がんじがらめの憂鬱



「虹村先輩が好きです」
「お断りだ」
「そうですか、残念です」

 不服そうな顔をしてその女は口を尖らせた。視線を伏せてむくれる。
 女は泣くことも食い下がることもなかった。俺は言葉が冗談なのか本気なのかすらもよくわからず、ただ不機嫌であることを表すために鼻を鳴らした。
 好意の言葉を切って捨てても、別に関係が変わるわけでもない。女は変わらず、だから俺も変えられない。


 休日のリビング。そのテーブルを、女が陣取っている。
 隣で宿題を教わっていた億泰は眠りこけ、起こすのを諦めた女は自習を始める。問題の答えが所々間違っていることに耐えかねて、口を出してしまったのが運のつきだ。

「虹村先輩、ついでに数学も教えてくださいっ」
「何でもかんでも俺に頼んな。……見せてみろ」

 ノートを受けとって計算してみる。二年前に習ったことだから答えを導くのは容易いが、ひとに説明することは難しい。俺は唸りながら説明の言葉を考える。
 億泰とちがって理解力がいいのは救いだ。
 出来る限り自分でやる気があることは好感が持て、 教える者として最大限応えてやりたい気になってしまう。そうして付きっきりで教えてやってから、熱中していたことに気付いて我に返る。
 なにをやっているんだ、俺は。
 ムッとして黙りこむ俺に気づいた女が俺を見上げる。小動物じみた瞳がぱちぱちとまばたきをして、困ったようにはにかむ。

「億泰くんの勉強見に来ちゃったのに、私の方が見てもらっちゃってスミマセン」
「……まぁな」
「今度お礼させてくださいね」
「別にいい。……弟の礼だ」
「弟思いなんですね、虹村先輩って」

 18年の人生のなかで、はじめてかけられた言葉だった。思わず目を丸くし、自然と苦い笑みがこぼれた。
 仗助のクレイジー・ダイヤモンドがなければ、俺は億泰を誤って殺していただろう。その際億泰にかけた言葉は「無能」「死んで当然」だ。
 仗助を狙った弾丸が億泰に当たったのは億泰の自業自得だが、どう考えても弟思いの兄の言動ではない。

 なにも知らない一般人から見れば、表面上だけでも弟思いに見えるのだろうか。

「虹村先輩……?」
「……。お前の兄貴に比べたらマシなのかもな」

 ごまかすように立ち上がり、湯を沸かす。
 女は岸辺露伴の妹だ。漫画に全身全霊を捧げる露伴は他者の迷惑をかけることに頓着しない。その被害は、もっとも近しい家族である女に多く降りかかる。
 苦笑する声が背中に聞こえた。俺は顔を向けることがはばかられ、茶を淹れることを理由に台所に立ちつくした。

「比べるのが失礼ですよ、お兄ちゃんほんと……規格外だから」

 ずいぶんと控えめな表現だ。
 口うるさい露伴に文句を言われ続けて育った女は基本的に控え目で、人をうかがうことが身に染みてしまっている。仗助や億泰に感化され引っ込み思案は改善されているようだが、腰の低さは変わらない。
 礼儀も言葉遣いもしっかりしているから、露伴も悪影響ばかりではないが。

 すこし気分が落ち着いた。二人分の茶をトレイに乗せてリビングに戻る。

「休憩しとけ」
「お茶、ありがとうございます。話変わってもいいですか?」
「ああ」
「虹村先輩の好きなタイプって、どんな女性なんですか?」
「は?」

 何を言い出すんだこいつは。思わずへんな風に口が曲がる。
 あからさまに表情を変える俺に、女は続ける。

「この前フラレたじゃないですか、私?」
「まぁ、そうだな」

 何て会話だ。不穏さがないことはいいのかわるいのか。

「確かに私には取り柄もなにもないので、虹村先輩の心をつかめないのは当然です。なので花嫁修行をと思って、それなら本人に聞いた方がいいってお兄ちゃんが」
「バカかお前……」

 頭が痛い。
 露伴も本気では言ってなかっただろうに。
 どこの世に、ふった女にアドバイスする男が居るだろう。少なくとも俺はそんな人間じゃない。

「ノーコメント」
「あっ、ひどいです」
「胸に手を当てて考えてみろ」
「うーん」

 本当に胸に手を当てて考えこむ。真っ平らな胸を上下にさすり、

「巨乳チャンがお好きなんですか?」
「ちげーよ」

 この分では永久に正解にたどり着けそうにない。

「今のお前を好いてくれるヤツを探せよ」
「やっ、残念ながらそんな奇特な方はいません」
「だろーよ」
「それに私は虹村先輩にぞっこんなので」

 にっこり笑う。
 どこまでも本気のつもりなんだろうが、あまりにさらっと言うのでまったく気持ちが伝ってこない。友情を恋愛感情と間違えているのでは、という疑念が強くて言葉通りに受け取れないのだ。
 本気で惚れられている感覚がないからこそ、こうして下らない会話を交わせるのだが。

「億泰とかどうだ、バカ同士うまくやれるんじゃねーの」
「億泰くんと付き合うことになったらお兄ちゃんが激怒しますよぉ。仗助くんとよりはましでしょうが」
「俺と付き合うほうがキレると思うぞ……」

 女は首をかしげた。
 露伴は、広瀬康一の記憶を読んで俺の所業を知っている。俺が法で裁けない殺人鬼ということを知っている。
 仗助や億泰なんかよりも、俺との交際こそを拒むはずだ。俺に妹がいたら、やはり俺のような男との交際は断固として許さないだろう。
 許せるはずがない。

「お兄ちゃんはー……別にどうでもいいです」

 女は考え込むように視線を伏せながら、先ほどの言葉を撤回するようなせりふを言う。
 さっきは兄貴が怒るから億泰はダメだと言っていたくせに。

「私は虹村先輩が好きなので」

 恥ずかしげもない。
 どういう気分で言っているのだろう。どういう気分でなら、迷いなくそんな言葉を言えるのだろう。

 考えれば考えるほどわからなくなって、自分の気持ちもぐちゃぐちゃになる。
 ここまで言われて悪い気にならない自分が嫌いだ。なにも知らないくせにと不愉快に思えれば突き放すこともできただろう。

「むしろ、俺がアドバイスしてほしいぐらいなんだよ」
「んんー?」

 妹のようには思えることはできても、男として応えることはできない。
 だから俺は無用な罪悪感を抱いて、アドバイスをやることもできないで膠着を続けている。





2014/10/13:久遠晶
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萌えたよ このキャラの夢もっと読みたい! 誤字あったよ 続編希望