セクシーな形兆
みんみんみん。じいじいじい。
油を揚げたような合唱が響く。
セミの鳴き声って、どうしてこうも暑苦しいんだろう。
「あぢぃ」
いつもしゃんとしている虹村くんも、今年一番の猛暑日には勝てなかったらしい。家につくなりクーラーをつけて、学生服の襟元をくつろげる姿に笑みが漏れる。
着崩した制服姿が新鮮だ。
「虹村くんセクシーだね」
「あぁ?」
虹村くんは襟元を解放するだけでは満足できなかったらしい。学生服を脱いでワイシャツ姿になった。
台所で飲み物の用意をしはじめる。
「おれがなんだって」
「色っぽいなぁ?なんて」
「はぁ?」
虹村くんが頬を持ち上げて、バカにしたような顔をした。何言ってんだこいつ、って表情。
ややあって台所から戻ってきた虹村くんは、トレイにコップふたつと麦茶のボトルを乗せている。片方のコップには氷がゴロゴロしているけれど、もう片方には氷がない。
「ありがとう」
お礼と共に氷がない方のコップに手を伸ばす。
お腹が冷えるから氷は要らないと言ったのは、実に数年前のことだ。
再会するまでの空白期間は二年ほど。その間、ずっと覚えていてくれたと思うと素直に嬉しい。
虹村くんは愛情表現が少ないし、口は悪いし、こう言っちゃなんだけど結構乱暴だ。まぁ、素を見せてくれてるってことだけど。
「……だらしがなかったな」
悪かったよと言い始める虹村くんに首をかしげる。
なんのこと、と聞こうとして、先ほどの『セクシー』の話題のことだと気づく。すっかり会話が終わった気になって、ぼーっとしていた。
ワイシャツのボタンをつけて学生服を着ようとする虹村くんを慌てて止める。
「そのままでいいよ。別にけなしてるってわけじゃないんだから。まじめだなぁ?もう」
むしろ私にとっては嬉しいことなのだ。
バカなやつだと笑われるのも、ポコリと頭を叩かれるのも、虹村くんとの触れ合いには違いない。
こうして目の前で服を着崩して、ちょっとだらしのない姿を見せてくれる。それが嬉しい。
虹村くんにとっての愛情表現は、たぶん『隙を見せない』ことだ。
虹村くんの愛はスタンド使いの奇妙な縁や、自分の咎、危険から遠ざけることなんだと思う。だから私は一度は切り捨てられた。
そんなのひどいと、無責任だと怒って、全霊で虹村くんと『やり合って』、そして私はここにいる。
虹村くんにとっては居心地の悪い生活のはずだ。
麦茶をコップに入れる手つきがいやに慎重だったり、コップの柄をきちんと私に向けてテーブルに入れてくれたり。
普段クーラーを我慢しているのに、私か来ると即刻クーラーをフル稼働させたり。そういう几帳面さからいかに愛情を感じ取れるかが、虹村くんと過ごす上で大事なことだ。
私はちゃんと感じ取れる。危険から遠ざけるなんて消極的な示し方はいらない。こうしてくれれば、何もいらない。
「もっと楽にしなよ。自分の家なんだから」
私がそう言うと、虹村くんは「あぁ」とうなずいて少しだけ眉間のシワを緩めてくれた。
自分の家なんだから楽にしなよと言ったけど、虹村くんにとっては自分の家こそ気の休まらない場所だった。
化け物になってしまったお父さんを殺そうとしていたあの頃の虹村くんは、家が嫌いで仕方なかったから。
今の虹村くんにとっては、このオンボロな屋敷は居心地のいい場所になっているのかな。そうだといいな。そうじゃなきゃ困る。
「…お前よぉ」
「ん、なぁに」
「もうそろそろクーラーも効いてくると思うから」
「うん」
「服のボタン閉じろ」
そっぽを向いての言葉。
下を向くと、第二ボタンまで開けたシャツから谷間が見えていた。
「ごっごめん!」
「誘ってるのかと思ったぞ」
「誘ってない!い、いや、だめじゃないけど、そう言うのは早いっていうか…!」
「……黙ってろ、お前」
ああああ、私何言ってるんだろう。テンパるとついこうなってしまう。
「隙だらけなんだよ、お前は?っ」
「ご、ごめんなさい……」
「この五分で十回は死んでるぞ」
え、そっちの意味? 生死の分かれ目的な意味なの?
