優しい形兆


 この幼馴染には、礼儀とか遠慮ってものがないんだろうか。
 チェーンのかかった扉の隙間から、リーゼントに雪をつもらせ所在なさげに私を見下ろす仗助が見える。私はくちびるをへの字にねじまげた。
 時刻は夜の八時。どう考えても、一人暮らしの女の子の家に押しかける時間じゃあない。
 寒さにブルリと肩が震えた。仗助の背後では雪がごうごうと渦巻いている。まだ扉を開けて数十秒しか経ってないのに、頬が突っ張って凍える。
 現時点で積雪何センチになっているのか……仗助のズボンの膝丈近くまで雪がこびりついているのを見て目眩がする。
 どういう理由で来たのであれ、玄関先で話すのは寒いし。
 とりあえず中にはいって……と言おうとして、すこし迷う。いくら幼馴染とは言え、夜に男友達を家にあげるのは問題な気がする。でも、傘もなく雪のなかを歩いてきたであろう仗助はすごく寒そうだ。結局悩んだのは一瞬だった。
 いったん扉を閉めて、チェーンを外してまた開ける。

「こんな時間に、なんの用? とりあえず中入りなよ」
「ありがとな。んで、よかったら泊まってもいいか」
「は? 帰って」
「どあーっ待てって! 閉めるな閉めるな」

 反射的にドアを閉める。寸前でドアの隙間に指をねじ込まれ、すぐに扉は抉じ開けられた。
 わりと本気で閉めてたのに。しばらく見ないうちに、怪力になったもんだ。
 ……いまここで発揮されても、困るんだけど。

「なにかの罰ゲーム? できる限り協力はしたいけど、さすがに悪趣味よ」
「いやっ……そうじゃなくてよ。その、今日、雪だろ。しかも大雪」
「そうねぇ」

 予報では、降り積もる雪は膝上を超え人が埋まるかもしれないとの噂だ。
 東北に位置するS市杜王町で雪は珍しいものではないけれど、いくらなんでも降りすぎだ。
 バイトの通勤のことを思うと頭が痛い。

「俺が雪嫌いなの知ってんだろ」
「まぁ、そうね。子供のとき熱だして以来だよね。たしか」
「今日おふくろが東京まで出張でよォ……」
「あぁ~」

 納得した。仗助は子供の頃大雪の日に熱を出した影響か、雪が苦手だ。
 近年まれに見る大雪の夜を、ひとりで過ごすのが心細いのだろう。身長ばっかりすくすく伸びて、男気だって人一倍だというのに、なんと可愛らしいことか。
 情けないとは思わなかった。普段ならともかく、いまは……。
 仗助のおじいさんが心不全で亡くなってから、まだ一年経っていないのだ。
 おじいさんが亡くなった直後の仗助は、見ていられなかった。葬式の時、血走った眼で感情を押さえこんで、じっと息をひそめている姿を、私は見ている。そのあとだって、気持ちの整理がつかないと学校を休み、様子を見に行っても門前払いだった。しばらくしてひょっこりと教室に顔を出した仗助は驚くぐらいいつも通りだったけれど、胸中に抱えるものがあっておかしくないのだ。
 だから──。いつも以上にひとりの夜が心細くたって、当然だ。

 ……でもやっぱり、ちょっと情けないとは思うかな。
 すこしだけ扉を開けて、私の許可をうかがう仗助に苦笑がもれた。ため息をついて、わたしは扉を開いた。

「しょうがないわね。寒いし、入りなさいよ。そんかわり指一本でも触ったら警察呼ぶからね」
「サンキューッ! ……そんでよぉ、まだ頼みがあってな」
「え? まだなんか……」
「仗助ェ~ッまだ説得終わんないのかよ~~ッ」
「だーっ億泰! 呼ぶまで来るなって言ったろうが!!」
「な、なんで億泰まで……?」

