厄介な女
*Twitterの交流タグにてお待ちになっての連載『百年旅行』の夢主さんのSSを書かせていただいたものです。
夢主さんは第三部から第一部にトリップし、老いることなく四部の時代まで生きている、という設定です。
そこだけ把握しておけば『百年旅行』を未読でも問題なく形兆夢として読めるかと思いますが、それはそれとして春さんの『百年旅行』は面白いのでぜひ読んでみてください。
台所から聞こえる物音に、リビングの椅子に座る形兆は眉間のしわを深めた。
テーブルには二人分の白米と味噌汁、サラダや漬物が並んでいる。形兆と億泰の分ではない。億泰は今日仗助の家に泊まるので、本来形兆は虹村家にひとりきりのはずなのだ。
両腕を組んで目をつむる形兆の表情は不機嫌そのもので、この場に億泰が居たら彼は兄の雷が落ちる前にそっと自室にこもったろう。
むわりと鼻腔をくすぐる煮物の匂いはいかにも食欲をそそる。それが余計に形兆を苛立たせる。
「さあ、できたぞ形兆。おふくろの味を目指して肉じゃがを作ってみたんだが……どうかな?」
肉じゃがを盛り付けた大皿をリビングに運びながら、長髪の美女――が首をかしげる。
形兆の眉間のしわがますます深まる。
「いいから、帰れよ」
「きみがこの料理を食べたらな」
有無を言わせない口調でそう言い放ち、はふっと白い歯を見せて微笑んだ。
バッド・カンパニーでテーブルに広がる料理ごとを木っ端微塵にしてやりたい気分に駆られながら、あの空条承太郎や花京院典明を敵に回せないと衝動を飲み込む。
形兆の心中を知ってか知らずか、は形兆の向かい側の椅子に座ると、頬杖をつきながら料理を差し出した。
「最近、ろくな料理を食べていないんだろう。遠慮することはない。さ、食べてくれ」
「……いただきます」
根負けして両手を合わせた。幼いころ母に教わったもののうち、消えてしまわずに染み付いたしぐさだ。それを見ては嬉しそうに笑った。
ほくほくのじゃがいもを崩してツユに浸し、味の染みた豚肉とタマネギを一緒に口に運ぶ。
口に含むとめんつゆが主体の甘い味がふわりと口の中に広がり、温かみが鼻を通り抜けた。噛めば噛むほど、こってりとした味がじゅわりと舌に広がり、学校で疲れた身体に染み渡る。
その様子を、は息を止めて見守っている。
居心地悪くなって、形兆は味噌汁をすすりながらを睨んだ。
「……んだよ」
「うまくできたかな。長らく海外生活をしていたもんで、日本料理は作り方を忘れていてね……不安なんだ」
「よくそれでおふくろの味を目指しただなんだと言えたもんだな」
悪態をつきながら再び肉じゃがへと箸を伸ばす。
日本料理の作り方を忘れている、という言葉を思い出しながら食べれば、なるほど確かに納得できる。
煮込みが甘かったのかじゃがいもの内部はすこしかたく、噛むとシャクッとかすかな音を立てる。だが食べれないわけではないし、形兆は歯ごたえのあるもののほうが好きなので問題はない。冷めれば内部まで味が染みてもっと美味になることだろう。
味噌汁も、若干ダシが強すぎる。しかしこれも食べれないわけではない。
料理中の台所をちらりと覗いたとき、はダシのもとではなく鰹節で直接ダシを取っていた。
形兆の視線に気付いてあわてて背中に隠した手には、料理のレシピ本があったはずだ。
慣れていないくせに、形兆のために努力したのかと思うと呆れてくる。
こんなことをしてになんの得があるのだろう。
以前、そういった疑問を口に出したら、は『きみが喜んでくれるだろう?』そういって微笑んだ。
形兆はその笑みを見ているとむずむずして、むしょうに居心地が悪くなる。
