平凡な恋は難儀な予感



 町の喧騒が、ゼルダは好きだった。
 ハイラルの城下町には様々な種族が住んでいる。山から降りたゴロン族、ウーラ族の怪しげな集団、街の外には陽気なデグナッツなど。
 その誰もが、ハイラルの王が守るべき、愛すべき民だ。

 ゼルダはハイラルの者が好きだった。優しく健やかで、情に溢れている。

 家臣の者に気付かれぬうちに自室に戻る――いつものようにゼルダは身分を偲んで城下町に繰り出した。
 普段なら特に目的もなく、雑貨屋や怪しげの商店の前の商品を眺めたり、店主に街の情勢を尋ねたりするのだが、今回は違った。
 真昼の市場は大変な賑わいようだ。気をつけておかないと、気付かぬうちに盗みを働く不届き者が出るかもしれない。ゼルダは懐の財布の感触を確かめた。

 目的の果物屋を見つけた時、ゼルダは自然と顔をほころばせた。そこには幼馴染であり、よき話し相手であり、自身の従者でもあるリンクがいた。

 別に、リンクと待ち合わせをしていたわけではない。だがゼルダは、きっとリンクがここにいると直感していた。
 街の喧騒の中、リンクはゼルダに気付いていないようだ。
 店の娘がリンクの胸にオレンジを押し付けた。リンクは懐から財布を取り出そうとするが、その手を娘が止めた。

「お代は結構ですから。受け取ってください。いつもお世話になってるので」

 触れ合った指先にリンクの頬がかすかに染まる。リンクはやがて観念したようにオレンジを受け取った。

「すまない。ありがとう」
「お礼なんて! 助けていただいたのはこちらです。先日はどうもありがとうございました」
「それ、何度も聞いたよ」

 ぺこり、と娘―――リーナが深々とおじぎをする。リンクは困ったように頭を掻いた。頬はいまだ染まったままだ。
 リンクの年相応の表情に悪戯心をくすぐられ、ゼルダは気配を消してリンクに近づいていく。

「……なぁ、今日これからって……時間あるか」
「はい?」

 改まった口調で頭を下げる娘に、リンクが言う。
 なにやらリンクの意を決した表情に、ゼルダは物陰から様子を伺った。

「その、ラルフのやつから聞いたんだが……ラブレンヌ地方じゃ、今日はとても大切な日らしい」
「そうなんですか?」

 リンクの話に興味を惹かれたらしい。顔を上げたリーナの目が輝いている。

「大切な人とチョコレートを贈りあって、出会えたことと、これから一緒にいられることを喜びあうっていう行事があるらしいんだ」
「へえ……素敵ですね」
「なんだが、仕事の都合でチョコレートが間に合わなくて……だから、せめて一緒にいるだけでも……と……」

 言いながらリンクの声が小さくなっていく。俯いているので、前髪が顔にかかりその表情はわからない。しかし耳が、これでもかというほどにあかくそまっている。

「あっ、いや……もちろん、忙しいならいいんだ。いきなりだったしな。き、気にするな」
「いえ……嬉しいです」

 リーナは首を振ると、やがて嬉しそうにはにかんだ。
 ばつの悪そうな顔をしていたリンクが、とたんに明るくなる。

「それじゃあ……」
「はい、喜んでご一緒させていただきます。嬉しい……」

 感極まった、という具合にリーナが口元を押さえた。
 その喜びようにリンクの顔が赤くなる。

「よかった、じゃあ……」
「リンクさんに友達と言っていただけるなんて……すごく嬉しいです」
「え?」

 リンクの表情が変わったことに気付かないのか、リーナは続ける。

「リンクさんに大切な友達と言っていただけるなんて夢のようです。じゃあ、父さんにでかけてくるって言ってきますね」
「え、あ、ちょ、友達なんて一言も……待っ」
「とーさーん、、私これから出かけてくるー」