 まさかのお友達ご同伴?
 やっぱり通報したほうがいいかな。
 ジトリと睨んでいると、仗助は慌てたように首を振った。

「ちげーんだよ。こいつんちさ、おれんちの目の前の……わかるだろ、あの幽霊屋敷なんだけどよ」
「え、買手ついたの? あそこ? いつのまに……。建て直されてたとは気づかなかった」
「いや、億泰のやつ、あの屋敷をボロボロの状態のまんま住んでてよぉ……そんで今日の積雪で……」

 仗助は言葉をにごし、かわりに横にした手のひらと手のひらを押し付けるジェスチャーをした。
 ぺ、ぺしゃんこ…?
 億泰はため息をついてがっくりと肩を落としている。

「……もしかして倒壊したの?」
「明日にでもおれんちの前通るといいぜ、きれーになくなってるからよ……」
「ゲームしてたら突然家がミシミシ言って崩れてよぉ、さすがに死ぬかと思ったよなあれはよ~」

 億泰の言葉には緊張感がない。
 あの屋敷をリフォームも建て直しもしないで住むとかバカじゃないのか。
 思わずそう呟くと、『ごもっとも』と神妙に仗助が頷き、まいったと億泰が笑いながら頭を掻いた。
 親御さんはなにを――と言いかけてから、やめた方がいいかと思って口をつぐむ。億泰の『病気のおやじさん』の噂は、この近辺じゃ結構有名だ。
 億泰本人からも、身体と頭の病気なのだと聞いたことがある。億泰は気にするそぶりはないけれど、触れていいかためらう話題ではある。

「なるほど。話が見えてきた。寝るとこないから泊まらせろって……?」
「まあ、そーゆーこと……」

 仗助も無茶な要望だとはわかっているらしい。

「いやよ。ていうかそれなら仗助んちに泊めて一晩中二人で騒げばいいじゃない。利害一致してるじゃん。二人とも」
「友達勝手に泊めたらおふくろがうっせーんだよ!」
「状況が状況だし、それで怒る朋子さんじゃないと思うけど……」
「なぁ~頼むって、な? ダチを助けるとおもってよぉ。億泰がかわいそーだろ? お前しかいないんだって、マジで!」

 両手を合わせてたのみこむ仗助。
 なるほど、本音としては朝早く帰ってきた朋子さんにバカにされたくないんだろう。『一人が寂しいから呼んだのね』と思われたくないのだ。
 男の見栄のはりかたってわからない。お母さんに恥をかくのと同級生なら、私なら同級生に恥をかくほうがいやだ。
 だいたい、それで女の子の家に連れてくるか? ふつう。前々から女扱いされてないとは思っていたけど、ここまでくると呆れてくる。

「でも……億泰のことはよく知らないし、わたし」
「こいつの人柄はおれが保障するって。おれが見張ってるし」
「なにもしねーっておれ~~」
「野郎二人で見張るも安心もないと思うけど……やっぱやだ!仗助ひとりならともかく、男ふたりはやだ!臭そうだし!」
「そこをなんとかー!」
「……おい、億泰。やめろ、かえるぞ」

 押し問答をつづけていると、二人の後ろからぬっと誰かが現れた。金髪を逆立てた気難しそうな男性だ。
 兄貴、と億泰が振り返って言う。兄貴? そういえば兄がいるとか聞いてたような。

「兄貴~でももうちょっとで……」
「真面目に考えろよ、仮にも女の部屋に男三人で押し入るなんて異常だろ。断られんのはあたりめーだし、むしろOKするほうが貞操観念を疑うぜ」

 ぐうの音もでないほどの正論だ。顔に似合わずしっかりした考えの持ち主……ということは、億泰から聞いていたことだけど。
 言葉を聞きながら、うんうんと頷いてしまう。そんな私を一瞥した億泰のお兄さん。

