愛の告白/殺害予告



 ある日、靴箱のなかに差出人表記のない白い封筒が入っていた。
 首をかしげながら、なかに入っていた縦書きの便箋を見やる。
 拝啓、からはじまる丁寧な文章で、放課後体育館裏に来てくれないかと申し出る内容に心臓がはねた。
 深く考えるまでもなく、これはラブレターというやつではないのだろうか。初めての経験にどきどきしながら、私は指定された日時、放課後の体育館裏で差出人を待ち構えた。
 心臓がドキドキする。
 どんな人だろう。クラスメイトだろうか。いやいや、実はラブレターでもなんでもなくて、ノートの貸し借りのお願いだったりして――。
 ぐるぐると考えながらぴしっと姿勢を正して待っていると、不意に背後からジャリッと土を踏む音が響いた。

「フッ、まずは五分前行動を褒めてやろう」

 その言葉にわたしはびくっと肩を竦ませた。低く唸るような声が、私の背後――すごく高いところから聞こえる。
 おそるおそる振り返ると、そこにいたのは色素の薄い髪を逆立てた、すごく背の高い男性だった。
 太陽を隠しそびえ立つように私に影を落とすその人を見て、私は思わず飛びのくように後ずさっていた。そうして距離をとってから、失礼な反応をしてしまったと背筋が凍る。
 男性はそんな私をちらりと一瞥した。びくんと身体がびくつくのがわかった。


 怖い! 私の背が低いのもあいまって身長差が物凄い。友達の仗助くんと同じぐらいの身長ではないだろうか。180センチはありそうだ。
 仗助くんはよくよく見れば人懐っこそうな顔をしているし、よく笑うから怖くはない。だけど、この人は眉間にいくつも刻まれたしわにこけた頬、なにより鋭い眼光が連続殺人鬼のような風体をかもしだしている。太陽を背負って逆光になっているからなおさら圧迫感がある。

 着込んでいる学生服はぶどうが丘高校の制服ではなかった。転校生なんだろうか。改造していることもあいまってぜんぜん学生には見えない。軽く見積もって20代後半だ。教室で勉強をしているより、夜の繁華街でゴロツキに頭を下げられているのが似合うような外見をしている。
 この男性が、わたしに手紙を出してくれた人なんだろうか。先ほどの口ぶりからするとそのようだけど。
 今すぐ逃げ出したい気持ちを抑えながら、びくびくしながら、わたしは確認のために口を開いた。

「わ、わたしに手紙を出してくれた人って――」
「無論、俺だ」

 ニヤリ――と男性の唇がつりあがった。
 まるで獲物を見つけた肉食獣のような表情に、ぶわっと脂汗が吹き出るのがわかった。あ、やばい、これはわたし、殺される。
 で、でも外見で人を判断するのはとてもよくないことだ。仗助くんも億泰くんも、不良のような外見をしていて怖かったけれど、話してみれば気のいい人だった。つばを飲んで気をとりなおして、わたしはなるべくフレンドリーに話しかけた。

「こ、こんにちは。いったいどのようなご用件でしょうか」
「お前、シラを切るつもりかァ~ッ?」
「ひいっ」

 ただでさえ寄っている眉間にさらにシワが刻まれ、わたしは肩をこわばらせてしまった。血の気が引くわたしを尻目に、男性はぶつぶつと呟きはじめた。

「……まあいい。女はやたらと言わせたがる生き物だというしなァ~」
「は、はい?」

 あごに手を当てての小さな呟きはよく聞き取れなかった。
 言わせる、とか生き物とかなんとか。

「俺がお前を呼び出したのはほかでもない……小娘! 貴様を俺のものにするためだ……」
「え、え!?」

 小娘と強く呼ばれて身体がびくつく。すくんでいる暇はなかった。
 貴様を俺のものにする? え? どういうこと?
 困惑していると、男性はチッと舌打ちをした。

「弓と矢で射抜くよーに貴様のハートを奪ってやるよ~ッ」

 ハート!? 心の臓!? 奪う!?
 それはもしかして、その、とどのつまり殺されるってこと!? しかも心臓貫いて!?
 やだ、考えたくない。どうして初対面の人にそんなことされなきゃいけないの!
 鼻がつんとして泣きたくなってくる。

「わ、ワタシハなにか、あなたを怒らせるようなことをしましたでしょうかッ!?」
「お前のほうから質問するんじゃあねーんだよ~ッ! はいかいいえか、きっちりと答えろッ!」

 はきはきとした強い口調に身体が震える。
 手に持っていた学生鞄を、すがるように抱きしめた。なんでこんなことになっているんだろう。
 はいかいいえで答えろと言われても、そりゃあまだ生きたいに決まってる。
 身体をこわばらせていると、男性は苛立ったように顎をあげた。

「ほらあ~なにしてるッ!?」
「そ、そんなこと言われ申されましても……か、かようなことははじめてでございまして、わけがわからないです……! せ、せめて心残りを解消してから――」
「なに? はじめてか……? なるほど~っ」