 リンクの言葉などまるで聞こえていない様子で、リーナは店の奥に引っ込んでいく。
 ぽかーん……リーナの言葉が信じられないようで、リンクはその場に立ち尽くした。

「なんていうか……ご愁傷様?」
「っ、ゼルダ! また城抜け出したのか?」
「でも、いくらなんでもいきなり誘うのはよくないわよ。交際はしていないのでしょう?」

 リンクの小言は聞こえなかったことにして、ゼルダは言う。
 どうしてお前にそんなこと言わなければならない―――そんな表情だったリンクは、やがて大きな溜息を吐き出した。顔に手を当てる。

「手は繋いだ」
「え?」
「抱きしめもした」

 主語はないが、会話の流れからしてリーナと行ったことだろうと想像がつく。

「……あいつは拒まなかったし」

 ふてくされたようにリンクはつぶやく。

「これで勘違いしない男がどこにいる?」
「それは……」

 ゼルダは唸った。
 リンクとリーナの話しは、リンクこそ気付いていないが、兵士達の間では結構なうわさだった。

『リンクがごろつきに絡まれてる娘を助けたらしいぜ』
『そんなことわざわざ知らせてくるなよ。どうしたんだ?』
『いやね、その後、リンクがよくその娘のいる果物屋に足を運ぶらしくてよ』
『へえ、そりゃあ……』
『どっからどうみても、ホの字なんだと』
『へえ! あの女っ気のなかったアイツもとうとう……』

 女性の友達と言えば、自分と時空の巫女、大地の巫女ぐらいなもの。自分は当然除外するとして、ネールには既にラルフがいるし、ディンにだって意中の男性はいるらしい。
 気がつけば剣の稽古か世界を守る旅に出るばかりのリンクを、内心でゼルダは心配していたのだ。
 恋に悩んでいるなら応援せねばなるまい、と思っていたのだが……。

「どう……するの?」
「誘ったし、行くよ。単純に息抜きをしたいのはあるからな」

 やや疲れた声でリンクが言った。
 リンクにしてみれば、言葉にして好きだとは伝えなかったものの、伝わっていると思っていたのだろう。傷つくのも無理はないし、勘違いして恥ずかしかったり、鈍感な相手への怒りもあるのだろう。

「お待たせしました! どこに行きますか?」

 戻ってきたリーナの嬉しそうにはにかんだ笑顔を見て、これは根が深い、とゼルダは思った。
 リーナの、リンクを信頼しきった表情! それは異性ではなく、憧れのアイドルや自分の兄を見るような眼だ。
 リンクはかすかにため息を吐き出して、笑った。

「じゃあ行こうか」
「はいっ」

 ゼルダについてこないでくれよ、あとこのことを誰かに話すなよ、と念を押し、リンクはリーナと共に人ごみにまぎれていく。

 ゼルダは唸った。
 女性慣れしていないリンクがリーナと手を繋いだり抱きしめただけでもものすごいことだ。だからこそ、異性として見られていないとわかったこれからは臆病になって、リーナに積極的に行くことができないだろう。

(でも、殿方に好きでもない女の子に抱きしめられて拒まない女の子なんて――あら?)

 ゼルダの胸に、ある部族の名が去来した。
 南の地方の、友人とのつながりをとても大事にする部族。
 彼らにとっては男女間での手繋ぎも抱擁も、キスでさえ友情を表す行為でしかないのだと言う。

「あの、すみません」
「はい、なんだい……って、ゼルダ姫様じゃありませんかっ」

 店主がゼルダに気付くと、慌てて背筋を伸ばした。

「すこしお聞きしたいことがあるのです。ここで働いているリーナさんは、もしかして……」
「あぁ、はい。そうですね。片親がその部族の者ですよ」
「……やっぱり」

 店主に礼を言って適当な果物を買うと、ゼルダは顎に手を当てて神妙な顔をして人ごみの方へと視線をやった。
 当然ながらリンクたちの姿は見えないが、それでも目を凝らす。
 難儀な女性を好きになったものだ――と、幼馴染の騎士に同情しながら。





2013/6/20:久遠晶
これ書いたの三年前ですね。無修正。
萌えたよ このジャンルの夢もっと読みたい! 誤字あったよ 続編希望!