岸辺露伴は素直にしゃべれない


 露伴先生の家は広くて天井が高い。
 自分の家のものよりずっと高い位置にある天井にはシミひとつなくって、私は現実逃避の仕方がわからずに苦心している。
 天井への視線をさえぎるように私に覆いかぶさる露伴先生は真剣な目をしていた。
 露伴先生、顔は悪くないから、こんなステキな目で射抜かれたら腰砕けになっちゃう女子は多いんじゃないかなぁ。
 それなのに、なんで私なんだろう。
 というか、なんで私、挨拶もそこそこに押し倒されてるんだろう。

「露伴先生、この状況はなんですか? 私、露伴先生が風邪引いたから呼び出されたんですよね?」
「ああ、そんな嘘もついたな。なに、ちょいと取材がしたくてね」
「取材でこんなことされなきゃいけないの!? 冗談よしてよ露伴先生ー!」
「僕が漫画のことでそんなくだらない冗談を言うと思うか?」
「……イイエ」

 不機嫌そうな瞳と目があい、私は泣きそうになった。
 漫画に対して異常なまでに真摯なこの人は、漫画の為に他者を踏み台にすることをためらわない。
 そして今、私の身体が『取材』という名目の元に踏み台にされようとしているのだ。
 抵抗しようにも、紙の束になった腕はぴくりと動かすことすらできない。

「安心しろよ。ひどいことはしない」
「この状況がすでにひどいです。セクハラかなにかで訴えますよ」
「うるさいやつだな……しょうがない」

 露伴先生は、ちょいちょいっと指先を動かした。
 【ヘブンズドアー】によって書物と化した私の身体。その余白部分に、露伴先生の文字が書き込まれていく。
は岸辺露伴を攻撃することができない』
は岸辺露伴の取材に協力する』
 ――その悪魔的な文面によって、私は露伴先生に服従を余儀なくされた。
 この文字、取材終わったら消してもらえるのかな。ダメかなぁ。
 聞いてみたいけど、ダメだって言われたら多分泣くと思うので、聞けない。

 首を横に倒すと、すぐそばに投げ出された買い物袋が視界に入った。
 散乱した冷えピタや食材たちが、悲しげに私を見つめている。

「私の心配もせっかく買ってきた冷えピタちゃんも無意味だったんだなぁ……」
「本当のことを言ったら、きみ、来なかっただろ」
「わかってたなら諦めてくださいよ……」

 うんざりしつつも、悪態をつくことはやめられない。四肢を細長い紙束にされた今、自由になるのは首から上だけなのだ。
 露伴先生の言う取材とは、ただひたすらに抱き締められて身体を撫でられ続けることらしい。
 男の人とこんなに近い距離で過ごしたことはないから、私の心臓はすこしと言わずどきどきしている。でもそれ以上に、お腹の底から立ち上ってくる怒りがすさまじい。

 結局はされるがままになるしかない私の文句などどうでもいいのか。露伴先生は私を恋人みたいに抱き締めて、髪の毛をうっとりとでている。

「前から思っていたが、きみの髪は毛先までキッチリ手入れされているよな。匂いがいつもと違うがシャンプー変えたのか? これはなんの匂いだ?」

 髪の毛に顔をうずめて匂いを嗅がれる。完全にセクハラだ、これは。
 薔薇かなにかか? と首をかしげながら、露伴先生は私の言葉を待つ。
 素直に答えるのは癪だったので、私は顔をそむけて刺々しく言葉を返す。

「読めばいいじゃないですか。そこらへんに書いてありますよきっと」
「たかがシャンプーの銘柄を、きみの人生のなかから探し出して読めというのか? それとも、この僕に自分のプライベートを読んでほしいのか」

 歪んだ性癖だな、と鼻で笑われる。
 もちろんのこと私は私生活を見てもらって喜ぶ趣味はない。あったとしても『人を本にする』なんて能力を持つ露伴先生のほうがよほど歪んでいる。
 私が不愉快になるってわかってるはずなのになんでこういうこと言うんだろう。心から理解に苦しむ。
 質問に答えたくはなかった。だけど、答えなければまた嫌な言葉を言われるんだろう。根負けして口を開く。

「……石鹸です。ローズゼラニウムの香りの石鹸、友達からもらったので」
「石鹸でこんな綺麗な髪になるものなのか。でも僕はこの香り好きじゃない。次から僕と会う時は、前使ってたあの匂いのするやつを使うように」

 なんで、彼氏でもない男にそんな命令をされなきゃいけないの!
 罵倒が口をついて出そうになって、どうにか飲み込む。
 怒らせるのが怖かったわけではない――むしろ、この程度の罵倒なら露伴先生は喜んで嫌味で返してくると思う――返答が見え透いていたからだ。
 しかし言葉にしなくても、思いきり歪んだ表情で伝わったのかもしれない。露伴先生は聞きたくなかった一言を、こともなげに放り投げてきた。

「だってアシスタントだろ?」
「もうぶん殴りたい……」

 そして泣きたい。
 露伴先生と知り合ったのは数ヶ月ほど前の話だ。
 たまたま康一くんと一緒にいたら露伴先生と遭遇し、顔見知りとなった。当初は康一くんにくっついてカフェや取材をご一緒させていただいていただけだったけど、気が付いたら二人きりで会うようになっていた。
 そして、ある日、真剣な目でこう言われた。