だから、類似する質問はもう投げかけないことにした。どれほど疑問に思っても。
「で、どうだ? おいしくできたかな?」
「……いいから、てめーも食えよ」
「それもそうだな。いただきます」
形兆に促され、も両手を合わせて食事にぱくつきはじめた。
肉じゃがを食べると、はちょっと困った顔をした。
「じゃがいも、まだかたいな。ちょっと失敗したかもしれない」
「次は……うまくいくんじゃねーの」
がらにもない励ましが口をついて出て、それをごまかすように小松菜のおひたしを口に含んだ。
口の中でわずかに苦味としょうゆの味を残して溶けていく小松菜を租借していると、が頬を持ち上げて喜んだ。
「ガツガツ食べてくれるってことは、気に入ってくれたってことでいいのかい」
「……うるさい」
小さく吐き捨てるものの、肉じゃがへ箸が伸びるスピードは変わらなかった。
なんだかんだおかわりまでして肉じゃがを腹へ詰め込み、食事を終えた形兆はふーっと長い溜息を吐いた。
食器を洗おうとしたを押し留めて、空になった食器を持って台所に運ぶ。
勝手に押しかけて料理を作ったのはなのだから皿洗いも押し付けていいのでは、などと思いつつ、仮にも他人に食器まで洗わせるのはよくないと判断した。
泡々のスポンジで皿を丹念に洗っていると、リビングからの笑い声が聞こえた。形兆の背中を観察して、なにが楽しいのか。
「恋人ができたら、きみはきっとかいがいしく世話をするんだろうなぁ」
「なんだそれは……」
他人の世話など父親と億泰だけで充分だ。もっとも、仗助との戦闘の日を境に億泰は見違えるほど成長した。もう、形兆が働きかける必要もないほどに。父親とてそうだ。過去の写真を手に入れた今、記憶こそ戻らないものの、一定の知能は取りもどしつつある。
弓と矢を失い、形兆だけが宙ぶらりんになっているのかもしれない。それでも、父親ともう一度向き合うという決心をしたのは、いったい誰の影響によるものだったか。
台所に顔を出したが、不機嫌そうな形兆を見て困ったように肩を叩いた。
「別にからかってはいないさ。意外に世話焼きみたいし、形兆の恋人は幸せだろうな、と思っただけさ」
からからと笑うの声は、形兆への慈しみに満ちている。口をあけた笑みもがすれば品のあるものに見えるから不思議だと、形兆は横目でを捉えながら思う。
「あんたは恋人いんのか」
声がひっくり返そうになって、形兆は腹筋に力を入れて平静を装った。
はきょとんとした顔で形兆を見つめる。
「私か?」
「そうだ」
「――いるよ。うん、いる……」
胸に手を当て、頬を染めては答える。
懐かしむような慈愛に満ちた表情は、まさに恋する乙女のような表情だ。
この反応を見るに、相手は形兆ではないだろう。
恋慕されているとは思っていなかったが、だとするとはなぜ形兆にちょっかいをだし、甲斐甲斐しく世話をするのか。
返ってくる答えはわかりきっていた。
――放っておけないんだ。
きっとそう言って、眉をひそめて困ったように微笑むのだろうなと、形兆はなんとなく思った。
食後、テレビの前のソファーで小休止する。隣にいるが、不意に喋った。
「そういえば、億泰くんにこの前膝枕を頼まれたんだが」
「ングッ!?」
思わず茶を噴出しそうになってしまう。醜態は堪えきったものの、茶が気管に入ってむせ返る。
「大丈夫か?」
誰のせいだ! という言葉は咳き込んで声にならない。形兆はされるがまま背中をさすられた。
億泰のやつ……! 仮にも付き合ってもいない、知り合って日数の経っていない女にねだることではない。いや、付き合っているのか。付き合っているのであればが形兆の世話をするのも、恋人の兄を放っておけないのだと理解が出来る。
