奪い返す尊厳



 この方に仕えて、もう何年になるだろう。
 年若い私を目に止め、護衛として一番の腹心にしてくださったことを心から感謝している。
 この方が黒と言えば白になる。青と言えば青になる。心根の上ではそのつもりで、心からの敬愛と共にお守りしてきたつもりだ。
 だが――だが。
 そんな私でも――この光景だけは理解できない。

「なんて美しいんだ、何者にも勝る芸術だ」

 地下の拷問部屋で、総統が感じ入ったように涙をこぼした。
 目の前には『屈辱の』限りを尽くされている貴族がさかさまになって、総統を睨みつけている。
 おそばに控えながら私は何も言えず、ただただ貴族に同情した。
 貴族がどういう状態なのか形容することすらはばかられる。下品で醜悪な態勢を取らされている彼から目をそらしてはならない立場が嫌だ。

「早くこれを国民に公開できる時が来るとよいのだがな」
「はは……」

 独り言にも似た言葉に、気が付けば乾いた愛想笑いがもれでた。
 『これ』の公開など兵団が許すはずがない。
 ヒストリア=レイスが女王として民衆の求心力となっているのに、こんなものを公開したら折角の支持が地に落ちてしまう。そんなこともわからないのか、と失礼ながらも考えてしまう。
 総統のお考えがわからない。
 よほどお貴族様が嫌いなのだろう。
 不意に、総統が私を見た。刻まれた深いしわの奥で、子供のような無邪気な目がきらめいている。

「そうだ! お前もこいつに食事を与えてみるか? 豚みたいな声をあげて楽しいぞ」
「んーっ!んーっ!」

 総統の提案に、猿轡を咬まされた貴族が呻く。昔は小太りな体型をしていたのに、この男も随分とやつれてしまったものだ。

「せっかくですが……遠慮しておきます、かわいそうなので」
「君は随分と優しいな」

 総統はつまらなさそうに目を細める。
 お申し出を断るなど、失礼極まりない。自覚はあるが、やはり抵抗はある。
 逆さまにされたおっさんに食事を『下』から与えるなんて、思いついただけでも吐き気がして来る。それを実践するなんて正気じゃない。
 総統が黒と言えば雪も黒になる。忠誠は変わらないが、私にだって倫理感はある。
 ざまあみろと思うよりも『汚い』『見たくない』『おぞましい』という感想が出てきてしまう。

「命令とあらば実行しますが」
「いや。いい興ざめだ。――ほら、このように私の部下は心優しいでしょう」
「んーっ!!」

 総統の言葉に、貴族がふがふがと荒く呼吸をしながら首を振る。

「五年前、売女の子と罵った者に情けをかけられる気分はいかがですかな」

 貴族に向けられた言葉に、思わず口を開けた。
 首を振っていた貴族は怪訝な顔をして眉根を寄せた。あの時の事を覚えていないのだ。当然だ。

「そんな昔のこと、覚えてらっしゃったんですか」
「有能な部下への侮辱は覚えているさ。それが理不尽なものであれば特にな」

 総統は貴族に顔を向けたまま答える。
 有能な部下と言われた私は、誇らしく思うより先にずっしりと心が重くなった。
 どんなに有能であっても、成果をあげても、覆せないものがある。

「理不尽なものではありません」

 私は貴族と総統から視線を逸らした。

「事実ですから」

 娼婦が生んだ、誰が父かもしれない子供。それが私だ。元をたどれば、さらに汚い血筋だろう。
 母と同じ道を行くことは御免で、娼館を逃げ出し、行き場もなく兵団の門を叩いた。死にものぐるいで訓練に明け暮れ、憲兵団に入った。
 それでも身分は変わらない。隠していた出自はどこからか嗅ぎつかれ、同じ兵士から疎まれ蔑まれた。
 まさかザックレー総統の目に留まり、側近に抜擢されるとは思ってもみなかったが。
 とにかく、売女の子という言葉は正しい。
 私の言葉に総統は首を振る。眉をしかめて、不服をあらわにする。

「わかってないな。君の出自は君の価値を決めるものではないのだよ。今度同じことを言われたなら、君は俯かず前を向かなくてはならない。『売女の子で何が悪い』と」
「ですが」

「はっ」

 名を呼ばれ、私は胸にこぶしを当てて敬礼のポーズをとった。
 総統は私の肩を掴み、子供に優しく言い聞かせるように言葉をつむぐ。

「私は言い続ける。貴族の血筋がそれほど尊いのか。王族クソ喰らえ。御託をいくら並べようが貴様が私の足元に這いつくばっている事実は変わらない──と」

 総統は私の目を見つめたまま、貴族を指差した。貴族の惨状を私に見せつける。

「これは我々が貴族から尊厳と誇りを奪い返す儀式なのだ」

 それだけ言うと総統は私から身を離す。
 貴族のほうへと歩み寄り、彼の尻につながっているチューブ。そのコックをひねる。
 あぁ、何が起こるのだろう。きっと見たくもない、おぞましいことだ。 今すごく感動したと言うのに、これじゃ台無しだ。
 でも総統がこんな人だから、どうしようもなく惹かれてしまう。尊敬してしまう。単なる平民でありながら総統の座までのぼり詰め、いま貴族を這い付くばらせているこの方を、心から慕ってしまう。
 
「総統」
「なんだね。やはり食事を与えたいか?」
「それは遠慮しておきます。ですが……総統のお側にいられて、本当に光栄です」

 そう言うと、ザックレー総統はかすかに笑った。頬がもちあがり、白いひげが揺れる。
 この方が私を選んだのは、私が兵団内部のどの派閥にも属していなかったからだろう。汚職もせず、押し付けられた仕事を黙々とこなしていたからだ。そして、同時に、出自の汚さが目に留まったからだと思う。
 私は、初めて自分の出自に感謝した。
 ザックレー総統に控え、お仕えできている『今』が、捨てたくても捨てられない私自身のルーツにまつわるのなら。
 自らに流れるこの血を、心底誇りに思えた。





2016/11/18:久遠晶 ツイッターの自主課題『#一日一夢』の中で書いてました。
これを読んだ進撃を知らない友人が、ザックレー総統目当てに原作を読む決心をしてくれたんですが、彼女が原作を見てひっくり返らないかが心配です。

 試験的にチェックボックス設置中。ぽちぽとしてくださると大変励みになります!
萌えたよ このジャンルの夢もっと読みたい! 誤字あったよ 続編希望!