お調子者な形兆
どうしてわたしってこう、運がないんだろう。くちびるをぎゅっと引き結んだわたしは、うつむいて自分の靴を見つめていた。いやでも視界に入る、黒の革靴が三対。
「こっちむけよオイィ」
そう言われて顔をあげようとするものの、不良さんたちの顔を正面から見つめることはできなかった。
わたしを壁に追いつめて閉じ込める不良さんは、たいそう怒っている。
当然だ――路上に起きていた空き缶を蹴っ飛ばしたら、隅にたむろしていた不良さんの後頭部にストライク。そりゃ怒る。
ついテンションが上がってしまったわたしのばかだ。
そのまま路地裏に連れられ壁際まで追いこまれ、詰め寄られている。
「いい度胸じゃねぇかよ~。あ?」
「わ、わざとじゃないんです……」
「あたりめーだ、わざとだったら沈めてるぜ」
威圧的な言葉に眉が寄った。冗談じゃないとはわかるけれど、でもやっぱりひどい言葉だ。言われるだけのことをしてしまったし、お詫びをしたいとは思うのだけど。
「でもよ~わざとじゃないで済んだら警察いらねぇだろ~~? お前、おら財布だせよ」
「ひ、ひぃーっ。あ、あの、この財布は預金下ろしたばかりで一か月の生活費が入ってまして……」
「生活費? そりゃいい」
にやりと笑う不良さん。しまった、墓穴堀った。
仗助くんや億泰君という、仁義のある不良のおともだちがいるからか、つい油断してしまった。
顔を真横に反らしながら、横目で不良さんをうかがう。
……あれ?
あまり怖くない。直視できないほど怖いと思っていたのに、見つめてみればなんてことはなく、視線を交わすことができる。
頭がついていっていないのかもしれない。殴られるかもという緊張は、裏を返せばいまは殴られていないということだ。
どうして、こんなにわたしは余裕なんだろう。
疑問に思ったのもつかの間、私の耳は不良さんの背後で誰かがざしゅっと砂利を踏む音をとらえた。
瞬間、心臓がすくむ。
「おい、小娘ぇ~ッ。なにしてるんだ、お前は」
「ひ、ひいっ!」
低く唸るような獰猛な声に身がすくむ。
不良さんの背後からちらりとはみ出た、黒い革靴と改造制服にぶわりと冷や汗が出る。
恐る恐る視線を上げていけば、そこには――。
『お前を殺してやる』と――わたしに言い放った『例の』男性、その人が佇んでいた。
男性は腕を組んで、不機嫌そうな表情で私を睨み付ける。
「あぁ? なに見てんだよオマエ」
「口説かれてんのか」
「ちっ、違います」
「でも楽しそうだぜ」
どうしてこれが楽しそうに見えるんだろう。男性の感性が不思議だ。それとも、新手の嫌味なのか。
男性を振り返った不良さんがいらだって舌打ちをする。そこでやっと不良さんに気付いたというように、男性が私から視線をはずして不良さんを見た。
「なんなんだよてめーはよぉ~」
「べ、つ、に。おい小娘、もしかしてお前絡まれてんのか」
「えっと……」
絡まれている。ということばはたいへん正しい。しかし……それを伝えることははばかられた。伝えてどうするの? 助けを求めるつもりか。
後門の虎前門の狼とはよく言ったもので、下手をすると二人がかりで砂にされてしまうかもしれない。
わたしから財布を巻き上げようとしている不良さんはともかく、男性には明確なわたしへの殺意があるのだ。
そんな態度が苛立ったのだろう、不良さんがわたしを追い詰めるのを中断し、男性へとのしのし歩いていく。
「もしかしてこのがきてめぇのスケかぁ?絡んでたらどうすんだよてめ~」
「ああそうだよ、俺の女だよ。絡んでたら……?どうしてやろうかなぁー」
「け、喧嘩はやめてください!」
おでこをつかんばかりに密着してがんを付け合う二人を止める。不良さんの腕を掴んで引っ張った。
「お金なら渡しますから……」
「金だと? かつあげされてるなら言えッ! おい小娘、お前、ひょっとして俺が殺られるとでも思っているのか?」