しかし実際は億泰にもにも恋愛感情はないことはわかっている。形兆は次に億泰に会ったらまず殴る、と心に決めた。貞操観念について言い含める必要があるかもしれない。
しばらく背中をさすられていると、じょじょに鼻と喉の痛みが落ち着いてきた。
「だい、じょうぶだ……で、億泰のやつがどうしたって……」
「きみはされたくはならないのか?」
「むぐっ!」
「だ、大丈夫か……?」
再度咳き込む形兆にがうろたえる。
「いきなり、なに、言い出すんだてめ~ッ!」
「私でよければ膝を貸そうかと思ったんだが――そ、そんなにいやなそうな顔をするなよ、レディに向かって失礼だぞ」
あからさまに嫌そうな顔になっていたらしい。が拗ねたように唇を尖らせた。
「なんでてめーに膝枕されなきゃいけねーんだよ」
「母親代わり、というのはおこがましいが……膝を貸すぐらいなら出来るからね」
は穏やかに微笑んでいた。
18歳の男を、どれだけ子供扱いしているのだと思うと腹が立ってくる。しかしどうにも、には頭が上がらない。
以前、粗相をした億泰を殴りつけたときにそれをが「やめなさい」と毅然とした表情で言った。普段であればてめーには関係ないと一喝するところだが、に強く命令されるとどうにも抗えなくなる。
まるで子供のころ母親に叱られたような気分になるのだ。
「お母さんと呼んでみるかい?」
「……年齢差で言うなら姉貴だろ、せめて」
「そうだね、きみからすればそうなるだろうね」
含みのある言い方がどうにも気になった。
形兆が口を開く前に、が自分の膝をぽんと叩いた。
「おいで」
口調としぐさこそ形兆をいざなうものだが、は有無は言わせないとばかりに形兆の肩を掴んだ。
そのまま引き寄せられると、形兆の頭はすっぽりとの膝におさまってしまう。
「……ッ!!」
顔がかっと熱くなる。すぐに起き上がろうとするが、制するように両手で頭をかるく押し付けられると抗えない。
のパンツスーツ越しにふともものむちむちとした柔らさが耳に押し付けられ、弾力を持ってわずかに跳ね返る。
膝は暖かく、反対側の耳ごと頭を撫でる手はひんやりと冷たかった。
息が詰まって息が出来なくなる。
「寝てもかまわないよ」
これで寝られるかッ!!と耳元で叫んでやりたい。が、そのためには起きねばならず、形兆の身体は不思議と動かない。
ぽんぽんと背中をさすられると、口から心臓が出るほどどぎまぎしていた心が落ち着いてく。
――女ってのは、こんなにやわらけぇもんなのか……。
劣情を抱くでなくそう思う。
六歳のときに母親が死んでからは家事や父親の世話、億泰の教育を一手に引き受けてきた形兆だ。休日などないし、ムリヤリ空けた時間のほとんどは弓と矢によるスタンド使いの探索に当ててきた。当然ながら、異性との接触などあってないようなものだ。
だから女性特有の柔らかさを感じるのははじめてで、劣情を刺激されるよりも先に感嘆の念が沸きあがった。
「む。形兆、きみ、ずいぶんと肩がかたいな……」
繊細な指先で肩甲骨の間を押されると、石のようにこわばっていた肩から力が抜けていく。
「……あんたってよぉ」
「フフ、どうした?」
「そーとーなお人よしだよな、『さん』」
悪態をつくような声音で言って、形兆は首に負担がかからないように角度を調節した。ぼすっと膝に寝なおして、形兆は不貞寝をするように目を閉じた。
そんな形兆を見て、は声を堪えて笑みをこぼした。
2016/12/18:久遠晶
サイトに掲載したのはこの日付ですが、実際は三年前のブツです。今見るとちょっと恥ずかしい。
もしいいね!と思っていただけましたら送っていただけると励みになります!