放課後デート/最後の晩餐



 放課後、靴箱にしのばされた手紙。
 どきどきしながら体育館に行く。
 ややあって、後ろから大好きな幼馴染のセンパイがやってきた。

 ――やあ、待たせちゃったかな。ちゃん。
 ――いいえ、今来たところですよ。どうかしたんですか?

 平静を装って答えると、センパイの表情がぐにゃりと歪む。

 ――そんなこともわからないのか? お前を殺すためだよォ~ッ!!

 こけた頬、殺人鬼のような目。大きな身体をした男性が、わたしにむかって黒い銃を突きつけた。

「ウッうわー命だけはお助けをー――――!!!!」

 自分の叫びで飛び起きた。
 がばっと起き上がって、ハッハと息をする。あたりを見回すといつも通りのわたしの部屋だった。
 ゆ、ゆめか……。恐怖が蘇ってきて、わたしは汗だくの身体を抱きしめてぶるぶると震えた。

「お、おい! どうしたんだ~?」
「お兄ちゃん……ごめん、ちょっと嫌な夢見ちゃって」
「なにもないならいいけど……びっくりさせるなよ」

 隣の部屋から飛んできた兄に申し訳なくなる。

「お兄ちゃん……夜道には気をつけてね」
「? おう、お前もなァ」

 わたしのなかに凄みを感じた兄は気をされつつも、自分の部屋へと戻っていく。
 それを見送って溜息を吐いた。



 殺人鬼のような風体の男性にムリヤリキスをされたあげく暗殺予告をかまされてしまった。
 見ず知らずの男性から暗殺予告を受けるいわれはない。降って湧いた出来事に、わたしは泣きそうだ。これからわたしの人生はどうなるのだろう。

 結局夜は目が冴えてしまって眠れなかった。何度か授業中に寝そうになってしまい、ふとしたときに恐怖を思い出して眠れなかった。

 せっかく今日は午前授業のみで学校が終わりでバイトもないのに、ぜんぜん気が休まらない。
 自分の机でもそもそお弁当を食べる。元気のないわたしを心配した億泰くんが、わたしの顔を覗き込んできた。

「どうしたんだよ~? お前も夜更かししたのか?」
「うぅ……ちょっと色々あって。億泰くんはゲーム?」
「いやよ~兄貴が昨日、急に思い出し笑いをしたりガッツポーズ始めたり鼻歌うたったり……気味わるくてよォ」
「億泰くん、そういえばお兄ちゃん居たんだっけ。彼女さんでもできたの?」
「お前がそれ言うのかよ~ッ!」
「へ?」

 バシンと肩を叩かれ、わたしは首をかしげた。億泰くんはにやにやにこにこ、嬉しそうにわたしを見つめている。
 億泰くんはたまにズレたこと言ったり突拍子もないことを言い出す。今回もそれだと思って、わたしは追求をやめた。
 いまはもう……なんにも考えたくない。
「あ、もしかしてお前の夜更かしって……そりゃ、そうだよなぁ~ッ」

 うんうんと頷きながら、億泰くんはお弁当のおかずを口の中に放り込んだ。
 ずいぶんと気合のはいったお弁当だ。
 確か億泰くんのおうちはお兄さんが家事全般をこなしているんだっけか。かわいらしいタコさんウィンナーを見て、繊細で優しいお兄さんの姿を想像してわたしは微笑んだ。

「これからもよろしくな……。お前も色々あるだろうけど、俺でよければ相談乗るからよォ」
「うぅ……億泰くん……だめだよ、そんなこといま言われたら泣いちゃうよ~」
「お、おい泣くなよ~ッ」

 こらえきれずに涙がぼたぼたっとあふれ出した。
 感極まってしまう。

 億泰んはと、わたしが悪い人に絡まれていたときに助けてくれたのが出会いだ。億泰くんは強い人だし、経緯を話せば協力してくれるかもしれない。
 いまはそんなことよりも億泰くんの優しさが骨身にしみる。人間ってなんてあったかいんだろう。

 不意に億泰くんがわたしに手を伸ばした。昨日、ムリヤリキスされたことを思い出して、からだがこわばる。
 でも相手は億泰くんだ。すこし身構えつつも逃げないでいると、億泰くんの指がわたしの涙をぬぐってくれた。

「かわいい顔が台無しだろ~? 泣くなよ~俺がいじめてるみてーじゃねぇかよォ」
「うううう……ごめんねえええでも……ウッウッ」

 人目がなければ抱きついて胸板にすがりついていただろう。でも仮にも億泰くんは男のひとなので、耐えて自分の服の裾で涙をぬぐう。
 号泣するかと思ったけど、涙は一筋流れただけでとまってくれた。鼻水もでない。