 ――ぼくのアシスタントになってくれないか。なに、作画を手伝えと言ってるんじゃない。取材に同行してくれるだけでいいんだよ。僕はたまに、何故か人を怒らせることがあってね、仲介してほしいんだよ。
 ――それぐらいなら、構いませんよ。先生のお役に立てるのであれば喜んで。

 まくしたてられた言葉にふたつ返事で了解すると、露伴先生は満足げに「よし」と呟いた。
 思えばあそこが分岐点だった気がする。あの頃の私はただのファンで、露伴先生もそれなりに丁寧に扱ってくれていた。
 それが今じゃ、嘘で呼び出されて押し倒されて訳のわからない取材なんてものに付き合わされている。
 漫画の為ならなんでも出来る人だとは聞いていたけれど、ここまでとは思わなかった。
 お腹をまさぐる露伴先生の指がこそばゆい。

「きみ、すこし太ったんじゃないか」
「ううぅ……ほんとはっ倒したい」
「やってみろよ。出来るならな」

 出来るものならやってやりたい。でも身体に書き込まれた文字には逆らえない。
 本当にムカつく。

 露伴先生は人権無視も甚だしい行為をしつつも、胸などのきわどすぎる場所は触ってこない。
 手つきはくすぐったいけれど、性欲めいたいやらしいものではない。それでどうにか、私も泣かずに済んでいる。
 『ひどいことはしない』と言うのは嘘ではないらしい。この言葉は信頼してもいいみたいだ。

 そんなことをぼんやり思いながらひたすらに抱き締められていると、頭を撫でていた露伴先生がふと思い立ったように顔をあげた。

「痕、つけていいか」
「ぇ……?」
「キスマークだよ、キスマーク」
「え、キスマ……やだ、やめてくださ――≪はい、どうぞよろこんで≫って、え!? 口が勝手に……!」
「よし、痕も付けてみよう」
「やだやだ、やめてよ先生っ……んぅっ」

 首筋に強く吸いつかれ、思わず肩をびくつかせる。
 【ヘブンズドアー】の一文は、身体を動けなくさせるばかりか意志にない言葉をも喋らせるらしい。

 ……さっきの信頼してもいいっていうの、撤回!

 文句の為に口を開こうとした瞬間、もう一度首筋に吸いつかれて、変な声が出た。
 私が何度お願いしても、首筋や鎖骨に吸いつくのをやめてくれない。
 何個キスマークをつけられたのかわからなくなってきた頃合いに、露伴先生はやっと私を開放してくれた。私の首筋を確認して、よし、と満足げに息を吐きだす。
 キスもしたことないのに……。
 どれほどたくさんの痕が残ってしまったんだろう。明日、学校なのに。

 泣きそうな私とは裏腹に、露伴先生は心底嬉しそうに歯を見せて笑った。

「これじゃ外に出れないな。明日の学校、休んだほうがいいんじゃあないか」
「誰のせいですか……」
「あえて言うなら漫画の為で、強いて言うならきみのせいだ」
「え?」

 露伴先生は私の頭の下に腕を差しこんで抱きしめると、くるりと寝返りを打った。仰向けに寝る露伴先生にまたがって覆いかぶさるカタチになる。
 硬い胸板に顔が押し付けられて、鼻が痛い。私はぐるぐると首を動かして、頬や鼻が痛くない位置を探さねばならなくなった。

「僕のアシスタントを、くだらん男にやるわけには行かないからな……取材の時間が減る」

 ぎゅ、と腕の力が強くなる。
 えっと……露伴先生、それって。それってもしかして――。
 喋ろうとするとより強く胸板に押しつけられて、窒息しそうになる。

「康一くんから聞いたぞ。……クラスメイトから告白されて、まんざらでもなかったそうじゃあないか」

 一週間ほど前、確かに友達から告白された。康一くんにも話した。
 口が堅いと信じて相談したというのに、よりによってこの人にバラしていたのか。なんてことだ。恨むよ康一くん。
 全身から露伴先生のぬくもりを感じる。服ごしにじんわりと熱が伝わってきて、私は心臓が高鳴るのを抑えられない。

「きみは僕のアシスタントだ。勝手に知らん男のところに行くのは許さん。僕を優先しろ。いいな」

 なんて横暴なセリフだろう。
 性格破綻者の横暴・俺様・私は調子に乗ってます――って感じの露伴先生は、漫画の為ならすべてを犠牲に出来て、他人の迷惑なんて考えない。
 私は露伴先生の恋人でもないのに!
 それでも「……はい」と頷いてしまったのは、単純に【ヘブンズドアー】のせいで逆らえないだけであって、断じてときめいたからじゃない。
 私、露伴先生のこと、好きじゃないし!
 ……まあ、漫画は嫌いじゃないけどね。





2013/5/7:久遠晶
ヒロインさんは多分、この後自宅の鏡でおびただしい数のキスマークを見て、やっぱりあの男殴る!ってなると思います。
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萌えたよ このキャラの夢もっと読みたい! 誤字あったよ 続編希望