クールな女と遊び人

 窓辺で、少女が本を読んでいる。
 ページをめくるたび長い髪が肩に零れ落ち、さらりと揺れる。
 背後で白いカーテンが音もなく膨らんで、ゆっくりと戻っていく。
 穏やかな景色がはっとするほど絵になる女だ。

 ミスタはテーブルに頬杖を突きながら、少女――汐華のことをじっと眺めていた。

 少女と言っても、はミスタよりひとつ年下の18歳だ。は鋭い目つきの大人びた顔立ちをしているし、『少女』よりは『女性』という形容のほうが正しいのかもしれない。
 だが、常に醒めた目をしている彼女が、ごくまれに口の端を持ち上げて笑うとき――その表情はまさしくあどけない少女だ。
 無表情と冷たさで隠した本心を、もっと見せてほしい。そんな気持ちがあって、ミスタはのことを『少女』と形容する。


 また本のページがめくられ、視界をさえぎられたは片手で髪を掻きあげた。の髪はどんな匂いがするのだろう、とミスタはぼんやりと思う。
 嗅いだことはないが、には清潔な消毒薬のようなイメージがある。それとも、思いのほか幼いミルクのような匂いなのだろうか。甘酸っぱいミカンのような柑橘系の匂いかもしれない。
 くだらない想像だ。童貞じゃあるまいし、女に対して夢を見すぎだ。
 そうやって妄想をいさめるミスタと、女を知らぬ少年のように期待に胸を膨らませてしまうミスタが同居して脳内はしっちゃかめっちゃかだ。

「ミスタさん」

 不意に声をかけられ、ミスタは頬杖からずり落ちそうになってしまう。
 はっと少女を見直すと、本に固定されていた視線がばっちりと自分を見つめていた。

「な、なんだよ」

 妄想を見抜かれてしまったかと、自然と声が上擦る。

「あまり見ないで」
「悪い。あんまりべっぴんだったもんだからな」

 ミスタの軽口に、は眉根がきゅっと寄せることで返事をした。
 これだ。
 どんな褒め言葉にも絶対に頬を緩ませないどころか、逆に不機嫌になる。なびかない。
 難攻不落の城砦のようだ。
 ミスタがいままで付き合ってきた女の子は、ミスタが誉めるとみな笑った。のような『お堅い』女を口説くのははじめての経験で、ミスタはやりかたがわからない。
 近づこうとすればするほど分厚い壁がそびえ立ち、拒絶される感覚。はじめてのことだ。

 ――まあいい。気長にやるさ。

 溜息を吐きながらから顔ごと視線をはずした。視界の隅でそれを確認したが、もう一度本に視線を落とした。
 目の前にこんな極上の女がいるというのに喋ることすら許されないなど地獄のようだ。
 を横目で盗み見しながら、ミスタは歯噛みした。
 ミスタはじっとしているよりも明るく騒いでいたいタイプだ。なにもせずに時間を浪費するなど耐えられない。

 とは言え、これは任務だ。
 ひょんなことから敵ギャングに目をつけられたを保護し、監視するという重大な任務なのだ。
 自体は、平凡な女学生のはずだった。逸脱していたのはその義理の弟――ジョルノ・ジョバァーナだ。
 パッショーネのボスに成り代わったジョルノは、義姉があるギャング組織に狙われていると知ったとき、放置ではなく保護を選んだ。
 正体を明かし、アジトにかくまう道を選んだのだ。

「なあ」

 声色から、にとってろくでもない案件と察したのだろうか。は無言でページをめくった。

「こんなにいい天気なんだから、外行こうぜ」
「……あなたのお仕事は私の護衛と監視よね」
「まあ、そうだけどよ。一日中本読んでて気が滅入らねぇ?」
「一日中ギャングに監視されていると思うと大変気が滅入るわ」