「ごめんね、感極まっちゃって」
「なんか溜め込んでるなら話聞くぜ~……って、兄貴……こ、これは違うんだ」
「ほう~ッなにが違うんだ? 言ってみろッ」

 背後から聞こえた低く唸るような声に身体が硬直する。
 びくびくしながら、ムリヤリに身体を動かす。首がギシギシと音が鳴りそうだった。
 うしろにいたのは、昨日わたしにキスをし、暗殺予告をかましたあの男性だった……。


 反射的に身構えるわたしを見下ろし、男性は鼻を鳴らした。

「億泰になにされた」
「な、なにも! なにも言おうとしてません! ハイ! ほんとに!」

 このままでは億泰くんまで男性の毒牙にかかってしまう。それだけは避けたい一心で必死に首をする。
 男性はしばらく怪訝そうにして億泰くんを睨んでいたものの、やがて納得してくれた。

を迎えにきたのかァ?」
「まぁな……この俺の当然の務めだろう?」
「さすがにキチョーメンだな~」

 話しぶりからすると、男性と億泰くんは知り合いらしい。億泰くんの喋り方には緊張がない。
 さっき『兄貴』と呼んでいたけど、もしかして億泰くんの不良仲間の兄貴分なんだろうか。そうするとわたしを知っているのも納得がいく。
 わたしを殺す理由はわからないけど……。

 あれ? っていうか、迎えに来たって? 当然のつとめ?

「そ、それはつまり、わたしを冥土に送るという……」
「メイド? 喫茶店のウェイトレスの仕事でも探してんのか~?」
「そういうわけじゃ……」

 億泰くんのまぬけな声にひかえめに訂正する。
 億泰くんはこのひとのこと、どこまで知ってるんだろう……。

 男性をちらりと見上げた。目が合ってしまって、とっさに目をそらす。
 しまった、そらしてしまった。ここが野生で一対一だったら間違いなくわたしは死んでいた。
 男性が鼻を鳴らす音が聞こえてくる。

「まあいい。行くぞ」
「えッ! 冥土に……ですか?」

 地獄への片道切符をくれてやるぜ……みたいな。

「……喫茶店に行きたいならそう言え。行ってやる」
「じ、地獄に喫茶店ってあるんですか?」
「あぁ?」
「ひいっ」

 地獄の底から響いてくるようなうめきと共に睨まれて萎縮する。
 不意に男の人がわたしの空の弁当箱を掴んだ。わたしがなにもいえない間にてきぱきとふたを締め、おかずいれとご飯いれを組み合わせ、バンダナに包んで結ぶ。綺麗なちょうちょむすびだ。
 弁当箱を差し出されたので、とりあえずお礼を言う。うながされるまま鞄に詰め込む。
 突然首根っこを掴まれた。そのままずるずると引きずられる。

「行くぞ」
「ひ、ひいっ! 億泰くんたすけ……」
「じゃあな~」

 一縷の望みを掛けて億泰くんに手を伸ばすも、億泰くんは手をひらひらさせてわたしと男性を見送る。
 あ、あんまりだよ……!
 でもわたしを助けようとしてくれた億泰くんが毒牙にかかるのもいやだった。わたしは涙を飲んだ。

 靴に履き替えて校門を出たあたりで、男性は立ち止まった。

「喫茶店に行きたいといっていたな」
「え、いや、そんなことは」
「言っていただろう」
「いや――その、はい……」

 ぎろりと睨まれて萎縮する。もともと男の人は得意なほうじゃないし、殺害予告をされた相手ならばなおさらだ。
 あからさまにびくびくしているわたしを見て、男性は眉をひそめた。そのしぐさにもびびる。

「カフェ・ドウ・マゴでいいか」
「へ?」
「それともほかにいきたい場所があるか」

 好きな場所で殺してやるぜ、ってこと?
 出来ることなら殺さないでほしいし、今すぐ男性と別れたい。そういう意味をこめて首をぶんぶん振ると、男性はよしと呟いた。なにがいいんだろうか。

「じゃあ、カフェ・ドウ・マゴに行くぞ」
「えぇッ! やっ……」
「どこ行きたいんだ、連れてってやるからハッキリしろッ!」
「はひーッ! も、もうお好きにしてください……」

 カツを入れるように大きな声で言われると声が震えてしまう。
 せめて首根っこを猫かハムスターにように掴むのはやめてほしいなと思ったけど、結局言い出せなかった。



 放課後のカフェ・ドウ・マゴは結構混雑している。とはいえ座れないわけではなく、わたしと男性は四人がけの席を陣取った。
 解放的なテラス席の真ん中だ。だというのに圧迫感が物凄い。
 男性がわたしをものすごく凝視している。
 わたしは膝の上に置いた学生鞄をぎゅっと抱きしめた。