「おい……邪魔したな、億泰は連れてく。悪かったな」
「でもそしたらお二人はどこで夜を……」
「ホテル、この時間空いてねぇだろ」
「別に、行こうと思えばいくらでも行く宛はある」
「行く宛ってもしかして公園のドカンのなかとか言うなよ兄貴!? 小学生ん時秋口に寝たのでも寒かったのに雪の日に寝たら凍死しちまうよ!」

 げっと顔色を変えた億泰。ぴくりとお兄さんの眉が動いた。次の瞬間お兄さんの握りこぶしが億泰の頭に思い切り炸裂した。
 ボガァッ!
 と音がするほどの一撃だ。よ、容赦がない。

「わがまま言うんじゃねぇ億泰ッ! 昔沼のなかで寝たときよりはマシだろうっ!」
「ひぃ~~っ絶対やだよぉ~~っ」
「こ、このふたりどういう人生生きてきたの?」
「あー……まあ、けっこう苦労してたらしいな」

 結構? さっきの会話を聞くに相当苦労している気がする。しかも、一般人はなかなか体験しない苦労のような。

「家が倒壊した以上、昔海外で野垂れ死にかけた時みてーな生活にしばらくなるだろうが、覚悟しとけよ億泰ゥ~ッ。まあ、あんときも生き延びたんだ、今回も大丈夫だろ……」
「も、もう草と石のスープはいやだぁッ」

 ごねる億泰くんの首根っこをつかんでお兄さんが引きずっていく。雪が肩と頭に積もっていく様子があまりに物悲しくて、

「あ、あの! うちのあばら家でよければお貸しします!」

 なんて、バカなことを言っていた。


   ***


「おォ~い肉と野菜の追加まだかよ肉~っ」
「うっさいなあ! いまきってるからそれぐらい待ちなさい!」

 リビングのほうから聞こえる億泰の間抜け声に刺々しく返す。
 仗助と虹村兄弟の急な来訪で、私の楽しい夕飯鍋タイムは消失してしまった。
 私一人分しか用意していなかったからあわてて追加の食材を切っているものの、どうして私がやんなきゃいけないんだ……という気分にさせるあつかましさだ。
 冷蔵庫のなかにある一週間分の備蓄は、きっと明日には容赦なく消えていくんだろう。億泰と仗助に遠慮なんてないんだ、どーせ。
 幼馴染みの仗助はともかく億泰は単なる『友達の友達』なのだからもうすこし遠慮してもいいはずなのに。
 なにもしない、とはさっきいっていたが、まさか本当に文字通り『なにもしない』とは思ってなかったよ!
 でも手伝わせたところで多分役に立たないからなぁ。だからイライラしつつも黙って言うことを聞くはめになる。これが一番平和だ。

「おい」
「わっ! あ、お兄さん」
「……。驚かせちまったか」

 突然横から声をかけられ驚く。
 億泰のお兄さんが気まずげに私を見つめた。雪で濡れていたジャケットは玄関に干しているから、今はワイシャツにカーディガン姿だ。
 今日は野宿だと言うお兄さんを見ていられず、私と仗助と億泰で無理矢理部屋に詰め込んだようなものだ。不機嫌そうなしかめっ面は、外に居たときよりも深くなっている気がする。

「あ、お手洗いですか?それなら玄関のとなりに」
「いや。……これ、」

 一万円を差し出される。なんだろうと思って、野菜を切る手を止めてまじまじと見つめると、「受け取っとけ」と言われて突きだされる。

「えっ! な、なんで」
「この分だとあいつら、この家の食いもんを全部食い散らかしそうだからな」
「や、でもこんなにいただけませんよ」
「三人分の食費と宿泊代、迷惑料。多いとは思わない」
「やっ、そんな、……じゃ、じゃあウケトットキマス」
「そうしとけ」

