色恋沙汰観察

 篠原は料理べたである。
 ……と、いうことに億泰のなかではなっているらしい。
 億泰特有の誇張した表現でもなく、心底そのように思っているようなのだ。
 では実際にくんの料理はどうなのかというと、まあ食べれない味ではない。やれ千切りの間隔が精巧ではないだのダシをとる時間はどうのだの、指摘しようと思えば言葉はいくらでも出てくるが、それなりに上等な部類ではあると思う。
 すくなくともレシピを見もせずに『醤油ゥ? まあだいたいこんなもんだろ』などと言いながらペットボトルからじかにフライパンに投入するような、大雑把な億泰にえらそうに評論される筋合いはないだろう。その程度には美味い料理を作る。
 味オンチというわけではない億泰が『の料理は宇宙一マズイんす!』と力説する理由とは。

 疑問は二人が台所に立つ姿を見て一瞬で氷解した。

「んでよォ~。俺は火通りやすいよう大根にクシで穴あけまくっとくな」
「う、うん……。なるほどね」
「そーじゃねぇよ! もっとダイナミックにやろうぜェ~!!」
「わ、わ、わ」

 クシで大根にぷすぷすと穴をあける控えめな手つきを見て、億泰がくんの手を掴んだ。
 そのままくんの手を操って、大根にクシを貫通させていく。自然と身体が密着し、くんの顔は火が出るように赤い。大根を見てあれこれ言っている億泰は、くんが唇を震わせて内心で絶叫しているだろうことに、まるで気付かない。
 僕は台所の入り口で壁に寄りかかって、その様子をじっと見つめていた。

 なんで僕が、この二人の料理教室に立ち会ってやらなきゃならないのだろう。理由はわかりきっていた。くんのためだ。
 もともとくんが億泰に料理を教わるきっかけとなったのは僕だった。先日、久々にくんと会った際に首尾を尋ねたところ、くんは人生に疲れたような表情で薄く笑った。
 ――だめです、露伴先生。私心臓が持ちません。
 ――はあ? いったいどうしたんだい。
 ――助けてください! もう私……どうしたらいいか……!
 泣きそうな顔で掴みかかるように懇願され、僕も断ることはできなかった。
 頼まれたときはいったいなにが、と思ったが、こうして調理の風景を見ていると納得できるというものだ。

「えぇと、次は……」
「次はタレだなぁ~ッ。だし汁とかいつもテキトーにやんだけど、ま、のためだし分量はかるかぁ。まあこれぐらいだろ」
「ぜ、ぜんぜん分量はかってないじゃない!」
「そうかぁ? あ、お前小麦粉鼻についてるぜ」

 親指でくんの鼻についた小麦粉を乱暴にぬぐい、ニカッと歯を見せて笑う。
 先ほどまで一緒にレシピ本を覗き込んでいたからか、狭い台所なのもあって距離が近い。
 距離が近い。
 ものすごく……。

 勝気なくんも、ほとんど常に肩か肘が触れている状況に頬を真っ赤にして俯くほかない。
 目元を伏せて目をそらす様子は、なるほどあどけない少女と言った風体で非常によろしい。僕はスケッチブックにドシュドシュと書き込みながら二人を観察する。
 普段てきぱきしているくんも、この状況ではなるほど本来の実力は発揮できないのだろう。
 先ほどから醤油の代わりにお酢を取ろうとしたり、おおさじと小さじを間違えたり、手が震えて分量を大きく間違えたりと失敗続きだ。僕がいちいち指摘しなければ、タレの味は大変なことになっていただろう。

 このくんの料理しか食べていないのであれば、『の料理は宇宙一マズイ』と言う言葉が出てくるのも頷ける。

「億泰が100%悪いな」
「ん? なんか呼んだっスか? 露伴センセェ~ッ」
「あ、あの、距離近い……」
「んあー?」

 僕に顔を向けた拍子に億泰とくんの距離が縮まる。それを恥らってくんが殊勝な声をこぼした。
 たいていの男ならば思わずドキリとしそうなしぐさと表情も、億泰の鈍感な心には響かない。

「お前じゃなくてもっと美人だったら密着しがいがあるってのになーッ!」
「う……」

 くんは今度は怒りで肩を震わせた。
 幼馴染とはいえ遠慮がなさすぎではないだろうか。そうは思いつつ、頬を染めるくんはなかなか面白いので放置する。
 億泰の鈍感さに飽きてきたらくんに助け舟を出してやろう。

「億泰って絶対モテないわよね……」
「うッ! お前みてーな男女に言われたかねぇな~ッ!」

 くんが案外モテるということを知ったら、億泰はどういう反応をするんだろうか。『なんでお前ばっかり』と言いながら情けなく泣くのだろうか。それとも案外喜ぶのか、怒るのか。
 どちらにせよロクな反応ではないのだろうな。間抜け面は見ていて不愉快だが、くんの本心を知った時の億泰の表情を想像すると笑えてきた。笑えてきたが、彼女ができたら調子づくことは間違いないので見たくない光景だ。
 トモダチとしてくんの恋路を応援したい気持ちはあるが、やはり相手が億泰であることには納得がいかない。康一くんにしておけばいいのに。ダメか。ダメだな。由花子が黙ってない。

 そうこうしているうちに、煮物の美味そうな匂いが漂ってきた。

「今回はうまく行きそうだなぁ~ッ。露伴センセーが見張っててくれたおかげだぜっ! こいつ、好きあらば調味料間違えるもんなぁ~」
「う、そ、それはアンタが……」
「俺なにかしたか?」
「……もういいわ。億泰のバカ」
「な、なんでだよ~ッ!?」

 くんの悪態は力ない。
 ひたすら心臓がせわしなかったのだから、きっと立っているだけでも神経を体力を消耗したのだろう。なかなかにウブな女の子だ。
 ふと気になることがあって、僕は口を開いた。

「なあ、自宅で作った料理を億泰に食わせるってのはどうだい」
「それは……やってるけど……」
「アレ、のおふくろさんの料理だろ?」

 無言で溜息を吐くくんに、すべてを察する。
 まあ、いまのくんが通常だと思っているのなら、くん本来の手料理は他人が作ったものだと勘違いしてもおかしくないだろう。億泰はそもそも思い込みが激しいタイプでもある。
 開け放した窓からザッザという砂利を踏みしめる規則正しい足音が聞こえてきた。
 家主のお帰りだ。

「帰ったぞ、億泰。……誰か客でも来てるのか?」
「兄貴おかえりィ~ッ」
「あ、おかえりなさい、形兆さんっ」
か。……岸辺露伴。珍しい組み合わせだな……」

 心底助かったというように虹村形兆のもとへ駆けていくくんの背中を見ていると、いぶかしげな瞳と目が合う。
 僕は苦笑して、肩を竦めたのだった。





2013/10/1:久遠晶
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萌えたよ このキャラの夢もっと読みたい! 誤字あったよ 続編希望