役立てる研究。炎を無効化する冷却装置の研究。バーニッシュの炎が人々の役に立てば。人を害すことがなければ、バーニッシュの差別もなくなるはずだと、夢を抱いてきた。
それがバーニッシュ化した時、文字通り身を焦がす発炎衝動に苛まれ、私の理想は無駄な足掻きだったのだと知った。
一度は投薬により衝動を和らげられないか考えたが、バーニッシュの炎がプロメアによるものだったと分かった時に、その研究も潰えた。
そうして、私の人生はプロメアに侵され、それから逃げる為に費やされた。
惑星に移住し、土地を開墾し、人類が住み繁栄できるところまで導いてやっと、私は逃げ切ることができたのだ。
その野望は潰え、しかし今日まで生きている。
黙り込んでいると、不意に女が笑った。その声で現実に引き戻される。
「ふふ、仮釈放が決まったって言うのに、相変わらず辛気臭い顔してますねぇ」
「……別に、外に出ようが出まいが、扱いは変わらん。むしろ刑務所の方が安全だしな」
「研究者は住処にはこだわらないってことかな。再就職のアテはあるんですか?」
「あると思っているのか?」
いいえ、と女がケタケタ笑った。
私財は全て押収されているから、私はほとんど無一文だ。取得した様々な特許も、私がきちんと発明したものまで含めてすべて剥奪されている。行くあてなどあるわけがない。
「もし良かったら、うちの事務所来ます? 丁度助手が欲しくて」
「哀れんでいるつもりか。願い下げだな」
「安月給ですけど、細々食べていけるぐらいのお給金は払えます。それに」
私の言葉を無視して、女は会社の待遇を語る。元バーニッシュとして施設から解放され、設立した会社。まだまだ駆け出しで、数人の社員しかいない。
「それに、私といれば貴方は一生、幸せにならないで済みますよ」
女が変わらない笑みを浮かべながら言う。
女の中で、私はどのように解釈されているのだろう。どのような人格を持った男と思われているのか、皆目見当がつかなかった。
だが行くあてがなく、ビアルやガロに頼ることは断じてプライドが許さなかったことも確かなので──やはり、私に断る道理は、なかったのだ。
例え、仮釈放される国家犯罪者を雇う道理が女になかったとしても、その申し出を断る道理もまた、私にはなかったのだ。だから応じた。
それだけの話だ。
昔からそうだ。この女に対することは、いつだって消去法で導き出したことでしかない。
不要なもの、悪しきものを取り除きつづけ、最後に残った取り除けない不純物。選ぶ理由はないが、切り捨てる理由も見当たらない無害なもの。──は、そういう人間だった。
「……お前は、なにがしたいんだ」
私が問うと、彼女は少し考え、笑った。
「今も昔も、自分が正しいと思うことをしているだけですよ」
今も昔も、彼女にとって私は有害そのものであるだろうに、彼女は常に私を選び続けるのだった。
2020/02/20:久遠晶