空っぽの感情/苦労人な形兆
その日、形兆は夢を見た。
夢の中の形兆は普通の少年だった。幼い頃母を亡くした少年。
母の葬儀を終えたとき、父が言う。
――もう昔みたいに贅沢はさせてやれないけど、父さんがんばるからな。これからはお前たちにも家事を手伝ってもらわなきゃいけなくなるけど、楽させてやれるよう頑張るからな。
まだ幼児だった億泰を抱えた形兆は、父の言葉が虚勢だとすぐにわかった。
本当に悲しいのは父のはずだ。
聡明な少年はそれを察し、こくりと頷いた。
――おやじと億泰には俺がついてるよ。
――おやじじゃなくて父さん、だろ。
汚い言葉に父が苦笑する。形兆はにこりと笑った。 夢の中の形兆は普通の少年だった。スタンドを知らず、父と弟と身を寄せあい暮らす、すこし気難しくて几帳面だが、ただそれだけの少年だった。
父は仕事に励み、形兆はそれを支えた。
マイホームは売り払われ、安くて狭いアパートに引っ越し、時々水道や電気が止まって苦笑する。
父は資金繰りに奔走しながら帳簿を見てため息をついたが、形兆が安物のコーヒーをいれると笑顔になって、
――お前には苦労を掛けるな。
そう言って形兆を労うのだ。 ある日、高校にあがった形兆が家に女の子をつれてくると、父は目を見開いて驚いた。
――け、形兆が彼女つれてきたぞ!!
――彼女じゃねぇよ、バカ。
毒づく声も聞こえないらしい。父の反応に少女は照れたように頬を赤く染めてうつむいた。
耳に補聴器を付けた、凪いだ海のような目をする穏やかな少女だ。
――虹村くんにはいつもお世話になってます。
彼女がお辞儀をすると、父が泣きそうな顔をする。父はリアクションがオーバーだ。
二人が挨拶を交わす様子に、形兆は妙に居心地が悪くなった。 その日の夕方、形兆は少女を家まで送る。二人で歩く町並みは新鮮で、形兆はなぜだか傍らの存在を意識してしまう。
――悪かったな。
喋りだしたのは形兆だ。
――おれのおやじ、うるさかっただろ。 形兆が言うと、少女は首を振る。 ――いいお父さんだね。弟くんもかわいくて。 嬉しそうに頬を持ち上げて、少女は言う。夕焼けに染まる頬を見て、形兆は素直に誇らしい気持ちになる。
いい父だね、と言われたことに。家族を誉められたことに。
夢の中の形兆は――とても誇らしい気持ちになったのだ。 それはあり得なかった現実だ。
実際の父は子供に手をあげる最低の男で、肉塊で、異形の怪物。
形兆はそんな父を殺すために奔走する、人殺しのスタンド使いだ。
日溜まりのなかに住む少女と交わるはずのない、呪われた魂。それが形兆だ。
かつては――かつては。少女と共に道を歩けると、そんな幻想を抱いたこともあった。しかし昔の話だ。
いまの形兆は夢想などしない。現実だけを見る。希望など持たない。
父はもう直らない。東方仗助の甘い戯れ言になど耳を貸さない。平和ボケした人種の絵空事になど付き合わない。 それなのになぜ、夢から覚めた形兆は泣いているのだろう。
たったひとりきりの冷えたベッド。頭痛がする。理解者など要らないとすべてを突き放したのは形兆自身なのに、形兆は自分の両手になにもないことに気づいてひどくむなしくなった。 億泰は真っ当な道を行こう、と平和ボケした言葉を繰り返す。そんなことできるわけがないとわかっているのに希望にすがるので、とことん救えない間抜けだ、と形兆は思う。 父という宿業から解放されたい一心で行っていたすべてが、形兆を取り囲んで絡みつき、深い闇の底へと誘おうとする。 光差し込む道へは決して行かせない、と足を掴み、ドブ底へと押し込もうとする。
弓と矢を失ったいま、形兆は宙ぶらりんで……疲れ果てた身体と空っぽの感情をただただ持て余していた。
2018/8/20:久遠晶
アニメ観ながらボロなきして書いた