「な、なんでしょうか……?」
「お前、先ほどココアを頼んだが……」
「は、はい。いけなかったですか」
「ほかにはいいのか」
「え?」
「好きなもの頼んでいいぞ」
「さ、最後の晩餐……!!?」
「はあ?」

 太い眉をへんな形にまげた男性が首をかしげた。素朴なしぐさなのに圧迫感と迫力がものすごい。

「べ、別に食べたいものもないので……」
「――そうか」

 男性は不満げな様子で鼻を鳴らした。
 どっかと椅子に座り込んで腕を組む姿に、わたしは高圧的に尋問を受けている気分になった。背筋がぴしんと伸びて、身じろぎひとつできないぐらい緊張している。
 ややあって、注文していたココアとコーヒーが運ばれてきた。
 せっかくのおいしいココアなのに味がわからない。身体は確実に暖かくなっているはずなのに、背筋に嫌な汗が流れて肌寒い。

 男性はコーヒーの匂いをかぐと、砂糖をバサバサと入れ始めた。大盛りで3杯。
 もしかして甘党なのだろうか。こんなこわもてなのに。意外だ。
 分厚い唇にあつあつのコーヒーが運ばれていく場面を、固唾を呑んで見守ってしまう。
 昨日、この唇にキスされた。そう思うと息が詰まる。

「……どうした」
「い、いえ」
「あまり凝視するな……」
「ご、めんなさい」

 コーヒーに口をつけながら、男性がわたしのほうをちらりと見た。
 顔ごと視線をそらす。だけど結局気になって、横目で様子をうかがう。男性もわたしとは別のほうを向いていた。
 ごまかすようにココアを飲む。さきほどよりは味がわかるようになった。

 なんでこんなことしてるんだろう。
 昨日わたしにムリヤリキスをして、犯行予告をしてきた人とココアを飲みあっている。
 沈黙がずっしりと重苦しい。だけど喋ってもいいものかわからず、わたしは男性を警戒しながらココアにちびちびと口をつける。

「あ、あのう……」
「なんだ」

 結局耐え切れなくなって、発言権をもらえないかとひかえめに手を挙げた。
 男性はわたしを一瞥すると、すぐにコーヒーへと視線を移した。些細なしぐさにもビクリと反応してしまう。

「その、億泰くんとは……――」
「億泰のやつがどうかしたか」
「……やっぱりいいです」

 言葉の途中でさえぎられてしまうと、喉から声が出なくなる。
 ココアを飲んでも乾きが増すだけだ。カップをテーブルに置いて、膝のうえに手を戻した。
 そんなわたしに苛立ったのか、男性はトントンと人差し指でテーブルを叩き始めた。

「言いたいことがあるんだったらはっきりと言え」
「う、いや、その、大したことじゃあないので……」
「まどろっこしい女だなッ! 言えと言っているだろうッ!」
「はうーッ! お、億泰くんとは本当になんもないんですッ!」

 恫喝されてとっさに喋る。
 無理矢理吐き出された言葉は波となって、するすると口から滑り落ちていく。

「た、ただのお友達……いえ! お知り合いなんです。クラスメイトなだけなんです。だからその……億泰くんに……」

 ――億泰くんにひどいことするのはやめてください。
 と言う言葉は、他ならない男性の言葉でさえぎられた。

「わかってる」
「……え?」
「というか、そこまで言われちゃあさすがに億泰のやつがかわいそうだ。あいつとおまえは単なる友達。そうだろう?」
「は、はい……」
「あいつからおまえの話は聞いてるし、へんな感情がないとはわかってるさ」
「うっ」

 思わずうめく。
 変な感情……ありました。だって億泰くんにすっごく助けてもらおうとしたもの……。
 なんとなくすわりが悪くなって男性から目をそらした。
 でもやっぱり気になって視界の端にある大きな身体に意識が集中してしまう。

「って、あれ? 億泰くんから……私の?」
「まあ……な」

 じょ、情報収集されている……!!
 どうしよう。他人に知られて困る秘密なんてあまりないけれど、この人に知られるのだとすると別だ。
 兄妹がいるってことも知っているんだろうか。人質にされたらどうしよう。

 不穏な想像に背筋を凍らせていると、男性の視線が真横に飛んでいることに気付いた。
 視線をたどると、仲のよさそうなアベックがパフェを『はい、あ~んっ』とお互いに食べさせているところだった。普段だったら心が和むところだけど、アベックはアツアツなのに私の心は氷点下だ。生きた心地がしない。
 冷たくなる指先をどうにかしたくてココアに口をつける。

