死ねば骸のただの人



 はっきり言って、私には巨人殺しの大した才能はない。それでも四年間、今の今まで生きて来られたのは運だったといいようがない。
 昔からそうだった。ポーカーの引き際を見極めるのが得意で、己の力量というものをよく把握している。
 対巨人においても、冷静に場を見極め、常に一対複数の図式を崩さなかった。
 分隊長の座まで登りつめたのはそうした性質が影響したことで、誇れる実力はない。

 巨人を相手に常に冷静でいられるのは誇るべきことだ、と周囲は言うが、そこに関してもピンと来ない。
 年々巨人に対する恐怖は薄れ、反面、冷静さは際立った。
 それは──エルヴィン団長がいたからだ。

 エルヴィン団長がいる。
 私と共に出撃し、征く道を道に導いてくださる。
 巨人を前に心臓が縮み上がって手足が震えそうになった時、あの人の背中を思い出せば震えが止まる。私の胸は高揚で高鳴り、手足を喜びが通った。

 ここで死んでも、あの方が私の魂を背負ってくださる。
 無駄死ににはならず、それどころかあの方の糧になれるのだと。

 そう思えばこそ、私は活力に満ちて宙を舞うことができた。
 生き残ることを度外視して戦うことができた。一人でも多くの部下を逃し、かつ巨人を駆逐し、食われて死ぬ。それを目的として動ける。
 それが結果として最善の行動を尽くすこととなり、なんやかんや、と言う具合に生き延びてきた。

 それだけの話だ。

 だから、私は己の実力を誇れない。帰還を考えない向こう見ずだから実力以上に戦え、それが評価されただけだからだ。
 誇れることがあるとすれば──それはやはり私を今まで生かしてくださったエルヴィン団長への忠誠心だろうか。しかしこれは己の功績などでは断じてなく、ひとえにエルヴィン団長のカリスマ性によるものだ。

 だからやはり、私に誇れる才能はなく、ここまで生きて来れたのは運だった、としか言いようがない。
 その運が天命と言うのであれば、それはまだ私がエルヴィン団長に尽くし切れていないのだろう。まだお役に立てることがある、だから生きていると──そう言うことだ。

 私はそう、ずっと思っていた。

 エルヴィン団長が喰われた。
 片手を噛み千切られながらも、エルヴィン団長はブレードを掲げ出撃命令を出し続けた。
 鎧の巨人を追え。意思持つ巨人、エレンを取り戻せと。
 私はその命令を違反し、エルヴィン団長の保護を優先した。
 いまだかつてない速さで巨人を倒し、馬から振り落とされたエルヴィン団長に駆け寄る。

「団長! ご無事ですか!?」
「私の代わりはいる! それより……エレンを連れて離脱しろ! 一刻も早く!!」
「ですが!」

 馬から降り、止血帯を取り出しながらエルヴィン団長に飛びついた。エルヴィン団長は手当しようとする私の手を押し留める。

「きみの馬を貸せ。"あれエレン"は奴らに渡してはならない」

 エルヴィン団長は、私など見てはいなかった。
 夕焼けに照らされて輝く、鎧の巨人の背中を真っ直ぐに見据えていた。
 燃えるように血走った瞳に、ぞくっとした。
 この方はいつも、自分の命よりももっと別のものを見据えている気がする。他者と一線を画し、隔たりの奥にいる。それをまざまざと見せつけられた気がした。

 エルヴィン団長の決死の働きにより、なんとかエレンを奪還することが出来た。
 代償にあの方は瀕死の状態で病院まで担ぎ込まれた。当然だ。紐で縛っただけの簡易的な止血で飛び回って大立ち回りを決めたのだから。
 出血多量でショック死しておかしくない状態だ。
 青ざめ、ピクリとも出来ないエルヴィン団長が緊急搬送されていく。壁の中に戻るまであの人が生き永らえていることが既に奇跡だ。
 エルヴィン団長が、死んでおかしくない──。

壁の上で引き渡しを終えた私は、呆然と座り込んだ。力が抜けていく。

「おい、……」

 リヴァイ兵長が私の肩を揺さぶるが、反応できなかった。

 ──だめだ。私より先に死ぬなんて。

 その感覚でいっぱいだった。


   ***


 結論から言えば、エルヴィン団長はなんとか一命を取り留めた。
 三日間生死の境をさまよったあと目を覚ましたエルヴィン団長を見て、傍に控えていた私は思わず涙ぐんでしまった。

「エレンは……」
「今は宿舎におります。取り戻しました。大丈夫です。貴方がご無事で、本当に良かった」

 エルヴィン団長は私の言葉に目を細めると、そうか、と軽く頷いて、再び寝に入った。
 なんという精神力だろう。
 一瞬でもエルヴィン団長の死を予想してしまった自分を恥じてしまうぐらい、驚異的な回復を見せたのだ。