 有無を言わせない瞳に睨まれ、ぎこちなく一万円札を受けとる。
 ありがとうございます、と頭を下げると、億泰のお兄さんは鼻から息をフッと吐き出した。口許はピクリとも動かないものの、それは笑いのように聞こえた。もちろん、バカにするようなものでもない。
 私は感激して、一万円札を抱きしめてしまった。握りつぶす前に、慌ててポケットに入れる。
 なんて良くできた人なんだ。
 金額もさることながら、自分と億泰だけではなく仗助も含めて『三人分』と言うのがニクいところだ。
 見た目はこわもてだし初対面なのに不愛想だけど、悪い人じゃないらしい。

「億泰がお兄さんを自慢する理由がわかった気がします」
「……どうせ愚痴ばっかいってんだろ」
「自慢とのろけばっかりですよ。俺と正反対のよくできた兄貴だ、って」
「嘘つけ」

 短く言って億泰のお兄さんは背中をむける。
 ほんとのことだったんだけど、怒っちゃったかな。男の人って誉めるとなんでか不機嫌になるよなぁ。
 と思ったら、横に出していた切り分けた肉と野菜の皿をつかんだ。持っていってくれるらしい。

「おぉーっやっと肉がきたぁ、待ちくたびれたぜ」
「てめーなに家主が席に座る前に食いはじめてやがるっ! 目上の人間が箸をつけるまで食うなっていつもしつけてやってんだろうが!!」
「ま、まぁ形兆そう怒るなって」
「おめーのことも言ってんだよ仗助~ッ!!」

 なんて正論なんだろうか!
 内心で拍手をおくりつつ、ガミガミと怒られる二人があわれになってきたので早々に助け船を出した。


 なんだかんだ言って、大勢でご飯を食べるのは楽しい。鍋ものは、みんなで肩ふれ合わせて食べるのが一番美味しいのだと再確認する。
 億泰のお兄さんと面識がなかったからすこし気まずかったけどすぐに打ち解けられたのも、みんなで騒ぐご飯の成せる技だと思う。
 もっとも億泰のお兄さんは私たちが騒いでもむっつりしかめっ面は崩さなかった。仲良くなったと言うより、私が『この人はこういう性格なんだな』と認識して勝手に納得しただけ……とも言う。

「ほら~なにしてるッ!? 具材を混ぜるな……白滝が野菜と肉を分断して鍋の美しい幾何学模様が出来てるだろう~ッ!?」

 鍋奉行と化した億泰のお兄さんが鍋を占拠し、仗助と億泰を牽制する。
 一人用の小さなちゃぶ台を、男三人が取り囲む。その隙間に挟まれる私の肩に、億泰のお兄さんと仗助の肩がごつごつ当たる。

 整然と整えられた具材はぐつぐつと煮込まれ、いいにおいを撒き散らしている。仗助が箸を伸ばした肉は多少赤身があるものの食べても問題ないレベルだ。しかし、億泰のお兄さんにはナニヤラこだわりがあるようなのだ。
 最初は私にも均等に肉が行くようにという気遣いかと思ったけど、どうやらこれが普通らしい。

「もうそろそろ好きに食べてもいいと思いますが……私、えのき食べたいです」
「悪ィがなんでもきっちりしねぇと気がすまない性格でね~几帳面なんでなァー」

 制圧した鍋は、家主である私にも好きにさせないと意思表示。管理したがりめ、と私の右隣に座る仗助が小さく毒づく。
 呟きが聞こえたらしい億泰のお兄さんが「なんかいったか仗助ェ~ッ」としかめっ面のまま唇を釣り上げた。
 ちょっと険悪に見えるけど、なんだかんだ仲がいい……のだと思う。じゃなきゃ、おんなじ鍋をつついたり気を使ったりなんかしないだろう。

「おい、もうこれ煮えてんぞ」
「あっどうも」

 知らぬ間に私の取り皿を持っていたお兄さんが、具材を入れてから私の前に置いてくれた。
 うげ、苦手なシイタケが三つも入ってる。
 あまり食べたくはないんだけど、食べないと許してくれなさそうだなぁ。