「おまえは……」

 アベックに視線を固定しながら男性が言う。

「ああいうのはどうなんだ」
「へ?」
「ああいうの」

 アベックを示して男性がわたしを見た。三白眼に見据えられて息がつまる。
 ど、どうと言われても……。なにを返せばいいのかわからずまごついていると、『どうなんだ』と強めの口調で催促された。

「た、大変よろしいんじゃないでしょうか……。な、仲がよろしいのは、ひひ非常によろこばしいことだとオモイマス」
「そうか……」

 男性は目を伏せた。
 失礼ではあるけれど、わずかに頬を染める様子が異様だ。思わず息をのむ。
 しばしなにかをためらうようなそぶりを見せたのち、男性はウェイターさんを呼んだ。

「この『ミラクルラブリーパフェ』をひとつ」
「えっ!!?」

 地を這うような低く冷たい声で商品名を淡々と読み上げる男性に驚愕の声がもれた。
 ウェイターさんもすこし困惑しているようで、「み、ミラクルラブリーパフェですね」と笑顔を引きつらせながら注文をとる。一礼すると一目散に厨房へと下がっていった。
 男性はすわりが悪そうに私をぎろりと睨んだ。

「なんだそのすさまじい顔は」
「え、いや、な、なんでもございません……」
「あるだろう」
「そんなことは」
「俺がパフェ頼んじゃ悪いか」
「い、イイエ……申し訳ありません……」
「……。別に。怒ってるわけじゃない」

 絶対怒ってる。
 目をそらして鼻を鳴らす男性を見つめながら、私は肩をぐねぐね動かして唇を引き結んだ。
 しばらく微妙な雰囲気のなか、ミラクルラブリーパフェが運ばれてきた。

 バニラアイスにいちごがトッピングされた大きなパフェが、改造制服のこわもての男性の目の前にある。すさまじい絵面だ……。
 大きなパフェなのに、男性の前にあるとあまりにも小さく見える。
 笑いすら出てこないほどの違和感。
 背筋がこれ以上なく冷え込む。

 男性はパフェをずっとテーブルの真ん中へと押した。

「食っていい」
「え……?」
「食え。好きなんだろ、こういうの」
「えぇと、まあ……好きですけど……」

 女友達にそうされたのなら『交換こ』としてありがたく一口いただくところだけど、相手は昨日会ったばかりの――しかも相当ヴァイオレンスな!――男性だ。
 うろたえていると、男性はむっと唇をゆがめてから『ああ』となにかに納得したような吐息を出す。
 スプーンでバニラをすくって、男性はテーブルに身を乗り出した。
 チョコのかかったバニラが乗ったスプーンを口元に突き出される。

「これでいいだろ。食え」
「えッ……あ、あの……?」
 私が身を引くと、その分男性が距離をつめてスプーンを近づけてきた。
 ぐっと近づけられた目はこれでもかというほどに開かれている。小さな黒目が、至近距離で私を睨む。
 きょ、距離近い……!!
 昨日のキスを思い出して身体が震える。周囲の視線を浴びていると思うと頬に熱が集まってきた。

「溶けるだろ。早くしろ」
「で、でも……これは……」
「いいから早くしろッ!」
「うぅ……」

 身体をびくつかせながら、根負けして目をつむった。瞼がじわりと熱い。
 ぎこちなく唇を開いて、思い切ってスプーンにぱくついた。冷たいバニラが口の中で溶けて広がっていく。

 私がしっかりと食べたことを確認すると、男性は満足げな顔をして椅子に座りなおした。

「泣くほど嬉しいのか?」
「は、はい……嬉しいです……」

 消え入る声でそう返すと、男性はニヤリと唇を吊り上げる。

「ならいい。……もう一口いるか?」
「い、いいえッ!! お、恐れ多いです!!」

 ぶんぶんと首を振る。そうか、と男性が頷いた。
 男性は手に持っていたままのスプーンで再びパフェのデコレーションを崩すと、そのままいちごを乗せて口元へと運んでいく。
 え? もしかして……。あ、ああああ……。

「か、関節キス……」
「ん?」
「いいえ……」

 目の前の痴態が見ていられなくて顔をそらした。平気なのかな。私は絶対恥ずかしくて無理だ。
 無理矢理キスしてくるようなひとだから、関節キスなんて大した問題じゃあないのかもしれない。そう思うと昨日の感触が呼び起こされる気がして。私はきゅっと唇を噛んだ。