 怯え戸惑う私を見て、男性は心底嬉しそうに笑った。殺人鬼が獲物の命を摘み取る瞬間に見せるような愉悦の笑みだ。
 男性はその三白眼をかっぴらかれて私を注視している。瞳孔が開いていて、とても興奮しているようだった。その視線に絡めとられて身動きができない。目をそらしたら殺される――そんな野生生物のような警戒がふつふつと背筋を刺激をしていた。
 死の恐怖に、ぷつぷつと鳥肌が立った。

「な、なんで……あなたは、わたしを、」
「わからんだと? それじゃあわかるよーに……キッカケを与えてやるよォ~ッ!!」

 男性は大股で一歩、わたしに踏み出した。 
 ぐあっと空気が寄せるように距離が縮まり、わたしは息を飲んだ。とっさに地面を蹴ろうとしたけど、長い腕がのびて、わたしの胸倉を掴んだ。
 もう片方の手がわたしの顎を掴みあげて、ムリヤリに上を向かせる。
 はっとしたときには、視界いっぱいに男性の顔が迫っていた。

 かさついたものが唇に強く当たる。

 むわっとエチケットガムのようなミントの香りがして、わたしは息を止めていた。



 はじめてのキスはレモンの味がする、と俗に言う。
 信じていたわけじゃあないけど、柑橘系のような甘酸っぱいムードのなかのキスをわたしは夢想していた。
 それなのに――これは――あんまりだよ。神様……。
 
 男性はじっとかさかさした唇でわたしのファーストキスを奪ったあと、そっと身を離した。
 かがんだ体勢から先ほどのピシッと背筋の伸びた威圧的なポーズに戻る。
 男性の表情はニヤついていた。

「どうだ。はいかいいか、きっちりと答えてみせろ……いまここでな~ッ!」

 突然の出来事に、わたしは唇をわななかせ震えた吐息を吐き出すことしか出来ない。身体が力が抜けて、抱きしめていた学生鞄がどさりと地面に落ちた。
 グラウンドのほうで野球部が掛け声を上げて練習にいそしんでいる。平和な杜王町、平和な学園の片隅で、今確実に私の寿命は削り取られている。
 言葉を発せないわたしを見下ろして、男性はとんとんとんと靴先で地面を叩き、わたしをせかした。

「はいと答えろと! 言っているだろうッ!!」
「っは、はい!」

 怒気のこもった声に肩が竦む。とっさにはい、と言っていた。
 しまった、殺されることを了承してしまった――血の気が引いてギリギリと心臓が締め上げられる。青ざめるわたしと対照的に、男性は目をかっぴらいて心底嬉しそうに口を吊り上げた。

「『はい』と言ったか? 『はい』と言ったな? なあ~言ったよな? 小娘ェ~ッ!」
「う、や、ちが――はい、言いました……」

 ちがう、と言っても殺されそうだったので、結局恐怖に屈する形で『はい』と言った。
 涙腺が熱くなって、目尻に涙がにじむ。わたしは俯いて足元の草を見やった。男性の足に踏み潰された草が物悲しくぐしゃりと葉を歪ませている。
 ああ、私も数十秒後にはああなっているんだ……。せめて、おばあちゃんに今まで育ててくれてありがとうって言いたかったな……。
 現実逃避をしていると、喉の奥で男性が笑う音が落ちてくる。わたしは泣きたい。

「もういい! ……知りたいことは……これで充分!」
「え?」

 男性はクルッ! と踵を返すと、そのまますたすたと歩いていく。
 走馬灯を繰り広げていたわたしは思わず顔をあげてその大きな背中を見つめる。
 もしかして殺すのは勘弁してもらえたんだろうか。ぷつぷつとした鳥肌がおさまっていくのを感じる。
 内心で涙が出そうなほど喜んでいると、帰りざま、男性はちらりとわたしを振り向いた。

「――気をつけて帰れよ、最近は不審者が多いからなァ……」

 人殺しの瞳がわたしの目を刺しながら校舎の角を曲がって、消えていく。
 裏のメッセージが伝わってきて、誰もいなくなった校舎裏でわたしは背筋を震わせた。
 気をつけて帰れ? 不審者が多い?
 文字通りの心配だったらどんなにいいか。
 これは警告であり忠告であり犯行予告だ。夜道、暗がりにまぎれて不意をついて殺してやるから、常に気を張って俺の存在を恐怖していろと――そういう事だ。
 あんまりにもあんまりな仕打ちに、堪え切れなかった涙が一筋こぼれた。膝から力が抜けて、地面にへたりこむ。
 わたしは、彼をこんなにも怒らせるだけのなにをしでかしたのだろう。
 これからのことを思うと、一度はひいた鳥肌が全身に広がっていく。
 蛇に飲み込まれた瞬間のカエルの気持ちを理解した。
 じわじわと分泌される消化液はいつ、わたしを殺すのだろう。
 わたしは真剣に夜逃げを検討した。しかし眼光だけで人を殺せそうな瞳は『逃げたら殺す』と言外に訴えていて――わたしはもう一度涙をこぼした。
 教員の会議開始を告げるチャイムが、わたしの人生終了を告げるものに聞こえたのだった。





2013/9/15:久遠晶

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