 じとりと睨まれ、ミスタは苦笑した。
 相手組織を壊滅させるまでの保護とは言え、結局は軟禁に変わりない。にとっては降ってわいた災難には違いないのだ。

 は弁護士志望の真面目な女だ。汚職にまみれた街を本気で変えたいと思っている。夢を目指す瞳はジョルノのそれと似ている。
 だから、本当は弟がギャングのボスになっていることも、それにかくまわれている現状も耐えがたいのだろう。
 が弁護士になれば、この街は確かに少しよくなるのかもしれない。ろくでもなかった自分の裁判を思い返しながら思う。

「じゃあ外出て気をまぎらわそうぜ」
「あなたと外出しても気が滅入るだけだわ」

 本を見つめたままの冷たい言葉。ミスタは溜息を吐いた。

「フーゴ相手にはもうちっと優しいのに、なんで俺にはそんな冷たく当たるかなぁ」
「フーゴさんとあなたは違うわ」

 単純明快な答えだ。
 フーゴは紳士的で、ミスタはちゃらんぽらんのように見える。
 フーゴの『すさまじく切れやすい』という欠点も、ボスの姉であり聡明なの前ではなりを潜めるのだろう。対するミスタは、の『嫌いな男』の要素を凝縮したような存在に映るらしい。ちゃらんぽらんで、女好きで、誠意がない。そんな男に。
 あながち間違ってはいなさそうなところがマズイぜ、とミスタは他人事のように思う。

「しかたねぇな」

 ミスタは溜息を吐いた。と話すと溜息をしっぱなしだ。
 ならば話しかけなければいい、と返されそうなので本人には言わないが。
 立ち上がるとミスタはすばやく身支度を整える。ミスタの行動など自分の人生には関係がないと思っているのか、はじっと本を見つめている。気のなさすぎるそぶりに苛立つと同時に、狩猟本能を刺激されるのも事実だ。

「お前、コーヒーと紅茶どっち好きだ?」
「紅茶かしら……なぜ?」

 質問を聞きながらテーブルの向かい側にあるの学生鞄を掴む。自分の所有物に決して触らせないが、こうして間合いの外に荷物を置いている。それぐらいには信頼されているのかもしれない。
 に言わせればそれは『信じて頼る』では泣く、『能力を見極めて適時対応した結果』のようだが。

 の重たい学生鞄を持ち上げて、に突き出す。

「近くにいい紅茶を出す喫茶店知ってんだ。行こうぜ」

 ミスタを見上げて、はあからさまに嫌そうな顔をした。
 刺すような冷たい視線にひるまず、じっと見つめ返す。
 ややあっては、これまたあからさまに溜息を吐いた。長い長い溜息に、ミスタはが喘ぐとどのような吐息を出すのだろうと思いつつ、想像を胸の底にしまいこむ。
 が根負けして腰を浮かせるのを見て、ミスタはニヤついた。
 いくら無駄を嫌う性格といえど、は本当に嫌悪している人間が相手ならば絶対に譲歩しない。あきらめてくれる程度には、自分を信頼しているのだ。
 弟であるジョルノの仕事仲間に対する信頼かもしれない。今はそれでよかった。
 ただの護衛役に甘んじる気は毛頭ないが。





 をいきつけの喫茶店に連れてきたミスタは、どきどきしながら紅茶を頼んだ。
 運ばれてきた紅茶が、の唇に移動していく様子をじっと見守る。
 ティーカップを傾けて紅茶を一口こくりと飲んだは、はっとして目を開いた。

「おいしいわ」
「そうだろ。マスターのこだわりの一品さ。もう何年もここで店をやってる」

 ぺらぺらとくだらない薀蓄を喋りそうになって、ミスタはそこで口をつぐんだ。
 は目を開いたままティーカップのなかの紅茶を見つめている。は常に唇を引き結んで、めったに笑わない。ミスタがの笑みを見たのは、ジョルノに微笑んだただ一度だけだ。
 その代わりは目と眉で感情を表現をする。目をわずかに開いて驚く、目を細めて不機嫌さをあらわす。