「おーい好きにとらせてくれよぉ~」
「そう言って苦手なもん食わねぇつもりだろ」

 ダルそうな声をあげる仗助の言葉を切って捨てる億泰のお兄さん。
 苦手なものもちゃんと食べるべきだ、というのはもっともだし、勝手に具材を皿に入れてくれるのは楽でいいかな。
 それに、きれいに四等分してくれる。平等だ。おかげで私も食いっぱぐれなくて済む。


   ***



「あ、食器私が洗いますよ」
「いい。場所使ってる以上当然だ」

 洗い物を買ってでた億泰のお兄さんに恐縮してしまう。
 有無を言わせず、四人分の食器を黙々と洗うお兄さん。そのとなりで、億泰が布巾で食器を拭いている。仗助はリビングのテーブルを拭いている。
 さらには食後のお茶まで淹れてくれて……居心地悪くなるぐらい至れり尽くせりだ。
 億泰と仗助が勝手にゲームをはじめてそれに呆れたり億泰をひっつかんで無理やり予習させたりしていれば、すぐに時間が過ぎる。
 夜も深まり、私たちは気まずい思いで布団を敷いた。
 馬鹿騒ぎして考えないようにしていても、男三人に女一人の組み合わせだ。

「いっとっけど触ったらタマキン潰すからね」
「誰がおめーを襲うか!」

 そんな会話をしつつ、自分の布団と客用布団、夏用の毛布類を敷布団がわりに並べて四人での雑魚寝だ。
 女の子四人ならばともかく規格外に大きい男三人だ。私の狭い1DKでは端から端まで使ってもきゅうきゅうになってしまう。
 私は、壁のほうを向いて横向きに目をつむっていた。
 ……気まずい。
 先ほどまで眠くなっていたはずなのに、どうにもこの状況に緊張している私がいる。
 隣で眠っているのは億泰のお兄さんだ。隣に誰が寝るかという話になった時に、なんとなく私が選んだのが彼だった。

「ンゴッ」

 奥の方で億泰と思しきいびきが聞こえた。呼吸止まってないかな。大丈夫か?
 億泰と仗助はいい気なもので、ぐうぐうと寝ているらしい。まあ、全員で緊張して寝れなくなるのも、問題だと思うけども。
 億泰と仗助の寝息がうるさいけど、そう言えば億泰のお兄さんの寝息は聞こえない。億泰とは対照的に静かに眠る人なんだろうか。とことん似ていない兄弟だ。

 ぐるぐると無駄なことを考えて寝ようとするも、なかなか寝付けない。
 ため息をついて寝返りを打ち、目を開ける。
 億泰のお兄さんと目があった。

「……わっ」
「起こしたか」

 思わずのけぞると頭が壁に思いきり当たった。
 大丈夫か、と小声で心配するお兄さんにこくこく頷いて返す。別に何も悪いことをしていないのに、なんでか罪悪感と気まずさがある。

「狭いんだよな。こっち、まだだいぶスペースあるから……」
「あ、だ、大丈夫です」

 もぞもぞと動いて場所を開けてくれるお兄さんに礼を言う。
 心地いいポジションを探してもぞもぞしていると、すこし緊張が解けた。
 初対面の男の人と雑魚寝という普段ありえないシチュエーションに、だいぶ感覚がマヒしているらしい。

「寝れないのか」
「ちょっと。……お兄さんも?」
「考え事してた」
「そうですか」

 灯のない部屋、布団の中でヒソヒソ話と言うのも、なかなか体験できないことだ。
 妙にドキドキしてしまう。
 暗闇に慣れた目はぼんやりとお兄さんを捉える。
 目と目があって、ちょっと恥ずかしくなって目を逸らした。

