豪快な形兆
これ、大丈夫なんだろうか。目の前で繰り広げられるお料理教室を前に、わたしはただ戦慄していた。
「いいかァー億泰、にんじんってのはこうやってきるんだよ」
などといいながら、まな板に押さえつけたにんじんを肉切り包丁を振り下ろす虹村くん。まな板に包丁が切り込まれる高い音がして、にんじんがまっぷたつに転がった。
「転げ落ちるから油断しないようにな」
「ほへ~そうやって切るんだなぁ」
感心したように虹村くんの手元をのぞきこむ億泰くんの指には絆創膏。彼は彼で、人差し指を切ってしまっているのだ。見かねた――というより怒った形兆くんは、彼女であるわたしのことなどさしおいて弟くんへの料理指南をはじめてしまった。
で、わたしはつっこんでいいものかわからず、台所から聞こえる声にハラハラするばかりだ。
幼い頃にお母さんがなくなり、お父さんや周囲にも頼れない状況になった虹村くんは、半ば一人で億泰くんの世話をし成長してきた。
たぶん、生きるために調理を覚えただけで、美味しい料理の作り方はよく知らないのだろう。料理のしかたを教えてくれたのは家庭科の教科書だったと、冗談めかした呟きを覚えている。
それにしたって、それは。
ジャガイモの皮をむく手つきが明らかにおかしい。通常包丁は人に切らないよう刃を内側に向け、親指でジャガイモをずらして切り込んでいくのが一般的だ。「かつらむき」は包丁の初歩だろう。
それを形兆くんは刃を外側に向け、ゴボウのささがきを作るようにガリガリとジャガイモを削っている。
皮をむく、ではない。もはや削るだ。
あっちらこっちらに飛び散るジャガイモの皮を、バッド・カンパニーが回収している。
「ね、ねぇ、刃を内側に向けた方が安全だしやりやすいよ」
「刃を内側に向けたらあぶねぇだろ」
真顔での返事に頭を抱えそうになった。
億泰くんに料理を教える前に、形兆くんに料理を教える必要がある。
そういえば以前形兆くんに弁当をつくってあげたら、えらく感動していた。手作りの味に慣れてないのかと気にもとめなかったけど、アレは単に形兆くん自身の料理が壊滅的だったがゆえの反応なんだろう。
余計なことに首突っ込んでる。ってことになるのかなぁー。でも、ほっとけないよね。
億泰くんをリビングに下げさせて、エプロンをお借りする。
なんで俺が料理教わらないといけないんだ、と言いたげな形兆くんに「自己流は危ないよ」と耳打ちする。
何事もきっちりしていないと気が済まない形兆くんは、定まった型があるのならばそれに従うタイプだ。案の定、しかめっつらをしているものの私の教えを聞いてくれる。
「お前ってよぉ」
「うん?」
一通り切り方や持ち方を教えたあと、具材を煮込みながら形兆くんがつぶやく。
「ホントお人よしだよな」
「どういたしまして」
「ほめてねぇよ」
うそだ。形兆くんの「お人よしだな」は、そのまま「俺のためにありがとよ」という意味なのだ。
ふっと笑った形兆くんは、あほかと言わんばかりに私の頭をはたいた。小突かれる仲になった当初、形兆くんの手は容赦がなくてとても痛かった。
たいして痛くない力加減を覚えてくれたのは最近だ。
さて、食べれればいいだろといわんばかりのゴロゴロ大きな具材の切り方は、どれぐらいの期間で変わっていくだろう。まじめだからすぐに覚えてくれるとは思うけれど、億泰くんの料理の腕前と合わせて不安だ。
まあ、形兆くんにも億泰くんにも、すこしずつ教えていけばいいかな。幸いなことに、これから一緒にいられる時間はいくらでもあるのだ。
2015/06/28:久遠晶
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