「果たしてあなたは、このお店に何人の女を連れ込んだのかしら」
「お前がはじめてだ」

 間髪いれずに真実を答えると、は無言で視線をミスタへと移した。
 冷たく醒めた瞳が、ミスタの言葉になんの感動もしていないことを伝える。嫌悪すらしていない。うわべだけの言葉だと確信しているからだ。
 思わず泣きたくなるが、目をそらしたら負けだと思って強く見つめ返す。

「お前だけだぜ、

 は無言で目をそらした。聞こえないふりをしているのか、問答する価値がないと思っているのか。
 ただ静かに紅茶を飲むアリアをじっと見つめる。
 実は甘党で、パフェを食べるのが好き――とはフーゴから聞き出した情報だ。しかしミスタの前ではパフェを食べたがらない。好みを見せることは弱点を見せることだ、と考えているらしい。
 ひどく苛立つ。
 本人から冷たくされてもめげることはないが、ほかの男とあからさまに差をつけられると怒りがわいてくる。何故、自分にだけは冷たくするのだろう。フーゴがキレたときの手のつけられなさを思えば、自分の素行のなどかわいいものだ。

「……からは、俺がどんだけアソビ人に見えてんだろうな~」
「ありのままよ」
「まあ、女好きとは思うし遊んでたのも事実なんだけどよォ……」
「ほら」
「今は違う」

 は溜息を吐いた。
 言われ慣れてる。そんな反応だ。
 無言でまだ熱いはずの紅茶を飲み干し、空になったティーカップを見せる。

「帰りましょう」
「……わかった。その前にションベン……あっ、便所行かせてくれ」
「お好きにどうぞ」

 言葉を言い直すミスタを一瞥しては窓の外に視線をやる。

 ムリに言い寄るために喫茶店に連れ出したわけではなかった。だが、あんなことを言われてはへらへら受け流せない。
 その他大勢の女のひとりではなくて、がほしいのだ。
 は気持ちを笑わない。笑わないが、信じない。
 それがたまらなく悲しい。
 うまくいかない。
 今までの付き合いは基本的に体だけのお遊びがほとんどだったから、どうすれば本気の思いが伝わるのかがわからない。
 意気消沈しながら用を足して、トイレから出る。
 に男がふたり群がっていた。
 トイレに入っていたのはほんの二、三分だ。テーブルにはミスタの頼んだ紅茶もあるのに、それでもに声をかけるとは。よほど自分に自信があるらしい。

「なぁなぁ学校帰り? 俺たちと遊ぼうぜー」
「さっきから見てたけど、ツレと居ても楽しそうじゃあねえよな」
「無視しないでさー」

 が男の言葉をすべて無視していると、男はの視線を手でさえぎった。それでもが無視を続けると、男はの手に指を伸ばした。

「ムシしないでよォ」
「おい、俺の女になにしてんだ」

 男の手首を掴んで、低い声ですごんでみせる。
 もう片方の手でこれ見よがしにの髪に触れる。さらりとなめらかな髪が指に触れて心地いい。
 男はミスタの顔を見るとさーっと顔を青ざめさせた。幹部になったのは最近とはいえ、顔は知れているのだ。

「み、ミスタさん……い、いえ、なにも!!」
「いいからさっさとどっか行けよ」
「は、はいィィ!!」

 ミスタが一睨みすると、男は脱兎のごとく逃げ出した。
 に向き直って、ミスタは眉を下げた。

「悪かったな、。遅くなって」
「あなた、本当にギャングなのね」
「『幹部』だぜ、一応な」

 興味なさげに鼻を鳴らすは、さして不快にはなっていないようだった。
 代金を払って店を出る。はミスタの奢りを嫌がったが、から目を離したのは自分だ――で押し通したのだ。