「お前も、ずいぶんと馬鹿な女だよな」
「え?」

 ふいにお兄さんが言う。

「この状況。襲われても文句言えねえぜ」
「あはは……私も仗助が居なかったら流石に泊めなかったです」
「そのセリフは」
「ん」
「仗助になら襲われてもいいってことか」
「ングッ」

 息が詰まる。からかうわけではない淡々とした言葉に、なんと返せばいいのか。
 顔に熱が集まるのがわかった。確かに、誤解されかねないだろう。

「あいつは幼馴染です」
「だが男だろう」
「うーん……」

 端的な事実の指摘だ。だけど、どうにも。
 お互いの子供の頃も親御さんも知っているからか、仗助のことはどーしても男としては見れない。認識することと意識することは別だ。
 私に手を出したと知ったら、まず間違いなく朋子さんは怒り狂うし。これを無防備と呼ぶことは知っているつもりだけど。
 眉をしかめて考え込む私に、お兄さんははあ~とため息を吐きだした。吐息が唇にまで来て、距離を再確認する。近すぎる。

「余計なおせっかいなのは自覚してるが、心配になるよ、お前を見てるとよ~っ」
「あはは、ありがとうございます」
「じゃあ、もうひとつ」
「はい」
「どうして俺を隣にした」
「……さあ」

 仗助が居なきゃ泊めてなかったんなら、仗助を盾にして寝ればいいだろ。という言葉も、もっともな指摘だ。
 けど、仗助を隣にするのもなんか、こう、抵抗がある。億泰は論外だ。
 お兄さんを隣にしてもらったのは、特に理由があったわけじゃない。本当に直感だ。強いて言うなら、女に興味なさそう。とか。

「一番、安心できそうだったから」
「安心ねぇ……」

 お兄さんが神経質なぐらい几帳面でかっちりした人なのは、初対面でもイヤってほどわかった。それに年上だからだろうか、どんな状況でも頼りになりそう、という安定感がある。
 不意に、お兄さんが掛け布団のなかから手を出した。頭でも掻くのかと思っていたら、持ちあがったその手は私の頬に触れた。
 頬にかかった髪の毛を整えられる。すこしざらついて、太い指だ。
 それは頬をすこしずれて、私の耳たぶを掴んだ。そのままくすぐるように顎をすべる。
 え、えっと、これは。

「……タマキンつぶさねーのか?」
「えっ、あ、いや」

 そういえば触ったらつぶす、って仗助達に言った気がする。
 動揺していると、クッ、と笑いをこらえる吐息。

「冗談だよ、バカ」
「……お、驚かせないでくださいよっ!」

 思わず上半身だけ起きあがる。いま、すごく心臓バクバクしてるのに。
 寝るどころの話じゃない。
 億泰も仗助も爆睡しているから、自然と私たちの会話にも遠慮がなくなる。私は立ち上り、台所でコップに水を汲んだ。飲み干して気持ちを落ち着かせる。
 布団に戻ると、仰向けになったお兄さんはまだ声を押さえてクックと笑っている。

「もぉー。心臓ちぢみあがったんですよ、私」
「さっきすんげー面白い顔してたぞ」
「だって……相当驚きましたよ、ほんとに」
「無防備になる相手は選んどけって話だ」

 笑っていた声が急に低くなる。真剣な顔で言われて、布団に戻ってきた私は硬直してしまう。

「優しいんですね」

 わかりましたと言うより先に、そんな感想が口を吐いた。
 それがよほど意外だったのか、お兄さんはしばし硬直する。目を腕で隠し、ハッと嘲笑った。

「俺のことなにもしらねーからんなことが言えんだよ」
「んーでしょうねぇ、私スタンドのことなんも知りませんし……」
「──知ってたのか、スタンドのことを」
「ああ、やっぱり……スタンド使いなんですね、お兄さんも」

