やきもちやき
休日の朝に目を覚ますと、それよりはやくにが起きていた。
化粧台の鏡に向かうは、形兆が目を覚ましたことに気づかない。それをいいことに、普段見慣れない光景を注意深く観察する。
化粧台に出されたボトル類は薬局かどこかで見かけたような気がするが、男である形兆にはまるで関係のない代物だ。どのような効能があるのかすらわからない。化粧に使うのだから、肌にいいんだろう。
二十歳を超え、同居ではなく『同棲』をはじめて久しいが、まだまだ形兆はのことを知らない。
発見ばかりだ。
鏡とにらめっこをする様子を見ていると自然に笑みがこぼれた。その吐息の音を耳聡く聞きつけたの肩がピクリと跳ねる。
「やだ、起きてたの?」
「今さっきな」
「嘘ばっかり」
はむっと唇を尖らせた。口紅を乗せる前だが、それでもうっすらと桜色をしている唇にむしゃぶりたくなる。わざわざ不機嫌そうに尖らせるなんて、朝っぱらから形兆を誘っているのだろうか。無自覚なのはわかっているが、だからこそタチが悪い。
とはいえが自覚的に誘惑してきてもたまらないから、結局はそのものが形兆にとって欲望を駆り立てる存在なのだ。
それを言えばは呆れるだろうが、仕方がない。惚れた女なのだから。
うっすらと欲望を抱きつつも、形兆はふうと首を振って立ち上がった。作業を他人の都合で中断させられるのを嫌うのは、ではなく形兆自身だ。妨害されたくないからしない。誰だってそうする。
もっともに妨害されるのであれば不愉快ではなく、むしろ好ましく感じるが。
「朝飯は?」
「出来てるよ~リビングに置いてある」
「あぁ……了解。お前は同窓会だっけか。昼からじゃなかったか」
「うん。気合いいれて早くに化粧はじめすぎたな~って思った」
「まったくだな。まぁ、時間までまったりしろよ」
歯を磨いてシャワーを浴びて髪をセットして寝室に戻る。その頃にはの化粧は終わっていた。
赤い唇で弧を描いて、『どう?』と首をかしげる。その拍子に髪の毛がさらりと揺れる。
「そんな変わるもんでもねーんだから、時間かけて化粧する必要ないだろうに」
「うっ……誰のためにしてると思って。ひどいなー」
「お前はいつでもいい女だ」
「……も、もー」
は戸惑ったように顔をそらした。髪の毛が揺れてピンクスパイダーの『耳』があらわになる。形兆はやはりキスしたい衝動に襲われた。
それは怒りのようにふつふつと沸き上がってくる。しかし実行にうつすと今夜口を聞いてくれるかもあやしい。なので飲み込む。形兆はそんなとき、の尻に敷かれる未来を幻視する。
自尊心は人一倍高い形兆であるが、にならば尻に敷かれられてもいい。心から思う。
「化粧終わったならさっさと行けよ。同窓会遅れちまうぞ」
「まだだよ~。化粧は終わったけどマニキュア中なの。それに、同窓会は午後だしね」
見れば足の爪に赤いマニキュアを塗っているところだ。どうせ靴を履くのだからする必要なんてないはずなのに。脱ぐ予定でもあるのか。誰の家で?と言えばは怒るだろうか。
苦手なのか、の手つきはプルプルとして覚束ない。その様子が見ていられず、また、興味深くもあり。
「やらせてくれ」
「えっ……まぁいいけど。形兆くんにできるかなぁ」
「ガキの頃ミニカーのプラモ作りでニス塗ってたりはした」
マニキュアを受け取り、膝をついた。のそばに跪いて、その柔らかな足にそっと触れる。膝にのせて、爪にハケで触れた。
端から見ていると簡単なように思えるが、狭い面積をはみ出しなくムラなく塗ろうとすると予想外に神経を使う。
「あぁ~……はみ出した。悪い」
「いいよ、靴で見えなくなるし」
塗るのになれてきた頃には、すべての爪を塗り終えていた。
意外に面白かったので、今度からの爪を塗らせてもらうか……等と思いながら顔をあげると。
潤んだ瞳とかち合った。その頬は化粧によるものではなく薔薇色に染まっている。唇はうっすらと開き、なにかに見とれるようにぼんやりとしている。
「……なに、感じてンだよ」
「ぇ……?」
「キスしたあとみてーな顔しやがって。足さわられて興奮したか?」
「え、ちが、っひゃ!」
足の裏の土踏まずを親指でひっかくと、爪先がぴんと上を向いた。縮こまろうとする膝を力で押さえつけて、足首から膝小僧までをゆったりと撫でさする。
本来なら足の親指でもしゃぶってやるところだが、マニキュアは塗ったばかりだ。
緩く足を愛撫してやると、の瞳が泣きそうに潤んだ。
「ふ、ぅ……っ」
「キスしてやるから、口ひらけよ」
「やっ……! 口紅、落ちちゃ……んっ」
拒否の声を聞こえなかったふりをして、無理やり唇を重ねる。押し付けるだけですぐに離すと、の唇は名残惜しそうにぷるんと揺れた。もう一度触れ合わせ、徐々に深くまで堪能していく。
の懸念の通りにキスで口紅を剥ぎ取りながら、服を乱して下着越しに乳房に触れる。それを押し止める手と胸元に置かれた手はいつもよりも力ない。
手のマニキュアも乾ききっていないらしい。強く抵抗をして崩れるのを嫌がっているようなのだ。
嫌々をするように振られる首を、後頭部に回した腕で押さえ込む。その際、手で耳を塞ぐようにするのも忘れない。
のピンクスパイダーの『耳』は、人の感情を正確に聞き分ける。手でその『耳』を塞いで、血液の音から形兆の感情を流し込む。
幾度も角度を変えてキスをし、唾液を交換し、互いに飲み込んでいくなかで高ぶる劣情をこれでもかというほど、皮膚と内側から味合わせるのだ。
から完全に力が抜け、またマニキュアも乾いた頃に、形兆はキスの嵐からようやっとを解放した。
先ほどよりもずっと下がった眉と潤んだ瞳が目にはいる。口紅がはがれ落ちた唇は、しかし血行ゆえかとてつもなく赤い。口の端の口紅がキスで擦れて頬まで延びている。
焦点がぶれた瞳に形兆しか映っていないことを確認して、そこでやっと征服欲が満たされた形兆は胸がすっとした。
「はは、ひっでぇ顔。同窓会行けねぇなこりゃ」
自身の口に付いた口紅を親指で拭いながら嘲笑する。
同窓会の連中に嫉妬したと言えば、はいよいよ怒ってしまうだろう。
だが、の出発予定時刻までは三時間ほどもある。それまではせいぜいを堪能させてもらうことにしよう。本人の意思を聞かずにそう決め、形兆はすっかり出来上がっているの額にキスをした。
2014/4/1:久遠晶
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