「この後はどうするの」
「すぐに帰ってもいいけどよォ、イヤな思いさせちまったし、回り道してこうぜ」
「……わかったわ」

 許容は要するにあきらめだ。
 回り道をやめて近道を歩く。
 繁華街を通る際にはぐれやしないかと不安になって、の手を掴んだ。腰を抱き寄せなかったのは遠慮だ。
 は抵抗しない。護衛兼監視役として、逃げ出しやすい場面で手を掴むのは当然だ、と判断したのかもしれない。
 ミスタそのものを受け入れているわけではない。
 悲しくなりながら歩いていると、ふと、掴んだ手に抵抗を感じた。く、とわずかに引っ張られる。

「どうした?」
「なんでも……ないわ」

 立ち止まって問いかけると、珍しく歯切れの悪い言葉が返ってきた。
 周囲を見渡してその理由に気付く。
 アイスクリーム屋の車が路上に駐車しているのだ。

「食いたいのか?」
「いいえ」
「フレーバーはなにがいい?」
「要らないと言ってるわ」

 苛立ったようにが答える。

「買ってやるって言ってんのに」
「要らないの」
「そうかい。じゃあ自分の分だけ買う。そこで待っててくれ。……俺はバニラにするけど、お前は?」
「要らないと言っているのに」

 はあきれ果てたように溜息を吐いた。

「……イチゴがいい。イチゴチップのバニラ」
「おーけーっ」

 根負けするがかわいらしい。思わずニヤついた。

 アイス屋まで行ってイチゴチップのバニラと、普通のバニラ味のふたつを注文する。

「あのべっぴんさんがお兄さんのカノジョかい?」
「そうだ……と言いたいところなんだがなぁ……まだまだだよ。なびいてくれねーんだ」
「確かに、あれを落とすのは骨が折れそうだ」

 アイス屋の主人は苦笑した。
 アイスを受け取って、道路の隅で待つの元へ駆けようとした瞬間、ミスタは横から声をかけられた。

「あらァ、ミスタじゃない」
「げッ! お、お前ら……」
「げ、とはなによぉ、友達に向かってさ」
「最近うまくやってる? なんだか顔色悪いね、慰めてあげようか? アタシたち二人で」

 かつて関係を持っていた女ふたりの登場に、ミスタは頬を引きつらせた。
 先ほどに『お前だけだ』と言った直後に、過去の女の登場とはタイミングが悪すぎる。
 女たちはミスタの持つふたつのアイスを見ると、訳知り顔で笑った。

「もしかしてデート? お邪魔しちゃった?」
「わかってんならどっか行ってくれ」
「どれどれ? どの子?」

 ミスタの視線を追いかけるように、女はミスタの腕を引き寄せて抱きしめ、胸を強く押し付けた。
 普段であれば喜んで鼻の下を伸ばすところだが、今この状況では谷底に追いやられているに等しい。
 おそるおそるのほうを見やると、は抜き身のナイフのような鋭い目でミスタを睨んでいた。
 ヒイイイ! とミスタは心のなかで悲鳴をあげそうになった。
 底冷えするような重低音を背負うはどこからどう見ても不機嫌そうで、同時にミスタを軽蔑する目をしていた。

「どこにいんのー? ミスタの今の彼女!」
「どうせだったら今の彼女と一緒に楽しいことしない? アタシたちと四人でさ」

 ミスタはとっさに二人を振り払った。

「やめろ。もうそういうのはやらねーことにしたんだ」

 毅然として言った時にはすでに遅かった。
 は既にミスタに背中を向けていた。
 人ごみのなかに掻き消えるように解けていく。

「おい! !」

 慌てて地面を蹴る。背後から女の悲鳴があがったが気にしない。
 人を掻き分けて、消えてしまいそうなの背中を追いかけた。
 何度も見失いそうになりながら、ミスタは必死に食らいつく。
 ここで見失ってしまっては――館ですぐに再会できるだろうが――だめだ。おそらく一生、自分はのなかで軽蔑するべき不誠実な人間の烙印を押さえ、取り戻せることはない。その焦燥がミスタを動かしていた。
 繁華街を抜け、路地裏に入り込んだところでようやっとミスタはに追いついた。手首を掴んで引き止める。
 は振り返ると、氷のような底冷えする目でミスタを睨んだ。