 私が頷くとお兄さんははっとした顔をして、くちびるを引き結んだ。カマをかけたつもりではなかったけど、うっかり暴露してしまった気分なのかもしれない。私にとっては確信が確定にかわっただけだ。
 幼馴染の特別な力が、スタンドという名前だったと知ったのは最近だ。
 この町には仗助のような能力者がたくさんいるのだと、仗助本人から聞いた。だから気をつけろよ、と漠然とした警告と共に。

 今年の頭──あれは、仗助が億泰とよくつるむようになった直後だったか。
 幼馴染ということで仗助と接触が多かった私は、自然と億泰とも話すようになった。
 その時、億泰には聞こえないようにこっそり耳打ちされた仗助の言葉。
 ──いいか、。億泰はいいヤツだ。それは間違いねぇと思うが……あいつの兄貴には近づくな。
 ──へ、なんで? 嫌いなの? 髪形けなされでもした?
 ──いいから。不用意に近づくな。理由は聞くな。わかったな。

 問答無用でねじ込まれた言葉に、私は困りながら頷くしかなかった。
 理由を教えてはくれなかったけど、仗助のただならぬ様子によほどのことがあったんだろうと思った。
 スタンドという現象を知ったいまなら、遠ざけようとした理由がなんとなくわかる。

「スタンドであくどいことでもやってたんですか? あなたに近づくなって言われたけど、理由は教えてくれなかったんで」
「あくどいこと? ハッ、そんなもんじゃない」

 突き離すように、お兄さんは自嘲する。そこになにが含まれているのかは分からないけど、酷くさみしい声だと思った。
 私はなんて言えばいいんだろう。

「おれは極悪人さ」
「よく知らないくせに無責任なこと言いますけど、悔いて改心してるならいいんじゃないですか」
「はあ?」
「仗助は、信頼してないやつの隣で爆睡なんかしない。私のとこにも連れてこない」

 断言できる。仗助はお人好しの馬鹿だ。がめついところもあるけど、性根は誰よりも優しい。
 そんな仗助が『あいつに近づくな』と言う時は本当に危ない相手だ。だからお兄さんも相当危ない人なんだろう。だけど。
 今仗助がお兄さんの隣で寝ているということは、私のもとに連れてきたということは。
 ──今は違う、ということに他ならない。

「なにより私が、お兄さんのこと優しいなって思いましたよ。私は幼馴染と、自分の直感を信じます」
「うるさい」

 会話拒否と言わんばかりに、お兄さんは私に背中を向けてしまう。
 肩を揺さぶっても振り向いてくれない。先ほどとは違う意味が寂しくなってしまう。
 枕代わりにした二の腕に顔を押し付けて顔を隠すお兄さんの表情はわからない。それが妙に心細い。

「や、ほんとですって。こっち向いてよお兄さん」
「相手を選べって言ってんだろ」

 お兄さんの声がひどくかすれていた。どうしたのかとまばたきしたとき、お兄さんの耳に気付いた。
 布団の色も見えづらいような暗がりのなかで、いやに目についた。
 血流の増加に伴って皮膚表面まで透けるにじむ血液の色。
 雲のない日の夕焼けみたいな、ハッとするほどに濃く赤い耳と、頬と首筋の穏やかな朱色が――いやに目についたのだ。
 思わず硬直した拍子にびくりと動いた指が、お兄さんの腕にひっかかる。さきほどとは打って変わって、お兄さんはごろりと仰向けになって私を見上げた。

「お、おに、さん」
「……お前の兄貴じゃねぇよ、バカ」

 睨みつけての毒づく悪態も、顔が赤けりゃなんの効果もない。
 いや、ハッキリ言ってそれは絶大な効果があった。だけどきっと、お兄さんの望んだ効果ではないはずだ。
 どうすればいいのかわからない、と言いたげにさまよう目を見ながら――私はお兄さんのことを『もっと知りたい』と、思っていたのだから。





2015/05/31:久遠晶
はたしてお題にそっているのか

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萌えたよ このキャラの夢もっと読みたい! 誤字あったよ 続編希望