ろくな思春期送ってないからか発想が人と違うというか、物騒というか、とんちんかんというか。
そんなとこも好きなんだけど。
「何笑ってんだよ」、
虹村くんが照れたように唸った。そういう表情を見せてくれるようになったのも最近だ。
弓と矢で人を射殺し、才能を捜す冷徹なスタンド使いとしての一面ではなく、素を見せてくれる。虹村形兆と言う一人の少年の姿を見せてくれる。
どんなに嬉しくて、幸せなことか。
ふいに虹村くんが私の肩を掴んだ。
表情は険しいけれど、瞳の光は柔らかい。この目は好きだ。ずっと見ていたくなる。
「だから、あんま、誘うなって……」
ブツブツと言いながら、虹村くんの顔が近づいてくる。私は自然と目をつむって、固唾を飲んでそれを待ち構える。
──その時。
「ただいまーっ! おおっ、涼しい! こんな日にはクーラーつけるべきだよなっ兄貴?!」
「お邪魔しまーっす……こんだけオンボロなのにクーラーは最新型て。建て直したほうが早くねえか?」
リビングの扉が開く寸前で、あわてて距離を取る。
「お、億泰くんに仗助くん!」
「ん?どうしたー?」
「…そういや、仗助連れてくるとか言ってたな…おれとしたことが忘れてた…」
盛大な舌打ちとため息。予定を忘れた自分への苛立ちなのか、邪魔されたことへか。
わ、私はちょっと、安心した、かも……。
だって、未遂に終わった今だって心臓がすごくドキドキしてる。触れてたら爆発してそうだ。
「兄貴?仗助に茶!茶!」
「ったく、それぐらい自分でやれよ、てめーの客人だろうが」
文句を言いつつ立ち上がるのだから、まったく虹村くんも長男気質が強い。
階下での騒ぎに気がついたのか、屋根裏部屋から虹村くんのお父さんも降りてきた。
「うっうっうぅぅ」
「あー邪魔してるっすよー」
仗助くんが虹村くんのお父さんに挨拶をする。
虹村くんのお父さんは仗助くんを見つけると、彼の元に歩み寄った。
復元した写真を押し付けて、指で示す。
「あーっハイハイ! かわいいお子さんっすね!? 知ってるって俺が直したんだからよぉ?いい加減俺のこと覚えてくれって!」
「そりゃ難しい相談だぜぇ??。なにせ俺にも写真を延々見せてくるからよぉ?本人だっつうのにさぁ??」
困った様子の仗助くんを見ながら、億泰くんはのほほんとしている。
今の息子を認識できなくても、かつての記憶の残滓はある。自慢の息子を、みんなに知って欲しくてたまらないのだろう。 そこに台所から虹村くんが戻ってきた。
麦茶をテーブルに置くと、無言でお父さんの首輪を掴んで仗助くんから引き剥がす。
そのまま無言で引っ張って、二階まで連れて行く。上階でばたりと扉の閉まる音。
「形兆の野郎は相変わらずだな」
仗助くんが嫌そうに顔をしかめるけど、それは違う。昔だったらこの場で殴っていた。
二階に連れて行って押し込むなんて、ずいぶんと平和的だ。
「ああでずいぶん変わったぜ、兄貴はよぉ」
「うん、変わった」
「どんだけ物騒だったんだよ…」
階段から降りてきた虹村くんに、仗助くんが苦笑する。
億泰くんは上機嫌だ。笑いながら手を振って、形兆くんを招く
「なぁ、兄貴たちも一緒にゲームやろうぜ」
「誰がやるか。だいたいおまえ――」
「いいね、やろうか」
私がオーケーすると、虹村くんがうげっという顔をした。
私がやりたがるとは思っていなかったらしい。
「やろうよ虹村くんも。たまにはさ!」
「なんで俺が……」
しぶしぶでも付き合ってくれる虹村くんは、やっぱり少し丸くなった。
ゲームの準備中、上階からお父さんの声が聞こえてくる。でもそれはすすり泣きでも呻き声でもない。
上階から響いてくるのはケタケタとした笑い声だ。猫草のお世話をしているんだろう。
苛立った様子で「おやじは相変わらずうるせぇな」と文句を言う虹村くんだったけど、やっぱり昔とは深刻さが違う。
だからやっぱり、この家は居心地いいはずだ。
虹村くんの肩に頭を預けて、わたしもこの喧騒と居心地の良さに酔った。
S市杜王町の片隅で、こんな風に笑いあえる今が愛しい。
今日も明日も、きっと良き日であればいい。
2016/11/18:久遠晶
お題からパーペキに話が逸れていますが、一応お題から着想した話であるのでお許しください。
私にえろいのはハードルが高かった……。
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