「離して」
「いいや、離さねぇ。話を聞いてくれ、。違うんだ」
「なにが違うの。あなたの女性関係なんて私には関係ないわ」
「違うんだよ! 確かにあいつらとは昔付き合ってた……が、今は違う。違うんだよ」
「だから、私には関係ないと言ってるでしょう」
「こっち見ろよ、!」

 ミスタは声を荒げて、の手首を引っ張った。も負けじと自分の腕を引っ張って、離せと言外に伝えてくる。
 軽蔑と怒りのこもった瞳に悲しくなる。信じてもらえていない。あんな会話を聞かれれば当然かもしれないが、悲しみは止まらない。同時に理不尽な怒りがわいてくる。

「大声出すわよ」
「出してみろよ。俺は絶対に手離さないぜ」
「おい、やめろよ、その子嫌がってるじゃな――」
「消えろ」

 通りすがりの男がミスタとの間に割って入ろうとした。その眉間に拳銃を突きつける。
 ジャキっと劇鉄をおろして、男を睨む。

「ほ、本気で撃つわけが――」
「試してみるか? ああ?」

 目をかっぴらいてすごんでみせると、すぐに男は退散した。血走った瞳が本気で恐ろしかったらしい。
 その様子を見たは眉をしかめた。

「私も撃つの」
「撃つかよ。撃てるかよ。撃てると思ってんのかよ、お前は」
「なんで……なんで、私なの。あなたには好きなときにいつでも付き合ってくれる人がいるじゃない。やまほど」
「んな女いらねぇよ。お前がほしいんだ、、俺は……!」
「そういうことも、色んな女に言っているんでしょう。どうせ!」

 珍しくが語気を荒げた。いいから離せ、といわんばかりに手を振られ、ミスタは手首を握りこむことでそれを制する。

「イヤなのよ。あなたみたいな人。お前だけだなんだと、誰にでもそんな言葉を吐く。何故私に言い寄るの? あの人たちのほうが私よりもよほど社交的であなたを満足させられるでしょうよ。あなたなんてどうせ私のことなんて見てもいないくせに!!」

 一気にまくしたてると、は肩で息をした。はっはと短い呼吸は、息をすることすらわずらわしいのではと思えて、ミスタは目を細める。

「もう……私に構わないでよ」

 唇を引き結ぶと黙り込んで、が悲痛な面持ちでミスタを見上げた。懇願すら浮かんでいるその表情に、ミスタはまじまじとを見つめてしまう。

……お前、もしかして嫉妬してんのか?」
「なっ!!」

 は言葉に詰まると、あからさまに表情をゆがめた。頬は急激に高潮し、感情のやり場がわからないと言った様子で、視線をあちらこちらへと移動させた。顔ごと視線がそれるたびに後ろ髪がさらさらと揺れる。

「なに……馬鹿なこと言ってるの。あなたは」

 うつむいて目を伏せた。
 が続けてなにか言葉を吐き出す前に、ミスタはの頬に触れていた。瞬間、は体をびくつかせながら顔を上げる。その瞬間に一歩踏み出し、赤い唇に自身の唇を押し付けていた。

「~~~ッ!!?」

 が息を呑んだ気配を感じる。
 動揺が肌で伝わってきた。
 腰をよじって、足を後退させて、身体をのけぞらせてはミスタから逃れようとする。唇を押し付けたまま、その分ミスタも足を動かす。すぐにの体は壁に当たって、逃げられなくなる。ミスタは手首を握り締めていた手を離した。
 その代わりに後頭部を掻き抱き、肩を壁に押し付けての肌の感触を堪能する。