 パフェはみるみるうちに男性の口の中へと消えていく。
 途中で何度かスプーンを差し出されたものの、そのつど全力で辞退させていただいた。
 男性は赤く染まりつつある空に目を細める。

「そろそろ帰るか。日が落ちる」
「ぅあ……は、はい」

 あわてて、温くなったココアを無理矢理胃に流し込む。
 やっと、この地獄の時間から解放される……!
 お金を計算しようと伝票に手を伸ばすと、掴む前に横から男性が伝票をかすめとった。
 男性は伝票を一瞥すると、立ち上がって会計へと向かう。慌てて私も立ち上がった。

「1780円になりますー」
「ちょうどで」
「ありがとうございます」

 レシートを受け取ると、大きな長財布をしまいながら男性は店を出る。背が高く大股なので、追いかけるのも一苦労だ。

「あ、あの。ココア……480円でよかったですっけ。いま細かいのがなくって……おつりありますか?」
「ああ?」
「ひうっ」

 上から見下ろされると、つい身構えるようにうめいてしまう。
 ぷるぷるしながら差し出す五百円玉を、男性は私に背中を向けることで拒絶した。
 そのまま歩き出すので、慌てて追いかける。お金の貸し借りは重要だ。特にこの人の場合、一ヶ月後あたりに利息をたんまりとつけて返却を催促されかねない。
 ロクに話したこともないけれど、そういうことをしかねない異様な雰囲気がある。

「あ、あのっ。受け取っていただかないと、困ります」
「いい」
「でも」
「いいと言ってるだろうがッ」
「う……ッ!」

 振り返りざま、男性は私に手を伸ばした。反射的に身をかたくしながらも、お金を受け取ってもらえるのかなってほっとした。
 だけど、男性の手は、差し出した掌を掴むとそのまま五百円玉を私に握らせる。

「俺が連れてきたんだ。俺が払うのは当然だ」
「え……?」
「おごると言ってるんだ」
「えッ!! いえ、そんな、おそれおおいッ!!」
「俺の気持ちなんだ。受け取っておいてくれ」

 俺の気持ち!? なに!? 最後の晩餐として!?
 そ、そんなありがたみ、受け取りたくない……。
 力なく首を振ると、男性は困ったように溜息を吐いた。ううう、怖い。

「じゃあ、次はお前が俺を誘え。それでいいから」
「さそ……え?」
「そうだ」

 男性は私をじっとりと見据えたまま頷く。
 さ、誘う。私が……この、男の人を。

「ど、どうして……」
「それを、俺に言わせるのか」

 目を伏せる男性に背筋が凍る。
 こ、殺される気になったら俺のところへ来い……みたいな……?
 想像したくない。でも男性自ら『次』を言い出すということは、とりあえずそれまでは首の皮一枚私の『生』が繋がったということなんだろうか。
 いまこの場で殺されるよりは、問題を先延ばしにしたほうがいいはずだ。

「わ、わかりました……次、お、おさそ、い、します……」

 びくびくしながら男性を見上げると、男性はほっとしたように頷いた。

「楽しみにしている」

 私はその日が来てほしくないです……とは言えず、私はあいまいに頬を引きつらせた。



 その後。『家まで送っていく』という男性の申し出を必死に断り、バス停から歩いて15分の我が家にわざわざ一時間半かけてぐるぐると迂回して帰った。
 部屋に入るなり、私は思い切りベッドに倒れこんだ。
 ああ……生きた心地がしなかった。
 かたい安物のベッドはギシギシ言いながら私の体重を受け止めてはずむ。その感触に、ようやっと自分は現実へと帰還してきたのだと、息を吐いた。
 手の中の五百円玉を見つめる。
 あのとき、私の指を曲げて五百円玉を握らせた男性の手はとても分厚くてかさかさしていて、熱かった。
 まるで唇みたいに。
 思い出してしまって、頬が熱くなる。

「なんなんだろう……あの人」

 本人の前ではこらえきれた涙がぽろっと目の端からこぼれた。
 なんで私がこんな目にあわなきゃいけないんだろう。
 気付かぬ間にひどいことをしていたなら謝りたい。
 でも出来ればあんまり会いたくない。
『次』のことを考えると憂鬱で、なにも考えたくなくて私は目を閉じて眠りの体勢に入ったのだった。





2013/9/28:久遠晶
これと回答拒否(シリアス形兆の連載)を同時平行で書いてたら、あたまのなかで形兆がごっちゃになってすごく困惑しました。

 もしいいね!と思っていただけましたら送っていただけると励みになります!
萌えたよ このキャラの夢もっと読みたい! 誤字あったよ 続編希望