「俺が今まで巨人どもに何百人食わせたと思う? 腕一本じゃ当然足りないだろう。いつか行く地獄でそのツケを払えればいいんだが」

 エルヴィン団長が、リヴァイ兵長にそうやって軽口を叩いた。
 軽口というにはあまりに自虐的なジョークだが、それを言えるだけ快復されたと言うことだ。
 今後、調査兵団はどうなるのだろう。暗中模索の状況に団員の士気は大いに下がってはいるが、エレンを手元に取り戻せたことは非常に大きな功績だ。
 外に出て巨人を狩り、それ以上に仲間を食われて壁の中に戻る。調査兵団の今までに比べれば、目的意識と今後のとっかかりが出来ただけ随分と先に進んだ方だ。
 だからこそ、自分たちが巨人のことを何も知らないのだと思い知らされるのだが──。

 リヴァイ兵長の報告が終わる。私は引き続き、エルヴィン団長の付き人を任された。

「休めと言っても休まねぇからな、そいつは。目に余ったら腹を殴って寝かせとけ。頼んだぞ」
「やめろリヴァイ、が本気に取ったらどうする」

 リヴァイ兵長の冗談に聞こえない冗談に、エルヴィン団長が肩を竦めて苦笑した。私は心臓を叩いて敬礼をし、退室するリヴァイ兵長を見送る。
 そうなると、部屋に二人きりだ。エルヴィン団長は溜息を吐き、壁にもたれた。

「やはり、しばらく話すと堪えるな。この分では本当に役立たずの団長になってしまう」
「何を仰います、貴方が壁の中で待っていてくださると思えば、我々も力の限り戦い、壁の中に戻ってこようと思えます。貴方の頭脳が健在であれば、それで事足りますよ」

 片腕を失い、血が足りていないのだ。すぐに戦線に復帰できるわけがないし、復帰しなくたって問題ない。
 調査兵団の征く道を指し示すのがエルヴィン団長の仕事だ。この方が片手を上げ、ブレードを持ち上げてさえくれれば、我々はその道を迷いなく進むことができる。
 そう説くと、エルヴィン団長は私の顔をまじまじとを見つめた。

「君にそう言われると、本当にそんな気がしてくる」
「事実ですので」
「まるで自分が万能の存在にでもなったような気分になるよ」
「ふふ、面白いことを仰る」
「君の思うようなよく出来た人間ではないよ、私は」

 言われた意味がわからない。ピンと来ず、首を傾げると、エルヴィン団長は苦笑した。

「部下から篤い信頼を寄せられていると思っておくよ」
「あぁ……かえって重荷でしょうか。心中、お察し致します。ですがまず今は、療養を」
「そうしておこう。殴って寝かしつけられたくはないからな」

 エルヴィン団長は薄く笑った。私も苦笑する。
 会話は終了し、エルヴィン団長はもぞもぞと身体を動かし、布団の中に入った。目を瞑り、「少し眠る。なにかあったら起こしてくれ」とだけ私に言付けた。
 楽にしてくれとも言われたので、椅子に座って私も目を瞑る。
調査兵団の情勢は、今後目まぐるしく動く。問題は山積みだ。
 せめて今ぐらいはエルヴィン団長に心身を休めてほしい。

 エルヴィン団長はすぐに寝息は立てはじめた。やはり疲弊していたのだろう。
 一人になり、私は物音を立てないよう椅子の上で物思いにふける。
 エルヴィン団長が部下を巨人に食わせてきたと語るなら、それは私も同じだ。団員全員が、生き残った罪と死んでいった同胞の魂を背負っている。
 理論的に考えて当然そうなる。だからエルヴィン団長だけがことさらに罪を背負っているわけでもない。
 分隊長に繰り上がった時、私も感じた。自分の指揮ひとつに部隊全員の命が賭けられる重みを。
 団長ともなれば、一分隊長とは比較にならない重みがのしかかっているのだろう。
 これもまた、当然の話だ。
 しかし私は──今のいままで。
 エルヴィン団長にのしかかる責任の重さと言うものを、考えてこなかった気がする。
 責任すべてを負い、兵団を背負ってなおまっすぐに立てる方であると、そう思っていた。
 エルヴィン団長が戦死する可能性なんて、あの日片腕を食いちぎられる姿を見るまで、考えたことすらなかった。
 私が死んだ時は私の魂を背負ってくださると、エルヴィン団長は新兵だった私に言ってくれた。だから私が死ぬことはあってもエルヴィン団長が先に死ぬことはないと、無意識のうちに決めつけていた。
 そんな確証、あるわけないのに。