「はっ、女に心配されちゃあおしめぇだなぁ!!」
「や、やめてください! 暴力は、暴力は絶対――」
「根性見せろや、がきい!」
不良さんが男性に向けて大きくこぶしを振りかぶった。とっさに目をつむる。
ひょいっ、ばきぃ、ごすう、どすう、ぐえっ、がは。
不穏な音が断続的に続き、そして無音になった。
両手で顔を覆っていた私がちらりと目を開けると、指の隙間から凄惨な光景が飛び飲んできた。
不良さんを一人であしらい、血まみれにした男性。怪我ひとつしていない。
「だ、だから言ったのに……」
想像通りの状態にため息を吐く。
わたしを殺そうとしている男性だ、きっと、太刀打できる相手じゃないとはおもったんだ。
簡単にやられてたら、私もたぶん苦労はしていない。
国家権力を持ってしてもかなわない、そんな根拠のない確信があって、わたしはこの男性が怖くて仕方ないのだ。
「大丈夫だったか」
けがはないか、と表面上の心配を暮れる男性。しかし、真意はおれ以外の男に殺されるなよ、だ。
わたしはびくつきながらこくりとうなづく。抱きしめたカバンのなかの教科書が、めきょりと折れる感触がした。
「……怖かったのか」
いまさらなにを言うんだろう。男性の眉間のしわが深くなり、より不機嫌そうな表情になった。
選択を間違えれば今すぐ殺されそうな、綱渡りのような一瞬……。
つばを飲み込んで、わたしはこくりとうなづいた。
「こわいです」
「――そうか」
こわくない、などといえばじゃあ恐怖させてやるからな、とひどい目にあわされかねない! 嘘を言うなと、やはり殺されそうだ。
だからあえて本心を伝える。体はびくつき、声は震えた。
この人を前にすると、自然と目がうるんでしまう。
目をそらしたら殺られるという予感があって、目がはずせない。男性の手についた赤いいろが目についた。
血だ。それも、返り血ではないらしい。
「怪我……」
「ン。ああ、これは億泰のザ・ハンドのせいで――まあ、いいんだが。今回の怪我じゃないさ」
「そ、ソウですか」
億泰君の手にやられたってことかな。……まさか殺されていたり!?
気が遠くなって立ちくらみがした。不意に足から力が抜け、膝が折れる。
「あぶないっ」
真後ろに倒れこみかけたからだを、男性が支える。分厚い胸板と太い腕が、背中に回る。
抱きしめられている。肉の、牢屋だ。
ぞぞぞぞぞっと悪寒が走った。このまま圧死させられる!!
抵抗しなきゃと思うのに足がすくんで動かない。泣きそう。泣いた。
「……ッわるい」
肩を押されて引きはがされる。よろけるとぎこちない手が手首をつかんだ。痛い。
「お前……もしかして、さっきの怖いってのは、この俺の怪我を……心配……」
「い、いえ! そんな!! あ、あなたさまがこんな雑兵程度に負けるなどとは!!全然!!」
顔を赤くして怒る男性に慌てて首を振る。これも本心だ。ちょっとは、やられることを期待したけれど……。
「雑兵って」
男性がふっと笑った。顔に影を作った笑みは怒りが助長されたからか。これは死んだかな?
「お前は本当に面白い女だよ、小娘ェ~……」
「あは、あははは……」
肩をばんばんとたたく男性に曖昧に笑う。
命の危険は回避されたみたいだけれど、結局のところは問題が先送りになっただけだ。
この人との関係はずっと続く綱渡りのようなもので、わたしが落ちるまで繰り返される、負けのきまったゲームのようなものなのだろう。
う、胃を壊しそう。
せめて殺すのだけはやめてください、と心のなかでおもいながら、しかし本人には言えずに私はほほをひきつらせることしかできないのだ。
2015/06/28:久遠晶
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