「あなた、なにをっ……!」

 が文句を言おうとした口を開いた瞬間、舌をねじ込んだ。
 逃げる舌をとらえて絡めとり、舌の付け根をくすぐり、歯列をなぞる。
 すぐそばの大通りでは、いまも大勢の人間が行き交っているはずだ。路地裏にはいってすぐそばで繰り広げられる痴態に顔をしかめる者もいるだろう。
 そんなものは関係なかったし、いまのミスタには知覚できなかった。
 時折息継ぎのために口を離してすぐにまた口付ける。鼻で息をすると、の匂いが胸いっぱいに広がった。
 男性経験はあるのだろうが、未成年らしい未発達で未成熟な香りにまじる女の芽吹きはひどく欲望を駆り立てる。
 消毒液か、はたまた柑橘系の匂いがしそうなイメージだったが、そんなものは所詮夢想だ。
 女の匂いにここまで胸が高鳴ったのは、童貞を捨てたとき以来のことだ。

 もみあうようにの口内を蹂躙し続け、やがてミスタは唇を離す。
 ははっはと荒く息を繰り返した。酸欠のためか潤んだ瞳がひどく扇情的で、ごくりと喉が鳴るのがわかった。

「お前のためにバカになってんだよこっちは……!!」
「……ッ!!」

 息をひゅっと飲んだが掌を振りかぶる。手と頬の間からパアンと乾いた音がした。
 平手打ちを甘んじて受け入れたのが信じられないといった様子で、は目を見開いた。

「なんで……よけないのよ」
「お前こそ……なんで抵抗しなかったんだよ」
「したわ。抵抗」
「してねぇ。お前なら、本気で抵抗しようと思ったら舌なり唇なりを容赦なく噛み千切るはずだろ。金的までかますかもな」
「そうしてやればよかったわ」

 忌々しく吐き捨て、はミスタから目をそらした。 
 掴んだ手首は逃げ出そうとする兆しを見せない。
 ミスタはもう一度顔を寄せた。手首から手を離して、両手での後頭部を掻き抱く。つややかな髪が指に心地いい。
 キスする寸前で動きを止めて、吐息と吐息を触れ合わせた。
 真っ直ぐと目を見据える。

「どうすればわかる? どうすればわかってくれる? 本気なんだ。お前だけを」
「わか……らないわよ、そんなの……」

 押さえつけられているなりに必死に顔をそらそうとするの瞳は潤んでいる。ぐずるように首を振るしぐさがかわいらしく、ミスタは自制するので精一杯だ。

「お前よォ、それ、素か?」
「な、なにが……」
「かわいすぎてやベーんだけど」
「ッ……!」

 は無言でミスタを突き放そうとした。だが男と女だ、ミスタは鍛えているし、大した抵抗ではない。
 眉をきゅっとひそめると、はうつむいた。
 突っぱねて拒絶するだけだったが始めてみせる弱々しい表情にミスタははっとする。

「この18年間色んな男に言い寄られてきたわ。でもみんな……私の顔と身体しか見なかった」
「そう……か。そうなんだろうな」
「ムリヤリ組み敷かれたことだって、一度や二度じゃない」
「っ、そうか……」

 ミスタは眉根を寄せた。先ほど力づくでキスした手前、なにも言えなかった。

「だからあなたのことは信じられない」
「……」
「あなただけじゃないわ。ほかの男も。ジョルノは……弟だけど。それ以外の男は、みんなそう。信頼できない」
「……そう、か」
「男性蔑視の偏見だと言われても、実体験にもとづく統計学だとそうなるの」

 はそこで言葉をいったん区切った。息を吸って、吐いて、唇をぬらす。
 の頬は染まっていた。赤くだ。

「でも、先ほどの女性とあなたが今関係してない……ことは理解したわ」
「え――」
「おーッミスタじゃねェかぁ! こんなところでどうしたんだァ?」
「どうしたもなにも、さんがいらっしゃるんですから護衛に決まっているでしょう」
「喫茶店の帰りですか、姉さん」
「ナランチャ、フーゴ、ジョルノ……!!」

