頑固な形兆
側から見てると凄まじく奇妙な状況になっているのだけど、彼らにはその自覚がないらしい。
腕を組んでどっかと椅子に座り、億泰くんを睨む虹村くんは全力で不機嫌を表に出している。相対する億泰くんは大きな肩を縮こませて、テーブルの下に腕をしまって小さくなっている。多分、足の間に手を挟んでいるのだろう。
そんな億泰くんを見て、隣の女の子もうろたえている。
虹村くんも頑固というか、なんというか。
弟くんが家に女の子を連れ込んでたことぐらい、大目に見てあげればいいのに。
「だから、なにもしてねぇんだって兄貴ぃ?」
「そういう問題じゃねぇんだよ億泰ゥ?ッ!!」
形兆くんが恫喝すると、億泰くんと女の子がビクッと肩を震わせた。私は形兆の背中を撫でて、「まぁまぁ」となだめる。
放課後、うちに寄ってかないかと誘われた。昨日カレーを作りすぎて、まだまだ余ってるから──と言う形兆くんの言葉は単なる口実でしかなかった。食べ盛りの男子二人が、いくら作りすぎたと言ってもカレーを持て余すわけがない。
だから、一緒に食べよう、と誘ってくれたのが嬉しかった。
そんな流れで夕方、追加のお肉を買って形兆くんの家に行ったら……億泰くんが、リビングで女の子を押し倒していた。
形兆くんはその場で烈火の如く怒った。億泰くんの首根っこを掴んで引きずり、今にもバッド・カンパニーで蜂の巣にしかねない形相をする形兆くんをなんとかなだめ、椅子に座らせ、そして部外者の私を交えた家族会議に発展している。
付き合ってもない女を押し倒すな、とか、将来を背負う覚悟があるのか、とか、とうとうと語る形兆は頑固親父さながらの雰囲気だ。
なんと言うべきか、結局のところ形兆くんはすごく真面目で、几帳面で、人より厳しすぎるぐらいの倫理観や決まりごとの中で生きている人なのだ。
悪人でも。人を殺していても。彼自身は倫理の境界線をはっきりと自覚している。その上でなお悪の道を進んだひとでなし。
「だからよぉ?こいつが立ち上がろうとした時貧血したらしくて、急にぶっ倒れるもんだから、それを支えようとしただけなんだよぉ?」
「そんな言い訳が通ると……」
「まぁまぁ、形兆くん、落ち着きなって。ほら、その子萎縮してるよ?」
「ム!」
形兆くんが女の子に視線を移すと、彼女はあわわと震え上がって小さくなる。肩を強張らせて形兆くんを伺う仕草は肉食獣に威嚇された小動物のようだ。
私は苦笑して立ち上がった。台所に行って、カレーの入った鍋を見つける。形兆くんが「おい」と突っ込む前に、カレーに火をかけた。
「もうお説教はおしまいにしてさ、カレー食べない? たくさん残ってるんでしょう?」
「おおっ! そりゃいい! そうしようぜ、なっ! 兄貴!」
「……お前なぁ??まだおれの話は終わっちゃいねぇぜッ!」
私の助け舟に全力で乗っかろうする億泰くんに、呆れる形兆くん。大きなため息の音を聞きながら、冷蔵庫を開けた。勝手知ったるなんとやら、だ。
「カレーのほかには何がある?」
「お前も我が物顔で冷蔵庫開けるなよ、お前よぉ?ッ」
口調こそ嫌そうなものの、本当に止める様子はないので、なんやかんや形兆くんも私の振る舞いを容認しているのだ。長い付き合いだ。お互い、やっていいことと悪いことは理解している。
適当に炒め物でも作ろうか、いや形兆くんにやってもらわないと、彼は私がご飯を出すまで延々と億泰くんへの説教を続けそうだ……と思ってから、はたと気付く。
リビングに戻って、未だ居心地悪そうな女の子に声をかける。
「一緒にカレー、食べない? 形兆くんが作ったやつ。多分美味しいよ、二日目のだしね」
「え、えぇと……」
女の子は戸惑って、許可を求めるように形兆くんを見やる。形兆くんは少し困った顔をして、ふうと頷いた。
「味は保証しねーがな」
「それは……」
「いいってことだよ。なっ、せっかくだしメシ食ってけよ、なぁ??」
億泰くんの援護射撃。
怒られたまま家に帰らせるのも悪いしね。親御さんの許可をいらず、友達に夕食を振る舞えるのはこの家のいいところだ。もっとも億泰くんのこの様子では、単純に『三人になったら兄貴に怒られる』という保身のためかも知れないけれど。
やれやれ、この分だと本当に「貧血を助けようとしたら押し倒したような格好になってしまった」という言い分は正しいみたいだ。付き合ってる、というわけでもないらしい。
女の子は少しだけ迷って、それからおずおずと会釈する。
「じゃあ、お言葉に甘えて……。あの、両親に連絡取ってもいいですか」
「あっうちんち架電ねーや」
「電話機はそろそろ買おうよ……ていうかリフォームしたら? いいよ、私のケータイ貸したげる」
「ありがとうございます」
女の子はホッとしたように口元を緩めた。あ、はじめて笑った。
笑うとかわいい子だ。それに……。結構礼儀正しい子でもある。
チラリと億泰くんを盗み見る視線に、少し恥じらいがある。その照れた表情は、もしかするともしかすると。
まぁ、そりゃあ、男の子の家にひとりで遊びに行くなんて、相手に気がないと出来ないことだよね。
もしこの子と億泰くんがくっついたら……。
嫁いびりしちゃだめだよ、って形兆くんに言っておかないと。
神経質で几帳面。なにより頑固だから、義妹になる人は苦労しそうだな──なんて、自分を棚に上げてると思って、ぷっと吹き出してしまった。
未来に思いを馳せられるのは幸せだ。形兆くんと億泰くん、形兆くんたちのお父さん、と、部外者である我々女性陣。全然違う私たちが、いつかひとつの共同体を築くかもしれないし、築かずに終わるかもしれない。
でも、どちらにせよ可能性がある。それがただ嬉しい。
可能性を自ら閉じて、今更戻れないと弓と矢を握り締めていた形兆くんは、あの時よりもずっといい顔をするようになった。
私はそれが嬉しい。
どうか明日も明後日も、この食卓に笑顔がありますように。他人事のように、私はそれを願った。
2017/05/21:久遠晶
私の形兆夢、女の子が形兆の素朴で平和な未来を祈りすぎ事案が発生してる……わかっちゃいるんですが、でも実際形兆くんには素朴で平和な未来を過ごしてほしいです。
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