 エルヴィン団長の寝顔に目をやる。安らかに眠っているように見えるその横顔は、すこし頬がこけ、くちびるも青い。
 精悍な顔つきであることには違いないが、消耗しているからどこか頼りない。
 いや、片腕を失った状態で頼り甲斐に満ち溢れていたらそれもそれですこし異常だが。
 私は……この人に生きていてもらわねばならない。そうでなくては困る。
 戦場で死ねと私に言ってほしい。お前の死は調査兵団の糧になると。無駄死にではないと、巨人に食われた私の遺品を見て、そう言ってほしい。
 その言葉があれば、私は恐怖もなく巨人に喰われることが出来る。
 この先の人生にどれほどの苦痛があれど、エルヴィン団長の言葉だけで私は死に向かって突き進むことが出来る。
 だから──。

「今、何時だ?」

 不意にエルヴィン団長が目を開けた。声をかけられ、思わず慌てる。
 壁時計の時刻を口に出して、自分でも驚いた。気づかぬ間に数時間も経っていた。私はそうとう物思いにふけっていたらしい。
 エルヴィン団長が身体を起こす。それを支えると、エルヴィン団長がベッドから足をおろそうとした。

「どちらに行かれるのか。なにかご用があるなら、代わりに参ります」
「いや、行きたいところが……」
「代わりに私が」
「…………」

 肩を押してベッドに座らせる。その手を押し返す動きは、あまりにも頼りない。
 戦場であれほど大きく、輝いていた身体が。
 今は片手で御せる。

「じゃ、君が私の代わりにトイレを済ませてきてくれ」
「……? あ、す、すみません、察しが悪くて」
「私の方こそすまないな」

 エルヴィン団長が苦笑する。察しの悪い部下にあきれていることだろう。私は羞恥に頬を染めた。

「肩をお貸しします」
「あぁ、すまない。扉の前だけでいいから」

 肩に腕を回される。私はエルヴィン団長の背中に手を回し、その身体を支える。
 片手を失ったばかりでうまくバランスが取れないエルヴィン団長に負担のないようにサポートして、一歩一歩確実に歩く。
 男性用トイレに到着する。

「ここからはひとりでなんとなる」
「お気をつけて……」

 この呼びかけが正しいものなのかどうか。

「君ならトイレの中までついてきてくれと言ってもついてきそうだな、まったく」

 呆れられる理由がわからないが、とりあえずエルヴィン団長に合わせて肩を竦めておく。
 ややあって排泄を済ませたエルヴィン団長がトイレから戻ってきた。
 先ほどとおなじように肩を貸し、病室まで戻る。
 エルヴィン団長の身体は、とても分厚い。筋肉の鎧に覆われている。その感触に、なぜだか息が詰まる。分隊長になってからエルヴィン団長と接する機会は増えたが、こうして密着する機会などそうそうない。
 恐れ多くて緊張しているのだ。
 この人がどんな姿になっても、きっと私のなかではいつまでも『エルヴィン団長』に違いない。
 ぼんやりとそう思う。
 ──エルヴィン団長だって、人間だけど。
 不意に怖くなった。
 もしこの人が先に死んだら。
 私はどうなるのだろう。

「ふふっ」
「どうした?」
「いいえ、なんでもありません」

 ベッドに座りながら、エルヴィン団長が首を傾げた。
 まさか本人にこの思考を伝えるわけにもいくまい。
 ──この人が先に死ぬことなんてあるはずがない。
 私がこれまでなんやかんやで生き抜いてきたことと同じように、この人が死ぬこともあり得ない。

「休んでいる間お暇でしょう。必要なものがあればいつでもおっしゃってください。本とか、紙とペンとか……出来る限り調達してまいります」
「……ふっ、」
「エルヴィン団長?」
「いや、すまない。君が家庭に入ったら、よく旦那に尽くす妻になるのだろうなと思って」

 その言葉には笑ってしまう。
 思春期に訓練兵団に入り、その後調査兵団で巨人を殺すことしかしてこなかった身だ。家庭に入り男に尽くす生活は、想像できない。

「すまない、気に障ったか?」
「いいえ。おっしゃる意味がよくわからなかったので……」
「リヴァイが君を私の付き添いに選んだ意味がわかった、と言う意味だ……あいつの人選は適格だな」

 ますます意味がわからない。
 だがまあ、忠誠心を評価していただいた、と言う事だろうか。
 それならいい。願ってもない。私の特別がエルヴィン団長であるように、エルヴィン団長の特別のひとつに自分もなれるのであれば、願ってもない。
 特別自分を慕う部下。そういう評価は光栄なものだ。
 なにか様々なことが違っていることもしたが、大した意味もない。
 私は命じられたまま、己の意志のままエルヴィン団長に付き従い、お守りするだけだ。





2017/08/31:久遠晶
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