 背後からかかった仲間たちの声に、ミスタは身を震わせながら振り返った。
 重要なシーンをだいなしにされた。せっかく、の核心が聞けると思ったのにだ。
 ジョルノは互いに顔を赤くする二人を見て、それからミスタが掴むの手首に視線を移した。ミスタは慌てて手を離す。
 の護衛任務には同時に監視の意味合いも含まれている。手を掴んでいても、さほどの違和感はない――だがつい離した。後ろめたさだ。
 平静を装って、ミスタはジョルノに頷いた。

「そうだぜ、喫茶店の帰りだ」
「へえ。おいしかったですか?」
「それなりにね」

 すっ……っと、ごくごく自然に、ミスタとは半歩身を引いて互いに距離をとった。
 その様子を見てナランチャが首をかしげ、察したフーゴがタイミングの悪さに頬を引きつらせ、ジョルノは目を細めてミスタを睨んだ。

「でも隣にいる男がこの人じゃね」
「相変わらずひでぇな~」

 はいつも通りの悪態を吐き、ミスタもいつも通りに苦笑した。だが頬は赤い。追求されれば逃れられないだろう。
 ジョルノは彼にしては珍しく、不機嫌そうな表情を浮かべた。

「そうですか。じゃあ次は僕と、僕のお勧めの喫茶店に行きましょう、姉さん。それなら楽しめるでしょう?」
「自信満々ね――きゃっ」
「これから帰るんでしょう、一緒に行きましょう」

 ジョルノが、ミスタが掴んでいたほうとは反対のの腕を掴んで引き寄せた。
 弟だからかは抵抗しない。乱暴なジョルノに眉をひそめながら戸惑って、それだけだ。
 には見えない位置から、ジョルノはミスタを冷ややかに睨んだ。仕方がない反応だ――と思いつつ、ミスタはこびるように笑いかけた。

「ジョルノ、その顔怖いって……」
「ケダモノに言われたくはないですね」

 ぐっ、とミスタは押し黙った。反論がないことにますます不機嫌になったジョルノは、そのままを引っ張って館への帰り道を突き進んでいく。
 驚いたようにミスタを振り返ったは、目があうとすぐに顔をそらした。ジョルノの早い歩幅に従って小走りになる。
 たったっ、との足が地面を蹴るたびに髪の毛がさらりと揺れる。普段なら髪の毛の光輪がゆれる様子に見とれる。
 今回は違った。

 目が合った瞬間の、濡れた瞳がミスタの脳裏に焼きついている。

 ――これは、マジで、脈、あるんじゃねぇのか……ッ!?

 思わず顔を隠した。火が出そうなほど顔が熱い。
 ジョルノたちが来なければ、はその紅い唇でどんな言葉をミスタに伝えたのだろう。きっと悪いものではないはずだ――確信する自分と、いやしかし、と冷静になろうとする自分がいる。
 恋の激情が胸であばれて、どうにもできそうにない。

「罪な女だぜ、……お前はよ~ッ!」

 にやけ顔で、がいた場所を睨みつける。
 心臓の鼓動がおさまるにはすこし時間がいるな――と、ミスタは思った。

「ミスタとジョルノ、どうしたんだ~?」
「いまはそっとしておくんですよ、ナランチャ」

 やりとりを黙ってみていたフーゴは、今後のミスタとジョルノ、を想像して溜息をついた。
 合掌すべきは誰に対してだろうと思いながら。





2016/11/18:久遠晶
三年ぐらい前に書いていたブツ。無修正です。
 もしいいね!と思っていただけましたら送っていただけると励みになります!
萌えたよ このキャラの夢もっと読みたい! 誤字あったよ 続編希望